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お読みいただきありがとうございます。



「はあぁ、だめだ。どこを探しても有効な手立てが見付からない…」


今の今まで目を通していた書物を、机の上で連なるように積み重なっている幾つもの山の一つに重ね置き、そのまま上半身を机の上に突っ伏した。


あれから気が付けば一月が経ってしまっていた。エルティナからの連絡は依然無いままで、その事実に内心凹んでしまう。

あの荒唐無稽な発言をしてきた大臣は、あれから何度か仕事で会ってはいるが、妙な程に大人しくなった。

その事もあってか、他に怪しい動きをしている者はいないかと罠を張ってみたものの今のところ成果なし。

しかしただ時間を無作為に浪費しているわけにはいかない為、仕事もこなしつつ合間合間に王宮図書で集められるだけ集めた書物に目を通し、王の病回復への手掛かりはないかと探してもみたが。


「――殿下。ここにはオレしかいないからといって、その態度はやめてくださいよ。王妃様にバレて怒られでもしたらどうするんですか」


触れた机の天板に頬を冷やされながら行儀悪くそのままでいると、斜め向かいで同じように書物に目を通していた幼馴染から苦言が飛んでくる。


「ガイが代わりに怒られてくれれば良い」

「大変名誉なことですが謹んで辞退させていただきます」

「近衛のくせになんと生意気な」

「近衛は護衛が任務ですので、怒られるのは殿下だけにしてください。――とさすがにそろそろ切り上げてもらわなければ」

「やはり成果はなしか……。まぁそう簡単には見付からないと分かってはいるが…」


突っ伏していた上半身を起こし、誰も見ていないことを良いことにそのまま両手を上げて背筋を伸ばせば、ポキポキと小気味良い音が背中から聞こえてくる。

長時間一定の姿勢でいたせいか。


「今日は学園の式典か」

「…はい。午前に式典を行い、その後昼食を兼ねたパーティーとなっております」


若干何か言いたげな気配がしたが、無視を決め窓の外の白み始めた空へ視線を向ける。

確か昨夜、食事をした後王宮にあるこの図書で少しだけと思いながらも書物に目を通していたら、幼馴染に発見されて。小言をもらいながら、後少し、この本だけと、粘りに粘っていたらいつの間にか夜が明けていた。


「付き合わせて悪かった」


さて、仮眠してから湯浴みをしてと頭の中で時間を計算しながら椅子から腰を上げると、くすりと笑う幼馴染と目があった。


「殿下」

「?」

「その言葉は違うんじゃないですか?」


片眉を上げた得意気な顔に思わず苦笑する。


「……ありがとう」

「どういたしまして」


良い友人を持ったものだ。











カタコトと進む馬車の中で学園を卒業したのはもう五年前のことになるのかと、耳朶に触れながら少し感慨深く思う。と同時に、式典の為正装をしなければならず、平時と違い手袋が邪魔をして石の感触を鈍くしているのを残念に思った。

王立学園は王城より南の区画にある全寮制の貴族学園で七歳からの十年制。僕らは同学年だが同じ教室ではなかった。そのうえ、彼女達は王都から北東へずうっと行った先、隣国との国境にある険しい山脈を有するダウランド辺境伯領の出身だったのでそもそも会う機会がない。結果、十歳の判定規定その時まで、僕が彼女を認知することはなかった。


最初、同じ学年にランク勇者持ちが現れたなんて信じられなかった。


ランク剣士と判定されたからには、今後選択するランクに応じた授業ではそちら方面にももちろん重点を置くべきだろう、などと考えていたら教会内が一際ざわめき瞬く間にランク勇者が現れたと知れた。

思わず本当かと神官を問い詰めてしまった僕に特殊用紙を突きつけ、真正面からぶつかった翠の瞳がとてもきれいでキラキラと輝いて見えたのをよく覚えている。それからはその瞳をもう一度見たくて、ありとあらゆることをダシにしたのは今では良い思い出だ。


