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第198話 あなたの隣にいるために⑨


「どういう、こと?」


 家族と血が繋がっていないことを告げられたような顔で榎坂を見る沢渡くんは、やがて縋るように表情を歪めた。


「よく分かんなかった。もう一回、言ってくれないか?」


 嘘だと言ってくれという強い願いを込めながら、彼は震える声でそう言った。


 榎坂はふうとかったるそうに息を吐く。そこに先ほどまでの外面はなく、俺が知っている彼女の本当の顔があるだけだった。


「ホントはこんなこと言うつもりはなかったんだけどね。樋渡くんに知れたら私の評価が下がっちゃうから」


 自分の知っている彼女ではない、と。

 沢渡くんは、俺が初めて榎坂の本当の顔を見たときと同じ顔をしていた。


「けど仕方ないね。こうなったらちゃんと全部言ってあげる。あのね、沢渡くん。私はあなたを弄んで楽しんでたのよ」


「……嘘、だよね。これまでの全部が、そうだって言うのか?」


 沢渡くんの声は震えていた。

 

「そ。ぜーんぶ、演技。私はあなたのことなんて毛ほども好きではなかったわ。私、もっとイケメンがタイプなのよ」


 それがトドメの一撃だったのか、沢渡くんはがくりと項垂れて頭を上げない。


 心が折れたのかもしれない。


「いつまでそんなことしてるんだよ。そう言われた奴の気持ち、考えたことあるのか?」


 俺が言うと、榎坂はうんざりしたような顔をこちらに向けた。

 

「うっざ。なに、勢いに任せて説教でもしようっていうの? 言っとくけど、なに言われても知ったこっちゃないわよ」


 やっぱり。


 俺がなにを言おうと榎坂は変わらない。


 どうすれば、あいつに分かってもらえるんだろう。


「じゃあ、さよなら。出来ることならもう二度とあんたの顔なんか見たくないわ」


「……」


「私、樋渡くんに会いに行くから。もともと、そのつもりでこの文化祭に来たんだし。じゃあまさか告白されるとはね。こっちから誘ったのがよくなかったのかしら」


 樋渡が榎坂の毒牙にかかるとは思えない。そもそも、樋渡に対しては本気らしいからそれを毒牙とは言わないか。


 けど。


 これまで散々、男たちを弄んできた榎坂が、その過去の過ちを反省することもないまま幸せになってもいいのかな。


「その心配はないよ」


 そのとき。


 後ろから樋渡の声がした。

 榎坂は驚いたように目を見開き、俺は慌てて後ろを振り返った。

 そこには樋渡と柚木、そして陽菜乃の姿があった。


「なんで樋渡が?」


「日向坂がえらく慌てて走ってたもんだから事情を聞いてついてきたんだよ」


 バツが悪そうに頭を掻きながら、樋渡は榎坂の方を見る。なんと声をかけていいのか分からないようだ。


「どこから聞いてたんだ?」


「……まあ、聞くべきじゃなかった部分は聞いちまってたな」


 つまり。


 榎坂がああだこうだと話してしまったことも全部聞いていたということか。


 榎坂は悔しそうに唇を噛んでいた。

 どうやら、これは本当に予想外の出来事だったらしい。そりゃそうだろうけど。


「どう言えばいいのか分からないんだけど」


 そう言いながら、樋渡は言葉を探す。あんなことを言った榎坂にさえ、樋渡は言葉を選ぼうとしているんだ。


「残念だよ」


「……全部聞かれてたんなら、もう誤魔化しようもないものね」


「んー、まあ、そうだね。さすがに友達にあそこまでのことをした女の子と付き合おうとは思えないかな」


 あくまでも優しく、相手を傷つけないような声色を崩さない樋渡に感心する。

 こいつは本当に、どこまでお人好しなんだ。


「できることなら、違う出会い方をしたかった。そうしたら、もっと違う未来があったかもしれない」


 樋渡が言うと、榎坂は俯いた。

 

「……そうね。心の底からそう思うわ」


 そして、彼女はここから逃げるように走り出す。

 

「榎坂さん……」


 樋渡は手を伸ばして、追おうとするがその場から動かなかった。ここで自分が追いかけてもどうしようもないことを分かっているんだろう。


 今なら届くだろうか。


「ちょっと行ってくる。沢渡くん任せた」


「……僕だと逆効果にならないか?」


 引きつった笑いを見せる樋渡にここを任せて、俺は榎坂を追うことにした。


 厄介なことになまじ運動神経がいいせいで、なかなか榎坂に追いつけなかった。

 最近、いろんなところで日頃の運動不足を実感するな。本当にランニングとか始めようかな。わりとマジで。


「待ってくれ、榎坂!」


 やっとの思いで彼女の腕を掴む。

 振りほどこうとしてきたけど、俺は必死に掴み続けた。すると、ようやく榎坂も諦めてくれる。


「ざまあみろって笑いに来たの?」


 揺れる瞳がこちらを向く。

 彼女の目は睨んでいるようにも、そうでないようにも見えた。


 俺は伝わるようにゆっくりとかぶりを振った。

 

