バジルと不器用なお医者さま(1)
デニス・アルメンは誰からも好かれる医者だった。確かに顔は美男子とは言いがたいが、誠実さや真面目さで患者達からの信頼も厚かったが。
「ちょっとデニス先生。どうしたんですか? 前をちゃんと見てください。ぼーっとしてます?」
ここはデニスが開業した医院の診察室だ。小さいながらも、医療器具も揃い、本棚には医学者も詰め込まれ、ベッドも一台ある。白を基調とした清潔感のある場所だったが、診察中、デニスはぼーっとしてしまい、患者からお叱りを受けた。
患者は村人のリカルダだ。五十過ぎの老人だったが、基本的には健康。しかし年齢により肩、腰の痛みは慢性的にあるようで、月に二回、デニスが診察していた。
デニスの専門は内科だったが、この辺りは医者もいない。当然病院もない。都心の病院へは何時間も馬車に揺られる必要がある。だったら自分で何とかしようと思い、身体の不調の相談は何でも受け付けていた。
ただ、この辺りに病院はないと言っても、修道院がある。隣のマンナ村にある修道院にも医療施設があり、貧乏人の患者も多く利用していると聞いた。この時代では修道院は権威があり、裁判や治安維持の仕事もしていたが、素人の修道院の人間が医療の真似事をしていたのは、デニスは全く面白くはなかったが。
特に薬草研究家のレーネというシスターが、はーブ療法をしている噂も聞いたが、そんな医学書に書いていない事で健康になると思えない。噂でしか知らない人間だったが、デニスはレーネの事が嫌いだった。
「ちょっと、先生。何をぼーっとしているんですか。ちゃんとお仕事してくださいよ」
リカルダはデニスの白衣の裾を引っ張った。
「は、はい。わかりましたよ。リカルダ、少し肩を上げてみて。どの辺りまで上がる?」
そうだ、レーネの事など関係がない。今はとにかく仕事だ。リカルダの肩の様子を見ながらカルテを書き、湿布を出して帰って貰った。
リカルダが帰ってしまうと、しばらく患者はいないようで、デニスは椅子に腰掛けると、ため息が出た。
机の上にある医学書を開き、動機、緊張、イライラ、集中力の欠如について原因を探すが、どこにも納得いく答えがなく、ため息をつく。
患者の為に医学書を開いたわけでもない。最近、デニスはこんな症状が出ていた。
思い当たる事は縁談だった。両親が無理矢理持ってきた縁談だった。
相手はラウラ・バーデンという学校教師で、年齢も同じだった。
正直、縁談など全く興味がない。このまま医者という仕事に集中し、私生活も犠牲にしようと思っていた矢先だった。
とりあえず親の顔を立てるためにラウラと会ったが、驚いた。
ラウラは美人だった。確かに年齢は若くもないが、落ち着き、ラベンダーの花のように淑やか。学校の先生らしく、真面目そうな所も好ましかったが。
初対面の時は全く話は盛り上がらなかったが、数回会うにつれて、もっとラウラに会いたい、知りたいと思うようになってしまう。ふとした時もラウラの事を考えてしまい、時々ぼーっとしたり、集中力が無くなったりしてしまった。
医学書には、生活のストレスや忙しい事が原因。よく寝てリフレッシュすれば治るだろうと書いてあったが、いまいちピンとこない。実際、早寝早起きもして、野菜も多めに取ってもたが、ほとんど変化はない。むしろ、ラウラの事を考えると、頬が火照り、ずっと考えてしまう。
本当は一刻も早く結婚したかったが、ラウラにも迷いがあるらしい。仕事を辞めるかどうかでも悩んでいるようで、無理強いはできない。それにライラからもはっきりと縁談を受ける旨の返事も聞いていない。今のところグレーゾーン。一応前向きにデートはしていたが、いつでも婚約破棄されてもおかしくない状況だった。その状況がよりデニスにストレスを与えているのかもしれないが。
デニスは再び医学書をめくる。この国の庶民の年収の半分ぐらいの値段がする本だ。王都で医学生をしている時に買ったものだったが、医者のバイブルとも呼ばれていて、今でも大切に使っていた。
何度も医学書を見ながら今の不調の原因を探すが書いていない。
「はぁ。わからない。ラウラの事が気になって仕方ないんだよな」
そう呟くデニスの頬はオレンジ色に染まっていた。そこには誰から好かれるお医者様という雰囲気はまるで無い。子供のようだ。
医者になる為に厳しい試験を潜り抜け、ようやく村で開業できた。自分でも村人の為に頑張っていると思うが、わからない。
いくら医学書を開いても、今の不調の原因も治す方法も分からない。
「あぁ、ラウラ……」
診察室にデニスの腑抜けた声が響いていた。




