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アーサー・シェフィールド王太子殿下、――可及的速やかに次代の世継ぎをもうけて頂きたいのです。




それは唐突に鼓膜を打った。


「は」


薄い唇をぱくりと開けて出た音は言葉にはならず、部屋の中に溶けて消えた。

何を言われたのか理解し難く、まるで脳が理解することすら拒否しているようだった。




アーサー・シェフィールドの一日は、婚約者である愛しい彼女に朝のあいさつを告げることから始まる。


朝。いつも通りの時間に起床をして、真っ先に耳朶を指で挟み馴染みの硬さを確認しながら彼女に朝のあいさつをするのが日課だ。それから、ベッドを降りて身だしなみを整え始める。

今日は、彼女が好きな蜂蜜色の長髪は襟足でまとめてもらい左肩から前へ流す。侍従により梳かれ、さらりと流れる自分の髪に、ガーネットに例えられる瞳を細め大分伸びたなと少し感慨深く思った。

朝食を済ませたら自分の執務室へ。いつものメンバーで各々机に向かい、文官長に公務のスケジュールを確認しながら黙々と書類に目を通した。

昼食は彼女が過去に絶賛していたパンが出たのでおいしく頂きながら想いを馳せていたら、幼馴染の近衛を始め周囲から生暖かい空気を感じて首を傾げた。

その後始まった午後の執務は、開始間もなく来訪を告げられたことによって中座することになる。



そして(くだん)の発言。



先触れもない突然の来訪。本来であれば後日にと断るところを、大臣という役職に長年身を置く者だからと甘んじて来訪を受け入れたが、入室してきた彼の雰囲気でそもそも間違いであったと気が付いたが遅かった。先程まであった和やかというか、立場はあれど気心の知れた仕官達との程好い空気が、瞬く間に緊張をはらんだ。


執務室の扉から数歩歩いた程の位置に佇み、その年齢を重ねた厳つい顔に琥珀色の瞳でひたとこちらを見つめてくる彼は、長く国に仕えてくれているが腹に一物も二物も飼っているとも、誰とは言わないがぼやいていたのは聞いていた。

ようやく動き出した脳内で、軽く現実逃避がてらそんなことも思い出す。そんな男が礼儀を欠くように訪れるとは。


「――よく聞こえなかったようだ。大臣、すまないがもう一度言ってくれるかな?」

「承知しました。我らがシェフィールド王国第一王子であり王太子であらせられるアーサー殿下。私は先程、可及的速やかに次代の世継ぎをもうけて頂きたく僭越ながら進言致しました」

「それは――…なんといきなりな。大臣である貴方は、僕の事情を知らないとでも?」

「いいえ殿下。……しかしながら、貴方様の婚約者、ダウランド辺境伯家の息女エルティナ嬢が旅立ってもう三年が経過しております。即ち陛下がお倒れになって三年半になります」


いつまでもこのままというわけにはいきませんでしょう。


放たれた言葉に、すぅと頭が冷えていくのを感じる。室内の仕官達が固唾を呑んでこちらの様子を伺っているのが視界の端に映った。

そういえば、長年の教育により感情の抑え方は出来る方ではあったが、彼女の事になると殿下はとたんに箍が外れるとは誰の言葉であったかな。


「……」


漏れ出す剣呑な空気をそのままに、わざとらしくギシリと重厚な背もたれに背中を預ける。肘掛けに手を置きながら大臣を赤い瞳で眇め様子を伺うと、彼の肩がピクリと動いたように見えた。だが、相手は長年王侯貴族と腹の探り合いをし続けている現役。まだ彼の年の半分も生きていないアーサー(ひよこ)程度に睨まれたくらいではびくともしないに違いない、見間違いの線が濃厚だろうと内心で否定した。


「それで? 三年経ったから、速やかに婚約者(かのじょ)を呼び戻せと…?」


僕の、()の事情によって彼女を旅立たせたのに、今度は子どもが欲しいから今すぐ戻って来てほしい、とでも乞えというのか。

ぐっと胸の奥が重苦しくなる。声音にも微かな苛立ちが混じり、肘掛けに立てた爪が硬い木の表面を抉った音が室内に鈍く響いた。


「いいえいいえ、殿下。そうではありません。ましてや婚約者様は旅に出られ今はどちらにいらっしゃるのか不明。手紙を送るなどは不可能に近い事は、殿下の方がよくご存知でございましょう?」


