8 女神候補
「『厄災の魔女』って、千年前に世界を滅ぼしたっていうあれか? もうすぐ復活するっていう……」
ダヴィドは、あり得ないというように両手を左右に広げた。
ルークは、黒く焦げた魔法の杖の残骸を懐から取り出す。
「ロウナの魔力は大きくて、なおかつ威圧的だ。おかげでこの有り様だ」
「それは、もしかして私が貸した魔法の杖か?」
ダヴィドは一瞬悲しげな表情を見せた。
「すまない、ダヴィド」
「わたしのせいです。ごめんなさい」
ロウナも頭を下げた。
「まあ、形ある物はいつか壊れる。仕方ないさ。それにしても、杖がそんな風になってしまうなんて、ぜひその場で魔法を見てみたかったな」
うわずった声を出したダヴィドを、アメリアがにらんだ。
「しかし、だからといって『厄災の魔女』は、さすがにあり得ません。『厄災の魔女』が復活するといううわさは、信徒からの寄付を増やすために女神教が意図的に流しているものです」
「そうなのか」
「ええ。ですが彼女が本当にそれほどの魔力を持っているとすると……」
アメリアは顎に指を添え、優雅に考え込んだ。
そのとき、開いていた窓からヨムがバタバタと飛び込んできて、ロウナの肩にとまった。
「ロウナ、見ツケタ」
ヨムが言葉を発したのを見て、スサルナとダヴィドが目を見張った。そしてアメリアが目を見開いて立ち上がる。
「神鳥様!」
ロウナとヨムが、びくりと震えてアメリアを見た。
「神鳥様?」
ダヴィドもアメリアを見上げた。
「神鳥様は、女神様が引き連れているという言葉を操る鳥です」
「確かにヨムは、オレたちの言葉を理解しているが」
ルークがヨムをにらんだ。神の鳥なんてあり得ない、という顔をしている。
「ロウナ。もしかしてあなたのその髪、偽物ではなくて?」
ロウナは、うかがうようにルークを見た。ルークが小さくうなずく。
ロウナは黙ってカツラを取った。白い髪が現れる。
「女神様と同じ真っ白な髪……」
アメリアが大きく目を見張った。年を取れば髪は白くなるが、若くして真っ白というのは、やはりめずらしいようだ。
「どうしてもロウナが女神だと言いたいのか? 確かに女神は崩御すると、十四歳の姿で大聖塔内に復活する。だが、そのときは前世の記憶を引き継いでいるはずだろう? それに、すぐに聖騎士団を引き連れて大聖塔のバルコニーに現れ、復活を宣言するのが通例だが、今回はそれがなかった」
「女神様に似たお顔と白い髪を持つ十四歳の少女が大聖塔にいて、話す鳥も連れているとなると、それがどのようなお方であるか言うまでもないでしょう。まさか、記憶喪失になってしまわれたのですか?」
アメリアは天を仰いだ。
「オレは、ロウナが女神だとは思えない。うまく言えないけど、他を屈服させるような圧を放っていて、女神のような品格は微塵も感じられないんだ」
ルークが少しおびえたような表情を見せながら、ロウナをさらりと侮辱した。
――そういえば出会ったとき、びくびくしているな、とは思ったけれど。
ロウナは打ち解けたつもりでいたので、そんな風に思われていたと知り、少しショックだった。
「わたしはこの世界のことを何も知りませんが、女神ではないと断言できます。もちろん厄災の魔女でもありません」
ロウナは勇気を振りしぼって、できるだけ明確に否定した。十数年しか生きていない、ただの少女なのだ。
「いえ、あなたは女神様以外の何者でもありませんわ」
「まあ落ちつけ、アメリア。本人が違うと言っているのだから、今はそういうことにしておこう。もしかしたら女神は、大聖塔のどこかに隠れていたり、大聖塔からひそかに抜け出してどこかへ身を隠したりしているのかもしれないし、ベルに監禁されているのかもしれない。こればっかりは、女神かベルに聞いてみないことにはわからない」
そのとき扉を叩く音がした。そして水兵が入ってきて、オルソーに耳打ちをする。ネコを抱いたまま居眠りをしていたオルソーが、ゆっくりと目を開けた。
「聖国が出港を数日待てと言ってきたようだ。理由は不明だ」
