第四話:守りたいもの
2025年6月、梅雨の季節がやってきた。桜丘高校の校舎は雨に濡れ、窓ガラスに水滴が伝う。校庭のゲートは霧の中でぼんやり光り、どこか不気味だ。先月の戦闘プログラムで怪物に立ち向かい、魔力を使い果たして倒れた日から、黒桐翔人の体には妙な重さが残っていた。
放課後、雨が強まっていた。校門を出た翔人は傘を差し、住宅街の道を歩く。雨音がザーザーと響き、足元の水たまりが靴を濡らす。少し先に、見慣れた茶髪のポニーテールが目に入った。愛条遥だ。中学生の制服にカーディガンを羽織り、傘を手に持っている。
「あ、翔人くん!」
遥が振り返り、駆け寄ってくる。翔人は軽く目を細めた。
「お前、こんな雨の中何してんだ?」
「お母さんに頼まれて買い物してたの。翔人くんも帰り道でしょ?一緒に帰ろ!」
遥が隣に並び、傘を少し傾けてくる。翔人は照れつつ、並んで歩き出した。
「まぁ、いいけど。こんな雨の中、お母さんに何頼まれたんだ?」
「お醤油が切れちゃったみたいで。ついでに翔人くんと一緒に帰れるかなってブラブラしてたの」
彼女の声が雨音に混じる。幼馴染だからってわけじゃないけど、遥のこういうとこは昔から変わらねぇな。
黒桐家の玄関を開けると、食欲をそそる匂いが漂ってきた。母さんの美奈子が台所で夕飯の支度中だ。翔人が靴を脱ぐと、リビングから父・健太郎の声が聞こえる。
「おお、翔人か。遅かったな。遥ちゃんも一緒か?」
健太郎はソファに座り、新聞を手に持っていた。50代の厳格なサラリーマンで、眼鏡の奥の目は鋭いが、どこか安心感がある。美奈子が台所から顔を出した。
「翔ちゃん、おかえり!遥ちゃんも上がってって。一緒に夕飯食べていきなさいね?」
「わぁ、ありがとうございます!お邪魔します!」
遥が目を輝かせて言うと、美奈子が嬉しそうに頷く。のんきな性格だが、家族を何より大切にする母さんだ。翔人は鞄を床に置き、リビングに腰かけた。
夕飯の食卓には焼き魚と味噌汁が並び、家族らしい温かい空気が流れる。健太郎が箸を手に、新聞の話題を切り出した。
「なぁ、翔人。最近、世界各国で妙な動きがあるって話だよ。軍が動き出して、何かでかい準備らしい。あの光の裂け目——ゲートのせいで各国がピリピリしてるってさ」
翔人が箸を止めた。
「準備って……戦争か?」
「かもしれねぇな。ニュースでも公開されてるだろ、一般向けに少しだけだけど。日本はアジア連合に入ったって話だ。アメリカやその連中とやり合う可能性もあるらしい」
母さんが心配そうに口を挟む。
「怖いわね……でも、日本は大丈夫よね?翔ちゃんが巻き込まれたりしないよね?」
健太郎が眼鏡を直して答えた。
「今のとこは大丈夫だろ。だが、ゲートのせいで妙な力持った奴らが軍に使われてるって噂もある。海上の戦闘がすごいらしいな」
「妙な力……」
翔人は自分の手を見つめた。両親は俺が覚醒者だって知らない。こんな人間離れした魔法のような能力が、戦争に使われていいのか? 母さんの心配そうな顔が胸に刺さった。
食後、美奈子が茶碗を片付ける間、翔人と遥はリビングでテレビを見ていた。ニュースが突然切り替わり、キャスターの緊迫した声が響く。
「今入ってきた速報です。各国で緊張が高まり、緊急事態が進行中です。日本はアジア連合に加入し、アメリカを含む連合との対立が深まる中、舞台は主にロシアや海上へ移っています。ゲートに関連する力の奪い合いが——」
遥が膝を抱えて縮こまった。
「翔人くん……これ、本当に戦争なの?」
「ああ、みたいだな。ゲートのせいで世界が狂っちまった」
翔人はリモコンでチャンネルを変えたが、どの局も緊急ニュースばかりだ。遥が不安そうに呟く。
「お母さん、大丈夫かな……私、一人になるの怖いよ」
その声に、翔人の胸が締め付けられた。お母さんの手一つで育てられてきた遥にとって、孤独の恐怖は大きい。翔人は遥をじっと見て、静かに言った。
「大丈夫だよ。お前ん家も俺が守ってやるから」
遥が顔を上げて、少し笑った。
「頼りにしてるよ、翔人くん」
「当たり前だろ。幼馴染なんだから」
二人が笑い合うと、遥が立ち上がった。
「じゃあ、私帰るね。お母さん待ってるから」
「気をつけて帰れよ。もうすっかり夜も遅いからな」
遥が玄関で傘を手に持つと、翔人は軽く手を振った。
夜、翔人は自室でベッドに腰かけた。窓の外では雨が降り続き、遠くでゲートの光が瞬いている。机の上の木刀を見つめ、先月の戦いを思い出す。あの炎と水、大樹と一緒に戦った怪物。あの力は確かに俺のものだ。でも、どう使えばいいのか、どう強くなればいいのか、まだ分からねぇ。
「親父も母さんも、戦争なんて遠い話みてぇに言ってるけど……俺には関係あるんだよな」
テレビの速報や世界各国の噂が頭をよぎる。ゲートの力が戦争の鍵? なら、俺はどうなるんだ?
窓の外で雷鳴が響き、ゲートの光が強く瞬いた。翔人は拳を握り締めて呟いた。
「こんなんじゃダメだ。俺、もっと強くなんなきゃ……みんなを守れる力が必要だ」
雨音が部屋に響く中、その決意が静かに胸に灯った。
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