幸せな眠りとパッションフラワー(5)
人間は不思議なもの。アーダが亡くなった数日間はコーロも癇癪を起こしたり、不眠や食欲の減少に悩まされていたが、気候も安定していくのに比例し、体調も戻ってきた。
今は施療院で出されたスープやパン、菓子なども完食し、ユリウスやレーネを困らせる事も少なくなった。
風邪の症状も無くなり、ついに明後日退院する事も決定した。今日は最後のレーネの診察日だ。
コーロは一人、施療院の診察室へ向かい、レーネが来るのを待っていた。
「おお、コーロか。最近の調子はどうだい?」
「ええ。風邪の具合はすっかり良くなったわ」
レーネは睡眠状況や食事、血圧などを記録し、診察も終わったかと思ったが、一旦彼女は別室に出ると、お盆を持って戻ってきた。
お盆の上にはガラスポットに入ったハーブティー。この匂いは懐かしい。パッションフラワーのハーブティーだった。
「少しハーブティーでも飲んで話そう」
レーネはそう言い、ガラスのカップにハーブティーを注ぎ、コーロに振る舞った。淡い湯気と共に、温かみのある香りが広がる。
なぜかコーロは鼻の奥がツンと痛い。この匂いと共にアーダの事を思い出したからかもしれない。表面上は健康的になったコーロだったが、別にアーダの死を忘れたわけでもない。
「今飲むと、このハーブティーも美味しいかも」
コーロは目を細めながらハーブティーをすする。初めて飲んだ時は草っぽさは苦手だったが、今は喉にすっと染みた。あまり癖のないハーブかもしれない。
「なぜかアーダもパッションフラワーのハーブティーが好きだったな。神様のお花とか呼んでた。別にアーダは我々修道院の人間のように信仰者でもないのに」
「そう……」
「パッションフラワーのハーブティーを飲むとよく眠れたんだそう。確かにこのハーブは鎮静効果、精神安定、安眠に効く」
レーネはいつものようにペラペラとハーブの蘊蓄を語っていた。まるで水を得た魚のようだった。レーネもアーダの死から回復したのだろうか。
「アーダの最期は安らかだったよ。急変したが、最期に苦しんだ様子はなかったから」
「そう……」
コーロはハーブティーをちびちびと啜りながら、眠気も感じていた。まだ昼間なのに眠い。このハーブティーは眠り薬のようだ。
「うん、大丈夫。アーダも神様の元、天国へいるから大丈夫だよ」
「本当?」
正直、そんな事を言われても納得できないとも思う。アーダがそこにいる客観的証拠は何一つない。レーネの思い込み、妄想、空想だとも言える。
それでも。自信満々にそう語るレーネを見ていたら、無邪気に信じてもいいかも。パッションフラワーのハーブティーのおかげか不明だが、今のコーロの気持ちもほぐれていた。少なくとも、死んだら土に還るという考えよりは、幾分救われていた。それも別客観的な証拠もない。だったら、救われて明るい気分になる方が良いかもしれない。
現実逃避かもしれないが、別に誰かを傷つけてもいない。別に死んだら無になる考えも否定はしていない。
「そうだよ。コーロもそんな気に病むな。結局、人の生死は神様が決めているから。そんなに怖がらなくても大丈夫」
「そう?」
「まあ、毎日死についてビクビク恐るよりは、明るく、救いがある考えを選ぶといい。それはコーロの自由だから。どっちを選ぶ?」
レーネの目は本当の聖女のように優しげだ。いつもは変な口調でハーブの事ばかり話しているのに。
「え、ええ。今は救いがある方を選ぼうかな。アーダも天国にいる。そんな死も恐る事はないかもね?」
再びパッションフラワーのハーブティーを口に含む。さらに眠くなってきたが、心は完全にほぐれていた。今はもう死への恐怖も和らいでいた。
「そう。まあ、とにかく今の我々はハーブティーを楽しもう」
「ええ、レーネ、ありがとう」
今はアーダの死への整理がつけられていた。アーダが天国にいるなんて何の証拠もないが、そう思うのは自由ではないか。
「美味しいわ、このハーブティー」
またハーブティーを口に含むと、瞼が重くなる。このハーブティーを飲み終えたら、ベッドへ行こう。
今日はゆっくりと眠れそうだ。幸せな眠りを想像するだけで楽しくなってきた。
「な、コーロ。このハーブティーは最高だろう」
「ええ」
コーロは笑顔で頷いていた。




