16.正直に答えてくれ
そんな時、決まって話題に上がるのは領主の新しい婚約者のことだった。
あの白い天使が来てからと言うもの、ロウェルは確実に上向きになっている。身の回りで起こる幸運は全て彼女のおかげだと冗談めかして言われるのがお決まりになっていた。
「まだ若いユーリ様が後を継いでどうなるかと思ったけど、頑張ってくれてるよ本当に」
「そうそう、だから俺らもそれに応えなきゃな」
厳しく無骨な土地柄だったロウェル領は、めざましい発展を遂げつつあった。
それでも勤勉な領民たちは慢心せず、よりよい明日のために仕事へ向かう。豊穣祭では天使を讃える歌でも作ろうかと笑い合いながら。
***
民たちが笑顔になる一方、城内の楽しそうなざわめき声を耳に目覚めたリセラは、泥のように重たい体を寝床から起こした。ハッと振り向いたアンナが慌ててベッドに押し戻そうとする。
「姫様、やっぱり顔色がよくないです。今日は横になっていた方がよろしいのでは……」
「ありがとう、でも本当に大丈夫よ。病気ってわけじゃないんだから」
弱々しくほほ笑むリセラの顔は、血の気がなく紙のように白くなっていた。何か言いたげなアンナの視線から逃れようと、リセラは反対側から降りようとする。だが、突然くらりと立ち眩みを起こし平衡感覚を失ってしまう。
「姫様!」
「っ!」
倒れ込みそうになったその時、駆け込んできた誰かがとっさに支えてくれる。そっと目を開けると深刻そうな顔をした婚約者がこちらを見下ろしていた。
「ユーリ、様」
「……」
彼は何も言わずに深い青の目でこちらを見ている。心の奥底まで見透かされてしまいそうで、つい目を伏せてしまった。すっ飛んできたアンナが青ざめた顔で傍らに膝をつく。
「あぁもうだから言ったじゃないですか、姫様に何かあったらわたくしは……どうしたら……」
「アンナ……」
目を潤ませ小刻みに震える彼女に心が痛む。沈黙が下りる中、領主がキッパリと言う。
「アンナ、悪いが席を外してくれないか」
感情を抑えた低い声にビクッと竦んでしまう。主人の命令とあっては逆らえず、アンナは心配そうに振り返りながらも退出していった。
「あの、本当に大丈夫です。ちょっとつまずいただけ……ひゃっ!」
弱々しく笑みを浮かべるリセラは急に抱き上げられる。横抱きのままベッドに運ばれ、まるで壊れ物のようにそっと下ろされた。枕を背もたれにして上掛けをかけられ、大きな手で頬をスリと撫でられる。そのまま髪をかき上げて額に触れられた。
「熱は無いな。医者の話でも悪いところは無いとの話だったが」
「あの、えっと」
心配ないと伝えようとしたところで、ユーリは額から手を外しリセラの手を握り込んだ。前髪が顔に掛かり表情が見えなくなる。やがて、発せられた声は静かな部屋の中を通り抜けていった。
「リセラトゥール、正直に答えてくれ。もしかして手繰り人の能力を使うのは、お前自身の命を削ってるんじゃないか?」
吸い込んだ息が声にならなかった。否定できないリセラに、ユーリは痛ましい表情で顔を上げる。
「そうだよな、何の犠牲もなしに幸運を手繰れるわけがなかった。気づかずにすまない、俺の落ち度だ」
「あ、ちが……違う……」
「これからはゆっくり休んでくれ、元の体調に戻るまで何もしなくていい」
労わりにあふれた言葉を掛けられているのに、リセラの顔はどんどん青ざめていく。微かに首を振ることしかできない彼女に向かって、ユーリはきっぱりと宣告した。
「もう能力は使うな。治療に専念してくれ」
その一言でリセラは足元がガラガラと崩れていくような感覚に襲われる。縋るように彼の胸元を掴むと懇願した。
「だ、ダメです、お願いです、手繰らせて下さい」
「リセ?」
「自分の限界は分かりますから大丈夫です。こ、こんなのへっちゃらですよ、死ぬほどじゃないです。ですから、どうか手繰らせてください。……お願いします! お願いします!!!」
「落ち着け、どうしてそこまで……」
肩を掴んで引き剥がされる。拘束されたリセラはもがくが、力では到底勝てないことを知るとくしゃりと顔を歪ませた。その金のまなざしの端から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「だ、って、私、にはっ、それしか……」
ハッとしたように目を見開いたユーリの顔がこわばる。力の抜けた彼からスルリと抜け、リセラは顔を覆ってすすり泣いた。
こんなつもりではなかった。もっともっと皆の役に立てるはずだった。弱っているところを見せるつもりも無かったのに、どうだこの体たらくは。めそめそ泣くだなんて幸運の天使の名が聞いて呆れてしまう。
――やはりお前は落ちこぼれで、出来損ない。何をやらせても上手くいくはずが……、
父とも母ともつかない声が頭の中でガンガン響いている。
(やっと私にも出来ることを見つけたのに、どうして)
「ごめ、なさ……弱くてごめんなさい、すぐ、泣き止みます、からっ」
自分を叱責して涙の栓を止めようとする。するとその時、優しくそっと引き寄せられた。落ち着いた低い声がすぐ間近で響いて、心をえぐる幻聴をどこかへ押しやってくれる。
「謝るのはこっちだ、まさかここまで重症だとは」




