表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

その後

1. 二分の一成人式




 夫の死から約一年半が経ち、二度目のクリスマスや正月を迎えようとしていた。

 義父がクリスマスのお小遣いを息子に渡すために家にやってきた。そして、玄関先で息子に言った。


「〇〇ちゃん(義兄夫婦の息子)が正月に家に来るかも知れないから、おまえも来るか?」


「えっ⁉︎ 〇〇ちゃんが来るなら、僕も行く!」と息子は答えた。


 私は少し離れたところでその会話を聞き、複雑な気持ちになった。

 義父の気持ちは痛いほど分かる。どれほど孫に会いたいと思っていることか。

 それに、義弟家族が正月に来ても、その子供は息子が居なければ遊び相手がおらず、寂しく時間を持て余すことになるだろう。

 だが、私は夫の両親とはあまりお付き合いをしない方が良いと思っていた。

 あんな事があったのに、何も無かったかのようにお付き合いをしていくことなど、到底出来ないと思っていた。

 それに、内心どうあれ、夫の両親が何事も無かったように接してきただけで、私は憤りを感じるに違いないと思ったのだ。


 その後しばらくは、義父から連絡が無かった。

 義弟夫婦に二人目の子供が生まれたばかりだったし、彼らが正月に夫の両親を訪れない可能性もあると思った。

 だが、大晦日になってから義父から連絡があった。


「今日、○○ちゃん(息子)はこっちに来るかね?」


 私は一瞬迷ったが、断ることは出来なかった。

 急いで泊まらせる支度をして、義父に迎えに来てもらった。息子は大喜びで出かけて行った。

 母に話すと、涙ぐんで喜んでいた。母はその頃になると、同じ祖父母という立場に立って、夫の両親に同情していた。


 それから数日後、町内に回ってきた回覧板を見ていたら、いきなりS子の写真が目に飛び込んできた。

 それは近くにある中学校の広報誌のようなもので、PTA役員の名前の中に、副会長としてS子の名前と笑顔の彼女の写真が載っていた。

 S子の娘がその中学校に通っているのは知っていたが、PTAの副会長をやっていたことは知らなかった。

 講演会の感想を書いたS子の寄稿文も載っていた。テーマは「ChangeチェンジChanceチャンスに!」だった。


 一気に気分が悪くなった。


—— 何が「チェンジをチャンスに!」だ! ふざけるな! お前にそんな事を言う資格があるとでも思ってるのか!


 反省してなりを潜めているのかと思えば、S子がPTAの副会長などやっているとは思いもしなかった。

 何か断れない事情があったのかも知れないが、本気で断ろうと思えばいくらでも言い訳なんて出来るはずだった。

 偉そうに寄稿文まで載せて、何を考えているのかと強い怒りを感じた。

 小学校のグループラインの事にしろ、その中学校の広報誌の事にしろ、私がそれを目にしてどんな気分になるのか想像すら出来ないのだろうかと思った。

 もう彼女にとって不倫は過去の事で、私の事など大して気にもしていないのかも知れないと強い憤りを感じた。

 とにかく、S子が普通に生活をしている様を感じることすら、耐えられない気持ちだった。


それからしばらくして、小学校の学習参観の日が近づいていた。私はもちろん、S子を意識して落ち着かない気分になっていた。

 半年前にも学習参観があったが、その時は一時間目から五時間目まで、いつ保護者が見にきても自由という形式だった。

 その学習参観の前日に私はS子にメールをした。


「明日の学習参観ですが、私は午前中だけ参観して、午後は居ません。どういう意味か分かりますよね? あなたを許したという意味ではありません。あくまで○○くん(S子の息子)の為です。この件に関して返信は不要です」


 私がわざわざこのようなメールを送ったのは、もちろんS子を許した訳ではなかった。

 私が譲っているようで癪に障る気持ちもあったが、参観中にいつS子に遭遇するか分からない状態だと落ち着かないし、S子の姿を目にしたらどんな気持ちになるか分からないという思いもあった。

