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三色男子の事件簿

作者: キアラ

男子高校生だって、三人揃えば事件は解けるんです――。

 朽葉色の短髪をもった涼しげな雰囲気の少年――粟井(あわい)(さき)は、生粋の日本人である。

『ヴ ザレ ビヤン?』

「イエス、ノーサンキュー」

 ゆえに、横向きに立てかけたスマホ画面の向こう側で大人びた笑みを浮かべる少年――神島(かみしま)(あんず)が何と言っているのか分からず、下手くそな英語で適当に言い返すしかなかった。その気怠げな視線はスマホではなく、リビングのテーブルに広げたノートと教科書に注がれている。

「俺は元気っすよー、先輩」

 一方、彼の向かいで同じようにノートや辞書を広げていた快活そうな少年――古杉(こすぎ)(ゆず)は【元気か?】と投げられた挨拶にきちんと応えてみせた。その際、肩まで伸びた鶯茶色の髪がサラリと揺れる。

 金曜の放課後、東都高校一年生の岬は同級生である柚の家にお邪魔し、課題に取り組んでいた。そこへフランスに留学中である一年先輩の杏が、ビデオ通話で近況報告とやらを寄越してきたのだが、

『それは何より。ところで今時間は――』

「ありません」

 もはや防衛本能とも言える岬の直感は、面倒な案件付きの報告だと告げていた。

「ご覧の通り、今課題中なんで――」

「事件の相談っすね! 任せてください!」

「はぁ!?」

 慌てる岬をよそに、妙にキラキラした柚は自分のスマホを取り出すと、フランスで起きた事件について綴られた記事を探し当てた。翻訳動画付きなのか、殺人だの物取りだのと物騒な単語を連ねる女性アナウンサーの声が岬の耳にも届く。

「これっすか?」

『コレクト!』

 しっとりした茶髪を靡かせサムズアップする杏の姿に、またこの流れかと岬はジト目になった。何が面白いのか、杏も柚も身の回りで謎が出るたびに、あの手この手を使って岬に推理させようとする。

『事件があったのは三日前の二十二時過ぎ。パリにあるホテルで、宿泊客の女性がひとり刃物で刺されて亡くなったんだ』

 こちらがやる気ゼロなことくらいお見通しだろうに、杏は素知らぬ顔で話し出す。どうも事件に巻き込まれたのは杏ではなく、現地で知り合ったフランス人の男性らしい。その男性を含む事件関係者のプライベートを考慮した杏は、彼をA、被害者をB、容疑者三人をC・D・Eと仮称することにした。


    ◇◇◇◇


 凶器はどこにでも売っていそうな果物ナイフだった。財布と、Bが大事そうに身につけていたダイヤのネックレスが紛失していたことから、パリ警視庁は最初からBを標的とした計画的な強盗殺人の線で捜査を進めているらしい。

 被害者が泊まっていたのが五階建てホテルの最上階、階段からもエレベーターからも一番遠い角部屋だというのも、警察が計画強盗殺人に絞った理由だと杏は言う。

「確かに。誰でもいいなら、普通は一階か二階に泊まってる客が襲われるよな……でも非常口とかはあるっすよね?」

『あるにはあるけど、事件当時は改修中で使えなかったってさ』

 被害者の部屋の真横に設置されていた非常階段は警察も真っ先に調べたらしいが、使用された痕跡は見つからなかったそうだ。加えて犯行現場である部屋の窓が全開で、傍によじ登れそうな街灯も立っていたため、侵入口はその窓だと思われているらしいが……。

『事件当時のパリって、今にも雨が降りそうな曇り空でさ。被害者が窓開けてたとは思えないんだよねー』

「……だから内部犯の仕業だと?」

『まぁね。窓にもこじ開けられた跡はなかったし』

 外部犯に見せかけるために犯行時に開け放ったとも考えられると続ける杏に、岬も頷いて手の中でシャーペンを回す。一応話には耳を傾けていたが、

「今の意見をそのまま警察に言えばいいじゃないっすか」

 教科書を捲ると、再び数式に集中する。聞いた感じだと、今回の事件は不可能犯罪でもなければ、怪奇現象も起きていない。警察が本気を出せば犯人に辿り着くのも時間の問題だろう。

