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美食家のフェンネルティー(1)

 伯爵夫人シャルロッテ・ベルツは美食家だった。家では専任コックやパテシェも雇い、王都では高級レストランに通い、連日美食三昧だった。


 それを許す経済力や立場だ。シャルロッテは三十五歳にしてこの国の美食を全て味わっていた。先日食べたステーキは舌が蕩けるほどの味わいで、それを思い出すだけでシャルロッテの頬が緩む。今は全く違うが。


「うぅ、コリンナ。ドレスが全く入らない。キツい。どうしましょう?」


 伯爵家の衣装部屋で情け無い声が響く。近く親類の公爵夫人の誕生日パーティーがあり、その為の衣装合わせをしていたが、ドレスが全く合わない。メイドにも手伝って貰ってなんとか太ももまでは入ったが、それ以上はきつかった。まるでハム。ハムだったら美味しいが、今は全く笑えない。


 シャルロッテには子供がいない。不妊だった。そのため、孤児院の子を支援などの慈善活動をしていた。おかげで「聖母シャルロッテ」なんて噂もたっていたが、今の表情は酷いもの。顔を真っ赤にし、汗も垂らしていたが、ドレスはちっとも言う事を聞いてくれなかった。


「どうしましょう、こんなレースたっぷりで可愛いドレスなのに」

「もう諦めましょう、奥様。新しく仕立て屋を呼び、ドレスを作るしかないわ」


 メイドのコリンナはクールで現実的。見た目は金髪、碧眼、年齢も若く、小柄で可愛らしいが、中身はそうでもなかった。その分、仕事は有能で伯爵家でもなくてはならない存在だ。


「それに奥様。食べ過ぎですね。ドレスが着れなくなったのも、美食三昧の結果です」

「つまり自分が悪いと?」

「ええ。当然の結果です」


 コリンナの毒舌に挫けそうになるが、今のシャルロッテは二の腕がぷよぷよしているし、お尻もぱつんぱつん、頬も丸パンのようで、肌も脂でてかっていた。


「どうすれば良い?」

「食べる量を減らすべきでしょう」


 そんな事はわかっていた。しかし朝に専属コックに作らせたソーセージやステーキなどが浮かぶ。クリームたっぷりのケーキも捨てがたい。これをぜんぶ辞めるのは……。


 シャルロッテの中で葛藤はあったが、着れなくなったドレスを見ていたら決意した。


「わかったわ。食べる量を減らして痩せる事にする」

「ええ、奥様。頑張ってください」


 コリンナは全く表情も変えずクールに言い放った。


 そしてシャルロッテの減量生活が始まった。朝はスープ、昼はパンと生野菜という食生活を続ける事に決めた。


 知り合いの男爵夫人によると、一日三食は食べ過ぎで健康に悪いという。という事で一日二食にし、少食生活を頑張ってみると決める。


 最初の一週間は意外と順調だった。やってみたら大した事もなく「大丈夫!」と自信すら持つほどだったが、貴族同士のしきたり&しがらみに揉まれたり、慈善活動を行なっているうちにストレスも溜まってきた。


 それに知り合いの伯爵家のパーティーにも行き事になり、高級ソーセージやバターケーキを食べてしまった。


「まあ、一回ぐらいならいいでしょう?」


 実際、体重計に乗ってもさほど数字は変わらなかったが。


「うぅ、お腹減った……」


 夜中にとてもお腹がすき、目が覚める事があった。


 夫は仕事で隣国にいていない。伯爵家の広いベッドルームにいると、寂しさが押し寄せる。まるでな大波のような寂しさであっという間に飲み込まれそう。


 そんな時、頭に浮かぶのは肉汁たっぷりのステーキ。黄色い卵のオムレツ。バターたっぷりぬったパン。クリームが溢れるケーキ。砂糖たっぷり入れたお茶。


 今はシンプルなクッキーだけでもご馳走に思えてしまうぐらいだ。


 お腹はグーグーと情け無い音をたてる。ドレスは新しく仕立て屋を呼び、問題はない。しかも流行のデザインのドレスを作って貰う予定だ。今は減量の目的も思い出せない。とにかく何か口に入れたくて仕方ない。