 それに、S子の息子が丸一日、自分の母親がいつ来るかと、そわそわして待っているかも知れないと思うと、気の毒だった。


 S子からもちろん返信はなかったが、その当日、S子が午後から学校に来たことは、息子にさりげなく聞いて知っていた。

 だが、今回の学習参観はそういう訳にはいかなかった。決まった一時間しかなかったからだ。

 しかも四年生の学習参観は特別なものだった。

 私が子供の頃には無かったが、昨今は小学四年生になると、二十歳の半分の十歳になったということで『二分の一成人式』という特別なセレモニーをする。

 一年生からの歩みを振り返りながら、親子でスライドを見たり、発表をしたり、それぞれの親に手紙を読んで渡したりするのだ。


 S子は今回の学習参観はどうするのだろうと思った。

 母や姉は「S子は来れないんじゃない? 私がS子の立場だったら、とてもじゃないけど参加できないよね。若方丈さんが来るんじゃないかな。○○くんは可哀想だけどね。でも、S子それだけの事をしたんだからしょうがないよね」と言った。


 私は落ち着かない気持ちで、会場であるその小学校の体育館に足を踏み入れた。 すると、S子の姿がすぐ目に飛び込んできた。


—— えっ⁉︎


 S子はまさに、最前列の真ん中に大きなカメラの三脚を立てて座っていた。

 信じられなかった。あんなにも堂々と最前列の真ん中に座っているとは…… しかも、カメラの三脚のおかげでとても目立っていた。

 後ろを振り向かなければ、私が分からないとでも思っているのだろうか。


—— 私には分かるんだよ! お前が会場のどこに居てもすぐに分かるんだよ!


 私は興奮して、何が何だか分からなくなってきた。


—— 落ち着け、落ち着け! これ以上S子に振り回されちゃいけない! 私は息子を見に来たのだ。


 そう、自分に言い聞かせた。でも、駄目だった。次から次へと色々な事を思い出し、涙が溢れが出てきた。


—— 悔しい! なんでこんな思いをしなければいけないのか!


 スライドが流されたり、発表があったり、息子に手紙を渡されたりしたが、S子の姿がどうしても目に入り、ほとんど集中できなかった。涙を堪えるのに必死だった。


—— またS子に台無しにされた! なぜ平気でこんな事が出来るのか! これが本当の天然女というものなのか!


 セレモニーが終わり、子供達は教室に向かい、親達は席を立ち始めていたが、私はしばらく放心状態で席に座っていた。

 前の席に座っているS子が、こちら側を向いて帰る時、睨んでやるつもりだった。

 だが、S子もいつまでもグズグズと三脚を畳んだりして、なかなか帰ろうとしなかった。S子は振り向いて私と目が合うのを恐れていたのだろう。

 いつまでも二人で残っていたら周りに怪しまれると思い、先に帰るしか無かった。

 帰宅してすぐに、S子にメールをした。


「すぐにこのメールを見て返事をしなければ、私にも考えがあります。今日、あなたは体育館の最前列の真ん中で、堂々と二分の一成人式を見ていましたね。それがどういう事なのか分かりますか?」


「あなたは真っ先に体育館に来て、一番良い席を取り、ずっと前を向いていれば、私とは顔を合わさずに済むし、帰る時は最後まで残って体育館を出れば、私と顔を合わさずに済むのでしょう。では、私の方はどうなりますか? 息子の大事な二分の一成人式を、真ん中にいるあなたを視界に捉えながら見なければいけないんですよ! 二年以上も私を裏切り続けて、微笑んでいた女を! その状況で、私が平常心でいられるとでも思ってるんですか⁉︎」


「あなたには幼稚園からの息子の思い出を全て台無しにされました。そして、今回も見事に台無しにしてくれましたね。本当に、本当にあなたは、自分の気分が悪くならないようにする事しか考えていないのですね。信じられません! あなたと同じ空間に居たり、視界に入ったりする事は耐えられないと言いましたよね! あなたの存在を感じることも耐えられないと言いましたよね! どういうつもりですか⁉︎」


「母と姉に話したら、母は『こんなことが続くようなら、もう一度住職に会う』と言っていますが、どうされますか? お金は一旦お返しするので、もう一度話し合いをしますか? このような事が続くようなら、私はあなたに副園長の退任や引っ越しを要求します!」