『もちろん、警察もまだ内部犯の線は捨ててないよ』

「それで集められた容疑者が、そのC・D・Eの三人なんすか?」

『そういうこと』

 柚に向かって頷いた杏は、容疑者たちの情報を書き留めていた手帳を開いた。

『まずCさんからな。日本のジュエリー店に勤めてる二十五歳の女性で、フランスには出張で来てたそうだ。事件当時は一階のラウンジで酒を飲みながら、明日の商談に使う資料をチェックしてたって話してる』

「……その商談相手、被害者のBさんだったりします?」

『さすが岬、正解だよ』

 出張でフランスまで来て商談相手を殺す馬鹿がいるかと、事情聴取中にCは警察に意見していた。だが警察は、Cが勤めるジュエリー店の経営がここ近年傾き気味であること、宝石商だったBが法外ギリギリな高値で宝石を店に売っていたことが傾きの原因であることを、彼女が所持していた書類から突き止めていた。

「Cさんのアリバイは?」

『延々と愚痴を聞かされてた従業員――Aの証言がある。けどCさん、一度トイレに立ったみたいでさ』

 一階のトイレが清掃中だったため二階のトイレを使ったそうだと言う杏に、柚はシンプルにCが嘘を吐いて刺しに行ったんじゃないかと続ける。けれども言ってすぐ、そんな単純な話なら杏が相談してくるはずないかと自分で自分にツッコんだ。

『時間的に厳しいんだよね、それが』

 案の定、彼は首を横に振った。Cは五分も経たないうちにラウンジに戻ってきたと、Aは証言していた。エレベーターの前に点検中の立て札があったため、Cは階段を使ったとのことだが……その階段で五階まで駆け上がって被害者がいる角部屋へ行き、刺して戻ってくるとなると五分では難しいらしい。

『学生時代に陸上で短距離走してたらしいから、足には自信あるみたいだけどね』

「……Dさんは何してる人っすか?」

『ホテルに住み込みで清掃員のバイトをしてる、男子学生だよ。今年で十九歳』

 二階のリネン室で同僚たちとシーツの整理をしていた彼もまた、用を足しに一度退室していた。だが外していたのは三分弱という僅かな時間で、五階まで行って犯行に及んで帰って来るには少々心許ないとのこと。

『それに彼の家そこそこ裕福らしいから、物取りする理由が思い当たらないみたいでさ。被害者のことも知らないの一点張りだって』

「裕福なのに、住み込みのバイトですか?」

 岬が片眉を上げると、杏は『詳しくは知らないけど、なんか母親と揉めて飛び出したらしいよ』と画面の向こうで肩を竦めた。Dは今のところ、警察のなかで最も犯人の線が薄いと認識されている人物らしい。そして最後の容疑者である、元宝石商で現喫茶店員の三十歳男性Eが、対照的に犯人の線が濃いと疑われている人物だった。

「元宝石商?」

『正確には元部下だな。同い年で幼馴染でもあった被害者のもとで働いてたけど、告ってフラれた挙句クビになったんだって』

「うわ酷っ」

『でも今働いてる喫茶店のマスターに紹介してくれたの、その被害者らしいよ?』

 複雑だよねと苦笑を零すと、杏はカフェオレが飲みたくなったと言って一度画面からフェードアウトした。その間に岬は、知らず知らずのうちにノートの片隅に書き留めていた被害者および容疑者の情報を、覗き込んできた柚と一緒に読み返す。最重要容疑者であるEはまだ分からないが、CとDには犯行に及ぶ隙間時間があるにはある。ただしDには動機が見当たらない。普通に考えればCが一番疑われそうだが……。

「被害者と同じ五階に部屋とってたのが、Eだけだったんだろ」

 首を捻っていた柚は、岬のその一言に「あぁ!」と手を打つ。今回の事件で警察が一番躓いている問題は、犯人が如何にして移動時間を含む犯行時間を短縮したか、その一点にある。だが同じ階なら問題はないに等しい。

『ところが、これもまた難しいんだよね』

 湯気が立つカフェオレをマグに淹れて戻ってきた杏が、よっこいしょとソファに腰掛けた。Eの部屋は確かに被害者と同じ五階にあったが、その位置は階段に最も近い所……つまり、階段から最も離れている被害者の角部屋とは約十部屋分の距離があった。それでも全力ダッシュすれば行けるだろうと、運動神経に自信のある柚は言うが、