いつだったか、もっと早くに知り合っていれば幼い彼女との思い出も作ることができたのに、と悔やんだらエルティナにはなぜか少し引かれた。解せない。


ちなみに余談だが、エルティナの父でもある領主のダウランド辺境伯は、山脈からたまに降りてくることもある魔物から領民を守りつつ、国境にも目を光らせてくれているナイスガイでランクは戦士。第一騎士団長並の実力を持っているとか、熊のように毛深いとか。本人は距離を理由に社交にもほとんどでてくることはないので尾びれや胸びれまでついたまことしやかな噂だけが流れ、その真相を知っているのはこの王都では彼女ら領地出身の民、後に婚約の挨拶で会った僕くらいだろうと思う。

なお、実力が騎士団長並なのは、本当のことだった。僕とガイが束になっても未だに勝てたためしがない。



ガタ、と大きく揺れたことで我に返る。


「到着しましたね」

「ああ。……目を光らせておくように」

「は、心得ております」


護衛の為に同乗していたガイに声を潜める。

先々月の令嬢の件があったのだから、警戒しておくに越したことはない。僕にとって彼女は最愛の婚約者だと、声高らかに公言しているというのに。

つい、口から零れそうになったため息を腔内で噛み殺した。


学園長からのあいさつを受けてから式場の講堂へと足を踏み入れると、すでに整列していた生徒達が一斉にこちらへ注目するのが分かった。けれどそれくらいは慣れっこなので特に気にせず微笑を浮かべたまま、恭しい案内に続き壇上の貴賓席へ歩を進める。と、一際強い視線が肌を撫でていくのを感じ、反射的に視線を辿りそうになるのを瞬くことで堪え微かに瞳を細めるだけに留める。周囲にいる近衛の気配が微かに揺らいだので、おそらく彼らも気付いたのだろうと推察した。

やがて僕が席に付くと、間もなく司会が式を進行していくのを絶えず微笑みながら眺める。

今回の公務は、陛下の言葉を僕が代理で告げる簡単なものだ。しかし、チャラチャラと飾りやら勲章やらがやたらと付いた正装は肩が凝る。さらには、張り切った侍従が編み込みやらなにやらと髪型に拘ったせいで若干頭が重い気もする。


「―――」


ともすれば下降気味になりそうな気持ちを、彼女が過去に言ってくれた褒め言葉で奮い立たせ、式典を恙無く済ませることに専念した。



お役目を終え生徒達より先に会場を後にした僕は、教員棟に用意された控室へ向う途中、ふと脳裏に浮かんだ光景に自然と足を方向転換させた。


「殿下、そちらでは…」

「僕やこっちの近衛はここの卒業生だ。迷うことはないから貴方は戻ってもらって構わない」

「え、は…ぃ、しかし……」


すかさず訝しげな声を上げる案内にここまでご苦労様と労いも込めて微笑むと、それでもしばらく逡巡する仕草をみせた為、ガイも声を掛けるとようやく退いていった。


「ガイ、パーティーまで時間があるな」

「はい」

「少し寄りたいところがある」

「この方向は…」

「そう、あの場所だ」

「ではオレ達はなるべく距離を取りましょう」

「ん」


その後ろ姿を見送った後、幼馴染の返事に頷き控室とは反対方向へと歩む。まだ生徒が講堂から移動していない為、誰もいない静かな学び舎の廊下を進み、幾つかの懐かしい箇所を通り過ぎる。

講堂から右側の講義棟を横切った先にある裏庭。そこには在学中、エルティナと知り合ってから心を通わせ卒業するまで、要するに七年間、時間が許す限り共にいた一本の木がある。

裏庭に面した廊下からサクリと庭園に足を踏み入れると、近衛が少し距離を空けてくれるのが気配で分かった。本当に良い友人兼護衛に巡り会えたものだと染み染み思う。

彼の心遣いを嬉しく思いながら、季節の花や草木が整然とした庭園の左隅に悠然と佇む一本の樹木へ脇目の振らずに向う。途中ざあっと風が通り過ぎ、視界の端を蜂蜜色の髪がチラついてせっかく整えたのにと、侍従の嘆きが聞こえた気がした。

