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第16話 止まない雨

 ――その昼過ぎ、二人は降り頻る雨にすっかり足止めされていた。


「『慈水の国の水龍』も、今は優しく見守る気分じゃないみたいだね」

「……そうだな」

 風を伴う大粒の雨は止めどなく二人の服や髪に染み込み、ぼたぼたと滴を垂らす。時折ネノが手を伸ばして染み込んだ水を振り払っていたが、乾いたそばからまた降り注ぐ雨水を前にしては魔法の力を借りても無駄な足掻きにしかならなかった。


「暗くならないうちに、もっとちゃんと雨宿りできるところに行こうよ。この雨、もう止みそうにないよ」

「ああ……クソ、雨季のど真ん中でもこんなに降ったって話は聞かねえぞ。これじゃ止みどきも読めないな、ッ」

 恨めしそうに空を睨んだトヴァンが、堪えきれなかったように背を丸めてくしゃみをした。

「寒かったら言えよ、ネノ。マント貸してやるから」

「くしゃみしてる奴から服を剥ぎ取れるわけないでしょ。風が吹いてきたら一緒にマントに入れてよ、その方があったかいし」

「親切なんだか図々しいんだか分かんねぇ言い草だな」


 トヴァンが苦笑いした途端に突風が山道を吹き抜け、二人は打ち合わせでもしたかのように身を寄せ合った。梢から吹き散らされた水の塊が彼らを襲い、もはや染み込むことすら諦めたようにトヴァンのマントを伝い落ちる。

「ご要望通りこのまま歩くか?」

「こけそうだからやめとく」

 軽口を叩き合った二人をさらに重たい雨水が直撃し、揃って口をつぐんだネノたちは黙々と歩き始めた。


 それからしばらくは、雨音と木々がうねる音、湿った二つの足音だけが響く単調な時間が続いた。山道は下りに差し掛かり、ぬかるんだ地面は彼らの歩む速度を容赦なく削いでいく。

 やっとの思いで森を抜け、薄暗くなり始めた風景の先に人家の明かりが見えてきた時には、健脚の二人と言えどもすっかり疲れ切っていた。


「空き家でもあればなお良かったんだが、ないならないで仕方ない。軒下だけでも借りられないか、頼んでみようぜ」

「じゃあ『悪人流の交渉術』の出番だ」

 ネノが気合を入れるように濡れそぼった前髪を払い、悪戯っぽく口の端を上げた。

「オレに任せて。軒下どころか暖炉の前を借りてやろうよ」

「あんまりお前だけ可愛こぶるなよ。『この子を悪い大人から助けなくちゃ』とか言って、俺だけ叩き出されるのはごめんだぜ」

「叩き出されたことあるの?」

「想像に任せる」


 果たして二人は虚実織り交ぜた一芝居の末、頑丈な屋根のある部屋と熱いスープにありついた。家の主である老夫婦はここで暮らして長いらしく、今日のように旅人を泊めたのも初めてではないという。妻の方はネノの事をすっかり気に入ったようで、「トリアイナに同じくらいの孫がいるのよ」とつやつやした黒髪を撫でて目を細めた。


「しかしまあ……君らも間の悪い時に来たね。山のこっちじゃ、最後に雨が途切れたのは五日も前なんだ。街への手紙も、最近は届いているかすら分からんよ」

「この雨じゃきっと高潮もひどいわ。トリアイナは海辺の街だから、もう心配で心配で」


 顔を曇らせる夫婦につられて、ネノの眉も下がる。しかし好奇心が胸の奥から戸を叩くのか、躊躇うようにパチパチと瞬きしてから身を乗り出した。

「大雨はレヴィアタンのせいで起きてるって前に聞いたんだけど、それって本当なの?」

「水龍さま?……そうねぇ。こんな空模様じゃ、何かあったのかしらと思ってしまうけれど。湖にいらっしゃるあの方と私たちが直接お話しできるわけではないものね。案ずることしかできないわ」

