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幸せのスパイスクッキー(1)

 修道院の菓子工房は甘い匂いが漂っていた。ここには最新型のオーブンがあり、連日クッキーやケーキ、パンなどが焼かれている。


 この時代、オーブンは高級品だった。潤沢に資産がある修道院はこういった工房にオーブンを設置し、菓子を生産していた。自給自足の修道院といっても、どうしても金は必要だ。そのために菓子を生産し、販売する事は修道院でよく行われていた。主にシスター達が菓子の生産をしていたが……。


「はぁ、つ、辛いかも」


 そんなシスター達が集まる菓子工房の片隅のソフィーア・バルリンクがいた。


 まだ十代半ばほども若いシスターだったが、菓子工房はオーブンの熱もこもり、体調が悪くなってきた。


 若いソフィーアに任せられた仕事は単純そのもの。焼き上がったクッキーをオーブンから取り出し、熱をとった後、袋詰めをする作業だ。他にも若いシスターやシスター志望の子供達がせっせと働いていたが、ソフィーアは具合が悪くなってきた。


 クッキー自体は可愛らしい。ローズマリーのクッキーとスパイスのクッキーだ。どちらも修道院も売店で人気があるハーブクッキー。すぐに売り切れるという。ローズマリークッキーはハーブのトッピングもされ、スパイスクッキーは星形で見た目も派手。


 この修道院には薬草研究家と呼ばれるシスターがいてちょっと有名だった。薬草聖女とか、薬草ヲタ聖女とか呼ばれているらしく、このクッキーのレシピも彼女が考案したらしい。名前はレーネというが、ソフィーアは一度も会ったことはない。


 修道院といっても何十人もシスターや修道士がいる。一日中菓子工房に籠り仕事しているソフィーアも会う人間が限られていた。


 それにソフィーアはこの修道院に来たばかり。一ヶ月前から来ているが、まだまだ慣れない事が多く、薬草研究家の聖女など関心が持てない。


 そもそもソフィーアは最近、何も関心が持てない。修道院に来てからずっとだ。


 この単純作業も退屈。神学や祈りも上手くこなせない。祈祷文が暗記できない。田舎の修道院にこもっているのも気が滅入る。修道着も重苦しい。早寝早起きも辛い。ついていけない。過去の嫌な記憶もついつい思い出してしまう。


 それに今は体調不良になってきた。立っているのもしんどくなり、とうとう焼き上がったクッキーを鉄板からひっくり返し、何枚もダメにしてしまった。


「ソフィーア! 何て事しているの!」


 すぐに先輩シスターがやってきて怒られた。先輩シスターはテクラ・バシュというが、三十年以上修道院に奉仕するベテランだ。年齢はおそらく四十代。声も低く、注意する声は吸血鬼のように恐ろしい。若い修道女達にも嫌われ悪く言われていた。ソフィーアは元男爵令嬢だったので下品な悪口には同意したくはないが、内心、彼女達の言い分に頷いていた。それぐらいテクラは得意な人物ではない。


 テクラにガミガミと注意され、さらにソフィーアの具合が悪くなってきた。


 重い雲のような無気力感も襲ってくる。もう何もしたくない。風呂や身だしなみを整えるのも、食事も面倒。神学や祈祷文も難しく暗記できない。菓子工房の仕事も体力勝負で疲れる。テクラは本当に怖く、目も合わせたくない。本当はずっと実家で引きこもっていたかった。


「ちょっと、ソフィーア! 聞いているの!?」

「は、はーい」

「そんなやる気ない声を出すんじゃないわ。働かざるもの食うべからず! 聖書にも書いてあるでしょ。だいたいね、私だってこんな菓子の仕事なんてしたくないですよ。でも祈れ、働けって教皇からも命令が出ているし、働かないとダメでしょ。ねえ、ソフィーア! 聞いてる!?」


 ガミガミと口うるさいテクラの声を聞きながら、だんだんと気が遠くなってきた。肉体的な気持ち悪さもあったが、精神的にも辛い。


 あの雲のような無気力に飲み込まれ、本気で何もしたくない。実家に帰って引きこもりが許されるのなら、永遠にそうしていたかった。もう人間の醜い心を見るのはたくさんだ。


「ちょっと、ソフィーア! 聞いてる!?」


 テクラの声がしたと同時、ソフィーアはもう立っていられなくなった。


 その場で倒れ込み意識も失った。


 床にはスパイスクッキーも転がっている。確か「幸せのクッキー」という商品名で売っていたが、どこがそうか全く分からない。今のソフィーアは幸せがどういうものか分からない。一生分からない気がした。

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