第13話 知りたがりの勇者
それから二人は、歩きながら取り止めもなく話をした。
「あっちこっちにある黒い水たまりって、結局何なの?」
「魔物の残骸みたいなもんさ。機嫌が悪けりゃ、あの魔霊獣みたいに襲いかかってくる。うかうか近づくんじゃねえぞ」
「勇者の伝説でレヴィアタンを襲ったのも、水たまりの親玉みたいなやつだったのかな」
「きっとそうだろうな。棲家の湖に、いつの間にか巣食ってたのか」
「他の国の精霊もみんな、レヴィアタンみたいに正気を失くしていたの?」
「いいや、シナツの精霊王・ジズだけは違うぜ。何しろ慧風の国と言われるシナツの王だ、闇に支配されないとびきりの秘術を知ってたんだとさ。自分の心を取り出して特別な壺に収め、鏡と燭台で作った一片の暗がりもない隠し部屋に安置した。それで安全だったはずなんだ――空飛ぶ魔物を追っかけてた勇者が、頭からその隠し部屋に突っ込まなけりゃな」
「なにそれ! ジズと勇者はどうなったの⁈」
「ハハ、そっからが傑作なんだ。いいか――」
湧き出す疑問をネノが次々と投げかけて、トヴァンはそれに片っ端から返事をする。言葉は尽きることがなく、あっという間に風景は後ろへ流れた。
太陽が空の頂点を通り過ぎてからしばらく経った頃、ふとトヴァンが足を止めた。
「ネノ、振り返ってみろ」
「なに?」
言われるまま後ろを向いたネノは、ハッと息を呑んだ。
いつの間にか二人は、長い傾斜を登り切ろうとしていた。すり鉢状の広大な窪地が、目の前に広がっている。『五国』のかつての中心を一望する場所に、ネノたちは立っていた。
点在する滅びた都市の遺構が、同じ方向にくっきりとした影を落としている。
街道を行く各国の商人たちが、細い帯のように連なっているのが見える。
大きな川がゆったりと流れ、水面が昼下がりの陽光にきらめいている。
そのさらに遠くには、連なる山々が青く霞んでいる。
美しく、心を旅へ誘う絶景――しかしその分、点在する「異物」が強烈に目を引いた。
「あれって……」
「手遅れになった場所さ。もう草一本生えやしない」
二人の視線の先には、穴が空いたかのように暗く沈んだ空間があった。不自然に黒く染まった土の上に、白く枯れ果てた木々の残骸が積み重なっている。空を自由に飛び回る鳥たちすら、その上空には近づきたがらないようだった。
一度訪れた世界の終わりを物語る痛ましい爪痕は、大小様々の澱んだ暗がりとして大地に刻まれていた。光と闇が歪に絡み合った景色に見入るネノに、トヴァンは言った。
「ああやって完全に呑まれた場所は、太陽の光すら撥ねつける。どんなに明るい松明を持って入ったって、闇の方に負けるのさ」
「神樹の木漏れ日なら、あそこも照らせる?」
「きっとな。それで駄目だったら、もうお手上げだ」
ネノはケースに触れ、小さく揺らした。革越しに伝わる感触は、あまりにも軽くて頼りない。それでもこの種が圧倒的な力を持っていることを、ネノは知っている。同時に、そんな力が何をもたらすのか、まだ全く思い描けない自分の無知も理解していた。
「……もっと、知らなきゃ」
ケースを握りしめるネノの頭を、トヴァンは静かに見下ろしていた。躊躇うように視線を彷徨わせてから、ゆっくりと口を開く。
「なあ、ネノ。お前さっき、疑問を疑問のままずっと頭に置いちまうって言ってたよな。それは他の気持ちでも同じなのか? 例えば……怖い気持ちや悲しい気持ちも?」
パッと振り返ったネノは、自分の心を探るようにしばらく目を伏せてから答えた。
「そう、かも」
悲しい気持ちはまだ知らない。しかし恐怖した記憶ならあった。足をもつれさせながら荒野を駆け戻った先で見た、満身創痍のトヴァンを取り囲む黒い獣の群れ。振り向いた魔物の歪んだ頭に濁った目がいくつ付いていたかも、ネノは数えられる。
「で、でも『どうして』って気持ちと一緒で、乗り越えられたらもう平気だよ。それにオレとトヴァンなら、大体の怖いものはぶっ飛ばせるでしょ?」
笑ってみせたが、トヴァンはまだ浮かない顔をしていた。あるいは、ネノの顔色が一瞬悪くなったことに気付いてしまったのかもしれない。自分の記憶について説明した時、彼が何かを言いかけていたことを思い出した。
「トヴァン?」
「お節介は承知だ、独り言だと思って聞いてくれ。……普通、人はどんなことも少しずつ忘れちまうんだ。嫌な事まで全部くっきり覚えていたら、辛くてしょうがねえだろ? だが稀に、忘れるのが下手な奴がいる。俺の妹――リシアがちょうどそうだった」
宣言通り独り言のような調子のまま、トヴァンは続けた。
「あいつは何もないのに泣く事がよくあった。俺が目を離してた間に怪我でもしたんじゃねえかと思って慌てさせられたが、実際は三年も前に転んで擦りむいたダチの傷が痛そうだったのを思い出したからなんて理由で泣いてたんだ。物覚えが良すぎるあいつの目に世界がどう見えてるかなんて、ガキの俺には想像もできなかったよ。ただ、できるだけリシアに嫌なものは見せたくねえなって、幼心に思ってた」