目的に辿り着くと身に付けていた真っ白な手袋を外し、木の幹に手を当てる。ざらりとした肌の感触を掌に感じながら、くるりと裏側に回り込み、自分の胸くらいの高さに見当をつけて目を凝らす。


「――ああ、…あった」


そして、見付けたそれに思わず声が溢れた。



――あなたを愛す。



当時に風魔法で小さく彫ったふたりの気持ち。年月のせいか薄れてしまっていたそれを、そっと指でなぞる。

とたんきゅぅと胸が苦しくなって、けれど同時に懐かしい思い出が溢れて目の奥が熱くなり木の幹に額を当て瞼を降ろす。


会えなくなって三年。

声が聞けなくなって三年。

触れられなくてなって三年。


すごく君に逢いたいのだと、まざまざと思い知る日々。


つつ…、と残した言葉を指の腹で何度もなぞり、瞼裏にうっすらと頬を染めはにかむ彼女を追想する。

これを刻んだあの時は、照れ臭くて、恥ずかしくて、心臓がどきどきと早鐘を打って。でも嬉しくて、幸せで。婚前の前、婚約すらまだだったけれどフライングで、風に遊ばれてまろびでていた白い額に口付けたのは二人だけの秘密。



ここはそんな場所。



「―――――」


溢れ落ちた声は、とてもじゃないが人に聞かせられないほど掠れ弱々しかった。







「―――キャッ?!」

「!」


そのまま微動だにせずしばらく想いに耽っていると、不意に高い声音が響いた。その声にぴくりと身体が反射して振り向けば、数m先に淡い色の可憐なドレスをまとった少女が口に手を当てこちらを凝視しているのが見えた。

在学生か、なぜこんなところ(裏庭の隅)に。

エルティナとの想い出に浸っていたところを邪魔されるような形になった為、僕の気持ちが急激に沈むのが分かった。


「も、申し訳ございませんっ! こちらに殿下がいらっしゃるとは思いもせず…っ」

「ああいや、気にしないでくれ。影になるようなところにいた僕が悪いのだから」

「!」


内心はどうあれ王太子としておくびにも出さず、震える声で頭を下げている少女にやんわりと微笑んで遮る。とたん、少女はぱっと顔を上げ、感極まったかのように息を呑んだ。その大きく見開かれた瞳が涙と陽の光でキラキラと輝いて見え、色がエルティナより濃い緑なのだなと素直に思った。


「殿下」

「ガイ、――そろそろ控室に行くとしようか」

「は」

「…あ」


すっと近付いてきた近衛に声をかけ、もう一度少女に気にしないでと微笑んでから、木を見上げ名残惜しいがその場を後にする。後ろで甘い声が聞こえていたが振り返りはしなかった。



「―――彼女は?」

「おそらく()かと…」

「そうだろうね、わざわざお前が人払いをしたであろう裏庭に現れるなんて…。手引は誰だろうな?」

「案内の者かと…。今裏付けを」

「さすが」


ソファに腰掛け、ガイが入れてくれたお茶を一口飲む。

極力声を潜め、側に控えた近衛の顔をした幼馴染に尋ねれば指示するまでもなかった。

ちなみに、髪は侍従によって整え直されている。やれ編み込みがだとか、髪が絡まっているだとかぶつぶつと呟きながらだったが。


「ひとまず、あの女性については様子見と致します」

「それしかないか。何かを起こしたわけではないからね。全く厄介だ…」


呻くように呟くと頬杖を付いた。警戒していたとはいえ、こうも怪しい者が現れるなど勘弁してほしいと思うのと反面、暗礁に乗り上げていたものが進展させることができればとも思うのが正直なところで。


「あれ以外に、後何人か講堂でこちらの様子を伺っていた者がいただろう? パーティーはより警戒した方がよさそうだな」

「は」


ガイが騎士の敬礼をしたのに合わせ、扉付近に控えた近衛が沈黙を保ちつつも微かに緊張を孕むように身体を固くした気配がした。


「まあここは貴族の子息、息女の学び舎だ。最低限のマナーは弁えているだろうから、そうそう何かあっては困るが…」


式典中の視線と、先刻少女との出会いを思い出し小さく嘆息する。どうにも何かしらを暗示しているように思えてならなかったのだ。

それからしばらくして、学園長自らがパーティー会場への案内を買って出たようで連れ立って会場へ向かうことになった。







そういえば、在学中に彼女は父親とともに領地を守りつつ、隣国を旅してみたいとか言っていたな。まあ隣国かどうかは不明だが今まさに現在進行形で叶っているわけで、あれは言霊だったのだろうか。などと、現状と全く関係のない事柄をぼんやり思い出しながら、天井できらびやかな明かりをこぼすシャンデリアを眺めた。