『十秒で行って刺して帰って来れる?』

 にこやかに杏に問われると、アホ面のまま固まってしまった。部屋の前まで行くだけならまだしも、往復するとなると十秒では無理がある。被害者の部屋をノックして応対する時間も含めれば、難易度はさらに上がる。

「なんすか、十秒の空白時間って」

『Eさん、実家の弟とビデオ電話してたみたいでさ。その会話が途切れたのが十秒ちょっとらしいよ』

「Eさん本人はなんと?」

『さっきの俺と同じで、キッチンに飲み物取りに行ってたんだって』

 概要は大体こんな感じかなと杏は一息ついたが、岬は「まだ情報不足ですよ」とツッコんだ。一度シャーペンを置き、凝り固まった肩を軽く回す。

「まず、監視カメラの映像はどうなってるんですか?」

『それが、事件が起こる一週間くらい前から立て続けに止まったり録画データが消えたりして、調子悪かったみたいで……』

 全階分まとめて新品に取り換えることにしたらしく、事件当時は機能していなかったと杏は言う。間の悪いことだと柚は嘆息したが……非常階段に続いてエレベーター、カメラまで機能不全を起こしたとなると、岬には偶然には思えなかった。事件中に起きた偶然ほど、偶然ではないことが多い。

(非常階段とエレベーターが使える、またはカメラが機能してると一発でバレるってことか?)

 岬は思ったままをノートの余白に綴ると、次の質問に移る。Aに見られていたというCはともかく、リネン室を一人で出たDが立て札を無視してエレベーターを使った可能性はないかと。しかし杏はこれにも首を振る。

『Dがいたリネン室とエレベーターは確かに隣り合ってるけど、被害者Bの部屋から見ると、エレベーターは壁を一枚挟んだ向こう側にあってね』

 ぐるっと三六〇度回らないと辿り着けないゆえ、エレベーターを使っても難しいと杏は言う。そもそもCもDも、それだけの距離をダッシュしていれば誰かに目撃されているだろうと。

「あー、だから時間的に難しくても、同じ階のEさんが一番疑われてるんすね」

『そういうこと。もうお手上げだよ』

「……先輩」

『んー?』

 柚と揃って天井を仰いでいる杏に、岬はホテルの見取り図はあるかと尋ねた。通路に貼ってあるような簡素な平面図でもいいと付け足すと、杏は少し待ってくれと言って私用のタブレットを取り出し、幾つか操作してみせる。

『これでいいか?』

 くるりと向けられた画面には、Cがいた一階とDがいた二階、そしてBとEがいた五階の平面図が表示されていた。

「二階と五階で、リネン室の位置が違うんすね」

 五階のリネン室は問題となってる角部屋の真向かい、エレベーターの裏側に位置している。

「先輩、その平面図俺のスマホに送ってください」

『了解、メールに添付して送っとくよ。ぁ、やべ電話が……勝手にかけといて悪ぃけど、切っても大丈夫か?』

「もう一つ。残る容疑者二人、なにかスポーツしてましたか?」

『あー確かEが幅跳びで、Dはスポーツとは違うけど……SASUKEって分かるか? 障害物競争をアグレッシブにしたやつ』

 アレに参加したことがあるらしいと杏は早口で告げると、もう一度『ごめんな』と両手を合わせてから電話を切った。プッと音を立てて真っ黒になった画面に「ありがとうございました」と礼を言った岬は、ついで柚を見やる。情報量に頭がパンクしたのか、彼は尖らせた唇の上にシャーペンを乗せて遊んでいた。

「柚、今日は早く寝て体力温存しとけよ」

「へ、なんで?」

「寝不足でぶっ倒れられたら困るからだ」

「お、おう」

 この時の柚は愚かにも、友の意味深な発言に対して「随分とダチっぽいこと言ってくれるなぁ~」くらいにしか思っていなかった。


    ◇◇◇◇


 そして翌日の午後。

「ぜぇっ、ハァ! ハッ、岬のやつ!」

 柚は体力温存の忠告の真意を、その身を以て味わっていた。たった一晩で、事件が起きたフランスのホテルとよく似た構造のホテルを都内で見つけた岬は――容疑者三人が移動した距離を、実際に柚に走らせていた。

