表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/18

第5話 世界の形

 見る間に打ち倒されていく闇の化身たちを呆然と眺めていたトヴァンが、ややあって我に返ったように剣を持ち上げ、地面で呻いていた最後の魔物に刃を叩き込む。

 歪に蠢く闇は、今や綺麗さっぱり消え去った。文字通り洗い流されたような景色が、二人の前に広がっている。


「お前、魔法使えたのか」

 呟くような彼の言葉に、自分が魔法を振るった跡を眺めていた子どももぽつりと答えた。

「ついさっき気付いた。……オレもちょっと、びっくりしてる」

 その言い方に、トヴァンが軽く笑った。

「ハッ。びっくりしてるっつー暴れ方じゃなかったぜ。さすがは勇者サマって事か」

 子どもの顔が綻んで、悪戯っぽい笑みが浮かんだ。

「アンタも! 一人でここまで持ち堪えてるなんて思ってなかった。口だけの奴じゃなかったんだね」

「舐めんなよ新米勇者。俺がどれだけの年月、この剣で世の中を渡ってきたと思ってる」

「どのくらいなの?」

「……お前……。七年くらいだよ」

「七年間、ずっと盗賊?」

「他の事もしたさ。そりゃあもう色々な」

「たとえば?」

 問いに問いを重ねる子どもに、トヴァンはふっと苦笑した。

「ほんと質問ばっかだなお前。好奇心旺盛なのも、程々に――」

言いながらその長身がふらつき、糸が切れたようにずるずると座り込む。

「大丈夫⁈」

「平気だ。……あークソ、気が抜けた……」


 顔を覆って呻く彼の背に、子どもが心配そうに手を添える。改めて全身に目を配ってみれば、彼はまさしく満身創痍という有様だった。足や肩を硬く縛った止血用の布には赤が滲み、肌が見えている部分もそこかしこに掻き傷や擦り傷が付いている。初めて目にした時驚かされた耳はぺたりと伏せられており、見るからに疲れ切った様子だった。

 しばらくおろおろしながらトヴァンを見つめていた子どもだったが、やがて荒かった呼吸が整ってきたのを見てほっと息をついた。周りに危険がないことを確かめてから、すとんと彼の横に腰掛ける。空を見上げると、いつの間にか天高く昇っていた満月が周囲を煌々と照らしていた。


(間に合って、よかった)

 蹄の跡を辿って駆け戻り、トヴァンを取り囲む異形の獣たちを目の当たりにした時、全身の血が一度に引いたような心地になった。この世界に関する知識という知識が抜け落ちている子どもにも、あれらが「魔物」――この世から外れたものだということは、はっきりと分かった。

(「そして神種は、大地に根付くその時まで、絶えず闇から狙われる」だっけ)

 どうやら自分は当分の間、あれらに追われ続けるらしい。思い出すと肌がぞわっと粟だつような気分になって、そっと腕をさすった。


「……」

 しかし好奇心でいっぱいの子どもの心は、すぐに恐怖を追いやってしまった。実のところ、視界の隅にチラチラと見える「あるもの」がずっと気になっていたのだ。

(どうなってるんだろうこの……耳とか、尻尾とか)

 戦いの途中で脱ぎ捨てたのか、トヴァンはマントを身につけていなかった。旅人らしい簡素な服装の中で、血の色の他に一際目立つ赤がある。泥水で汚れながらもふさふさとした形を残している尻尾と耳をじっと見てから、子どもは尻尾の方へそっと手を伸ばした。

(少し触るくらいなら、平気だよね?)

 気付かれないようにじりじりと、手のひらを近づけていく。あと少しで毛並みに指先が埋まると思った瞬間、


「お前の名前を聞いてなかった」


「えっなに⁈」

 不意にトヴァンが口を開いたので、子どもはその場で飛び上がりそうになった。その手が尻尾の方に伸びていることに気付いて、トヴァンの口元に思わず笑みが浮かぶ。しかしあえてそこには触れずに、重ねて問いかけた。

