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異ならない世界にて ~私には魔法より大切なものがある~  作者: 野洲 ふみ
第1章 サリマンファン聖国の聖都セントバハン
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9 子ネコ

 ロウナは、かしましい女性部屋の片隅で小さくなったまま夜を迎え、そのまま眠りについた。

 まだ太陽が昇っていないうちに目が覚めて、ぼうっとしていると、ヨムが起き出してきた。


「おいで」


 ヨムがうるさくするといけないので、一緒に女性部屋を抜け出した。一人になりたい気分だったからでもある。

 行く先は見張り台だ。停泊中だからか、そこには誰もいなかった。

 風に当たりながら流れる黒い雲を眺めていると、誰かが縄梯子を上がってきた。ルークだ。


「おはよう」


 ロウナは、笑顔で……とはいかないまでも、はっきりとした口調で朝のあいさつをした。世話になっている身として、あいさつは大事だ。

 ルークは、ああ、と眠そうな顔で返事をした。


 ――やっぱり夜、あまり寝てないんだろうか。額に汗が浮かんでいるから、おおかた日が昇る前から筋肉鍛練でもしたんだろうけど。


 ルークと出会ってから数日経つが、この青年は、どうにもつかみどころがない。でも、なぜだかロウナは、ルークと話をするのが苦にならなかった。


「何の用ダ。オレンジ」


 ヨムが喧嘩腰に言い放ち、ルークをつつこうとした。


「ここなら、よく見えると思ったんだ」


 ルークはそう言いながらヨムを軽くかわし、まだ暗い山の方を見た。


「よく見えるって、何が?」


「あれだ。竜が暴れているのがよく見える」


「りゅう? あの、おとぎ話に出てくる竜?」


 ロウナは、ルークの指さした方向に目を向けた。

 もし、この世界でも日の出る方角が東だとしたら、ルークが指さした西の空はまだ夜の暗闇だ。

 目を凝らすと、大聖塔の背後にそびえる山の、さらに向こうの遠い空で、赤い光の帯が降り注ぐように現れては消えていくのが見えた。


「あの赤い光のこと? 大聖塔が邪魔で、全然気がつかなかった」


「あの赤い光の下には竜がいて、暴れると赤く光るって言われてる。厄災が起こる前兆だなんて言う者もいるが……」


「ことあるごとに厄災、厄災って言っている気がするんだけど」


「そうかもしれないな。この世界は、わからないことが多すぎるんだ。わからないから、みんな不安になる。女神教がそう仕向けているんだとダヴィドが言っていた」


 竜が空を泳いでいるようにも見えなくもない赤い光を、ルークは見据える。


「だけどオレは、この世界のことが知りたい。いろんな世界を見てみたい。オレの居場所が、どこかにあるかもしれないから……」


 ルークが独り言のようにつぶやいた。

 しばらくすると周囲が明るくなり、赤い竜は空の上に去っていった。ロウナは小さなため息をこぼし、余韻に浸る。


「実際には竜が暴れているんじゃなくて、単なる発光現象だと、ダヴィドは言っていた」


「確かにそうかもね」


 オーロラのようなものだろう。


「博識だな。知識は大切だ。ダヴィドのそばにいると、それがよくわかる」


「わたしの知識が、この世界に通用するかどうかは疑わしいけどね」


 そのときロウナは、赤い光を失った西の空に、輝くものが三つ浮かんでいることに気づいた。


「何か飛んでる」


 ロウナが指さした先を、ルークが見つめる。


「ここから見えるってことは、かなり大きいな。翼があるようだ」


「飛んでいるんだから、翼があるのは当たり前だと思う」


「尻尾もある。飛竜か?」


「飛竜? やっぱり竜がいるの?」


 振り向いたロウナは、狭い見張り台の上でルークと顔を見合わせた。鼻と鼻がくっつきそうな距離だ。

 そのとき、誰かがのぼってきた気配がして、ヨムが飛び立った。

 スサルナが、ぬっと見張り台に顔を出す。驚いたルークとロウナは、お互いに距離をとろうとして押し合い、落っこちそうになった。


「朝早くから二人きり、いったい何をしていたのですか?」


 静かな口調だが、目が怖い。


「山の向こうに飛竜がいたんだ」


 ルークが親指で西の空を指し示した。しかし、飛竜は見えなくなっていた。


「そうですか。間近に現れたというなら驚きですが、遠くに飛竜らしき影を見掛けることくらい、まれにあることです。それよりルーク、朝食の準備の時間ですよ。ロウナも今日から手伝いをお願いします」


