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第6話 神種勇者譚

 それから十数分後。


「ちょっと、ちょっと待って……!」

「きっと勇者もそう言っただろうさ。手には短剣、頭には鳥の巣。木の枝でずたぼろになった服は麻ひも同然、何も隠しちゃくれてねえ。『さすがは勇者。生まれたままの姿で土と緑を浴び、精霊への敬意を示すとは』『違う、ただ森で迷って転んだだけなんだ』『ああ勇者さま、何たる覚悟! 闇に眩んだ水龍の目も、見開かれるに違いない!』『さあ、いってらっしゃい!』『お願いだ話を聞いてくれ、そして僕に服をくれ!』」

「ちょっと……!」


 歯を食いしばって肩を震わせていたネノは、ついにヒィヒィと声を漏らして笑い始めた。今にも膝を折ってしゃがみ込みそうな有様だった。激しく揺れる松明から、大量の火の粉が舞い散って辺りを照らし出す。


 トヴァンが語っていたのは、百年前の【神種の勇者】がエテリシアを悩ませる龍に立ち向かう物語だった。

 神樹の力が弱まりつつあった五国では、それまで国を守っていた精霊たちが闇に染まり、人々を脅かすようになっていた。苦しむ人々を見て胸を痛めた勇者は深い闇を和らげる神種を携え、正気を失った精霊たちを解放する旅に出たのだという。

 もっともその旅路はお世辞にも颯爽としたものではなく、面白おかしい波乱に満ちたものだったようだが。


「エテリシアの水を守る精霊王、その名は水龍レヴィアタン。闇に心を染められた彼女は、愛すべき民の顔を忘れた。優しい瞳は何も映さず、全てを憎んで大水を起こした。民もいつしか龍に怯え、平和だった頃の思い出を忘れた」


「そんな龍にも一人だけ、想ってくれる人がいた。龍の血をその身に受け継いだ、精霊の森で暮らす水の姫だ。姫は気立ても良くて美しく、鈴を転がす声の持ち主だった。しかし龍の苦境を知った姫は、思い悩んで笑うのをやめた。そんな彼女は勇者が来た日、十年ぶりに大笑いした。なにしろ勇者は真っ裸だ。『そんな格好で何しに行くの? 鳥の巣まで頭に乗せて!』」


「どこまでも澄み切った姫の声は、荒んだ龍の心にも届いた。しばらくぶりに開いた目で、龍は勇者を目の当たりにした。そして思いっきり叫んだ。『そんな格好で何をしに来た? 鳥の巣まで頭に乗せて⁈』」


 ネノはすっかりツボに入ってしまい、声を上げて笑い始めた。息を切らしながら切れ切れに、「そんなことある……?」と呟いている。


「勇者にとっちゃ不本意だったが、とにかく龍の眼は開いた。そうとなったらこっちのもんさ。闇を拭い去る神種の灯が、しかと彼女の瞳を捉えた。水龍の鱗は美しく輝き始め、引き剥がされた闇は怒って暴れたか――どうだったか。ま、どうせそんなに見栄えのする戦いでもなかっただろ。省略だ省略」


「いい所を削るなよトヴァン。そこが見せ場だろう!」


「チッ、分かったよニール。レヴィアタンを取り巻く水が、にわかに黒く染まり始めた。さらさらの水は粘りを帯びて、生き物のように蠢き出した。そしてグルルと一声唸るや、水龍の身体を締め上げた! 弱った龍は抗えない。真っ黒い水に操られて、ガバッと勇者に襲いかかった。間一髪! 危ういところで牙を避けて、勇者は自分の剣を構えた。龍の背中を駆け上がり、絡みつく闇を斬り払う。後から後から湧き上がる黒い水は、まるで大きな蛇の群れだ。斬って千切って蹴落として、足を掬われ振り払い、そして――」


 気付けばネノは松明を両手で握りしめ、ワクワクしながらトヴァンの話に聞き入っていた。慣れた調子で語る彼の背中の方からは、真紅の尻尾が揺れるぱさぱさという音がする。


「――こうして勇者は戦いの末、龍に取り憑いた全ての闇を削ぎ落とした。五国で最も甘く清い水が満ちた湖で龍は再び眠り、優しい雨をエテリシアに降らせるようになった。全てが丸く収まったのを見届けもせず、勇者は足早に旅立った。彼がやるべきことは、まだまだたくさんあったからな。それに服も着たかった」

「さすがに服はもう着てたでしょ!」

「ハッ、それもそうか」


 ふう、とトヴァンは息を一つ吐いて、「これでひとまず話は終わりだ」と宣言した。

「どうだ? 勇者の旅なんてろくなもんじゃねえだろ」

 素直に「面白かった!」と言おうとしていたネノの口は、ひねくれた言葉を打ち返すために別の言葉を吐き出した。

「よく言うよそんなに尻尾振ってさ。面白いって自分でも分かってるでしょ?」

 ぎょっとした様子でトヴァンは振り返り、自分の尻尾を確認して口元を押さえた。

「ッあークソ、今マント被ってねえんだった。そうさ、面白いに決まってる。何しろ【神種の勇者の伝説】は笑い話だからな。面白おかしく語って、聞く方もゲラゲラ笑うのがお決まりなのさ」

「……確かに、市場でも『うんと面白く歌えよ!』って言ってる人がいたかも。でも変じゃない? 勇者は失敗して、しかも……死んじゃったんだよね?」

「そういやどうしてだろうな。気にしたこともなかったぜ。まあ大方、」


 そこでトヴァンは言葉を切って、ピタリと足を止めた。


「どうしたの?」

「このまま無事戻れるかと期待したが、そう上手くは行かねえみたいだ。――後ろから、魔物がついてきてる」

 その言葉と同時に、ゾッとする気配がいくつも忍び寄ってくるのをネノもはっきりと感じた。数は恐らく、かなり多い。イシナミを背負ったままのニールも、緊張した表情を浮かべている。


「……どうすればいい?」

「落ち着いて、そのまま歩け。俺が怯ませるから、そしたら振り返らないで全力で走れ。足手まとい二人は俺がなんとかする」

 胸が冷えるような心地がした。予想と違っていた答えに、ネノは「違う」と歯噛みする。

「オレが魔法使えるって忘れたの? どうやって一緒に戦えばいいか聞いたんだ」

「じゃあそれで身を守って勝手に逃げろ。そっちのが俺も楽だ」

 一見平然とした様子で口にしたトヴァンの手元を、ネノはチラリと見た。その指先は月明かりの下でも分かるほど青白く、微かに震えている。いくら何でも、怪我をしたまま動きすぎたのだ。

(一人で戦ったら、どうなるか分からない)


 ネノはぎゅっと唇を結んで、一言一言区切るように言った。

「やだ」

「なんでだよ」

「まだ聞きたいことあるし」

「後で答えてやるから」

「ちょっとでも二度と聞けなくなるかもしれないならやだ」

「お前な」

「やだったらやだ」

「あのな」

「やだ!」


 険しい青の瞳と、意思の光を灯した緑の瞳が睨み合う。あああ、と頭を掻いて、折れたのはトヴァンの方だった。


「足だけは引っ張んなよ!」

「当然!」


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