言霊でもあるのならば、ぜひ僕をエルティナのもとへ帰して欲しい。


「まあ、アーサー様! その御髪の色合いが正装とあっていてとても素敵ですわね」

「この飾り紐をぜひ! 殿下を想って選んだのですっ!」

「それならばこちらの方が!」

「お会いできて大変うれしいです!」


「……」


色取り取りのドレスを各々纏った令嬢達が周りを囲み、さっきからきゃらきゃらと声高らかに気を引こうと躍起になっている。


入場して乾杯を終えてから間もなく、頬を紅潮させた複数人の令嬢が我先にと話しかけてきた。それだけならば過去何度も経験していることだからと簡単にあしらっていたが、彼女らの互いへの牽制し合いは徐々にヒートアップしていき、気が付けば囲い込まれ逃げ出せなくなっていた。

ガイを始め近衛は必死にそれ以上距離を詰めないよう体を張って止めているが、ナシのつぶて。無礼講という言葉を履き違えていないだろうか。


「ご令嬢方落ち着いてください」

「今日、アーサー様にお会いできるなんて、運命を感じます!」

「運命を感じるのはむしろわたくしの方でしてよ! 何しろわたくしは今日が誕生日ですもの!!」

「落ち着きましょう、お願いですから」

「誕生日がどうしたというのです? こじつけがましい!」

「まあ!」

「あなたもよ、運命などと簡単に口にして…。烏滸がましいとは思いませんこと?」

「なんですって!!」


自分達を諌める声が全く持って届いておらず、彼女達のボルテージが益々上がっていくのがひしひしと伝わってくる。これでは迂闊に僕が声を掛けるわけにはいかず、辛うじて表情筋は固定できているがいつまで続くのかと視線を巡らせると、こちらを遠巻きにしている正常な生徒達の向こうに学園長が教員達を連れ向かってきているのが見えたが。


さてどうしたものか…。うう…エルティナ、君に逢いたい。


思わずこちらも現実逃避をしかけるが、一人の令嬢の一際甲高い声によって一気に引き戻された。


「そんなはずはないわ! わたくしは殿下と運命で結ばれているのです! 殿下はわたくしに微笑んでくださったもの!!」

「何を」

「ああ殿下! そうですよね殿下!! どうぞ御心に素直になられて、あの薄情な婚約者など見限りわたくしとの未来を――」

「なななんてことを――?!」

「は」



出た。



一瞬にして頭の中が真っ白になり、その二文字だけが残される。それまで浮かべていた愛想笑いが、ストンと何処かへ消え去った。


「な、なんてことを言うのですか、あなたは?!」

「なぜ止めるのですか学園長様!! この学園中の誰もがあのような婚約者で殿下がお可哀想だと、他に相応しい方がいらっしゃるのにと話しているのをご存知ないのですか? 今の今まで殿下を囲んでいたあちらの方もこちらの方も、殿下に声を掛けていただくのだとそれはそれは嬉しそうにされてましたけど…ふふふ、殿下の運命はわたくしなのです!!」



お可哀想?

他に相応しい方?

運命?