「……」
寄り添って立つ幼い赤毛の兄妹を、ネノは思い浮かべた。
「優しいね」
「ああ、優しすぎるくらい優しいやつだったよ。だから何年経っても心配なんだ」
ネノは首を横に振った。
「トヴァンがだよ」
「はあ?」
「オレのことも心配してるんでしょ、リシアさんと同じような記憶力を持ってるからってさ。リシアさんは分かるよ、家族だもんね。でも『うまくやってるって信じるんだ』って言ってたのは誰だっけ?」
苦い表情を浮かべ、トヴァンは鼻を鳴らして目を逸らした。
「お前が目の前からどかねえのが悪い」
「あはは!」
ネノは思い切り笑ってから、「ねえトヴァン」と彼に向き合った。
「オレは知りたがりで頑固だから、気になった事にはいつまでもしがみつくよ。無理やり隠されたら思いっきり駄々も捏ねてやる」
「マジで厄介なガキだな、お前」
「うん、厄介だよ。……だから、オレが何を見てどんな気持ちになっても、それはオレがやりたいようにやった結果だって思って」
眩しいものを見るように、トヴァンは目の前の子どもを見た。
「ンな事ガキに言われて、大人が『じゃあ信じるぜ』って頷くと思うか?」
「『上手くいかなくても、上手くやれてるって思っとく』んじゃないの? 手を組むなら、オレのことも信じてよ。なんだったら試してみる? ――イシナミさんがオレにした質問の理由、隠さずにちゃんと教えて」
「質問?」
「トヴァンについてもっと知りたいってイシナミさんに言った時、聞かれたんだ。『お前はあの魔術師たちから逃れる時、連中を殺したか?』って」
トヴァンが、表情をこわばらせた。
「物騒な質問しやがって……」
「殺してない、足止めだけして逃げたって答えたら、『それなら良い。トヴァンがお前の力になってくれる』だってさ。『俺は同行できない。きっと俺たちは性格が合わないだろう』とも言われた。この質問……さっき誤魔化された、トヴァンとイシナミさんの仲が良くない理由に関わってるんでしょ?」
長い唸り声。肺の中の空気を全て追い出すような盛大なため息と舌打ち。
やがて据わった目で、男は口を開いた。
「分かったよ、言ってやる。俺が誤魔化してた内容はこうだ――あの人はきっと、ニールの奴を追いかけて殺す」
「!」
小さく息を呑んで、今度はネノの表情がこわばった。
「どうして……」
「あいつが不安要素になっちまったからだよ。ニールは保身のためなら何でもする男だ。団の追手や魔術師に出くわしたら、俺たちの情報を迷わず売るだろう」
「だからって、殺すことないじゃん」
「そう思わねえ奴もいるのさ、イシナミさんみたいにな。……戦争って奴は、人をそういう風に歪めちまう」
戦争について語っていたイシナミの、乾いた声を思い出す。
――うんざりするほど死を見てきた……やがて傭兵団は解散されたが、その頃にはもう普通の暮らしに戻れなくなっていた。
「トヴァンは、イシナミさんのそういう所が許せなかったんだ」
「ああ。出会った頃から何度も突っかかってたよ。人を殺すような人間は一番のクズだ。絶対にそうはなりたくねえってな。だが、剣を抜くあの人を止めたりは一度もしなかった。何せあんな仕事だ、馬鹿は俺の方だった」
ハッ、と掠れた息でトヴァンが笑った。
「簡単に同僚を捨てる奴と、人を当たり前に殺せる奴と、そいつらを腹の中で馬鹿にしてるくせに、止めもせず行動を共にしていた奴……お前が出会った連中は、揃いも揃ってろくでなしだぜ」
首筋のあたりがすうっと冷えていく感覚がして、頭がくらくらする。それでもネノは、顔を上げてトヴァンを見つめ返した。
「でもみんな、それだけの人たちじゃなかった」
焚き火のそばで勇者の物語にムキになっていたニールの無邪気な横顔や、「実り多き旅になることを祈る」と微笑んだイシナミの真摯な瞳を思い出す。
「何度も言ってるじゃん、オレは知りたがりだって。悪い所があったって、まるっきり切り捨てるのは絶対に嫌だ」
「ハッ、あの魔術師なんかでもか」
「当然。オレ、アイツにも色々質問したんだよ?」
全然答えてくれなかったけど……と口を尖らせるネノを見ていたトヴァンが、しみじみと感じ入った声で言った。
「お前……とんっでもない馬鹿なんだな」
「はあーっ⁈」
目を吊り上げるネノをよそに、彼は肩を震わせて笑う。やがて目尻を拭いながら、ネノに向けて言った。
「完敗だ、信じるぜ新米勇者」
彼の表情は明るく、まるで肩の荷が一つ降りたような顔をしていた。
「ついでに教えてやるよ。イシナミさんはあれでなかなか義理堅いから、途中まで背負ってもらったくらいの恩でも追跡の手を緩めるくらいはする――そして逃げ足の速さでニールの右に出る奴は、団のどこにもいなかった!」