「十中八九、大聖塔へ侵入した魔法使いと思しき者たちが見つからないから、ということだろうな」
ダヴィドがロウナを見た。
「女神様の心配もいいが、こんな無茶ばかり言う教皇聖下の方が、よっぽど問題じゃねえのか。早く教皇聖下を引きずりおろさないと、取り返しのつかないことになるぞ」
オルソーが大きく伸びをしながら言った。
「そうは言いますが、各国の反教皇派の取りまとめは終わっているのですか?」
アメリアがオルソーをにらんだ。
「だから、まず王都侵攻の準備を急いでる。王都を掌握しないと国として動けねえ。もちろん聖都の中枢を制圧する準備も進めてるがな」
「流血沙汰は、できる限り避けなければいけませんよ。強引に進めれば、女神様のお墨付きを得られない可能性があります」
アメリアの言葉に、ダヴィドが首を横に振る。
「その女神がいないんだ。教皇打倒や王都侵攻の準備も結構だが、やはりまずは、女神を捜すべきだと思うが」
議論は堂々巡りだった。フェルモだけは、じっと何かに耐えるように目を閉じて黙っていた。
しばらく沈黙が続いたあと、ダヴィドがロウナの方へ向き直った。
「とりあえず君は、私たちと一緒にルマトラ王国のラカルタ領都へ向かってもらう。そうだな……、聖都に住んでいた私の姪で、使用人としてこの艦に乗り込んだことにしておく。君は、ルークとスサルナの従妹で、十四歳だ」
「……はい」
「もし女神がずっと行方不明のままということになれば、いずれ君には世界のため、その魔力を生かして女神の役割を果たしてもらうかもしれない。本物かどうかに関わらずな。それくらい、魔法使いは貴重で偉大な存在なんだ」
「そんな……」
「そして、我々の未来を託すのだから、我々は君のことをもっと知らなければならない」
ダヴィドがほくそ笑んだ。そんなダヴィドをアメリアがにらむ。
「あなた、彼女を自分の手元に置いて調べたいだけでしょう?」
「まあそう言うな。トマーシュも同じことを言うはずだ」
――トマーシュ?
「トマーシュとは、ルマトラ王国ラカルタ領の領主のことです。教皇聖下の振る舞いをよしとしない人々を取りまとめている方なの」
アメリアが説明をしてくれた。派手な見掛けによらず、よく気が回る親切な人のようだ。
ルークによれば、本来領主のトマーシュがこの使節団に参加するはずだったが、親教皇派である王都の連中が不審な動きをしていて身の危険を感じたため、ダヴィドが領主名代として参加したらしい。
女神謁見式で披露される予定だった、女神が女神たる所以の魔法を見たかったからというのも、ダヴィドが聖都へやってきた理由の一つのようだが。
「もし君が、本当にこの世界のことを知らないというのなら、女神候補として常識や行儀作法を学んでもらう必要がある。ルマトラ王国で国王近衛隊の一員だったスサルナに教えてもらうといい」
「はい」
「ああ、それとカツラでは不便だろうから、スサルナに髪を染めてもらいなさい」
「はい」
ロウナは、スサルナの方を見ながらうなずいた。
――しばらくは、ここにいることになりそうだ。
当面、自分の居場所が確保されたのだと前向きに考えることにした。
「それにしても彼女が現れてくれてよかったな、ルーク! 女神が行方不明と聞いたとき、女装させて女神に仕立てあげれば、教皇との交渉材料になるかもしれないと閃いていたんだ」
「何を馬鹿げたことを!」
そのとき、グウーっ、と突然大きな音がして、ロウナが顔を赤らめながらお腹を押さえた。
「ここまでにしよう。だが昼食までは、まだ時間があるからな」
ダヴィドが、若干の同情を含んだ視線をロウナに送った。
ダヴィドとアメリア、オルソーが士官室から出ていったあと、フェルモが立ち上がり、スサルナの方へ歩み寄る。ここにはロウナとルークが残っているだけだ。
「少しいいですか? スー」
「え、ええ。殿下」
スサルナが、戸惑ったような表情を浮かべながらうなずいた。
フェルモは、不安そうな目でスサルナを見つめている。
「私は、自分が不甲斐ないです。反教皇派の彼らに担がれてここにいるだけで、私自身はどうすればいいのかわからないのです」