「それとも、私が気にし過ぎで、おかしいのでしょうか? 私が頭がおかしいと思うのなら、そう言ってください。このまま既読にもならず、連絡も無ければ、ご主人にラインで連絡をします」


 私は半狂乱になり、返信があるまでメールを送り続けた。徹底的にS子をやり込めなければ気が済まなかった。


 それから数時間後に、やっと返信があった。


「今日は本当に本当に申し訳ありませんでした。今日の参観日に私は行かないつもりでしたが、夫が仕事の都合がつかず、私が行くことになりました。一年生を参観した後、一年生にも兄弟がいる他のお母さん方と一緒に体育館に来たら、まだ皆さんに来ていなくて、『前が空いてるから、前から座った方がいいよね』と誰かが言ったので、その流れで座ってしまいました。一番後ろに座るべきでした。本当に申し訳ありませんでした」


「今後、出来る限り、参観日などには行かないようにします。行かなければならない状況でも、N子さんの視界に入らないように気を付けます。本当に申し訳ありませんでした」


 そう言われても私は気が治らず、すぐに返事をした。


「毎回、毎回、よくも自分に都合の良い事を言えますね。仕事の都合がどうとか、他のお母さん方とどうとか…… 私の事が少しでも頭にあるなら、何がなんでもやらないようにするんじゃないですか? 住職や園長にも、もっとなんとかしてもらってください。お母さん達との付き合いなど諦めてください。まともな人間関係よりも、刺激や性欲をずっと選んでいたんじゃないんですか? バレたら私や子供達を一生傷つける事だと十分に分かっていて、それでも続けていたんですよね⁉︎」


「今さら、母親らしく子供のイベントに参加できるとは思わないでください。あなたの子供達は可愛そうですが、あなたは自分の子供達を犠牲にしたのです。そうなる事もちょっと考えれば分かっていたはずです。もう取り返しのつかないことをしたのです!」


「これが夫とあなたがした事の結果です! そして、夫はバチが当たって死にました。死んで当然です。あなたは生きていますが、欲を出さずに色々なことをもっと諦めるべきです!」


「あなたはこの前の作品展の時も前の方の真ん中に居ましたよね? 緑色のマウンテンパーカーを着て、フードを被って顔を隠してましたけど、あなただということは私には分かるんです。たぶん、会場のどこにいても分かるんです! 私を甘く見ないでください! フードを被っているあなたの姿を見て、夫に買ってもらった黒いスウェットパーカーを着ているあなたを思い出しましたよ!」


「学校のイベントがある度に、あなたが来ようが来まいが、あなたがこの空間にいるような気配を感じて、これまでの出来事を次々に思い出して、絶望的な気分になるんです。そんな気持ち分かりませんか⁉︎ あなたにとってはもう過去の出来事ですか? それとも、私がおかしいですか? あなたにここまでコケにされて、これ以上我慢出来ません!」


 S子から返事が来た。


「自分でも取り返しのつかないことをしてしまったことを、本当に後悔しています。何でそんなことをしてしまったのか、時間が戻せるならと毎日思います。私が死ねば良かったと思います。

本当に申し訳ありません」


 私はまだS子にメールを送り続けた。


「どうしても納得いきません。『時間が戻せるなら』ですか? 時間が戻ったって人は変わりませんよ。あなたは自分の欲望を優先して、また同じ事をするでしょう。『何でそんなことをしてしまったのか』ですか? あなたがそういう人間だからですよ! たまたま魔が差したんじゃない。二年以上もの間、確信を持って繰り返していたんです。 たまたまやったような事を言わないで下さい! あなたはそういう人間なんです。だから私が来るに決まっている体育館で最前列の真ん中に座れるんです!」


「『私が死ねば良かった』? そういう事を言えば良いと思ってるんですか⁉︎ 不倫相手の妻にいじめられている悲劇のヒロインですか? こっちが死にたいよ! あなたにこんな事まで言わなきゃならない、夫やあなたを恨み続けなきゃならない苦しみが、あなたに分かりますか⁉︎ 『時間が戻せるなら』と思うんじゃない! これから、どうしたらこれ以上人を傷つけないようにできるのか、もっと真剣に考えて下さい。息子が私の様子に気付いて何か影響が出たら、どう責任を取ってくれるんですか⁉︎」


