幸せのスパイスクッキー(5)
ソフィーアはレーネが持ってきた幸せのクッキーとフェンネルティーを味わっていた。
幸せのクッキーは星型で、色は明るい土色だ。スペルト小麦で主な原料でナツメグ、シナモン、グローブなどのスパイスが調合されているらしい。
スパイシーな味わい。ゆっくりと咀嚼していくと、五感が研ぎ澄まされていく感覚もした。
「美味しい」
思わず呟く。
確かに婚約破棄された。合わない修道院生活では辛い事も多い。
それでも、このクッキーは不味くはない。幸せ。そうかもしれない。
ずっとその基準を高く上げ、定義も勝手に決めつけていたが、本当はもっと単純だったのかもしれない。
究極、生きているだけでそれで良い。人が羨むようなものを一つも持てなくても。ふと、アーダの顔も思い出しながらそう思ってしまった。
「そうだな。クッキー食べられるだけで、案外幸せかもなぁ」
レーネも目を細めてクッキーを食べていた。
「ちなみにシナモンは冷えにいい。ナツメグは消化、身体の痛みの鎮痛作用もあるぞ。グローブも似たような効能があるが、歯痛にも効く」
早口でハーブやスパイスの効能を語るレーネは水を得た魚のよう。というか単なるヲタクでソフィーアは若干引いてしまうが、少し笑う事もできた。
「ちなみにちなみにグローブはあの害虫駆除にも有効なのだ」
「え、あの害虫って?」
「決まってるだろう。Gのつくやつだ」
「ヒッ!」
「粉末状にしたグローブを袋に詰めて、虫がいそうな所に置いておくんだよ。今度菓子工房や修道院の中でもやってみ? ソフィーアは一躍人気者になれる」
「そうですかねー?」
ソフィーアは疑っていたが、実際にレーネにその作り方を教えて貰い、施療院を出てから作ってみた。
グローブの濃厚で強い香りは、確かに虫が嫌いそうではあったが。余計に作り過ぎたので、菓子工房にもおいた。
確か小麦粉を保管している倉庫や調理台の床下は害虫が出やすいとテクラが文句言っていたのを思い出す。
「ま、こんなんで虫が消えるとも思わないけどな……」
ソフィーアはさして期待せず、このグローブのパックを置いておいた。
テクラには相変わらず文句を言われた。施療院でしばらく休養していた事も嫌味を言われていたが、数日後。本当に虫がいなくなり、仲間のシスターから感謝される程だった。
「いえいえ、これは聖女のレーネのアイデアだよ」
そうは言っても、ソフィーアのおかげだと喜ばれてしまった。心なしかテクラから嫌味を言われる事も減ったような……。
わからないが、グローブに虫除け効果があった事は確からしい。
それに。
幸せの基準も定義もゆるく。あの時、気づいた事も思い出す。こうして仲間の役にちょっと立った事でも「幸せ」と考えて良いのかもしれない。
そう思うと、ソフィーアの周りに「幸せ」はいっぱいある事に気づく。
水が綺麗な場所でとれたクレソンが美味しい。羊が無事に赤ちゃんを出産した。クッキーを綺麗に包めた。修道院で新しく開発される為、味見したケーキやプリンが美味しい。空が晴れている。洗濯物がよく乾いた。
そんな事でも嬉しくなってきた。
神学の本では悪霊は戻る事もあると書いてあったが、その兆候はソフィーアには全くなかった。あの重い雲のような無気力感はもうなくなった。
「いつも喜んでいようか。やっぱりこの聖書の言葉はいいね……」
苦手だった神学も少しずつ勉強できてきた。これも「幸せ」の一つだったのかもしれない。
施療院のアーダは、リーネによると、少し回復してきたらしい。厳しい状況下は続くと言うが、毎日幸せのクッキーは食べられているという。
それが何よりだ。
「アーダ、お見舞いに来ましたよ。一緒に幸せのクッキー食べましょう」
最近、ソフィーアは施療院での仕事も始めた。レーネの雑用係という感じではあったが、菓子工房での仕事よりずっと向いていた。特に患者達と話し、悩み事を聞くのもやりがいを感じた。
「おお、ソフィーアか。このクッキーは本当に美味しいな」
「ええ。私もそう思います」
ソフィーアはアーダに向かって微笑み、クッキーを咀嚼していた。




