第九話:コンビニ店員と拳
2026年4月、高校2年に進級した黒桐翔人は、桜丘高校の教室で窓際の席に座っていた。春の風がカーテンを揺らし、校庭に散る桜の花びらが淡いピンクの絨毯を作っている。隣の席では、親友の成田大樹が机に肘をつき、窓の外を眺めながら呟いた。
「なぁ、翔人。2年って何か新鮮だな。トーナメントから4ヶ月か……早ぇよ」
翔人は同じく窓辺に視線を投げ、淡々と返した。
「そうだな。あの氷の奴がいなくなってから、静かすぎるくらいだ」
大樹が目を丸くし、首を振って笑う。
「お前、あの決勝のことまだ引きずってんのか?」
「引きずってねぇよ。次に会ったら勝つ。それだけだ」
言葉に熱が宿るが、翔人は表情を変えず桜を見つめた。あのトーナメントでの敗北——水瀬麗亜に氷の力で完膚なきまでに叩き潰された記憶が、今も胸に燻っている。
彼女はその後、学校から忽然と消え、担任の佐藤に聞いても「箝口令だ」としか答えが得られなかった。
俺は何かを知る権利すらねぇのか、と内心で歯噛みしていた。
昼休み、教室のテレビがニュースを流していた。キャスターの落ち着いた声が響く。
「2026年春、世界大戦終結後に新組織『地球防衛機関(EDA)』が発足しました。主要五カ国——アメリカ、ロシア、日本、ドイツ、中国が協力し、ゲートと覚醒者の管理を目的とする国際機関です。本部はアメリカに置かれ、各国に支部が設立されています」
翔人が眉を寄せた。
「EDAか……戦争終わったばっかなのに、忙しいな」
大樹が机に頬杖をつき直し、口の端を上げて言う。
「聞いたぜ。戦争終わらせたのって、ドイツの覚醒者らしいな。すげぇ強かったって噂だよ」
「へぇ。まぁ、俺らには関係ねぇだろ」
翔人はそう言いつつ、内心で引っかかりを感じていた。EDA——覚醒者を管理する組織。俺みたいな奴らをどうする気だ?
放課後、翔人は自宅の裏庭で木刀を手にしていた。
春の陽射しが汗を誘い、額に滴が流れ落ちる。俺は木刀に炎を纏わせ、全力で振るった。
「『黒刃突』!」
炎が唸りを上げ、木の的が焦げた匂いを放つ。
次に足に水を纏わせ、素早い蹴りを繰り出した。
「『霧脚波』!」
水が弾け、地面に小さな跡を刻む。だが、まだだ。俺の力は水瀬の氷に届かねぇ。
あの日以降一日たりとも修行を欠かしていない。あの冷たい氷をぶっ壊すため、自分を信じて剣を振り続ける日々だ。
縁側から母・美奈子が声をかけた。
「翔ちゃん、夕飯できたよ。毎日そんな練習して、疲れない?」
「母さん、心配いらないよ。強くなんなきゃ、誰も守れねぇからさ」
美奈子が優しく笑って頷き、翔人は木刀を置いて家に入った。母さんの笑顔を見ると、少しだけ胸が軽くなる。でも、俺の戦いは終わっちゃいない。
一方、大樹は近所のコンビニでバイトを始めていた。放課後、制服を脱いでエプロンを着け、レジに立つ。
「しゃっせー!」
テキトーでデカい声が店内に響くが、意外と真面目に働く姿は客に好評だった。袋詰めの手際も悪くない。だが、その日は波乱が訪れた。
21時を回った頃、見るからにヤンキーな男が酒の缶を片手にレジにやってきた。
金髪にピアス、鋭い目つきが刺さる。
「おい、会計早くしろよ」
大樹が冷静に返す。
「年齢確認なんで、身分証見せてください」
男が舌打ちして、ニヤリと笑った。
「面倒くせぇな。俺、19だよ。さっさとよこせ」
「ルールなんで、身分証お願いします」
大樹が真面目に言い返すと、男の目が険しくなった。
「うぜぇな。なら、外で話そうぜ」
店を出た瞬間、男の手から緑の光が迸った。
覚醒者だ。大樹の背筋に緊張が走る。
駐車場でのストリートファイトが始まった。
男が緑の光を纏った拳を振り上げる。
「くらえ、『風牙拳』!」
風を纏った拳が大樹に迫る。だが、彼は素早く横に跳び、拳を握り締めた。
「 『青光衝』!」
青い光が拳に集中し、男の腹に叩き込まれる。男が後退するが、風を操って距離を取った。
「やるじゃねぇか、ガキ!」
そこそこ強い覚醒者だったが、大樹の相手じゃなかった。彼は息を整え、全力で突進した。
「『正義の鉄拳』だぜ!」
青い光が炸裂し、男を地面に叩きつける。
コンクリートにひびが入り、ヤンキーがうめき声を上げた。
「くそっ……やめろ、負けだ!」
大樹が息を切らしながら笑う。
「正義の勝利だな。お前、名前は?」
「藤田……藤田翔太だよ」
「俺、大樹。もういいだろ、終わりで」
藤田が立ち上がり、意外と素直に頷いた。
「分かったよ……大樹さん」
2個上のヤンキーだが、大樹を「さん」付けするようになった。
数日後、藤田は同じコンビニでバイトを始め、大樹と奇妙な友情が芽生えた。喧嘩から始まった絆は、妙にしっくりくるものだった。
夜、翔人は自宅でテレビを見ていた。
EDAのニュースが再び流れ、キャスターが続ける。
「EDAはゲート対策と覚醒者の管理を目的とし、アメリカ本部を中心に各国支部が活動を開始。日本支部も設立され、新たな覚醒者が加入しています。戦争終結後、平和を維持するための第一歩です」
翔人は木刀を手に持つ。
俺の中で疼く炎と水が、静かにうねっていた。
「平和か……でも、ゲートは消えてねぇ。覚醒者のこれからはどうなるんだ?」
水瀬麗亜の冷たい氷が脳裏をよぎる。
あの敗北を越えるため、とりあえず今は自分の力を最大限に磨くしかない。俺は立ち上がり、裏庭へ向かった。春の夜、月明かりの下で木刀を握る。
「次はお前を必ず倒す。水瀬、待ってろよ」
ゲートの影は消えず、覚醒者の運命はまだ定まらない。黒桐翔人の物語は、ここから始まるのだ。
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