後編 ビギナーズラックを女王に祝福されて
「ねぇ、あの清掃の人が、彼氏の司郎さん?」
戸惑いながら、雪子さんについて行くと、またしてもあっさりと目的地である階段のところに着いた。
そこには、清掃スタッフの作業服を着た司郎さん。
「え!本当に司郎さん?!
2週間ぶりで泣きそう!」
人目も気にならず、作業服の司郎さんに抱きつこうとした。
それを後ろから雪子さんに止められる。
「はい、待って。お仕事中の人に絡まない」
「……はぁい」
「えっと、万智ちゃん。この人、は?」
びっくりした顔の司郎さん。
ああ、かっこいい……。
じゃなくて!
「えーと、雪子さん。一緒に三田川のおっさんを探してもらってるの」
「あ、すみません。ご迷惑おかけして」
ペコリと頭を下げる司郎さん。
はぁ、律儀。礼儀正しい。好き。
「ねぇ、このまま2階へ行きましょう。きっとそこにいるわ」
「え?」
「あなたたちの探している三田川っていう人よ」
「見つけたんですか?!」
「いいえ。でも、きっといるわ」
華奢な左手首を掲げて、キラキラした腕時計を雪子さんが見せる。
「もう時間がないから、行きましょう」
有馬記念のレースは、15時25分。
もう時間がない。
わたしは司郎さんに力強く頷いてみせると、雪子さんの背中を追って歩き出した。
雪子さんの謎の能力でまたしてもあっさりと目的の2階席へと辿り着く。
メインレースを前に、ラジオのイヤホンを耳に挿しなおしたり、新聞を広げたりと、見知らぬおっさんたちがごそごそと静かに動いている。
その中に、黒のハンチングのおっさんがいた。
左頬には、子どもが書き殴ったようないびつな"つ"形のアザ。
「………見つけた!」
本当に三田川のおっさんがいた。
雪子さんの力が半端じゃない!
ドキドキと心臓が早鐘を打つ。
周りにはたくさんの人。
もし、逃げられたら、人混みに紛れて絶対に見つけられなくなる。
司郎さんを見ると、わたしと同じように緊張した顔をしている。
三田川のおっさんが座っているのは、座席の列のちょうど真ん中。
わたしは雪子さんを連れて、司郎さんが立っている座席の右端と反対側の左端へと移動する。
どんどん人が増えてくる。
レースが始まる時間が近づいている。
ここを逃したら、もう捕まえることはできない。
三田川のおっさんを真ん中にして、わたしと司郎さんが向かい合って頷きあう。
司郎さんが端の座席に座る知らないおっさんに睨まれながらも、三田川のおっさんが座る真ん中の座席に向けて一歩踏み出す。
わたしは、雪子さんの前に立ち、三田川のおっさんの逃げ道を塞ぐべく、視線鋭く監視する。
司郎さんが、三田川のおっさんの肩に手を伸ばす。
その時。
G1レースのファンファーレが鳴り響く。
三田川のおっさんが、顔を上げた。
司郎さんの顔を見て、慌てたように立ち上がる。
周りの客もファンファーレの音に誘われるように、座席から立ち上がる。
座席の間の隙間が、広がる。
三田川のおっさんが、司郎さんから逃げるように、その隙間を通り抜けて、わたしのいる方へとやってきた!
必死な形相の三田川のおっさん。
「どけぇっ!」
「ひっ!」
捕まえてやると意気込んでいたのに、土壇場でわたしの体が恐怖に覆われる。
動かない。
三田川のおっさんが、わたしを突き飛ばして通路へ出た。
雪子さんにぶつかる!