そう言いながら軽く首を振り琥珀の瞳を一度伏せた後、瞬きとともに上がってきた視線が僕を捕える。

その視線の、声音の端々に欲の片鱗を感じて服の下の肌が粟立った。魂胆が透けて見えてきて、ふつふつと湧き上がる不快感は眉を顰めずにはいられないほど酷くなる一方だ。


「――失礼。大臣殿は先程から何をおっしゃりたいのでしょうか?」


すると後方から、控えていた近衛が固い声音とともに身体を持ってして割って入ってきた。今の今まで背後で様子を伺っていた幼馴染み兼友人でもあるガイだ。

ガイは大臣を見据えたまま机を回り込み前に立つと、その長身で鍛えた体躯を使い男の姿を視界から隠した。


「貴方は確かフォースター公爵家次男…ガイ殿でしたな。ふむ、殿下の近衛である貴方が私とアーサー殿下との会話に割り込んでくるなど無作法ではないですか?」

「非礼はお詫び致します。が、オレと殿下は幼い頃からの友人で、彼がこの三年どんな想いであったのかは一番近くにいたオレがよく存じ上げています。そんな殿下に大臣殿は先程から意味深なコトばかり…、一体何をお考えですか?」

「何を、と言われても…先の言の通り私は次代を心から心配しているのです。いえ、私だけではなく臣下一同同じ思いでしょう。婚約者様は三年経っても戻らず、もちろん進展もない。そして彼女は稀有なランクを持っているとはいえ、いつどこでどうなってもおかしくはないと、ふと最近になって気が付いたのです」


もっと早くに気が付くべきでした、と芝居がかったような言葉が届く。ガイが間にいる為姿は見えないが、声音からして憐れんだような顔でもしているのだろう。その証拠に、机を挟んだガイの背中に憤りが滲むのを感じた。

僕ではなくお前が感情を出してしまっては。


「大臣殿…!」

「殿下には世継ぎをもうける義務がございます。民衆は今の陛下の状況にとても強く不安を抱いている、と神殿の大神官長より報告があったと聞いております。ぜひ、民が安心して暮らせるよう御配慮を御願いしたく、この機会に我がむ――」

「――断る」


民を持ち出し慈悲を乞うかのように語るその男に、もはや我慢など不要と先の読めた言葉を遮りにべもなくはっきりと言い放つ。


「…殿下は、民草の心など取るに足らぬことと申すのですか?」

「そう言った覚えはないが? そう聞こえたのなら大臣には医師に診てもらうことをおすすめしよう。ガイ、お前が怒っては僕が冷静になってしまうだろう」


前から退くよう手を振りながら小言をくれてやると、小声ですまないと詫びが入る。近衛の体躯が横へずれ、当たり前だが男の姿が現れる。その厳つい顔は軽く眉が顰められる程度で保たれていた。


「次代を案じる気持ちは分からないでもない。大神官長が報告してきたという民衆の不安については、こちらでも大体は把握している。だが希望はまだあるだろう。陛下の容態は安定していると毎日医師より聞いているし、自ら可能な限り執務等もしている。ご健勝とは言い難いが今すぐにどうこうという事態にはならないだろう、というのが宮廷医の診断だ。民にもそのまま嘘偽りなく発表している。それに我が婚約者は神殿の神託に従い旅に出て、たった三年で何も進展がないから切り捨てろというのは早計ではないかな?」


それに神殿が神託など出さなければ、彼女をみすみす旅立たせたりしなかった。あの時の、()()彼女と一緒に行けないのだと知った時の絶望がお前にわかるのか。

一度は冷静になったかと思ったが、そうではなかったようで。思わず口から出そうになった言葉を頬の内側を噛んで留めるが、苦い思いが込み上げて彼を見る目元に力が篭った。


今、僕がこの場で仕事(王太子)を勤めていられるのは誰のおかげだと思っているのやら。



――必ずふたりで。



三年前のあの日、僕と彼女は約束を交わした。それは王である父も見届けている誓約魔法で、この胸に確かに息づいている。それが唯一のつながりであり、今の僕の救いでもある。