きんきんと響く声が頭の中で反芻されて、思わずこめかみを押さえる。

すっと身体から体温が引いていくのとは逆に、こみ上げてくるのは不快感一択。顰めそうになる眉をなんとか堪えた。

視界には真っ青な顔色で注意している学園長ら教員の姿と、淡い色の可憐なドレスをぎゅっと握り締め反論する一人の令嬢が映っている。あれは裏庭で会ったあの少女だと、この時になってようやく気が付いた。


「ダウランド辺境伯令嬢は、国王陛下の御身のために神殿より神託を受け旅に出たのは全国民が周知する事実です、あなたももちろんご存知でしょう!? 殿下も断腸の思いで見送られたというのにッ、それをなんて恐れ多いこと!」

「それは存じておりますがこんなにも時間がかかるのであれば、最初から婚約は解消されてから旅立たれるべきですわ!! 三年も殿下を放置し、一度も帰ってきていないというではありませんかッ! 噂では隣国で助けた方に求婚されたとか、旅の同伴者が実は恋人であるとかッ! ひとり残された殿下がお可哀想でお可哀想でっ! それにわたくしは今日見ましたもの、あの不義理な方のせいで落ち込むアーサー様を! やはりお傍で癒す者が必要なのだと確信致しましたわ!」



また三年。



聞いたことのある文言にうんざりするも、続いた噂話に瞳が揺れ動く。

求婚された?

同伴者が恋人なんて者ではないのは僕が証明できるが、しかし求婚されたという噂は初耳で。ぽったりと、心の中にできた黒いシミに思わず戦慄く。それ故に反応が遅れた。


「何をっ?!」

「っ?!」

「アーサー様! どうぞ貴方様の未来をお考えくださいまし! わたくしは貴方様をお一人にしたりなんて致しませんわ!!」


ついには学園長らを押し退け、令嬢の剣幕に押されていた近衛を掻い潜り僕の側まで走り寄る。そして両手を胸の前で組み庭で見たような涙に濡れた瞳で、ハッと息を飲んだ僕の瞳を覗き込んできた。

――足がその場に縫い付けられたかのように動かない。


「殿下!」


久々にガイの焦った声が聞こえたな、とぼんやりと思う。さっきまで不快感でいっぱいだったはずなのに、今はどこか膜が張っているかのように何もかもが遠くに感じる。そう感じるのに、それだけで。どうこうしようとは思いつかず、その濡れた瞳に覗き込まれたまま、また、エルティナの瞳より濃いなとだけ思った。


エルティナの。




バッチンッッ!

「ギャッ?!」



「!!」


その刹那。

両耳が一瞬で熱を持ち、突然大きな音と眩い光が走ると同時に目の前の少女が悲鳴を上げその場に倒れ伏す。


「殿下、大丈夫ですかッ?」

「あ、ああ。大丈夫だ、ッ」


何が起きたのか把握できず呆然と倒れ伏す少女に視線を落としていたら、ガシッと両肩を捕まれ今度は男の顔が勢いよく眼前に近付いた。反射的にその顔を手で押しやってしまったのは悪くないと思う。

