幸せのスパイスクッキー(3)
ソフィーアはしばらく施療院で療養という事になった。レーネによる診断は過労、特に精神疲労が蓄積しているという事だった。後でなぜか修道士との面談も予約されたが、あの雲のような無気力については、レーネは何の診断も下さなかった。ただ休み、三食とり、決まった時間に寝て、時々散歩などをするようにと言われているだけ。
「はあ、あんまりおいしくはないな……」
今日も昼、病室で食事をとったが、食欲はあまり回復しない。思わず小さな声で呟いてしまう。
クレソンのスープにフェンネルのフルーツサラダ、それにスペルト小麦のパンというメニューだった。
レーネによると、特にフェンネルのフルーツサラダは食欲回復に役立つと言っていたが、スプーンもフォークもあまり動かない。
ここでの食事はレーネが指揮しているらしい。患者に合わせてメニューが決まっているようで、他の患者達をチラリと見ると、食後にクッキーを食べている者もいた。
思わず彼女の側に近寄り「なんでクッキー?」と聞いてみた。
名前はアーダという老女だった。骨と皮だけの痩せた老女で、医者じゃなくても余命わずかだと理解できる姿だった。髪の毛も抜け落ち、ニットの帽子もかぶっていた。
「いやね、おらはもう長くはないから、レーネに相談して好きなものを食べさせて貰っているのさ」
「へえ……」
食欲がなかったソフィーアだったが、アーダの話を聞いていると、少し心がざわついてきた。
窓の外からが仔羊の鳴き声が響き、なんとも長閑だったが、目の前には死にかけている人がいる。
「このクッキーは幸せのスパイスクッキーだ。ああ、食べていると元気になるねぇ」
アーダは咀嚼する力も弱っているのか、長い時間かけてクッキーを食べていた。
修道院で作っているクッキーだが、ほんのりとシナモンやナツメグなどの香りも漂う。
「こんなクッキー食べられるのは幸せだよ」
ソフィーアは何となくアーダの側にいられなくなり、自分のベッドに戻った。
食事する気力も失せ、ほとんど残してしまった。
再び、あの雲のような無気力感も襲ってくるが、分からなくなってきた。
アーダを見ていたら、自分は十分恵まれてはいるのだろう。婚約破棄され合わない修道院生活に不満も持っていたが、贅沢な悩みだったのだろうか。
分からない。
急に幸せの定義や条件が揺らいでいくようだ。
「ソフィーア、具合はどう?」
ちょうどそこのレーネがやってきた。ソフィーアが残した食事を見ても何も言わなかったが、修道士との面談がセッティングできたという。
普段は断食道場として使っている家に一緒に来るように言われた。そこは施療院の裏にあり、目と鼻の先だった。
木造の二階建ての家で、さして大きくもないが、食堂はゆったりとした雰囲気で中央にテーブルもある。
そこに修道士の一人がテーブルについていた。黒い修道着姿なので、すぐに誰だかわかった。ソフィーアも見た事がある修道士で名前は確かユリウス。牧場の仕事をしているはずだったが、日に焼け、大柄な男だった。年齢は二十五歳ぐらいだろう。
「レーネ、およびか?」
ユリウスは身体だけなく、声も大きい。食堂にユリウスの声が響く。
「ええ。この患者の悪霊祓いをして欲しいんだけど、できる? 鬱の悪霊がついているはず」
レーネはソフィーアの肩を叩きながら言う。その表情は真剣そのもので、全く冗談を言っている雰囲気はなかった。
鬱の悪霊? それって何?
ソフィーアはそう問いたかったが、ユリウスによりエクソシストが始まってしまった。