知っているのは、互いの両親と僕の近衛であるガイと後一人だけだ。

他者に全て教えてやる義理はない。


頑なな僕の態度に、一瞬怯んだように見えた大臣がそれでもと声を上げる。


「しかし、陛下の病状は年々進行しております」

「……だからといって、そこまで早々に次代を望むのは僕が無能だと、――エルティナは生きて帰れないと……そう言いたいのか」

「そのようなことは…」


粘る姿に今度ははっきりと苛立ちで一段と低くなった僕の声に、大臣の肩が跳ねる。慌てた表情を浮かべ咄嗟にこちらへ駆け寄ろうと一歩前に踏み出されるが、すぐさま横にいたガイが剣の柄に手を伸ばす仕草を見せ牽制するとその場でたたらを踏むに留まった。


「では、この話しはこれで仕舞いだね」

「っ、」


そう締めくくって、あえてにっこりと微笑んでやる。すると大臣はぐっと何かを呑み込むように顔を顰めた後、躊躇しつつもそろりと頭を下げた。


「………差し出がましい真似を致しました。気が急いていたようです、誠に申し訳なく…」

「いや、こちらこそ気を遣わせてすまなかった。大臣、貴方には引き続き(まつりごと)で助力をしてほしい」

「承知、しました…」


絞り出された声は掠れていた。

それから男は、それ以上の反論はせず静々と部屋を退出して行った。


扉が完全に閉められるのを確認した後、顎を反らし深く背もたれに身を沈め瞼を閉じる。ひとまず曲者には一泡吹かせてやれたらしいと、肺の空気を空っぽにするかのように息を吐いた。けれども胸の奥に湧き上がった不快感、嫌悪は健在で、この午後に予定していた執務は全くやる気が出なくなってしまっていた。

さてどうするか…。


「殿下」


思案しているとガイが声を掛けてきた。


「無作法を致しました。誠に申し訳ございません」

「…」


処罰は如何様にでもと臙脂色の瞳を伏せ、僕より幾分か高い長身を折り曲げ橙色の癖毛を下げた。まあ、王族である僕の許可無く割り込んだから、けじめは必要かもしれないと耳朶に触れながら思う。

その頭頂部を横目でしばし眺め、はっと閃く。


「気にしなくていい――と言いたいところだが、それではお前は気になって仕方がないだろう。ならこれから少し付き合ってもらおうかな。――文官長、申し訳ないがこの残りの分には緊急のものはなかったと記憶しているから、明日に回してもかまわないだろうか?」

「はい、承知致しました」

「? ――まさか!」


思い立ったら吉日とばかりにすぐさま指示を出すと、心得たとばかりに仕官達が軽く頭を下げた。馴染のメンバーだからかすでに察してくれているらしい、テキパキと片付けて退出していく。一方の当人は少々ポカンとした後に到達したようで、すぐさま苦虫を噛み潰したような顔をした。


「ランク戦士の胸を貸してもらおうか」


つまりは、鬱憤晴らしに付き合え。

言外にそう告げながら椅子から腰を上げる。慣れたことで幼馴染の近衛はすぐさまいつもの顔付きに取り繕った。


「殿下、執務を後回しにするのは」

「エルティナのことをあのように言われて、僕がこのまま黙って仕事をしていられると? あれは心配をしている(てい)を装って、自分の息がかかった娘を僕にあてがう腹積もりだった。ガイだって感付いていただろう? 僕には最愛の婚約者(エルティナ)がいるのに…!」


あの嗤った大臣の顔を思い出しただけでも腹立たしい。あれだけ見え透いた魂胆でよくも僕の前に現れたものだ、もしかしなくて侮られていたのだろうと察してますます腹の中が煮立ち、ついつい指先が耳朶に伸びる。そんな僕を知ってか知らずか幼馴染はぽんと手を打ち、のりのりであれやこれやと世間の評価とやらを出してきた。


「ああ、殿下の見目は良いですからね。なんでも、髪は蜂蜜のようだとか、鼻筋の通った秀麗な顔立ちに宝石のような赤い瞳が素敵とか。後は…オレには劣りますが高身長で、自ら剣を振ってる姿は魅力的だとか? そして王族で王太子!」