「俺はお前に復讐しようなんて考えたことはないし、バチが当たればいいとも思ってない。俺が言いたいことはずっと言ってる。お前に自分がしてきたことの罪を自覚して、考えを改めてほしいんだ」


 俺みたいに榎坂に傷つけられる人がいなくなればいい。そのためには彼女が変わるしかない。


「……」


 自分の過去のせいで彼女の願いが閉ざされた今ならば、もしかしたら俺の言葉が届くかもしれない。

 

「もしストレス解消って考えで人と関わってなければ今とは違う未来があったはずだ。沢渡くんに近づかなければそもそも樋渡と出会うこともなかったかもしれないけど……あいつはお前の学校の近くの喫茶店でバイトしてるから、出会えたかもしれないし」


「知ってるわ」


「え」


 彼女の言葉に俺は驚きの声を漏らす。目を伏せた榎坂はそのまま言葉を続ける。

 

「遠くから見たことあるってだけだけどね。そのときはどうこう思わなかったのに、あの日はそうじゃなかった」


「あの日?」


「うちの学校の文化祭で、彼と会ったとき……私は、もしかしたら初めて誰かに対して胸を高鳴らせたかも」


 本気だったのか。

 榎坂の声色はその思いが真剣であることを伝えてくる。

 初めて誰かを好きになった。その人が、まさか今自分が弄んでいる男の友達だとは思いもしないよな。


「ま、それも全部終わりだけど」


「だから……」


「あんた、なんでそこまで私につっかかるわけ? ぶっちゃけどうでもよくない? もう学校も違うし、見かけてもシカトすればいいじゃん」


 そっちが絡んでくるんだろ、と思ったけど口にはしない。だとしても、嫌ならば無視すればいいだけだからな。


 しかし。

 

 どうして、か。

 どうしてなんだろう。


「別に大層な理由はないよ。ただ、俺みたいな思いをする人がこれ以上増えてほしくないから。だから」


「それこそ関係ないじゃん。あんたの知らないどこかの誰かが、なにかによって傷つけられようとどうでもいいことでしょ」


「どうでも、よくはない。お前には分からないよ。あんなことされた俺たちの気持ちは。お前たちは愉快に楽しんでるだけだろうけど、やられた側はトラウマを植え付けられるんだぞ」


 言うと、榎坂は呆れたようにふんと鼻を鳴らす。

 

「トラウマ、ね。女の子が怖くなったってこと? でも私は嘘を言ったつもりはないわよ。あんたみたいな地味でつまらない男が私と付き合えるはずないってのは事実じゃん?」


「ああ。その言葉が、俺の心に蓋をしたよ。トラウマっていうのはもしかしたら違うのかもしれないけど、異性に対して苦手意識を持ったのは確かだ」


 けど。


 そんな俺の隣にいてくれる子がいるんだよ。


 そんな彼女と、これから向き合おうとしている。向き合う為に、やっぱり榎坂との問題は自分の中で決着をつけておきたい。


「これまで弄んだ奴らに謝れなんて言わない。けどせめて、これからは自分のためにもバカなことはもうやめろ」


「……」


 

 *



 隆之くんが走って行ってしまったあと、わたしは彼の後を追うことにした。というか、追うようにお願いされたのだ。


『日向坂は志摩のとこへ行ってやってくれ』


『え、でも』


『あいつと榎坂さんの間で過去にいろいろあったってのは分かったよ。多分、あいつはその過去と決別しようとしてるんだ。前に進むために』


『隆之くんのために何かできる人がいるとしたら、それは陽菜乃ちゃんだよ。あたしでも優作くんでも、梓でもない。だから、ね?』

 

 隆之くんほどではないけど、わたしも過去に恋愛でいろいろあった。

 人を好きになろうとして。

 人を好きになって。

 人を好きになれなくなった。

 

 そんなわたしを救ってくれたのは隆之くんだ。


 そんな彼とこれからも一緒にいたい。


 ねえ、隆之くん。

 この先も、大好きなあなたの隣にいるために。


 今のわたしにできることってなんなんだろう。

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