「龍といえば、今年はトリアイナのロガシオン祭も延期になったなあ」

「ロガシオン祭?」

「今の時期にやるお祭りでね。レヴィアタンさまが今年も川と海を守ってくださるように、青いリボンや花々で街中を飾るんだよ。特にトリアイナじゃ屋台なんかも出して華やかにやるんだけど、こんな暴風雨が続いていちゃあリボンを軒先に架ける余裕もないんだろう」

「そうなんだ……」

「でも、もしこの雨がどうにか止んだら、改めてお祭りが開かれるかもしれないわよね。そう考えたら運がいいわよ。延期になっていなかったら、来年まで待たなきゃいけなかったんですもの」



 夫婦はその夜、二人のために客間を使わせてくれた。湿気でじっとりと冷えた寝具が温もりを帯びるのを待ちながら横になっていると、トヴァンと背中合わせで毛布に潜っていたネノが抑えた声で口を開いた。

「雨音、少し小さくなった気がする」

 その言葉に誘われて耳を澄ますと、確かに屋根を叩く雨音は殴りつけるような轟音から幾分か和らいでいた。


「明日は歩けるくらいの雨だと良いね」

「道が整ってくるから、今日よりはずっと進みやすいはずだ。多少チンタラ歩いても、二日とかからず街までは行けるだろうさ」

「そっか。いよいよだ」

 背後でもぞもぞと動く気配がして、ネノが寝返りを打ったのが分かった。

「トヴァンが特に探したい場所は、街の東側だったよね」

「ああ。『取引』について何か知っている奴がいるなら、間違いなく東岸地区だ」


 彼がこれまでの旅で掴んだ、妹に関する数少ない手がかり。その一つが、シナツとグルフォスの戦争が一応の収束を見せてから間もない時期に、大規模な黒い取引があったという噂だった。商品はモノではなく、人。何らかの理由で解放されなかった捕虜たちが、終戦直後の混乱に乗じて方々へ売られていったのだと囁かれていた。

 トリアイナの街を南北に貫くルーチェ川の東岸に広がる荒れた市街地には、水に乗って後ろ暗い情報が流れ着きやすい。踏み込む度胸と力量さえあれば、情報を得るのに最適の場所だった。


「……盗賊連中と何年も関わってまで追ってきた線だ。無駄足だったとは思いたくない」

 低い声で口にしたその時、不意に衣擦れの音がして、トヴァンの頭にひやりとした感触が伝わった。

「ッ⁈ こら、何すんだ!」

 後ろから手を伸ばしてきたネノが、トヴァンの耳を包み込むように触っていた。急な刺激に肌が粟立って、思わず身震いする。咄嗟に大きな声が出そうになったのを何とか鋭い囁き声にとどめ、彼はさらに抗議の言葉を続けようとした。

「あのなぁ、どうせいつか触りに来るだろとは思ってたが、人が真面目な話をしてる時にお前――」

「うなされてる時と、同じ耳の形をしてた」


 はっとしてトヴァンが口を閉ざす。興味のままに動いているように見えたネノの手は、ぴんと立っていた彼の耳を撫でつける方向に行き来していた。


「……気ぃ使わせてたか」

「うーん」

 否定とも肯定とも取れない生返事を返して、ネノはとろとろとした手の動きでトヴァンの頭を撫でる作業を続けていた。

「……思ったよりふわふわしてない……」

「やっぱり触ってみたかっただけじゃねえのか」

「んん……」

 背中でくぐもる声がしぼんでいくのに伴って、トヴァンの瞼も下がっていく。一日の疲れが思い出したように押し寄せて、気づけば夢も見ない眠りに落ちていた。




 翌朝の空は、黒い雲をいっぱいに湛えつつも危うい所で踏みとどまっていた。しかし重苦しい空模様に追い立てられるように駆け込んできた配達人の青年が村に持ってきた報せは、二人を青ざめさせるのに十分なものだった。

「――街への橋が落ちた⁈」


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