「やめろ薄ら寒くなる」


思わず両手で自身の二の腕を摩った。


「どこが劣るというのか、身長差など高が三cmだろう? それに他人からの評価など、エルティナでなければ僕には無に等しい」

「ぶれませんね、殿下は…。そういえば先月のパーティーでも、目の色を変えた令嬢に突撃されてましたね。そして今日の大臣殿の行動といい……。これは、動きが活発になってきてやしませんか…?」

「……さあ、これだけでは判断はできないだろう。それよりもガイ、のらりくらりと逃げようとはしてないだろうね」

「――わかった、わかりましたよ。けど前回のように鍛錬場が壊れるまでは付き合いませんからね」


殿下だってランク剣士でしょう。

ぼそりと呟かれた言葉を尻目に、幼馴染の近衛を引き連れ今度こそ執務室を後にした。











「何やら騒ぎがあったのか?」

「なんの事でしょう、一匹の動物が執務室に顔を出してきゃんきゃんと鳴いて行ったくらいで、特に騒ぎと言える程のコトは記憶にございませんが」


夕刻。一頻り体を動かしすっきりした後、身嗜みを整えいつものように陛下を見舞うと少し笑いを含んだ声音に問われた。 悪怯れることもなく、今日の出来事を端的に伝えると、くく、と陛下が軽く笑いを噛み殺す。どうせ影から報告がいっているだろうに。天蓋の付いたベッドの上で、上半身をクッションに預け身を起こしている壮年の男性の薄い金色に近い髪色が、今は大きな窓から差し込む夕日の光を浴びて赤みを帯びている。

一目見て、今日の顔色は良い。知らず詰めていた息が静かに唇から溢れた。


「そう言ってやるな、あれはまだ使える。うまく転がしてやれ」

「言われずとも」


ガイは部屋の外に置いてきた。室内には陛下の近衛が絶えず気を配っているからだ。その中の古参の近衛が二カッと笑った。陛下――父が最も信を預けている男で、彼と父も幼馴染だ。


「殿下はますます陛下に似てこられましたな」

「ふん、我が息子だ。当たり前だろう」

「昔を思い出すようですねぇ。王妃様が嫁いで来られる少し前に横槍を入れてきた男がいて、あの時は陛下が――」

「っ、やめんか! 古い話を持ち出すな!!」


慌てた声に遮られ結局何をしたのかまでは語られなかったが、父の耳が真っ赤になっているのは見えた。夕日のせいではないだろうから、きっと若気の至りであったのだろうと軽く想像が付く。

自分にも思い当たる事がないわけではないので。

血筋か。


特には追求はせずにいると、父は仕切り直すかのように咳払いをしてから話題を変えこちらを見た。


「時に、王妃が気にしていたがエルティナ嬢はどうだ?」

「いつもと変わりないかと」


そっと胸に手を当て瞼を閉じる。そこは布越しなのにほんのりと温かさを確かに伝えてくる。誓約魔法による効果でこれ()が示される間は、彼女は無事だという証となる。

この仕草で父には正しく伝わったはずだ。父は安堵の色に瞳を細めた後、徐ろに掛布の上に置いた両手に視線を落とした。


「そうか。――それにしても、こんなことになってしまわなければ…」

「父上、それは散々話し合ったではないですか。エルティナも持てるものは使わなくてはと言って、むしろついでに世界を見てくると自分から旅に出て行ったのを僕と見ていたでしょう? 母上に叱られますよ」

「……」

「僕がここにいるのは、彼女ときちんと話し合った結果ですからご安心ください。彼女曰く、大船に乗ったつもりで待っていれば良いのです」


病のせいか、ともすれば後ろ向きになりがちな父にいつものようになんてことはないと言い切る。


「――そうだな、弱気になるなんてと怒られてしまうな」

「今日は公務もこなされたと聞きました。早くお休みになって下さい」

「ああ、分かった。…アーサー」

「はい?」

「ありがとう」

「父上と母上の子ですからね、どういたしまして」


笑った顔は父に似ているのだと言うのは彼女の言だったなと、父の微笑みを見ながら思い出していた。











さて、それにしてもこの国の内部は思っていた以上に深刻なのかもしれない。


己しかいない部屋の中で一人用のソファに腰掛け、背もたれに後頭部を預け装飾された天井を眺めながら心の中で呟いた。

ちょっとほっこりしてから母に父の様子を報告し食事を取り湯浴みをして、ガイに今日はもういいと夜勤の近衛に引き継ぎをさせて自室に戻ったのはつい先程だ。部屋を出るときには朝日が差し込んでいた窓は、今や真っ暗闇に塗り潰されていた。


