第二話:一輪の氷花
朝、桜丘高校の1年A組はいつもの喧騒に満ちていた。窓から差し込む春の日差しが机に柔らかな光を落とす。黒桐翔人は窓際の席で頬杖をつき、桜並木をぼんやり眺めていた。外では桜がまだ散り残り、風に舞う花びらが少し寂しげだ。隣の成田大樹は購買の菓子パンを豪快に頬張っている。
「おい、翔人。このクリームパン、うめーぞ。半分やるから食えよ」
大樹の声に、翔人は鼻で小さく笑った。
「男の食いかけなんかいらねぇよ。全部自分で食っとけ」
大樹が目を細め、パンをガッと口に押し込む。
「腹が減っては戦は出来ぬって言うじゃんか。正義の味方なら常に腹を満たしとかないといけなくてだな」
「正義って、お前そればっかだな」
軽く突っ込むと、大樹が肩をすくめた。入学初日から数日、クラス40人の中で大樹とはくだらない話で時間を潰すのが日課だ。クールな見た目の翔人だが、心はこの日常に少し馴染んでいた。
だが、その平穏はすぐに揺らいだ。1限目のチャイムが鳴り、担任の佐藤先生が教室に入ってきた。いつもなら教科書を開く時間だが、今日は様子が違う。佐藤の後ろにはスーツ姿の無表情な男が立っている。
「お前ら、今日は授業が変わる。この人がゲートと怪物についての話をしに来た、政府から来た高橋さんだ。よく聞けよ」
教室がざわつき、翔人は眉を寄せる。入学初日にゲートで覚醒して以来、妙な予感はあったが、授業がこんな風になるとは思わなかった。
政府関係者の高橋が教壇に立つと、プロジェクターが光り、スクリーンに光の裂け目——ゲートが映し出された。
「初めまして諸君、私は政府直属の危機管理課、高橋だ。2025年2月、世界中で『ゲート』と呼ばれる次元の扉が現れ始めた。最初の発生は『魔力爆発』と呼ばれ、すさまじい音と光を伴った。これがその記録だ」
スクリーンには街中で光る裂け目から現れる異形の怪物が映る。角の生えた狼や触手の蠢く何かだ。生徒たちが息を呑む中、高橋は抑揚のない声で続けた。
「魔力爆発以降、ゲートはたまに現れるようになったが、あの最初の衝撃は別格だった。都市伝説では『終末の始まり』とも言われてる。現時点で分かってるのは、ゲートから怪物が現れて人間を襲う事実だけだ。数は増え続けてるが、原因は不明だよ」
「怪物って何だよ……気持ち悪いな」
大樹が小声で呟き、翔人も小さく頷いた。高橋の話は続く。
「一部の人間がゲートの魔力で覚醒し、特別な力を得ている。お前らの中にもそういう奴がいるはずだ。既に覚醒した者は手を挙げろ」
翔人は一瞬迷い、静かに右手を上げた。大樹が目を丸くする。
「お前、マジか!いつからだよ!?」
「入学初日だ。火と水が出てきた」
教室が一気にざわつき、他にも4人が手を上げた。計5人。佐藤が目を細めた。
「想定より多いな……こりゃ面倒なクラスだ」
高橋が冷たく締める。
「覚醒者は今後、管理される。その力は怪物と戦うためにあると思え。授業にも戦闘プログラムを組み込む。今日からだ」
2限目、1年A組は体育館に移動した。まるで軍事訓練場だ。生徒たちが剣や盾を手に汗だくで動き回り、顧問の教師が怒鳴る。
「いいか、戦闘プログラムは必須だ!ゲートが開けば怪物が来る。お前らが生き残るにはこれしかない!」
翔人は木刀を手に持たされ、大樹と向き合った。大樹が肩を叩いてくる。
「翔人、俺と勝負だ!負けたら昼飯奢れよ!」
「舐めんな。俺が勝ったらお前が奢れよ」