「は、はい」


 飛竜のことは気になるが、スサルナの言うことには従った方がよいだろう。ロウナはダヴィドの使用人ということになっているから、働かないといけないのだ。


 ――よし。がんばって働こう。女神候補とは言っても特別扱いされないみたいだから。


 生きていくうえで、仕事がないよりはあった方がいいことは理解していた。

 ロウナは気合いを入れて上甲板に降り立ったが、周囲の様子に拍子抜けした。

 いつの間にか水兵たちが現れ、札遊びをしたり盤上遊戯を広げたりしていた。昨日、いざ出港というところで足どめされたので、手持ち無沙汰のようだ。

 甲板の上を歩くネコたちが、のんびりとした空気を醸し出している。


「ネコがいっぱい……」


「猫水夫だ」


 ネズミ対策のために乗せているのだそうだ。

 ロウナは、にんまりしながら艦尾へ向かい、女性部屋に戻った。

 顔の筋肉を引き締め直したロウナは、スサルナやルークとともに、ダヴィドの朝食の準備やその後の片づけなどをするために立ち働いた。女性部屋の女性たちも、おのおのの主人のために忙しくしていた。

 そして自分たちの朝食も手早く済ませると、女性たちは思い思いにくつろぎ始めた。

 ロウナは何もすることがなかったが、女性部屋にいると息が詰まるので、バルコニーに出た。

 そこには先客がいて、床にしゃがみ込んで何かに話しかけている。


「小さい肉球……。ぷにぷにですね」


 スサルナだった。子ネコに話しかけているようだ。声がいつもより高い。


「ふふっ……」


 冷静沈着なスサルナが、相好を崩していた。いつもの様子との落差にロウナも、くすりと笑ってしまう。


「スサルナ。上機嫌、上機嫌」


 ヨムがバルコニーの手すりに舞い降りると、スサルナは我に返り、視線を泳がせる。


「えーと、その……。どうしたのですか? ロウナ」


 スサルナは自分の赤い髪を、手ぐしで梳くようにしてなで続けた。頬が少し赤くなっている。


「気分転換しようと思って」


 ロウナはそう答え、子ネコの方を見た。子ネコは、おびえた様子で後ずさりをする。

 ロウナの肩に飛び乗ったヨムが、コノ子ネコは魔物ダ、とささやいた。


 ――そうか。この違和感は魔物だからか。


 別におどろおどろしい姿かたちをしているわけでもないので、ロウナは少し違和感を覚える程度だったが、ヨムは感覚が鋭敏なのか、はっきりそれとわかるようだ。

 バルコニーの床に飛び降りたヨムは、ゆっくりと子ネコに近づいた。ヨムと子ネコは、ほぼ同じ大きさだったが、子ネコは明らかにヨムにおびえていた。急に鳴き声を上げ、全身の毛を逆立てる。