 二段飛ばしで四階分の階段を駆け上がり、絨毯の敷かれた通路を突っ切って角部屋の扉にバンッと手をつく。と、休む間もなく来た道を駆け戻った。もう肺が爆発しそうだったが、男としての意地が速度を緩めるという選択肢を柚に許さなかった。

 訝しんで見てくる宿泊客や従業員を器用に避けつつ、真っ直ぐに伸びた通路を走り階段を駆け下りる。最後の階段だけ大着をして一段飛ばしでいくと、ストップウォッチを持ってロビーのソファに腰掛けている岬の肩を叩いた。

「ゼェゼェ、ゼェッ……ど、だった!?」

「五分五十七秒。約一分オーバーだな」

「畜生っ……」

 ジャージの袖で額の汗を拭った柚は、岬の肩を掴んだままズリズリとその場に座り込んだ。岬は「お疲れさん」と言ってスポーツドリンクのボトルを手渡してやる。

「やっぱ三回走って平均記録を出す、ってのはキツかったか」

 しかも三回とも全力ダッシュとくれば、いくら体力自慢の柚といえどバテて当然だ。今計ったのはCが辿ったルートだが、すでに柚はDのルートを三往復、しかも階段とエレベーターの両方を使って計測したので実質六往復していた。

「あとはEの直線ルートだけかぁ……」

「…………」

 ゴクゴクと喉を鳴らしてスポーツドリンクを飲んでいる柚を横目に、岬はこれまでのタイムを記録した手帳を取り出した。

 まずDの階段バージョン。一回目が三分三十四秒、二回目が同四十二秒、三回目が同三十九秒。エレベーターバージョンでは待ち時間のせいで三回とも四分を超えていた。

 そしてCが一回目五分二十七秒、二回目同三十八秒。先ほど計った三回目が同五十七秒である。

(やっぱ正規のルートじゃ無理か)

 何かトリックがあるとすれば、怪しいのは非常階段とエレベーターだが、使った痕跡を消す手間や時間を考えると前者は除外せざるを得ない。しかし後者を使うにしても、Cは階段で二階に上がるのを目撃されているし、使ったとしても乗り降りに時間が掛かるのは柚が証明してくれている。

(隠し扉でもあったのか。いやあったら流石に警察が――)


 ポーン。


 気の抜ける音とともに岬の背後にあったエレベーターが到着し、乗り場の扉が自動で開いた。音に釣られて振り返ってみると、

「っ!」

 扉全開のまま一定の速度で中のカゴが上下している、もう一つのアンティークなエレベーターが目に付いた。あんなのあったかと岬が驚いていると、柚も気づいて「おっ、なんかスゲェ!」と目を輝かせた。

 二人してアンティークエレベーターに近づくと、乗り場の前に【乗り降り禁止】のテープが貼ってあることに気づく。機能しているのに使用不可ということは、装飾品の一種として動かしているだけかと柚はまじまじと眺めた。

「これならもしや……」

「へ?」

「なぁ柚、欧州ってどこのことだ?」

 唐突に岬が尋ねてきた。欧州……は確かヨーロッパのことだと柚が捻り出すように答えると、岬は忠告テープを無視してさらに一歩エレベーターに近づいた。

 延々と動き続けるカゴを真剣に見つめる横顔に、柚は自然と口を閉ざす。きっと岬の灰色の瞳は今、瞳孔が開いている――それは、彼が推理している時に見られる変化だった。

「……!」

 ハッと息を飲んだかと思いきや、岬は階段のほうへ走っていった。柚はすかさず後を追う。こう言ってはなんだが、運動音痴な岬に追いつくのは簡単だった。

「ちょっと、いきなり何なの!?」

 年配の女性清掃員を押し退け、岬はリネン室の扉をくぐって中へ入る。集中しすぎているせいで周りが見えていない彼の代わりに柚が「すんませんっ」と謝ったが、清掃員は不機嫌顔のままだ。

 あまり長居はできないとヒヤヒヤしていると、壁を叩いたりスチールラックの裏を探っていた岬が「ホテルのこういう部屋にダストシュートってあります?」とこれまた唐突に清掃員に尋ねた。