そう思った瞬間、雪子さんは優雅に右手を足元に向けて振った。
三田川のおっさんが通路を走り抜けようと、足に力をこめる。
その途端、盛大に三田川のおっさんがすっ転び、ハンチング帽が通路奥へと吹っ飛んでいった。
ファンファーレ最後の雄大なメロディが、競馬場に響き渡る。
「わあぁぁぁぁ!」
観客の声に掻き消された三田川のおっさんの悲鳴。
拍手する人たちをかきわけて、司郎さんが通路側へとたどり着く。
冷たい床に倒れている三田川のおっさんに襲いかかり、司郎さんが腕を背中側へと捻り上げた。
「いてぇっ!」
「三田川さん、お金を返してください」
「返す!返すよ!有馬記念が当たれば、2倍で返せるよ!」
「……それ、馬券に使い込んで終わったって言っているようなものじゃない」
冷静に雪子さんがツッコミを入れた。
ですよね。
「警察に被害届を出してますからね。お金返せば終わりじゃないですよ」
「ちょっと借りただけじゃねぇか」
「俺の会社は三田川さんのための消費者金融じゃありません」
ぐずぐずと自分勝手なことを言い続ける三田川さんの手首を背中に回して、念の為に用意していた結束バンドで両方の親指を縛る。
とりあえず、これで腕を掴んでおけば逃げられないだろう。
三田川のおっさんを立たせて、レース場の方を見ると、もう内回りの3コーナーに入っていた。
「これを当てたら金は返すから!」
「え?まだ言ってるの?」
雪子さんが呆れた顔で三田川さんを氷点下の眼差しで一瞥する。
「あ、最後の直線入った!」
わたしが声をあげると、
「いけぇえぇ!!」
「させぇ!!」
「オレにクリスマスプレゼントをくれえ!!」
周囲の歓声が怒号に変わった。
怖っ!
ビビりながら、わたしもゴール前に視線を向ける。
馬群がじわじわとばらけて、気がつけば一頭が抜け出てきた。
「……あれって、まさか!」
先頭の馬がゴールを通過した瞬間、コース前で馬券が雪のように舞い上がった。
雷鳴のような歓声が競馬場に満ちる。
わたしのいる通路では、興奮した見知らぬおっさんのラジオからイヤホンが抜けて、大音量の競馬中継が流れ出た。
「今年の有馬記念に、雪の女王が舞い降りたぁ!!
4歳牝馬がG1初勝利をこの大舞台で決めました!」
雪の女王。
クイーンオブスノウ。
さっき、わたしが、買った、馬券。
「ええええ!!?」
わたしの驚きが収まらないまま、実況のアナウンサーの声が朗々と周囲の熱気を更にかき混ぜる。
「そして、2着にダイオウグソクムシ、3着にログボデイセキンと無印の2頭が続きました!荒れる有馬記念!」
着順が輝く電光掲示板にあった数字は、上から8、4、6……。
「……当たった」
しかも単勝、3連単の両方。
呆然と呟くわたしの声に、三田川のおっさんが反応する。
「あああ当たったのか?お、お前、これを当てたのか?!」
「え、三田川さん、当たってないの?」
「ふざけんなよ、お前!あんなくそ馬券買えるか!」
「え、そうなの?」
よくわからないけれど、なんかあり得ない組み合わせで買ってたらしい。
「あら、失礼。私の彼氏の馬が勝っちゃって、ごめんなさい」
にっこりと笑う雪子さんが三田川のおっさんに言った。
三田川のおっさんは、後ろ手のまま崩れ落ちた。
薄い頭を床に擦り付けて、何を言っているのかわからないけど、何かを叫んでいる。
馬券は当たらなかったようだ。
って、いや。ちょっと待って。
「えええ??雪子さんの彼氏さんって、馬主なんですか?!」
「そう。私の名前をつけた馬でG1レース勝ったら、結婚してあげるって言ったら、本当に勝っちゃった。
まぁ、冬のレースで負けるわけがないんだけど……とうとう結婚することになったわね」
なんでもないことのように、雪子さんが答えた。
「え、名前」
「あら。愛称ってことでいいかしら」
「いいかしらって……」
「ねぇ、司郎さん、そこのゴミは警官に引き渡してお仕事に戻った方がいいわよ。
今日は競馬場に警察が出張ってるんでしょ?」
「………あ、はい。そうですね」
「司郎さん?」
うずくまる三田川さんの腕を掴んだまま、司郎さんは呆然とした顔でしゃがみ込んでいた。
「……司郎さん?大丈夫?体調悪いの?」
わたしが横にしゃがむと、司郎さんは空いている手で、作業服の内ポケットをごそごそとあさり、1枚の馬券を取り出した。
「……俺も、当たってた」
「え?」
「昨日、万智ちゃんのお父さんとここで会って。
クリスマスプレゼントだって、くれたんだけど……」
「お父さん、昨日のうちに買いに来てたのか……!」
有馬記念当日の入場券を娘に奪われたからと、すごすごと引き下がる父ではなかった。
ちゃっかり買いに来てるし、清掃のバイトしてる司郎さんまで見つけてるし。
「わたしよりも先に司郎さんに会えていたなんてずるい……!」
家に帰ったら、グーパンだ。いや、お母さんに密告だ!