「お前の名前だよ。まさかそれも覚えてねえってのか」

 ばっと手を引っ込めた子どもは躊躇なく、こくんと頷いた。

「うん、覚えてない。とりあえず誰かに聞かれたら、ネノって言うつもりだった」

「ネノ? 変な名前だな」

「種と一緒にあった、このケースの側面に書いてあるんだ。ほんとは他にも何か書いてあったみたいだけど、だいぶ消えてて『ネノ』の部分しか読めない」

「……なるほど」

「おっさんは? トヴァンで合ってる?」

「おー。合ってるぜ」

「トヴァンは――えっと」


 身を乗り出しかけたネノが、口籠って姿勢を戻した。先ほどあれこれ尋ねようとした時に、トヴァンが倒れかけたのが応えたらしい。その様子がおかしかったのか、目を細めた彼はネノの肩をぽんと叩いた。

「んな慎重になる事はねえよ。話す気力ぐらいは戻ってきた。けどまずは――」

 二人の背後、ひしゃげたテントの残骸から押し殺したくしゃみが聞こえた。

「あいつらに、しばらくは安心だって言ってやらなきゃな。手伝ってくれ」




 たっぷりと水を吸った帆布の下から引っ張り出されたびしょ濡れの青年は、ニールと名乗った。まだ気を失ったままの初老の男は、イシナミという名前らしい。二人とも顔色は良くなかったが、急に悪くなる心配はひとまずない様子だった。


「みんな名前の響きが違うんだね」

「故郷が違うんだよ。僕はここから南のエテリシア、イシナミさんは西の方のシナツって国から来たんだ」

「トヴァンは?」

「俺は――ちっとややこしいんだ。どこってのは特にない」

「国がない場所もあるの?」

「そんなもんさ」


 ふうん、と唇を軽く尖らせながらネノがニールの服に手を添えた。汚れを拭うように指先を滑らせると、布を濡らす水がするすると引き出されていく。蔦をたぐるように水流を操りながら、ネノが重ねて質問した。


「市場で聞いた歌で『五国』って言ってた。あと三つ国があるってこと?」

「“ほぼ”正解だ。北東にずっと行った先が大国グルフォス、それよりもっと北に行けば炎と渇きの国アレースラがある。最後が大陸のど真ん中に“あった”国、百年前に滅びた祝福の国ラティスだ」

「滅びた……」

「言ったろ。百年前の勇者サマが神種を植え損なって、世界は一度終わったのさ。一番手酷く闇に覆われたラティスは、もう国として崩壊しちまったんだよ」


 ネノは少し手を止めて、思案するように俯いた。その細い首からは、紐を結び直した神種のケースが下がっている。


「その時の勇者は、どうして種を植えられなかったの?」

「さあな。知ったこっちゃねえよ」

「百年前の勇者にまつわる伝説は色々あるんだけど、彼が死んだ時に何が起きたのかについては誰も知らないんだ」


 ネノの魔法で服を乾かしてもらい、人心地ついたニールが口を挟んだ。


「”闇の王”との戦いに敗れて命を落としたと言う人もいれば、旅の途中で変なものを食べて食あたりを起こしたんだろうなんて言う人もいる。僕は闇の王と相討ちになって死んだって説が好きだな」


 ネノが乾かした焚き木を火にくべようとしていたトヴァンが、それを聞いて笑った。


「ハッ、いい歳して夢見てる手合いか」

「なんだって」

「闇の王なんて元々の伝説にはひとっことも出てこねえだろ。何とかして勇者の死に理由をつけたくて、誰かが作った話に違いねえぜ」

「エテリシアの龍を鎮めた勇者さまが、並大抵のことで死ぬはずないだろ」

「アレースラで砂漠の落とし穴にすっぽりはまって、族長の娘に掘り出されるまでメソメソ泣いてた奴だぜ。しょうもねえ理由で死んでたっておかしくないさ」

「そのおかげで古代の神剣を見つけて魔獣を打ち破ったんじゃないか、ただの情けないやつみたいに言うなよ」

「美化しすぎるのもどうかと思うがな。グルフォスの巨大洞窟での戦いだって――」

「――えっと、」


 ネノが割って入り、二人は口をつぐんだ。


「もしかして二人とも、前の勇者のことが大好きだったの?」

 ニールは頷き、トヴァンは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「好きに決まってるさ。エテリシアの民はみんな、小さい頃から勇者伝説を聞いて育つからね」