 同時に向けられた真剣な眼差しに呑まれたのか、リネン室にあるのはリネンシュートというもので、シーツ等を洗濯室まで送るのに使うのだと清掃員は素直に教えてくれた。

「……そうですか」

 助かりましたと岬は清掃員に頭を下げ、あっさりリネン室を後にする。柚もそれに続いたが、

「なぁ、Eさんのタイムはもういいのか?」

 階段に差し掛かったところで思い出したように口にすると、岬の動きがピタリと止まった。

「念のため、一回だけ計っとくか」

「ぉ、う」

 Eのルートは三パターンのなかで最も距離が短い。一回ならどうということないはずなのに、なぜか柚のなかには「言わなきゃ良かった」という後悔があった。

「準備いいか?」

「おう」

 ともあれ、五階まで上がった二人は各々所定の位置につく。

「じゃ、よーい……どんっ」

 色白の指がストップウォッチのボタンを押すと同時に、柚はクラウチングスタートで走り出した。角部屋まで猛ダッシュして折り返し、速いぞ速いぞと棒読みする岬のもとまで走り切ったはいいが、

「げふっ!」

 勢い余って壁に激突した。

「大丈夫か?」

「なんとか……で、タイムどうだった?」

「えっと……あ」

「あ?」

「ストップウォッチ止めるの忘れてた」

「岬ぃいいぃいいぃいいい!」


    ◇◇◇◇


『ねぇ君たちさー』

「はい?」

『もうガチで探偵業始めたら?』

「なんすか急に」

 柚の家に帰宅後、仮説でも伝えるなら早いほうがいいだろうと岬はビデオ通話で杏を呼び出したが、画面に映った途端に彼は生温かい目をしてそう言った。曰く、まさか依頼した翌日に解決されるとは思わなかったとのこと。

 岬は「あくまでも仮説ですからね!?」と念を押すように言った。事件現場と非常に似通った場所で実況見分擬きをしたものの、今回は現場に赴いてもいなければ証拠もこの目で見つけていない。

 捜査の参考にするのは構わないが、真実のように警察に話すのは止めてくれと。勿論分かってるよと言って杏は聴講の姿勢をとったが、柚がいないことに気づいて「トイレ?」と尋ねた。

 岬は全く悪びれない様子で「汗だくだったんで風呂に押し込みました」と答える。何となく事情を察した杏は、浴室にいる後輩に憐憫の眼差しを注いだ。

「あいつが戻ってくるまで待ちますか?」

『できれば、先に聞かせてほしいかな』

「了解っす」

 岬はふっと息を吐くと、まずは今回解決のキーとなった【エレベーター】の説明から始めることにする。

「パーテルノステルというエレベーター、知ってますか?」

『パー……なんだって?』

「二十世紀前半にヨーロッパで局地的に人気があった、循環式のエレベーターです」

 これです、と岬は勝手に拝借した柚のスマホの画面を見せた。上に二つ、下に二つずつ設置されている大きな歯車の間を、計十個のカゴが反時計回りに延々と循環している画像が表示されている。犯人はこれを利用して移動時間を短縮したのだと岬は言った。

「このエレベーターの利点は、エレベーターそのものを停止させない限り【絶対に止まらない】という部分にあります」

 現在一般に流通しているエレベーターは、誰かが操作盤のボタンを押せば簡単に止まってしまうばかりか、目的の階に着くまでに十数秒の時間を要する。

 ところがパーテルノステルは常に一定の速度で循環しているため、そういった無駄が一切ないのだ。杏もその点は納得いったようだが、それは事件現場にこのエレベーターがあればの話じゃないかと首を傾げた。

『今調べたけど、このエレベーターは乗り場の扉もないし、中から止める操作盤もないから、死亡事故が多発して使用停止になってる例が多いみたいじゃないか』

 事件現場のホテルにこんな開けっ放しのエレベーターはなかったぞと言う杏に、岬は「けど、点検中のエレベーターはありましたよね?」と言い返す。中がどうなっているか警察は確認したのかと続ければ、杏は「調べてない、と思う」と頬を引き攣らせた。

「その点検中のエレベーターが、パーテルノステルだった可能性はあると思いますよ」

 ホテル側が乗り場の扉だけを後付けしたんじゃないか、と岬は言う。非常階段に続いて監視カメラ、エレベーターまで一度に改修するという大着をするホテルだ。危険だと分かっていても、資金面の問題でパーテルノステルを使い続けるかもしれない。

