第10話 縁と記憶
「げっ」
ネノが小さく声を上げて背をこわばらせたので、トヴァンは足を止めた。視線を追うと、食料や染料を詰め込んだ籠を背負った小太りの男がネノの方を見ている。肉付きのいい柔和な顔が、疑いの色に染まりかけていた。
「知り合いか?」
「昨日、楽団の近くでちょっとだけ話した」
言葉を選んでいる様子から、ネノを追っていた自分の顔や声を知っている可能性がある人間だと理解する。それでもネノに声をかけたあたり、よほどお人好しなのだろう。もちろんこんな市で堂々と商売はしないが、珍しい容姿の人間や働き手になる子どもを売り払う商売は立派に存在する。
立ち止まった二人に気づいたイシナミが、状況を把握してそっと距離を取るのが見えた。確かにここへ帯刀した男がもう一人加わったら、言い逃れするのはますます難しくなるはずだ。
彼の細くて小さい目がネノの足に巻いたままだった布を捉えて、それからトヴァンを見た。
「あなたがこの子の保護者ですか?」
「そうだよ、護衛の冒険――」
慣れてきた嘘を披露しようと口を開いたネノを、トヴァンは好戦的な口調で遮った。
「違うっつったらお前はどうするんだ?」
男――昨日ネノに踏み台にされた麻売りの男の瞬きの回数が増え、口元が恐怖を感じたようにひくりと動く。
「トヴァン?」
「黙ってろ」
思わず見上げた彼の顔がニールの言う「下手な悪党面」になっていて、ネノは意味もなく口を開け閉めしてから黙った。
(トヴァン、何がしたいの?)
困惑するネノに構わず、トヴァンは悪い顔のまま続ける。
「ここには憲兵も〈猟鳥〉もいねえだろ。ああ……あっちにいる冒険者の一団でも呼んで、俺『たち』を捕まえてもらうか?」
「その、それは」
長身で鋭い顔立ちの彼が凄むと、かなりの迫力になる。怯えきってしまった麻売りを見下ろして、彼は片頬を吊り上げた。
「ま、俺たちもンな所で騒ぎを起こしてまで稼ぐ気はねえからな。――ほら両手出せ、落とすなよ」
「え」
「はあ⁈」
不意に体がぐんと持ち上がりそうになって、ネノはトヴァンの肩にしがみついた。荷物を詰めた袋が落ちて、中から携帯食の包みがこぼれ出る。思わぬ抵抗に、今度はトヴァンが「あ?」と声を漏らした。
「どういうつもりだお前」
「そっちこそなんでオレのこと置いてく気満々なんだよ」
「俺にくっついてくる理由なんざねえだろうが」
「服と靴は」
「その金までは面倒見てやるから」
「オレが心配とかそういうのないの⁈」
「そんな魔法がありゃ生きてけるさ。何なら冒険者になっちまえばいい」
「また妹探して大陸中歩くんでしょ? 魔法使える奴がいてほしいとか思わない⁈」
「思わねえよ。剣で殴れば大体の奴は黙る」
「この……っ!」
予想外の言い争いを始めた二人を麻売りの男はぽかんとしながら眺めていたが、ややあっておずおずと「どういうことなのかな?」とネノに問いかけた。
「きみたちに、何があったんだい……?」
ネノはトヴァンの肩を掴んだまま、軽く顎を振った。地面から水の蔦が現れ、素早くトヴァンの横っ面をパチンと引っ叩く。「何すんだ!」と叫ぶ彼から視線をずらして、ネノはニッと笑った。
「オレは何も怖いことなんかされてないよ。むしろ、一人で旅しようとしてたオレを助けてくれた。魔物からも庇ってくれたし、聞きそびれた【神種の勇者】の話の続きも教えてくれた」
「こいつのせいで俺は盗賊団を追い出されたがな!」
「どうせ抜ける予定だったじゃん」
「殺されかける予定はなかった」
再び喧嘩になりかけた二人を、男は「ま、まあ落ち着いて」と止めた。
「きみは、一人でどこに行くつもりだったんだい?」
「まだ分かんない。けど、『ふさわしい場所』を探すんだ」
そう答えたネノから昨日感じたのと同じ鮮烈な気配が沸き起こり、男は目をみはった。
「もしかしてきみ、本当に」
「……内緒」
男は沈黙して、言葉を探すように視線を彷徨わせた。やがてトヴァンと目を合わせ、慎重に口を開く。
「大人のあなたは知っているかもしれませんが、『神種を手にした者の選択は全て、神の選択と同義』という伝承があります。僕は信仰の篤い家で育ちました。この子の選択が、あなたについていくことなら……僕は止めがたい」