って、ちょっと待って。
「え、まさか、お父さんが買った馬券って……」
「有馬記念、3連単で846」
「……わたしと一緒か」
センスが筋金入りの競馬好きの父と同じとか。
自分が残念すぎる。
「あら、お父様も女王を推してくれてたのね」
雪子さんがわたしたちを見下ろしながら、嬉しそうに笑う。
「いえ、その、女王が8番だったのが、偶然だったんですけど……。
その、司郎さんの名前が、蜂谷司郎なんです。
8846。
それで、わたしも父もこの馬券を買ったんですよ……」
残念センス親子。
でも、推して推して推しまくる推しの数字だもの。
これしか思いつかなかった。
雪子さんは口元に手をあてると、ゆっくりとお腹を抱えて、そのまま笑い転げた。
「ふっ、ふふっ、は、蜂谷司郎に、こ、駒野万智……な、なんなの。競馬場にあつらえたようなカップル……!
恋人の名前の数字で、自分の名前の通りに1,000倍以上の配当の万馬券当てて……ふっ、ぷぷぷ」
笑いの止まらない美人さんと、その足元でうずくまるおっさん。
お互いの顔を呆然としたまま見つめ合うわたしと清掃スタッフの作業服を着た司郎さん。
カオスすぎる。
ようやく笑いのおさまった雪子さんが、
「でも、これであなたたちも結婚できるじゃない。
万馬券で借金チャラ。ね?」
と言って、ようやく事態の凄さをわたしたちが理解することができた。
1,000倍以上の万馬券。
お父さんが司郎さんに買った馬券は、10,000円分。
「…………!!司郎さん!」
「ま、万智ちゃん、こ、これで」
「司郎さんと結婚できるー!」
きゃあっと叫びながら、司郎さんに抱きついた。
触り慣れない作業服の感触で、ふと我にかえる。
「あ、司郎さん、お仕事戻らないと」
「あ、そうだ!
えーと、三田川さんを警察に引き渡してから、仕事に戻るね」
「うん。近くで時間潰して待ってる」
「うん。
……ありがとう、万智ちゃん。こんな頑固な俺を待っててくれて」
「ううん。そんな司郎さんだから、わたしは結婚したいの」
「万智ちゃん……」
じわりと、お互いの目に涙が浮かぶ。
だめ、ここで泣いちゃダメだ。
慌ててわたしは明るい口調で話を続ける。
「きょ、今日は夜遅くなってもいいから、どこかイルミネーションを見に行こうよ!