「今、思い返すと、夫と関係を持っている間、あなたはとっても元気そうで、楽しそうでしたよ。卒園式、入学式、運動会、それから作品展もいつも一緒に過ごして…… 毎朝、夫と待ち合わせて、子供達を学校に送ったりして、『K男さん。K男さん』と、とっても楽しそうでしたよ。私に遠慮する様子や、悩んでいる様子は全く感じられず、いつもはしゃいでましたよ。それがあなたの姿です!」


 S子から返事が来た。


「N子さんを苦しめ続けていること、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。私が生きていることが典子さんを苦しめていると思うと死んだ方がいいと思っています。授業参観での行動も配慮に欠けていました。本当に申し訳ありませんでした。今後、これ以上N子さんを不快にさせないよう、出来る限り学校へは行かないようにします」


 私はさらに返事をした。


「分かってないんですね! あなたが生きていることが私を苦しめているんじゃない! 夫とあなたがした事が私を苦しめているんです! それは、あなたが学校に来なくなろうが、あなたが死のうが変わりません。でも、あなただけ楽になりたければ死ねばいいんじゃないですか⁉︎ あなたを責めた私に一生の罪悪感を植え付けて、あなたの家族をどん底に突き落とせば良いんじゃないですか⁉︎ もう返信しなくていいです」


 S子に対する激しいメールを送ったのは、本当にこれで最後だった。




2. 前妻と娘




 夢の中を生きているような気がしていた。

 それはおそらく、夫が死んでも変わらない生活をしていたからだろう。

 夫が死んでも、同じ家に住み、同じ仕事をし、息子も同じ小学校に通って、私も息子も以前と全く変わらない生活をしていた。

 本当に夫だけがポツンと消えてしまったような生活なのだ。

 息子にとって、急に生活環境を変えられるのは酷な事だったろう。だから、あまり変わらない生活を続けられるというはとても有難い事だった。


 だが、私は複雑な気持ちだった。

 時々、リビングルームの片隅で夫がパソコンの前に座って何か作業をしているような気がした。

 生前、同じ市内で私も夫も仕事をしていたせいで、日中に車ですれ違うことがよくあった。

 運転中に夫と同じ車とすれ違い、ぱっと見て夫と似たような雰囲気の人だったりすると、心臓がドキッとした。


 ある時は、私が生きている世界の他に、夫が生きていて、家族三人で生活しているパラレルワールドのようなものが存在しているような気がした。

 またある時は、私が元々未婚の母で、初めからこの家に息子と二人で暮らしていて、夫と三人で過ごした日々がこそが幻や妄想だったような気がした。




 夫が亡くなってから二年近くが経とうとしていたゴールデンウィーク直前のある日、夫の前妻のIさんからメールが来た。


「お久しぶりです。N子さん、お元気ですか? 娘がこの春から大学に進学する事になりました。今までは学校が嫌いで朝はなかなか起きてこなかった娘が、早起きして、好きな服を着て、楽しく大学に通っているようです。諦めていた大学進学をする事が出来て、本当に感謝しています。ありがとうございました。私も仕事、まだまだ頑張らないとです。それでは、N子さんもお身体に気をつけて、お仕事と子育て頑張って下さいね」


 久しぶりに嬉しいニュースだった。私はすぐに返信をした。


「Iさん、お久しぶりです。お元気ですか? ご連絡ありがとうございます。○○ちゃん(Iさんの娘)の進学のことは気になっていましたが、こちらからご連絡して良いものか迷っていました。大学入学おめでとうございます! 楽しそうに通っていらっしゃるようですね。本当に良かったです。○○ちゃんのこれからのご活躍、陰ながら応援しております。お店のほうはコロナウイルスの影響で大変ですが、私も息子もとても元気にしております。また何かありましたら、ぜひご連絡下さいね。Iさんもお元気で」