 一羽と一匹は、一定の距離をとって円を描き始めた。まさに一触即発という雰囲気だ。スサルナは、おろおろと手を差し出し、子ネコを抱き上げるべきかどうか迷っている。

 不意に飛び上がったヨムは、子ネコの後ろに回り込んだ。子ネコは、後ろをとられまいと体をひねり、ニャア、と破れかぶれの猫パンチを繰り出した。

 ヨムは、魔法を使うそぶりは見せず、つついたりかじったりして子ネコとじゃれ合うように格闘する。

 互いに一進一退の攻防を続けたあと、ヨムがふわりとバルコニーの手すりに飛び退いた。それを追いかけて、子ネコが手すり近くにあった木箱の上に飛び乗る。

 そのとき突然、階上のバルコニーから宙ぶらりになった何かが現れ、その影が子ネコの上に覆いかぶさった。子ネコは、ニャア、と驚いてバルコニーから海へ飛び込んでしまう。


「ゴトー!」


 スサルナが慌てて手すりに駆け寄って叫んだ。子ネコに名前をつけていたようだ。


「ルー。何てことしてくれるんですか!」


「すまない。そんなつもりじゃなかった」


 人影はルークだった。バルコニーにぶら下がって懸垂を始めようとしたらしい。


 ――まったく何をやっているんだか、この人は。


 そのときロウナは、助けて、と叫ぶ子ネコの声が聞こえた気がした。おぼれ苦しむ様子が目に入る。


「今、助ける」


 迷わず駆け出し、手すりをまたぎ越えた。


「「ロウナ?」」


 ルークとスサルナが止める間もなく、ロウナは手すりから手を離すと、目を閉じ、鼻をつまみ、体をまるめて海へ飛び込んだ。


 ――大丈夫だ。波もないし冷たくもないし、これなら泳げる。


 ロウナは顔を上げて周囲を見まわした。子ネコが必死の形相で、バシャバシャとあがいているのが見えた。


「ゴトーっ!」


 たしかスサルナが、そんな名前で呼んでいたはずだ。

 ロウナは平泳ぎでゴトーに近づく。そして、暴れるゴトーの後ろに回り込み、無事に保護した。


「もう大丈夫」


 ぶるぶると震えるゴトーを背中に乗せ、船の方へ振り向くと、ルークとスサルナが何かを叫んでいた。縄梯子があるところまで泳げ、と言っているようだ。

 ロウナは、艦体に沿って緩やかに弧を描きながら、すいすいと泳いだ。海の生き物が普通にいるようで、魚が元気に泳いでいるのが見える。

 船べりに垂らされた縄梯子までたどり着くと、ゴトーを抱えてのぼっていく。


「毒の海に飛び込むなんて、何を考えているのですか。ロウナ」


 スサルナは、あきれた顔で手を差し出した。ロウナはその手を頼りにして甲板に上がる。


「毒の海?」


「知らなかったのですか? 海の水を飲んでいませんか? 少し飲んだくらいでは、どうこうないと思いますが……。海には厄災の際に発生した毒が大地から流れ込んでいるので、注意しなければいけませんよ」


 海に棲む生き物は毒を取り込んでいると言われていて、口にしないらしい。


「とりあえず、わたしもこの子も大丈夫みたい」


 ロウナはゴトーを抱き上げ、スサルナに手渡した。


「よかったですね、ゴトー。ロウナにお礼を言いなさい」


 スサルナは、抱き上げたゴトーの両前足を持ち上げて鼻先で合わせ、自分で、ありがとう、と言った。


「それにしても、泳げるなんて驚きです。誰かに習ったのですか?」


 この世界では、海や川が毒で汚染されているせいか、船乗り以外は泳げる者が少ないらしい。


「必死に手足を動かしただけだよ」


 ロウナの説明に納得がいかないような表情を浮かべたスサルナの足元から、ヨムがひょっこりと顔を出す。


「ロウナ。スマナイ」


「いいよ、ヨム。でも、この子と仲よくしてあげて」


「ワカッタ」


 返事をしたヨムの隣に、スサルナがゴトーを座らせた。ロウナがその様子をほほえましく眺めていると、頭からぱさりと大きな布をかけられた。


「すまなかった。オレのせいだ。早く着替えた方がいい」


 照れくさいのか、ルークは明後日の方向を向いたまま言葉をかけた。


「着替えは……、私の服を貸しましょう。今着ているぶかぶかの服よりはいいでしょう」


 スサルナは小柄で、ロウナとよく似た背格好だ。


「ありがとう」


 女性部屋のバルコニーに移動すると、スサルナが貴重な水で毒を洗い流してくれた。

 体を拭いて着替えを終えたロウナは……、前と代わり映えがしなかった。古風なチュニックと長ズボンが、ぴったりになったというだけだ。胸の辺りがぶかぶかで、腰まわりがきつかったけれど……。


「少し手直しが必要ですね」


 スサルナが、ふわりとほほえんだ。

 ロウナが代わり映えしない一方で、スサルナは少し変わった気がした。ロウナに対するよそよそしさが見られなくなった。ゴトーのおかげかもしれない。


「これも身につけておくといいですよ」


 スサルナは、服のほかに肩当ても譲ってくれた。ヨムが肩にとまると爪が食い込んで痛いので、とても助かる。

 それにしてもスサルナは、手があいているときはゴトーをずっと抱えたままで離そうとしない。


「ずいぶんとゴトーにご執心だね」


 ゴトーという名は、ゴットバルトなどという大層な名を略した呼び名だそうだ。気ままで、無愛想で、危なっかしいところが気に入ったのだと、スサルナは頬を緩めながら話した。

 ロウナは、ゴトーが魔物であることをスサルナに告げるべきか思案していた。しかし、大した魔力はないし、危険とは思えない。結局、しばらく様子を見ることにした。

 やっとひと息ついて、もうすぐ昼食というところで、突然鐘や太鼓が鳴り始めた。急に周囲が慌ただしくなる。

 スサルナが天井を見上げた。


「どうしたんでしょうか?」

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