「フェル……」
「私は、教皇聖下の横暴を見過ごすべきではないとは思っています。ですが教皇聖下に逆らうことは、父上や兄上と対峙することにもなります。それが本当に正しい道なのかわかりません。行き先を指し示してくれる人が、私には必要なのです。スー、戻ってきてはくれないのですか?」
「殿下は私を買いかぶりすぎです。私はそんな立派な人間ではありません」
「いや、スーは……」
「私は、自分のあやまちにより国王近衛隊を解任されたのです。王都に戻る資格はありません」
「スー……」
フェルモは悲しそうな表情を浮かべ、憂いを帯びた声を出した。
「殿下は、第三王子という身軽な立場なのですから、今回のように様々な場所へ出向き、いろいろな人の意見を聞くとよいでしょう。そうすれば進むべき道が見えてくると思いますよ」
ロウナには事情が呑み込めなかったが、フェルモがスサルナを慕っているということはよくわかった。まるで姉と弟のように見えた。
ルークによれば、スサルナは以前、フェルモを護衛する国王近衛隊に所属していたらしい。
スサルナに誘いを断られたフェルモは、落胆の色を隠せず、とぼとぼと士官室から出ていった。
ロウナも退席しようと立ち上がると、ルークに呼び止められた。
「昼食の前に髪を染めてしまうから、ロウナは残ってくれ。スーは準備を頼む」
「「はい」」
ロウナはルークとともに、誰もいなくなった士官室からバルコニーへ出た。
――そういえば、白い髪になった自分の姿を見られなかったな。
少し未練を感じながら海を眺めていると、スサルナが二人分の湯を準備してやってきた。ついでにルークの髪も染め直すらしい。
スサルナは手際よく二人の髪を染め、一時間ほど待ってから髪を洗い流してくれた。
洗髪するスサルナの指には妙に力がこもっていて、ロウナは思わず、痛い、と声を上げてしまったが、どうにかこうにか見事なオレンジになった。ヘンナのような染料なのだろう。
「ありがとう、スサルナ」
「いえ」
スサルナは無表情のままだ。
「どう? ルーク」
「どうって、別に。オレンジの髪の男に見える」
つれないことを言うルークに、ロウナは頬を膨らませた。
ルークは、なぜロウナが怒るのか理解できない、というような顔をして去っていった。スサルナは、ロウナとルークの顔を交互に見比べ、悲しげな顔をしている。
「では、私たちも戻りましょう」
「はい」
ロウナは髪を気にしながら、スサルナとともに士官室の下の元いた船室に戻った。
航海中、ここは女性部屋になる。要人の補佐や身のまわりの世話をする女性ばかり、十人ほどがここで過ごすことになるらしい。ただしアメリアだけは、司令室と同じ階にある貴賓室を使うという。
ロウナはしばらく、この女性たちと寝食をともにするのだ。
――はっきり言って憂鬱だ。
人付き合いが苦手なロウナは、ヨムをぎゅっと抱きしめ、暗い船室を見まわした。
アメリアの側近は、ネリとマノンという三十歳くらいの女性で、アメリアと同様に華やかな祭服をまとっている。二人が昼間、かいがいしく主人の身のまわりの世話などをしているのを見掛けたが、ネリは押しが強そうだし、マノンは冷淡そうだし、どちらもロウナが苦手とする雰囲気を醸し出していた。
フェルモを護衛する二人の女性は、国王近衛隊の騎士らしいが、スサルナとは面識がないようだ。主君に似て頼りなさげで、フェルモがスサルナを頼りたくなるのは無理もない話だと思えた。
ロウナもスサルナを頼りたかったが、スサルナはなぜかロウナに対してよそよそしい。
ここにはほかにも女性がいるが、まだ誰が何をする人なのか覚え切れておらず、頼ることなどできない。
自分のことを一番わかってくれているルークがおらず、ロウナは孤独感を覚えながら目を閉じた。こんなときは、往々にして後ろ向きな気持ちになってしまう。
――わたしはどうなるんだろう。これからどうすればいい?
ヨムの頭をなでながら、心の中で呼びかけた。名状しがたい自己嫌悪が心を支配していった。