二人は目を合わせ、木刀を構える。翔人が一歩踏み込むと、手から薄い炎が揺らめき、足元に水滴が浮かんだ。大樹が驚きつつ突っ込んでくる。
「おお、すげぇじゃん翔人!」
カキンと木刀がぶつかり、翔人は炎を纏った一撃を繰り出すが、大樹の力強い振り下ろしに押し返された。
「くそっ、やっぱ力じゃ勝てねぇか……」
「へっ、俺の勝ちだな!」
勝負は大樹の勝利。翔人は息を切らし、肩をすくめた。
「次は負けねぇからな」
大樹が笑って背中を叩く。
「お前ならやってくれるさ、正義の相棒!」
男臭い友情が埃っぽい空気に溶け込んだ。
昼休み、屋上でパンを齧りながら二人は話を続けた。翔人がメロンパンを持ち、大樹が菓子パンを頬張る。
「なぁ、翔人。あのゲートって何だと思う?怪物とか、政府の奴もよく分かってねぇみたいだし」
「ああ。教師も当てにならねぇ。あの高橋って奴が詳しいみたいだが、それでも曖昧だよな」
大樹がパンを飲み込み、真剣な顔になった。
「でもさ、お前みたいに覚醒してる奴が戦うんだろ?俺も何か力欲しいぜ。怪物ぶっ倒すの、カッコいいだろ!」
翔人は空を見上げて苦笑した。
「力か……確かに怪物と戦うなら必要だ。でもなんか、ヤバい予感がすんだよ」
その予感は数週間後の放課後に現実となった。校庭の端にゲートが現れ、角の生えた狼が飛び出してきた。黒い毛皮に赤い目が光り、唸り声を上げて突進してくる。生徒たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、翔人は反射的に木刀を手に持った。大樹が隣で拳を握る。
「翔人、やるか?」
「ああ、やるしかねぇよ」
狼が突進してきた瞬間、翔人の手から炎が噴き出し、木刀に纏わりついた。一撃を叩き込む。
「うおおお!」
バチンと音がして狼がひるむが、すぐに向き直る。大樹が拳で殴りかかるも弾き飛ばされた。
「くそっ、硬ぇな!」
翔人が炎を纏った木刀を振り上げるが、狼の爪が迫り、避けるのが精一杯。息が上がる中、校庭に冷たい風が吹き抜けた。
シュウウウ……
静かな音と共に、狼の足元から氷の結晶が広がり、全身を瞬時に包み込む。透明な氷が陽光を反射して輝き、次の瞬間、呆気なく砕け散った。
翔人と大樹が呆然と見上げると、細身の少女が立っていた。肩にかかる黒髪に青メッシュが鮮やかで、160cmほどの華奢な体が不思議な気品を放つ。耳にインカムをつけ、右手には淡い氷の結晶が漂い、冷たく澄んだ瞳が遠くを見据えていた。戦場に咲いた氷の花のようだ。
「……何だ、あの力は」
翔人は目を奪われ、息を呑んだ。俺、みんなを守るどころか自分の身すら守れなかった。彼女の一瞬の力に畏怖と尊敬が湧き、目標ができた気がした。
大樹が立ち上がり、呟く。
「すげぇ……俺らじゃどうにもならねぇな」
少女はインカムに触れ、小さく頷いた。
「こちら水瀬、獣の処理を完了しました」
冷たい声で告げると、彼女は二人に目を向けず校庭の反対側へ歩き出した。翔人は拳を握り、その背中を見送る。後で知ったが、彼女は1年C組の水瀬麗亜。魔力爆発直後に覚醒し、政府覚醒者対策本部からS級ハンターと認定されていたらしい。
「俺、こんなんじゃダメだ」
ゲートが消え、校庭に静寂が戻った。自分の弱さへの嫌悪と彼女を目指す決意が胸に刻まれた。この日から、俺の戦いが本格的に動き出した。
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