「いやいや、コリンナにも減量するって宣言したじゃないの……。ドレスの問題じゃないわ。メイドのコリンナにこの態度は良くないわよね……」


 そうは言っても腹がなる。頭の中は食べ物だらけ。いくら口では正しい事を呟いても、シャルロッテの中で何かが途切れてしまった。


「ああ、もう食べたい! 私は美味しいものが大好きなのよ!」


 そう叫んだ後のシャルロッテの行動は早かった。手燭を持ち、その灯りを頼りに伯爵家のキッチンへ走る。ネグリジェ姿、寝癖つきのシャルロッテは無様だったが、今はとにかく何かが食べたい!


 キッチンにつくと、食糧棚を漁る。確かここには専属パテシェが作ったクッキーが入っているはず……。


 クッキーは伯爵夫人であるシャルロッテは安易に口にしていたものだが、この時代はオーブン自体が高級品だ。オーブンは貴族の家か修道院にしかないもの。クッキーも庶民にとっては高価だったが、シャルロッテは貪るようにそれを食べていた。


 静かな夜にクッキーの咀嚼音が響く。ガリガリ、バリバリ、ザクザク。シャルロッテの口の周りはカスだらけになっていたが、それも気にせず貪っていた。


「永遠にクッキー食べていられるわぁ。あま〜い!」


 ニコニコと笑いながら食べていたが、不思議と美味しいとは感じない。ただただ腹を満たすだけの食事。食事というよりは燃料補給という言葉の方がピッタリだったが、ザクザクとクッキーを噛み砕いていた。


 五分ほどクッキーを噛み続け、箱の中はすっかり空だ。伯爵夫人としてははしたない行為だ。ネグリジェ姿でクッキーを貪り食べたとは世間には決して言えない。それでも止められなかった。


「奥様!」


 ちょうどそんな事を思っていた時だった。キッチンにコリンナが入ってきた。彼女もネグリジェ姿で右手には手燭。シャルロッテの姿を確認すると、明らかに引いていた。床やネグリジェにもクッキーのカスが散らばり、誰がどう見ても貪っていた事が明白だった。


「奥様、何してたんです? クッキーを夜中に食べてたんです?」

「え、ええ」


 シャルロッテはイタズラがバレた子供のようにしゅんとしていた。


「だってどうしても我慢できなかったの。お腹空いた。頭には食べ物の事ばかり浮かんでしまって、止められなかったのよぉ」


 言いながらシャルロッテは泣き崩れてしまった。本当に情け無い。美食三昧した挙句、減量にも失敗し、クッキーを貪り食べてしまうなんて。


 もういい歳した大人なのに。やはり子供がいないから精神が成長しなかったのか。関係ない事も結びつけ、さらにメンタルは悪化した。座っている床も冷たく、余計に涙が溢れてしまう。


「だったら奥様。こうしましょう」

「え?」


 意外な事にコリンナもしゃがみ、シャルロッテに視線を合わせると、何か提案してきた。


 マンナ村という田舎の修道院に珍しい聖女がいるらしい。聖女は薬草や健康を研究しつづけ、医者が解明できない問題も治せるという噂があるらしい。


 確かにこの時代は修道院が病院代わりの事もしていたと聞く。知り合いの公爵夫人は修道院にも多額の寄付をし、菓子作りや施療院の支援をしていると聞いていたが。


「過食の原因も分かるかもしれません。それとも医者に行きます?」


 シャルロッテは首を振った。シャルロッテは不妊について医者に世話になった事もあったが、無神経な事を言われ、今だに引きずっていた。だったら、その聖女とやらに聞いてみるのがいい?


「その聖女、断食道場もやってるみたい。なんでも参加者は全員健康になって帰るらしい」

「本当?」

「まあ、噂ですけどね」


 藁をもつかむ思いだ。シャルロッテはこの断食道場にも参加し、しばらく伯爵家を離れる事に決めた。


 確かに噂だ。その聖女がどんな人物かもよく知らない。それでも今はこれもに賭けてみるのも楽しそう?

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