夢の国じゃなくても、司郎さんと一緒にクリスマスの夜、イルミネーションを見るのがずっと楽しみだったの!」
「……うん。行こう。仕事が終わったら、一緒に」
わたしと司郎さんは、お互いの手を握りしめて、立ち上がった。
周りにいた観客も少しずつ減り始めた。
メインレースは終わったのだ。
わたしは雪子さんの手を握って、お礼を伝えた。
「雪子さん、本当にありがとうございました。
雪子さんがいたから、結婚できるようになった気がします」
「ふふ、こちらこそ、面白かったわ。
同じ日に結婚が決まったのも、珍しいと思うし」
冷たい手でわたしの手を握り返すと、雪子さんは急に思いついたかのように、一瞬目を大きくすると、言った。
「そうだ。ちょっとだけイルミネーションをプレゼントしてあげるわ」
「え、それ、は、どういう」
「このおじさんは、私が見てるから。
ほら、2人で観客席の方を見て。
そうね……少しだけ、お掃除が楽になるかも、ね」
そう言うと、雪子さんはうずくまったままの三田川さんの背中をハイヒールで踏んで押さえつけると、わたしたちに上を見るように言った。
12月の中山競馬場の空。
特に綺麗でもない。
すると、急に下から吹き上げる風が吹いた。
「……さむっ」
隣に立つ司郎さんの手を繋いで、肩をすくめると、競馬場のあちこちに落ちていたハズレ馬券が舞い上がった。
書き損じのマークシートの紙も全部。
それが、スタンド席の上、きっとわたしが一生行くことがないような、雪子さんの彼氏さんがいるだろう上の階まで飛んでいった。
そして、ゆっくりと落ち始めると、淡く発光して、ふわりと崩れた。
風が、舞う。
「わあっ……」
ため息に似た歓声があがる。
真っ白い雪が、スタンドに舞い降りた。
「きれい……」
ぎゅっと、司郎さんが繋いでいる手を握ってきた。
うん、司郎さんも綺麗だって思ってるのが分かる。
それは冬の残照を反射して、キラキラとイルミネーションのように輝き、競馬場内をゆっくりと漂った後にレース場の芝生の上へと消えていった。
「雪の女王からの、プレゼントよ」
ふわりと、雪子さんの香りが鼻先を掠めた。
振り返ると、気を失った三田川さんだけが、床の上に転がっていた。
雪子さんの姿は、もうどこにも見えなかった。
その後のことは、夢の中のようだった。
2人でそれぞれに払い戻し金を受けて、1,000倍どころか5,000倍以上の配当だったと知り、ぐるぐると目を回した。
数億円当てる人もいるからか、わたしたちには目の回る金額でも、係の人たちは慣れたものなのか、対応は淡々としたものだった。
そのままだと怖いからと、慌ててATMに駆け込んで入金することにしたのだけれど、
「はい。万智ちゃん、お金をお返しします。ありがとうございました」
「はい、確かに返していただきました」
お互いにぺこぺこと頭を下げる。
機械を前にしてのこのやり取りにはちょっとだけ吹き出した。
そして、ちょっとだけ多めに一万円札をお財布に入れた。
少しだけ、奮発してご飯を食べよう。
働きづめで痩せてしまった司郎さんに、美味しいご飯を食べさせてあげたい。
夏の頃より、頬骨が出て見える司郎さんの横顔を見つめる。
司郎さんが手を繋いで、わたしを見て言った。
「せっかくだから、中山競馬場のコラボしている東京ドイツ村のイルミネーションを見に行きたいけど……」
「今からだともう終わっちゃうかな」
すっかり夜だ。
でも、司郎さんと一緒なら、すべての光がキラキラして見える。
だから、それでいい。
一緒に手を繋いで歩いてくれるなら、もうそれで充分だ。
「イルミネーションは、明日でも、ううん、来年でもいいよ。
雪子さんが、特別なイルミネーション、見せてくれたし、ね」
「……じゃあさ、結婚指輪、買いに行かない?」
手袋ごしに、繋いだ手から司郎さんの緊張が伝わる。
これ、プロポーズのやり直しだ。
ずっと、中途半端なままだったけど、ようやく、司郎さんと家族になれる。
ぎゅうっと、胸がいっぱいになった。
「……うん!
それなら……ねぇ、雪の結晶がモチーフの指輪がいいな」
「……はい、女王様の仰せの通りに」
「もうっ、司郎さんのばか」
「あはは」
「ふふっ」
わたしたちは、そのままバカなカップルの見本のように、笑いあいながら、腕を組んで、いちゃいちゃとクリスマスの夜を並んで歩き出した。
素敵な12月25日の夜は、とても綺麗に輝いて見えた。
(*´Д`*)ぱーぱ ぱーぱーぱーぱーぱーぱー ぱーぱーぱーぱーぱーぱーぱー ぱぱぱーん♬
(*´Д`*)わー!!(とりあえず新聞を振り上げる)
(*´Д`*)テレビ観戦です!!
(*´Д`*)初めて買った馬券は、複勝100円!
(*´Д`*)万馬券になりました!←毎週末地上波の競馬番組視聴で事前学習した結果。
(*´Д`*)お読みいただき、ありがとうございました!キラキラした恋愛ものでしたね!ね?!