追憶
「いい便りを持ってきたぞ!」
インターホン越しに大きな声が響く。ため息をつきながら立ち上がり受け取りに行く。
「久しぶりだな」
「ええ」と返し、彼の手の中の物を…手紙をとる。
「なぁ、久しぶりなんだし少し話さねえか?」
何かを言っている彼を無視して部屋へ入る。
「おい待て!待ってくれ『―――』‼」
まだ熱の残る先ほどまでいた場所へ腰を下ろす。
「『(Iris)様宛』……か」
(Iris)様へ
花の庭園の主様、いかがお過ごしでしょうか?この気候ならば庭園の花たちもさぞ咲き誇っていることでしょう。
……こんな戯れはやめて本題へ入りましょう。
あなたにこの研究室へ帰ってきてもらいたいのです。過去のことは水に流しましょう。あなたのご友人の(Thymus)さんも苦労されております。あなたの助けがあれば少しは変わりがあるでしょう。お待ちしております。
最低でも一度は来てくださいますよう、よろしくお願いします。
(Aconitum)
きっと彼は利用されたのだろう。楽観的なな彼なら「いい便りだ」と言われればきっとそのまま渡しに行くだろうから。何より彼ももう研究室をやめているはずだ。
「はぁ行きたくないな」
私はただ花を愛でて、老いて、死んでいくだけでいいのに。
……やはりそうなのだろう。奇跡的に発芽し、蕾を開いたこの花、私が『ユキアヤメ』と名付けたーー化石から芽吹いたこの花が欲しいのだろう。
『花の庭園の主』と呼ばれるのも珍しくない。そもそも私の名前まで知っていることの方が稀だ。大小形も様々な花々たち。私はそれらの手伝いをしているに過ぎない。春夏秋冬、昼夜を問わず、花たちは自分の咲く時間を感じ取る。
「冬の真夜中に咲く花があるのか?」と思うかもしれないが、あるのだ。それこそ『ユキアヤメ』。雪の降る真夜中に蕾を割り、白い花弁を大きく開いたのだ。山茶花とかもそうだ。暖かいところに限られてはしまうが、秋の終わりごろから冬に花を咲かせる。
……ダメだ。やっぱり、言葉を紡ぐのも、文を読むのも苦手だ。伝えるのも、汲み取るのもうまくできない。手紙からも彼からも。少し前にようやく聞こえなくなったが、彼の声もすっと聞こえていた。
手紙を元の封筒の状態まで戻し……
ビリッ
ビリビリに破り裂く。一辺2㎝くらいになるまで破き、ゴミ箱へ捨てた。一欠けの紙片がゴミ箱の外へと舞い落ちる。そこには(Thymus)と書いてあった…
「まさかあなたから電話が来るとはね。何かあったの?」
「またあの所長から手紙が届いた。どうにかできない?」
「あーやっぱりあの所長あきらめてなかったかぁ。少し言っとくよ」
「ありがとう、(Lycoris)」
唯一といっていい少しだけだが喋ることができる友達だ。……そうであっても少し怖いと思う。
「今度またうちにおいでよ。ミルクもあなたに会いたがってるよ」
ミルク、(Lycoris)が飼っている猫の名前だ。というか、ミルクがなついていたのはマタタビも栽培しているからだろう。
「うん、気が向いたら行かせてもらうよ。ありがとう」
「あーそれ来ないやつだ!まぁいいけどね。また今度」
「うん、また今度」
(Lycoris)はお嬢様で、私が元居た研究所の持ち主は彼女の両親なのだ。本人曰く、
「管理だ、なんだとかの堅苦しい仕事はめんどくさいからやりたくない」
とのことで、彼女ではなく他の人が所長をやっているのだ。……今は(Aconitum)さんがやっている。
「はぁ…」
こうまでうまくコミュニケーションができないと生きるのがいやになってくる。小さな花になって短い…いや短くないか。とりあえず、花になりたい。何も、考えたくない。
…また少し寝ていたようだ。もう日が暮れかかっている。一件の留守電が入っていた。
『やっほ~あやめ!あの所長は叱っといたよ~!研究室には来なくてもいいから、たまーにうちにあそびにきてほしいな~!』
……おそらく(Lycoris)だろう。声の感じとテンションからして。
その夜は夢を見た。あの研究室の夢を。
「種?こんな種は見たことないな」
あの化石から見つけたの。
「さすがに咲かないんじゃないか?」
いいえ咲くわ。咲かせてみせる。
「へぇ、そっか。頑張っていい便りを待っているよ」
…
「芽吹いたのか。だが弱っているな」
わかっています。
「化石から見つかった種が芽吹くだけでも奇跡なんだ。」
…わかっています。
「いい加減に次の研究にとりかかりなさい。待ててあと一か月だ」
……
「なに~こんな夜中に~」
今から研究所に来てほしいの。
「暖房施設が壊れたって言ってたね。大変なことになってる感じ?」
ううん。違うの。咲いたの。
「咲いた?何が咲いたの?」
あの花が…化石から見つけたあの種が花を咲かせたの。
それからは一躍時の人だった。毎日誰かが来て、発表したり、説明をしたり。花を愛でる時間なんて全くなかった。
あの花はサンプルと称してどんどん盗られていった。
私の名前―アヤメからとって「ユキアヤメ」と名付けられたあの花は、始まりと同じ種を残した。
半年くらいたった時、手のひらを返された。
「咲かないじゃないか」「偽物なんだろ?」「証拠の写真も合成だろ?」
私だって一度しか咲かせることができていないのに、あたかも私が悪いかのように責め立ててきた。
あの花が残した命はまた芽吹いていた。
「それでは(Iris)さん、気分はどうですか?」
あまり良くないです…
「そうですか。それでは(Iris)さん、私が認識できますか?」
…はい。
「何に見えますか?」
…(Hydrangea)。
「Hydrangea。アジサイ…ですか。やはりなかなか治りませんね」
いつもカウンセリングをするたび、
気分はどうか、認識できるか、何に見えるか、いやなことはなかったかなどなど、同じ質問が繰り返される。
とても退屈で…つまらない。
私は人の認識がうまくできない。いやできなくなったというべきか。
人が人に見えず、花に見える。病院の先生もそう。幼馴染や親しい友人ですらそうだ。…自らの姿すらも。一人一人違う花に見えているから、かろうじて見分けがつくのが救いだ。
病院からの帰り、犬と戯れている(Thymus)を見つけた。どうやらこちらに気づいたようで、
「やぁアヤメ。カウンセリングからの帰り?お疲れ様」
「うん…ありがと。……ねぇ『勇希』」
「っ‼もしかして…!」
「ううん。治ってない。気が向いたから呼んでみただけ」
「そっか…たまにでいいから呼んでほしいな」
「うん。わかった」
彼の後ろで夕日が瞬いた。
逆光でよく見えない彼の顔が人の顔に見えたような気がした……
Thymus:タイム 花言葉「勇気」
Iris:あやめ 花言葉「いい便り」「希望」
Aconitum:トリカブト 花言葉「人間嫌い」
Lycoris:ヒガンバナ 花言葉「また会いましょう」「悲しき思い出」
Hydrangea:アジサイ花言葉「移り気」「浮気」