『じゃあホテル側は、意図せず犯人を庇ったかもしれないってことか』

「そうなりますね」

 法律で禁止されていなくとも、安全性の低いエレベーターを使い続けていると警察に知られることは、ホテル側にとって決してプラスにはなり得ない。

 見覚えのない札が置かれていたとしても、イメージダウンのリスクを考慮したホテル側が庇って証言してくれる。犯人がそう計算していた可能性はある。

『岬、水を差すようで悪いんだけど』

「はい?」

『パーテルノステルを使って五階まで行く時間を短縮できたとしても、エレベーターから犯行現場まではまだそこそこ距離があるぞ』

 点検中のエレベーターから出てくるところも見られるかもしれないし、危ない橋には変わりないじゃないかと杏は意見する。すると岬は、犯人は正規の利用方法でエレベーターを使ったわけではないと言った。

「もっと砕いて言うと、エレベーターをエスカレーターにしたってとこですかね」

『エスカレーター?』

 より深く首を傾げる杏に、岬はもう一つヒントを出す。先輩は急いでいる時、どんなふうにエスカレーターを上りますかと。

『……そうか、動くカゴの上に登って近道したのか!』

「正解」

 岬はふっと微笑を浮かべると、柚のスマホに転送していたホテルの平面図を表示し、それを指で示しながら再度説明する。

「エレベーターのカゴには、天井に非常用の出入り口が備え付けられているはずです。まぁ無かったとしても、犯人が細工して付けたんでしょう」

 一般のエレベーターに比べて床や壁が薄く細工しやすいのもパーテルノステルの特徴だと言う岬に、杏はなるほどと頷く。そのエレベーターに乗った犯人は天井からカゴの外へ出て……出て、どうしたんだ?

『まさか、体当たりでホテルの壁を突き破ったとか?』

「五十点」

 壁を通過したのは確かだが、体当たりなんて型破りなことはしていないというのが岬の言い分だった。ここ、と言って五階の平面図の一角を指差す。

「エレベーターの向かいにリネン室があるでしょう?」

『……リネンシュートか!』

「おそらくは」

 正直なところ、元々あったリネンシュートに細工をして抜け道に改造したのか、それともリネンシュートに見せかけて作った道を通ったのかは、現場を見ていない以上岬には断定のしようがない。ただ非常階段が使用不可な状況で最も人目につきにくく、且つ五階角部屋までの最短ルートがそこしかないことは断定できた。

『じゃあ、犯人は……』

「Eはエレベーターを使う必要もありませんし、時間的にも無理なことは柚が証明してくれてますから除外していいでしょう」

 となると残る容疑者は、Cのジュエリー店員かDの住み込み学生の二人だが、もはや答えは出ているようなものだと岬は口端を上げる。

 点検中の札が置けて抜け道が作れる時間があり、エレベーターをよじ登るほどの運動能力を備えたうえでリネン室を行き来しても怪しまれない人物といえば――。

「犯人は、Dの住み込み学生だ」

 リネン室とエレベーターを詳しく調べれば被害者から盗んだ財布やネックレス、指紋や返り血の痕跡が出てくるかもしれないと言って、岬は推理ショーを閉じた。

『……メルスィ。助かったよ、名探偵』

 感嘆の思いを吐息にのせると、杏は心からの感謝を告げる。岬はひらっと手を振ってテーブルに突っ伏すと、やっぱ頭は使うもんじゃねぇ疲れたと愚痴った。

『動機は、何だったんだろうね?』

「……母親と揉めて家出したってんなら、それに関係してるんじゃないっすか」

 母親と喧嘩した腹癒せに、彼女が大事にしていたネックレスを被害者Bに売り払ってしまったが、後悔して取り戻そうとしたか。もしくはBが母親から騙し取ったネックレスを奪い返そうとしたのか。

それはDの口から直接語られなければ分からないと岬が目を閉じると、杏も事件解決の余韻に浸るように瞼を下ろした……何か、忘れてるような気もしたが。

「あーサッパリしたぁ!」

 脱衣所では素っ裸の柚が、岬の推理ショーを楽しみにしながらバスタオルで身体を拭いていた。





 了

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