神殿とは、世界を創造したとされる『白の神』と『黒の神』を奉る場所で各国の首都にあり、このシェフィールド王国ではこの王都に健在しその傘下にある教会が各町街に点在している。

王国内での神殿関係の全ては聖教府の管轄となり、そこで取り扱う決まりとなっているはずだ。大神官長ともあろう高位の立場が、それを通り越して王宮の上役に直接報告してきているのであれば……。


三年前父上が倒れすぐさま色々な医者に診せたが一向に快方せず、そうこうして手をこまねいている内に神殿から出されたあの神託、『王を救うにはランク勇者の力で道を拓く他なし』というのは果たして本当なのかと未だに疑ってしまうのは彼女を想うが故か。


エルティナ・ダウランドは、王国で唯一のランク勇者である。そう判定されたのは規定の十歳の時だ。

ランクは、一定年齢に達すると神殿直轄の教会で判定され授けられるギフトで闘・魔・聖に分類された数多のランク他に、三種に分類されない特殊ランクがある。特殊(それ)はほとんど伝説上と噂される程の稀有なランクで、エルティナに判定専用の特殊用紙を見せられなければ今でも信じられなかっただろうなと、天井から床へ視線を落とし項垂れながらふと学生時代を思い出す。と同時にギフトを恨めしくも思った。


あの神託が降りた時、すぐにふたりで話し合った。たったあれだけの神託など、雲を掴むようなものだ。正直、医師が首を横に振ったのを見た時、父も母も、僕も諦めが浮かんでいた。けれどもエルティナは父の回復の糸口になるのならばと国内外の神殿や教会を中心に尋ねてみると言い出して、それはそれは大層な大喧嘩になった。周囲を巻き込み、ガイやあいつに散々説得されて、互いに誓約魔法をかけることを条件に泣く泣く了承したことまでも芋づる式に思い出し、思わず顔を両手で覆った。

だって、その時には既に王太子となっていた僕が国の一大事においそれと不在になどできるはずもなく、さらにはエルティナがこの神託には不明瞭な部分が多いことを理由に婚約は破棄した方がいいなんて酷いことを言うから。元々すり減っていた精神が追い打ちを受け、余裕など一欠片もなかったのだと誰にともなく心の中で弁明する。


「――はぁぁ…」


エルティナが旅立ってから大なり小なりの噂は流れては来ているが、今彼女が何処にいるかを知る術は僕にはない。初めの一年半の間に届いた二通の手紙と一緒に入っていた何枚かの花弁だけだ。きゅっと胸の奥が締め付けられる。


なぜ、自分はこの立場(王太子)なのだろう。そうでなければ今頃…。


なんて、不意に栓のないことが頭の中を埋め尽くしてくる。それこそ毎日、隙をつくかのように。けれども彼女との約束がこの国に僕を縫い留め、こうして日々を送れていると言っても過言ではない。

全く、考えることは山積みだ。彼女が帰って来るまでに諸々はきれいに片付けてしまいたい。

今日の動きを見るに、何かが動き出しているのは最早明白だろう。もっと情報を集めなければ。

そんな事を考えながら明日以降のスケジュールにプラスでさらなる情報収集の算段を付け、耳朶に存在する石を指先で確かめる。そこに輝いているだろう、彼女の瞳の色であるペリドットのピアスの石の硬さに何処となくほっとした。あの三年前の出立する前日に互いの瞳の色のピアスを交換していて良かったと、心の底から思う。

ただそれと同時に、あれ以来朝晩のあいさつの他にも癖のように触れていることが多くなってしまったのは、彼女には内緒にしたい事かもしれないともこっそり思った。


静かに肺の中の空気を深く吐き出してから、徐ろに重い腰を上げベッドへ移動する。


「おやすみ、ティナ。君に良い夢が訪れますように」


今夜も今夜とて、指の腹で石を撫でながらそう呟くとベッドの上に自身を横たえた。






11/26誤字の修正をしました。

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