心の傷とカレンデュラ軟膏(4)
森の中は土や葉の匂いが鼻につき、頭上からも不快なカラスの鳴き声が響く。
空が綺麗に晴れている以外は、森の中は決して良い環境ではなかった。この森では熊に襲われて死んだ者もいた。その事を思い出すとザンドラの表情も強張る。
一応木に目印をつけて歩いていたし、足跡もある。おそらくコーロのものだろう。これを辿っていけばコーロの家に着くだろうが、一人で森を歩いていたら、再び身体の不調を感じた。
森に入る前は気が昂っていた。どうでも良いと思っていたが、果たして罪のないコーロに加害するのは正しい事なのか分からなくなってきた。
ザンドラ自身も偽聖女と同じになってしまうのか。そんな思いも襲ってきた。村人にいくら悪い噂を立てられても、善悪の区別はつけるべきではないか?
誰もいない森を歩いていると、どうしても自分の心を見つめざるおえなくなった。こうして無関係なコーロに加害を加えるのは、どう考えてもも悪だろう。
そんな事を考えつつ、コーロの家のすぐ目の前までついた。本当に魔女の家と勘違いしそうになるほど、怪しげな小屋だった。木々に囲まれているし、蔦も絡まり、庭もさほど整理されていないようだ。枯葉や雑草の汚れが目立つ。
家の方から声がし、ザンドラは慌てて木陰に身を隠した。
「コーロ、野菜たっぷりのスープを作ったよ。食べてみ?」
声の主はすぐにわかった。以前、家に来てくれた修道士・ユリウスだ。そういえば修道院がコーロの面倒を見ているとは聞いていたが。
家の煙突から煙がたっているのにも気づく。スープのいい匂いもし、ザンドラは自分がお腹が空いている事にも気づいた。こんなおかしな発想をしてしまったのも、単純にお腹が空いていたせいかもしれない。急に野菜たっぷりのスープを食べたくなってきた。
「おぉ、ユリウス。ありがとう。ありがたや。家の掃除もしてくれてスープも作ってくれるなんて。こんな何にもない老婆に優しくしてくれるのは、ユリウスやレーネ達だけよ」
コーロの声も聞こえた。しわがれた声だったが、聞いているとザンドラの罪悪感も刺激されてしまう。
「ああ、本当にありがたい。神よ、こんな私を見捨てずに救ってくれ、感謝します。私はなんて幸せものだろう。こんなスープが飲める。住む家もある。こうして生きてる。ありがたや、ありがたや」
「コーロ、大袈裟だって。さ、さっさとスープを飲んじまおうぜ。冷めるから!」
コーロとユリウスの賑やかな会話を聞きながら、ザンドラは下を向く。下を向く事しかできなかった。
こんな人の良さそうな老婆に加害しようとしていた。一杯のスープでも喜ぶコーロにしようとした事を考えると、恥ずかしい。体調不良以外の理由でお顔が赤くなってしまう。コーロにしようとした事は完全な八つ当たり。ずっとザンドラは被害者だと思っていたが、全く違ったようだ。
とにかくコーロに加害などできない。ザンドラは顔を上げ、一目散に森から逃げた。
「自分がされて嫌な事は他人にしてはダメだよね……」
森から出ると一気に肩から力が抜けた。一時の気の迷いだったとはいえ、悪い事を考えていた自分が恥ずかしい。顔はずっと熱いままだが、家に帰ったらセージティーでも飲もうか。
「あれ、足に怪我してる……」
森から家までの道のり、足首に引っ掻き傷がついているのに気づいた。確か森にいた時、一度転び、それでついた傷だろう。
あの時は混乱していた為、転んだ後もあまり気にせず足を進めてしまったが。
血は止まっていたが、傷跡を見ていたら、ジクジク痛い。痛みに気づかないようにしていただけだったみたい。
心の傷もそうだったのかも。
農民からの悪い噂についても。詐欺の被害も。過去の色々の傷も見ないようにして放置していたのかもしれない。
心の傷は誰かに加害したところで治るわけない。ちゃんと治療し、傷が治るまで待つ必要がある。
「それなのに、コーロを傷つけようとしていたなんて、馬鹿だな。私」
自分が愚かで笑えてくるが、原因がわかったかも。この体調不良もそんな心が原因かと思うと、すっと腑に落ちる。
「でも、心の傷ってどう治すんだろう……」
長い間生きているのに、その答えは全く知らない。
それでも、今は家に帰ろう。この足首についた傷は早めに治療しなければ。消毒し、テープを貼って保護する必要がある。
「さあ、早く帰りましょう」
ザンドラはそう呟くと、早歩きで家に向かっていた。




