ディルの子守唄(4)
これで赤ちゃんが産まれる!
パウラはそう思うと足取りも軽く、すぐに家に帰ってリリアンが要求しているものを届けようと思った。リリアンは早ければ早い方いいと言っていた。自然とパウラの足の進みも早くなる。
リリアンと別れた後、パウラは家に向かって歩いていた。村の西の外れにある湖から中央へ。そこから農地に入るとパウラの家がある。
もう雨もあがり、道端も乾き始めていた。水たまりは鏡のように空を反射し、風も湿気が抜けていく。
「早く行かなきゃ。リリアンに約束のものを届けなきゃ」
パウラは独り言を呟くと、さらに足を素早く動かしていたが。
ちょうど村の中心部、広場の前に通りかかった時だった。偶然、姉に会った。
姉もこの村の羊飼いの元へ嫁ぎ、子供が産まれていた。ちょうど半年前に生まれた。元気な男の子で夜も眠らず、姉達を困らせていると聞いていたが、今日は乳母車の上ですやすやと眠っている。
「ちょっと、パウラ。慌ててどうした?」
姉も出産の後遺症で前髪が禿げ、首周りも太っていた。独身時代は美女だと有名だった姉だが、その面影は薄い。
「いや、急いでないけど」
「なんか怪しいわね。もしかして何か隠してるでしょ。あんた、嘘つく時下向く癖があるし」
ドキッとした。確かに今、下を見ていた。広場の舗装された地面は雨の跡はほとんど消えている。
この姉には誤魔化せないと思い、パウラは事情を手短いに話す。冷静に考えれば時に悪い事などしていない。正直に話しても悪くないはずだが。
姉は顔を顰めていた。気の毒そうに。
「聖女リリアンはろくな噂聞かないわよ。うちのお隣の奥さんも騙されたって。今、奥さんの家に聖騎士団や修道院の人は事情を聞きにきてる」
「は? どういう事?」
「簡単に言えば聖女リリアンは詐欺師。偽聖女」
「え……」
姉によると、リリアンはマジシャンをしていた過去もあり、奇跡っぽい演出も出来るらしい。国のあちこちで詐欺を働き、聖騎士団で指名手配されているらしい。
「そ、そんな。嘘……」
目の前が真っ暗になった。リリアンが偽聖女という事よりも、奇跡で赤ちゃんが産まれないという現実に。
「リリアンのところにお米やお金を持っていくのは辞めた方がいい。むしろ聖騎士団や修道院に事情を話しに行った方がいいんじゃない?」
「そんな……」
この時代、修道院は裁判所や犯罪者を捕まえ牢屋に入れる役目もあった。騎士団は主に都で治安維持活動もしていたが、田舎では修道院もその仕事をしていたが。
「そんな……」
やはり、リリアンに騙された事よりも赤ちゃんが産まれる可能性が閉ざされそう。その事が辛い。また心に苦い水が溜まり、溢れそうだ。
「大丈夫?」
姉には背中をさすられたが、何の慰めにならない。目の前は真っ暗。雨上がりの空は光が差しこんでいるのに、パウラは何一つ希望が感じられない。
「修道院ではレーネっていうシスターに話してみるといいんじゃない?」
「レーネ?」
あのシスターには先程会った。ださい眼鏡をかけたヲタクっぽい変な口調のシスター。
「実はこの子について相談した事あるの。子供が眠れないから、何か良い方法ないかって。そしたらディルっていうハーブを勧められて、この子も眠ってくれるようのなったし、母乳の出も良くなった。本当にあのシスターには感謝よ」
姉はレーネについてキラキラした目で語っていた。こんな誰かを褒める姉は珍しく、パウラは言葉を失う。
「ディルは本当いいわ。すごくリラックスできるし。あ、この子ったらまた」
乳母車にいた赤ちゃんが泣きはじめ、姉はせっせとあやしていた。
「良い子よ、良い子〜」
子守唄を歌いながら赤ちゃんをあやす姉。先ほどのキラキラした目と打って変わり、母親の目になっていた。おそらく今の生活全般がこんな感じなのだろう。自分の時間なんて一秒もないのかもしれない。
「良い子、良い子〜。すやすやお休み〜」
姉の子守唄を聴きながら、赤ちゃんも泣き止んできた。
この姉の姿を見ながら、本当に赤ちゃんが欲しいのかよく分からなくなってきた。姉の禿げかかった前髪やたるんだ首回りも、現実を見せつけられているよう。
単に義母や親戚から逃げたいだけじゃない? 自分が安心したいだけじゃない? 女として認められたいだけじゃない?
苦い水で溢れていた心だったが、姉を見ていたら、本心からの声が聞こえてきた。
本当に本当に赤ちゃんが欲しい?
ついつい自分に問いかけてしまう。確かに姉の腕の中にいる赤ちゃんは可愛らしいが……。
答えはわからない。それでもはっきり分かる事がある。
聖女リリアンは偽物。この件については修道院に話に行く必要がある。
姉と別れたパウラはまっすぐに修道院に向かっていた。




