1.天命の糸
周囲の視線を恐れて俯いてばかりだった自分を、その人は満面の笑みで抱き上げる。
「会いたかった、俺の手繰り姫!」
太陽のように眩い笑顔に当てられた時から、リセラの運命は確かに変わり始めた。
***
伯爵令嬢リセラトゥール・フォン・ディリングには幼い頃から不思議な物が見えていた。
人の体からゆらゆらと立ち昇るそれは、天につながる『糸』のようで、人によって力強く出ていたり、今にもちぎれそうなほど細かったりするのだ。
それがその人の生命力を示しているのではないかと気づいたのは、可愛がってくれたばあやが死んだ時だった。日に日に細くなっていく糸を不思議に思っていると、ふつり、と切れた瞬間に彼女は胸を押さえて倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのだ。
それ以降、幼いリセラは会う人の糸を注意深く観察するようになった。できることなら誰にも死んでほしくなくて、必死になって忠告したのは純粋な善意から来る物だった。
ところが、最初は子どもの戯れ言だと取り合わなかった大人たちは、次々と死期を言い当てるリセラを次第に気味悪がるようになった。そんな『予言』を社交パーティーの度に繰り返すものだから、貴族の間でも次第に悪評が立ち始めた。あの不気味な金の目をした娘に目を付けられると、近い内に死が訪れるのだと。
そう、リセラは見た目からして異質だった。生まれつき雪のように白い髪に透き通った金色の目をしており、両親から生まれるべくもない色合いに出生当時は夫婦間で相当揉めたらしい。予言の件も相まって父親からは猛烈に嫌われていて、母も彼女を「失敗作」と呼び、二人とも気に入らないことがあると、幼いリセラにしつけと称してすぐに暴力をふるった。
「その不気味な目で見るなと言っただろう!」
目が合うと平手打ちが飛んでくるので、いつも伏し目がちに視線を落とす。それでも母は不快そうな視線を向け、2つ下の妹ミーツェスカはクスクスと笑うだけで助けてはくれなかった。
満足な食事を与えられないので17歳になっても貧相な体つきで、薄汚れた白い髪はざんばら。青白い顔でボロボロの布を身にまとい、いつも奴隷のように雑用を言いつけられている。陰鬱な姿はますます死神のようだと使用人たちはせせら笑った。
(私は一生この屋敷で、誰とも関わらずに生きていくのかしら……)
物置部屋の固い床の上に蹲りながら、リセラは薄っぺらい布団をそっとかき寄せた。
***
そんなある日、ディリング家に一通の書簡が届いた。
差出人は遠く離れたロウェル領の辺境伯からで、内容は「ディリング家の美しき手繰り姫を伴侶として迎え入れたい」という文面が書かれていた。
『手繰り姫』というのが何を指しているのかは分からなかったが、愛娘のミーツェを嫁に出したくない両親は当然渋った。当の本人も難色を示してヒステリックに叫ぶ。
「絶対にイヤ! あそこの領主って、血に飢えた野蛮人って評判よ。社交界に一度も顔を見せないし、相当酷いブサイクじゃないかってウワサなんだから」
「しかし、黒炎帝と呼ばれるほど強いと言うし、それに辺境伯は国内で発言力も強い。断ったら我が家にどんな影響があるか……」
「だけどあなた、ミーツェをあんな遠くにお嫁に行かせるなんて私は嫌よ」
夕食の席で打算が渦巻く中、ミーツェは悪知恵が働いたようにニヤリと笑った。
「そうよ、何も私が行く必要はないわ。『姫』なら我が家にもう一人いるじゃない!」
その場で呼び出されたリセラは、気味悪いほどニコニコ見つめてくる家族を困惑した顔で眺めた。ミーツェが大仰に手を広げて抱き着いてきたものだから、倒れそうになるのを何とかこらえる。
「あぁ来たのね! 聞いて、おねえさまにすばらしい話が来たのよ!」
「え……え……?」
「とってもお強いロウェル領の辺境伯が、おねえさまをお嫁さんに貰いたいんですって! もちろん行くでしょう?」
学のないリセラでもさすがに分かる。影が薄い――というか、存在を消されている自分を求める貴族なんかこの世にいるはずがない。これは気の乗らない妹が自分に役目を押し付けようとしているのではないか。
「み、ミーツェ待って、ロウェル伯はあなたを望んでいるんじゃ――」
「は?」
言い切る前に衝撃が走った。床に倒れ伏して状況を理解すると同時に頬が熱を持っていく。
ミーツェは舌打ちを一つすると髪の毛を乱暴につかんで引き上げた。それまでの笑顔から一転、苛ついた表情を浮かべながら、力を込めてこれでもかと平手打ちをしてくる。
「なに? 何か言った?? アンタの意見なんて誰も求めてないんだけど? これはお父さまと! お母さまの! ご意向なの! 口ごたえするなんて、このっ、生意気だと思わないの!?」
「ひぐッ……ご、ごめんなさ……っ、許して……あッ」
「謝るぐらいなら最初から言うんじゃないわよ! 本当にダメな人! いーい? アンタのいう事はいつも的外れで、ぜんぶ間違ってるの! 余計な事は考えずに従えっていつも言ってるでしょ? バカでごく潰しのアンタが家の役にたてるんだから、喜んで受け入れるのが『普通』なのよ。わかる!?」
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