「シナツ人はどいつもこいつも……」
「それに、あなたはこの子の身をきちんと案じている」
「……」
トヴァンは苛立ったように舌打ちして、男を睨んだ。取って食いそうな勢いだった。
「でもトヴァン、尻尾揺れてる」
「嘘だろ⁈」
「嘘」
「お前っ……!」
「今本当に揺れた」
その言葉とほぼ同時に、彼の背からパサパサと軽い音が聞こえ始める。トヴァンはしばらく手が塞がったままの状態で動きを抑え込もうと足掻いていたが、やがて鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「こいつに合う靴と服を探してる。いい所を知らねえか。連れてくから」
男に紹介されたのは、北へ向かう小さな隊商だった。
最後の最後に売れ残りを捌く好機を逃さないために、どの荷車にも店の名を書いた旗が括り付けられている。目当ての旗を探して人並みを追い越すように進んでいた時、ネノが拗ねた表情で呟いた。
「トヴァン、もう降ろせば」
男に礼を言って別れ、イシナミと合流して歩き始めたトヴァンは、まだネノを抱えたままだった。短い唸り声が聞こえて、彼が小さくこぼす。
「……いきなり放り出そうとしたのは悪かった」
その答えを聞いて、ネノはかえって唇を尖らせた。
「聞きたいんだけど」
「んだよ」
「トヴァンって、人より傷の治りが早いの?」
「あー、まあな。人間よりゃ早いぜ」
「普通ならぶっ倒れる怪我でもすんなり立ち上がれるくらい?」
「……何が言いてぇんだよ。良い事だろ」
「それで周りにいた奴を庇って一人で大怪我した事、何回くらいあるの」
ハッ、とトヴァンが軽く笑った。
「まさかお前、俺を心配してんのか」
「悪い?」
「悪かねぇが、やっぱガキだな」
「はあ⁈」
「良い事教えてやるよ。縁が繋がってるのは、そいつが視界に入ってる間だけだって思ってみろ」
「?」
「背中を向ければハイさよなら、そいつはもう無関係の人間だ。お前の手も足も、そいつを助けるためにあるもんじゃねえ。向こうは向こうでうまくやってるって信じるんだ。……目的持って旅すんなら、他人の心配なんかしてる余裕はねえぞ」
トヴァンの言葉を、ネノはじっと彼の方を見つめながら聞いた。横を通り過ぎていく商人たちのざわめきが、遠い波音のように耳に届いた。
「……それ、トヴァンはできてるの?」
彼はため息をついて、ネノと目を合わせた。
「聞くなよンな事。――上手くいかなくても、上手くやれてるって思っとくんだよ」
そう言う彼の耳は、困ったようにぺたんと伏せられている。
ネノは、思わず吹き出した。
「何にも説得力がないね!」
「うっせ」
顔をしかめるトヴァンをひとしきり笑ってから、ネノは真面目な表情を作った。
「トヴァンが言うこと、正しいかもしれないけど……オレにはできない気がする」
「そりゃまた、どうして」
「知りたがりだから」
ネノは身軽に彼の腕から飛び降りて、たたんと足踏みをしてから振り返った。はっとするほど深い瞳が周囲の景色を鮮やかに映し、自ら光を放っているかのように煌めく。
「気が付いてからここに来るまでに過ごした時間は長くないけど、その間に見てきたものは全部覚えてる。感じた疑問も全部、そっくりそのまま覚えてる。解決しないかぎり、『どうして?』の形のまんま、ずっとずっとずーっと頭の中に溜まってくんだ。――多分、これからもそう」
トヴァンはハッとした面持ちで、ネノの顔を見た。
「全部覚えてんのか。細かいところまで?」
「うん」
「お前それ……普通の奴にはできねえぞ」
「そうなんだ? じゃあこんなに覚えてるオレが、なんで気がつくより前の事は全部忘れちゃったんだろう!」
また一つ問いを投げかけて目を細めるネノに、トヴァンはどう声をかけようか悩んだ。
「ネノ。……」
その時、少し先を行っていたイシナミがこちらに向けて手招きをしたのが見えた。彼が指し示す先に、探していた赤い旗がはためいている。
「どうしたの?」
「いや。店が見つかったみたいだ、行こうぜ」