 母と姉に話すと二人とも喜んでくれた。

 そして、大学入学のお祝い代わりに、ゴールデンウィークにお店で二人に食事をご馳走する事にした。


 久しぶりに会ったIさん達は別人のように見えた。

 初めて顔を合わせた時、Iさんは事務員のような制服を着て、娘は高校の制服を着ており、二人とも険しい表情をしていた。

 だが、その時の二人は素敵な服を着て、化粧をしていて、表情も穏やかで、とても綺麗で輝いているように見えた。

 人というものは、服装や表情や状況で、こんなにも印象が変わるものかと驚かされた。

 息子にはまだ事情を話してはいないが、「ママのお友達が来てるから挨拶しようね」と言って、息子を二人に会わせることもできた。二人は息子が私にも夫にもよく似ていると言った。


 ちょうど夫が亡くなった頃、Iさんは古民家を購入して移り住み、その家にDIYで色々と手を加えるのを楽しんでいるそうで、「お店の内装がとても参考になる」と言ってくれたので、私はお店の隅々までIさん達を案内をした。

 Iさん達とそんな風に過ごす事が出来て、夢のような時間だった。


 久しぶりに、『世の中捨てたもんじゃない』と思わせてくれた出来事だった。

 人間というものは複雑で、色々な面を持ち合わせているという事を改めて実感させられた。

 辛い事が色々あったが、同時に色々と学ばせてもらっているのかも知れない。


 初めてIさんに会った時、「お金を下ろしませんでしたか⁉︎」と言って、私を睨みつけたのもIさんなら、店に来てくれて、自宅の古民家のDIYについて楽しそうに語ってくれたのも本当のIさんだ。

 義父や義母に対しても思う。長男を亡くした上に、不倫の事で色々と責められて、あんな風に言わざるを得ない精神状態だったのだろう。

 私だってそうだ。息子の寝顔を見て、そばに居てくれる事に無上の喜びを感じたり、庭に紫陽花が咲いたら、嬉しくて眺めたりするのも私なら、A子に慰謝料を求めて訴えたり、S子に辛辣なメールを繰り返し送ったりするのも私なのだ。

 フリーマーケットで面白い物を見つけて買ってきては喜んで見せてくれたり、私や息子を喜ばせるために他愛もないイタズラをするのも夫なら、夜中にママ友たちと関係を持っていたのも夫なのだ。

 A子やS子にしてもそうだ。ママ友として共に楽しい時間を過ごしたのも彼女達なら、一方で私の夫と関係を持って平気な顔をしていた。



 それから数週間後、小学校の運動会が近づいて来た。

 私は少し悩んだ末、運動会の二日前にS子にメールをした。


「明後日の運動会には来て下さい。この前は私の言いたかったモヤモヤした気持ちを全部、あなたにぶつける事ができたと思います。だからもう、あなたを見かけても何も言いません。いつか、あなたを許せる日が来るのかどうかは分かりません。でも、学校の行事に母親を行かせない自分が嫌ですし、何よりも、同じ母親として、そして、あなたの子供達を昔から見ている人間として、子供達が悲しそうにしているのを見たくないからです。だから、もし来られるようだったら運動会に来て下さい。返信はしなくていいです」 しばらくして既読にはなったが、S子からの返信はもちろん無かった。


 その運動会当日は、皆が帽子を被り、コロナ禍でマスクをしていて、誰が誰だかよく分からず、S子が校庭に居たのかどうかも、結局分からなかった。

 私はやはり、S子に運動会に来てほしいというメールをして良かったと思った。

 それは、人として息子に恥じない生き方をしたかったからだ。


 私はとんでもない間抜けだった。夫とS子と、そしてA子にも、まんまとしてやられたのだ。

 だが、彼等のようになるよりはマシだと思うことにした。

 彼等のように、ずるくて、平気で人を欺いて、そして、寂しい人間にだけはなりたくないと思った。

 私は人として恥じない生き方をして、どこかで見ているかも知れない夫や彼女達に知らしめてやるのだ。

『私はあなた達とは違う。私はあなた達より一段上のステージに上がったのだ』と……


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