「結局失敗した勇者サマなんて、偉くもなんともねえだろ。だが……あいつは、本当に喜んで聞いてた」

「あいつ?」


 カシャンと焚き木が崩れ、火の粉が吹き上がった。失言に気付いたかのように、トヴァンが顔を顰める。重い溜息をつき、口を開いた。


「二つ下の妹だ。ガキの頃、戦争のどさくさでどこかに攫われた」

「そっ……か」

 ネノは口を軽く開いて、それから閉じた。実のところ聞きたいことは山ほどあったが、彼の様子があまりにも苦しげだったので、何も言えなくなったのだ。しばらく焼けた木が弾ける音だけが響き、気まずい沈黙が流れる。やがて、ネノはおずおずと言葉をこぼした。


「トヴァンが盗賊をさっさと抜けたかったのは、妹を探すため?」

「ああ。そうだよ」

 揺らめく炎を瞳に映しながら、トヴァンは小さく呟いた。

「はぐれた家族に会いたくない奴なんていねえだろ」

 その眼差しがあの時と同じ色をしているのに気付いて、ネノの中でひとつの疑問が解決した。

「もしかして、あの時様子が変わったのは……オレが『家族のことを知りたい』って言ったから?」

 トヴァンが不自然に固まって、それから慌てたように目を逸らして鼻を鳴らした。どうやらこれが彼の肯定のようだった。

「やめだこの話は」

「なんでだよ。照れたの?」

「あーうるせえうるせえ! 聞くな!」

 二人の会話を聞いていたニールが、堪えきれなくなったように吹き出した。

「君がいるとこいつは調子が狂うみたいだ。いい機会じゃないかトヴァン、その下手な悪党面はやらない方が何倍もマシだって前から思ってたんだよ」

「余計なお世話だよクソ。……んな事より」

 舌打ちした彼は、強引に話題を変えた。

「これからどうする。月が高いうちに移動するか」

「それが一番安全だろうな。イシナミさんが起きるのを待ちたいのは山々だけど、月が傾いて暗くなったらまずい」

「サラキアに戻るか?」

「人里は遠いし、それしかないよな。一応、できるだけ迂回しよう」

「だよなぁ。ニール、イシナミさん担げるか」

「左肩使えば、なんとか」

「わかった」


 トヴァンは帆布の下から引き出した鞄を漁り、中から取り出した包みを開いてニールの方へ差し出した。続いて同じものを、ネノの鼻先に突き出す。黒い木切れのようなものが、油紙の上に乗っていた。

「何これ」

「干し肉だよ。見た事ねえのか?」

「さっき、市場で売ってたかも」

「多分それだな。ほら、さっさと食え。こっから歩くぜ」

 ちらりと視線をやると、ニールは無事な左手で干し肉を掴み、口に運んでギリギリと噛み切っていた。その動きを真似るように、ネノも干し肉を摘み上げて歯を当てる。引っ張りながら顎に力を入れると、繊維が千切れるような音がして欠片が口の中に収まった。

「……もそもそする」

「そりゃな。諦めろ」


 全員が携帯食を食べ終えると、トヴァンが荷物をまとめて立ち上がった。イシナミを抱え起こし、ニールが背負えるように体勢を整える。その仕事を無事片付けると彼は乾いた木の束に布を巻き、焚き火の炎を移して簡単な松明を作った。

「持ってろ」

「わっ」

 軽い調子で燃え上がる木の束を手渡され、慌てたネノは何度か手の中で松明を弾ませた。しっかりと持ち直し、火の粉を散らす炎をしげしげと見つめる。

「魔物は強い光に怯むんだ。多少なら遠ざけられるぜ」

「光を襲うのに光が怖いの?」

「怖いからこそ憎いんだろうよ」

 大雑把に答えたトヴァンは大剣の鞘をしっかりと括り直し、自分も燃える木切れを拾い上げた。

「行くか」

「トヴァン」

「なんだよ」

 呼び止めたニールを、彼は怪訝そうに振り返った。

「せっかくだし、道中この子に語ってあげなよ。【神種の勇者】のお話をさ」

 トヴァンは思い切り顔をしかめたが、ネノの眼差しに気付くと、舌打ちして意地悪げに笑った。


「うんと情けなく語ってやるから、せいぜいがっかりするんだな」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