一通り目視で確認され、異常なしと判断したガイが手を離すとようやく状況把握に入れた。


「ぅぅ、ぅ……」


起き上がる気配のない少女からは今まだ呻き声がしているが、パッと見たところ服装に異変はないようだ。

両耳の熱、正確には耳朶のあたりが熱いと感じたのは本当に刹那の瞬間だけで。今は触れてみても特に異常は感じない。

正直ピアスが気になって気になって、目で直接確認したくて仕方がなかったが、さすがに目の前のことを片付けなければと無理矢理意識を反らした。


「殿下、申し訳ございません。オレ達が」

「その話は城に帰ってからにしよう。今は――」

「殿下! だッ大丈夫でございますかッ?」

「学園長、心配を掛けて申し訳ない。特に異常は無い」


切羽詰る形相で駆け付けてきた学園長に、即座に会話切り上げたガイが庇うように前へ出、僕はその彼の肩越しに手を降って返答する。


「学園長、この女性は?」

「ッ、我が学園の生徒で間違いございません…ッ」


見れば学園長は先程よりさらに青、いや白い顔色をして項垂れていた。今にも膝から崩れ落ちそうだ。

騒いでいた令嬢達も閃光で我に返ったのか、数人は既に床に崩れ落ちているのが見えた。せっかくのパーティーがこうなってしまうとは、とても残念に思う。

倒れ伏したまま少女から視線を感じ、学園長から視線を移せば、縋るように僕を見上げていた瞳とかち合った。


「ぅう、あーさー、さま……いまのは…?」

「貴方にそう呼ぶのを許可した覚えはないよ」


愛想笑いなど、とうに何処かへ行ってしまった。

無表情のまま冷たい声でぴしゃりと跳ね除ければ、少女はその瞳を大きく見開き驚愕の色を滲ませる。構わず彼女から視線を巡らせれば、周囲の者が身を固くするのが分かった。


「他にも何人か勝手に呼んでいたが、僕が女性で許可しているのは王妃陛下と我が婚約者のみだ、それ以外はない。今後一切、許可なく僕の名をそのように呼ばないで欲しい。非常に不愉快だ」

「ぇ…」

「それから我が婚約者のことを大層侮辱していたが、貴方は何様のつもりかな? 僕がお可哀想で他に相応しい方がいるだって? しかも貴方は自分こそが相応しいと思っているなんて! とてもじゃないが、貴方では僕の婚約者の足元にも及ばないよ。……本当に迷惑で不愉快だ」

「ぇ、ぅぇ? だって()()()、は」

「――へぇ」


おや、大当たりを引いたかな?

予想外の出来事に混乱しているらしい彼女が、こんなはずはと鈍く頭を振る。ボロボロと涙を零し見上げてくるその瞳に、エルティナの瞳の翠の方が澄んでいてきれいだなとしかやはり思わなかった。


「最後に、貴方は他者へ許可なく魔法を使用したね? しかも禁止されている魅了系統の魔法だ」

「ちが、」

「僕が証人だ。――連れて行け」

「やッ!?」


僕が目配せすると、近衛が有無を言わさず泣き喚く少女を両側から担いで引き連れて行く。その様を眺めた後で、そういえば家名も何も聞いていなかったと気が付いたが、後で確認出来るだろうと横に置いておくことにする。

さて次、とつい先刻まで我先にと醜い争いを続けていた令嬢達に視線を向ければ、一様に身体を震わせた。失礼な。


「次は貴方達だね。どうぞ? 順に家名を名乗りなよ」

「ひぃいっ」

「申し訳御座いません申し訳御座いませんッ―――」

「……ぃい、いやッ」

「ぁぁ、…あぅ」


にっこりと自然に微笑むと、彼女達はさらに青い顔に絶望の表情を浮かべ身を寄せ合い始める。あれ程邪険に睨め付け合っていたというのに笑えてきた。まるで、僕の方が悪人のようではないか。

一切合切が己の身から出た錆だというのに、滑稽だ。

僕に相応しいと思ってあれだけ騒いだのだろう? エルティナより相応しいと思って。さあ、胸を張って名乗りなよ。

蜂蜜色の髪を揺らしことりと首を傾げて付け加えると、令嬢達は完全に意気消沈し誰も彼もが脱力したように顔を伏してしまった。


「こんなものか」


ふんと、王太子としては品が無いが構わない。項垂れる者、蹲り泣く泣者、それぞれの様を冷たく睥睨してからくるりと踵を返す。胸のムカムカが止まらない。

すぐ側に立っていたガイが何か言いたげな視線を向けてきていたが構わず手で制止し、遠巻きにしていた生徒達へ向き合った。


「僕の婚約者は窮地を泣いて済ますような女性ではない、どんな窮地だろうと諦めることのない頑固者だ」

「え、それ褒めてるんですか?」

「…、僕は何度も公言しているが、今この場にいる全ての者にも改めて宣言する。僕、アーサー・シェフィールドはエルティナ・ダウランド嬢以外と婚姻するつもりはない! 彼女こそが僕の最愛なのだから!!」


式場全てに響かんと、腹の底から声を張り上げた。

ああ…と後ろでぼやく声が聞こえたが、無視をする。城に帰ったら鍛錬場に集合させようと決めた。


その後、学園長には彼女達の家名と名、そして学園で広まっているという話とやらの詳細を王宮の僕の下へ届けさせることを厳命する。


こうして、始まって間もなかったパーティーは解散を余儀なくされた。

王太子が学園の在学生の前で、大胆にも婚約者への愛を叫んだという話を添えて。



11月21日〜少し修正しています。

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