15.聖女様なの?
そっと指先を宙に伸ばし、天から降りる金の糸を絡め取る。身を乗り出して焦点の合わない父親の額に触れると、彼のオーラの中に金の糸が溶け込んでいった。やがて少し間を置いて、彼の意識が現実世界に合わせられる。
「……?」
「と、父ちゃん!」
息子の呼びかけにノロノロとそちらを見やり、彼は夢から醒めたばかりのような顔で呟いた。
「お前、どうしたんだこんな時間に。親方まで……」
パァァと、まるで光でも差すように少年の顔が輝いていく。
「父ちゃん! うわぁぁぁああ!!」
かじりつくように父親の肩に飛びつくと大声をあげて泣き始めた。何があったか親方から説明すると、目覚めた父親はひどく驚いたような顔をして語る。
「そうだ、すごい音がして天井が落ちてきて……それからずっと暗闇の中を漂っていた気が……。だけどさっき、ふいに金色の何かが目の前に現れて……それをたどって上昇したらこの子の声が聞こえて、それで」
「よかったよぉ……っ」
わんわんと泣き続ける親子をほほ笑ましく見守っていたリセラだったが、ふいに婚約者にふり返ると真面目な声でこう尋ねた。
「ユーリ様、こういった事故はよく起こる物なんですか?」
「あぁ、採掘技術は少しずつ進歩してはいるが、それでも完全には無くならないな」
あの美しい宝石たちは、そういった犠牲の上に成り立っている物なのだ。しかし、採掘自体が悪いというわけではない、それで生活している者もいるのだから。なら――、
「……そういった事態の時は、仲間内から少しずつお金を集めて助け合いができないかしら……」
ふと思いついた案をリセラはぽつりとつぶやく。口にしてしまってからハッとしたように慌てて手を振った。
「ご、ごめんなさい。部外者が事情も知らないのに勝手なことを……」
「いえ、実は寄付したいという声も仲間内から数人上がっていたんです。ですがやはり個人では負担が大きく……」
親方の答えに、ユーリはふむと顎に手をやった。どこかおもしろそうに口の端を吊り上げるとこう言う。
「なるほど、リセラが言うのは互助会的な仕組みだな。だが、それだと怪我した相手によっては賛同しない者も出てくる。ならこういうのはどうだ」
柔軟な思考を持つ領主は、指を立てると採掘ギルドの長である親方に提案した。
「普段から毎月、給与の中から前もって少額ずつ集めておいて資金をプールし、働けない者が出た際はそこから補償を充てる。過剰に集まりすぎたら設備の新調に充てる。組合でやるなら領地収入からも少し出そう。領民あってこその領地だ」
「それは……いい仕組みかもしれませんな! すぐにでも仕組みを詰めましょう!」
にわかに色めき立った親方の後ろから、ようやく泣き止んだ少年が飛び出して来る。キラキラとした笑顔でリセラを見上げると尊敬のまなざしを込めて礼を言った。
「ありがとうお姉ちゃん! お姉ちゃんは奇跡を呼ぶ聖女様なの?」
「えっ?」
大仰な呼ばれ方に面食らう。笑ってやんわりと否定しようとしたところで、何やらピンときた様子のユーリに急に肩を引き寄せられた。
「いいや、幸運の天使さ。幸せをこの地にたくさん呼び込むため、この俺の元へ嫁いできてくれたんだ。すごいだろう?」
「天使様? すごーい!」
「確かに天使様だ……本当にありがとうございました」
恥ずかしくて頬を染めるのだが、無邪気に喜ぶ少年と、涙目で礼を言う父親を見ていると温かい気持ちが広がる。すぐ間近の婚約者を見上げれば、ニカッと少年のような笑みが向けられて、誇らしい気持ちが胸をくすぐる。
(ユーリ様は私の手繰り人としての能力を求めてらっしゃる。ならますます頑張らなきゃ)
気合いを入れたリセラは心の中でグッと拳を握りしめる。
幸か不幸か、この日の出来事は彼女に自信をつけると同時に、自己犠牲への動向を決定づけることになってしまうのだった。
「っ、」
ドクンと鼓動が嫌な音を一つ立てる。それでもリセラは少し胸に手をやるだけで無理に微笑み続けた。
***
それから少し時は流れ、北方にあるロウェル領の短い夏は終わりに差し掛かっていた。
例年ならばこれから来る厳しい冬を憂い、領内のため息があちこちから聞こえてくるのだが、今年は各所がやけに活気づいていた。
「この分なら、今年の冬は余裕がありそうだな」
「切り詰めなくてもいいなんて何年振りかしら」
理由は単純、ロウェル領全体に次から次へと幸運が押し寄せていたのである。
細々とやっていた農地は不思議と大収穫、新しい鉱脈からは良質な原石がザクザクと採掘され、街道が整備され流通がよくなったことで物価は下がり始めている。余裕ができたことで魔獣を追い払う柵の増設や新技術も研究が進んだ。毎年の流行り風邪も大人しく人々の顔は明るい。ここのところは間近に迫った豊穣祭の話題で持ち切りだ。
「それもこれも、幸運の天使リセラ様が嫁いできてくれたおかげだよ」
「ほんに、ありがたいことだ」




