7 尋問
次の日、ロウナはルークに朝早く起こされた。そして、急かされて朝食をとったあと、寝泊まりしていた船室の上にある士官室へ移動した。
ここは、この艦の士官たちが食事をしたり、作戦会議をしたりする部屋らしい。
大事な話があるようなので、ヨムには、しゃべるな目立つな魔法を使うな、と言い聞かせて、外で過ごしてもらっている。
「少し待っていてくれ」
ルークは、ロウナを一人残してどこかへ行ってしまった。ロウナは椅子に座り、外の様子をうかがう。
艦の中も外も、とても騒がしくなっていた。軍の士官や兵士、使節団の役人、聖職者などが足船で乗り込んできたのだ。つまり、出港が近いということだ。
しばらくして、トントンと扉を叩く音がした。ロウナは、びくっとして立ち上がる。
――誰だろう?
ルークは、扉を叩くなんていう気の利いたことはしない気がする。緊張した面持ちで扉を開けた。
「どうぞ」
自分の部屋でもないのに、どうぞ、と言うのはおかしい気がしたが、ほかに言葉が思いつかなかったのだからしようがない。
開いた扉から、見知った二人が顔を出した。ルークとスサルナだ。
ロウナは、スサルナの顔をあまり覚えていなかったが、小さな背格好とふわふわした赤い髪とで、それとわかった。
姿勢よく、すっくと立つスサルナの腰には短剣がぶら下がっている。そういえば、勇ましい格好に似合わず、丁寧な話し方をする女性だったな――とロウナは思い出す。
「改めて、スサルナ・セインです」
「えっ? ルークも、たしかセイン……」
「私は、ルークの姉ということになっています」
奥歯に物がはさまったような言い方だ。
「オレとスーは他人だが、家族を失ってダヴィドに拾われたんだ。ダヴィドの甥と姪ということにしてある」
ロウナに歩み寄ったルークが、小声で補足してくれた。ルークもスサルナも、ダヴィドという男に雇われた護衛兼使用人だという。
スサルナの背後には、五十歳前後の男性が立っていた。
口ひげと顎ひげが生えたまるい顔に、丸眼鏡が特徴的だ。褐色の髪はぼさぼさで整えられていないが、身なりはきちんとしている。
「やあ、私はダヴィド・クルスだ。ルマトラ王国のラカルタ領立大学で、法学部の教授をしている。あやしい者ではないよ」
「教授……?」
大学なんてものがあるらしい。よく見れば、確かに教授っぽいかもしれない。
「君のことはスサルナから聞いていたが、確かに男の子みたいだな。魔法使いということだから、いろいろと聞きたいことがあるんだ。少し時間をもらえないだろうか? 嫌と言っても無駄なんだけどね」
「ダヴィドは、女神が魔法に関するすべてを独占し、秘匿しているのに、禁忌を破ってそれに手を出そうとする魔法の研究者で、変人だ」
ルークがロウナに耳打ちすると、ダヴィドが、聞こえてるぞ、と低い声でうなった。
――法学部教授なのに魔法研究?
法学には、魔法学を含むのかもしれない。
そのあとダヴィドは振り向いて、黒い髪と褐色の肌が特徴的なかわいらしい男の子を、慇懃な所作で士官室の中へと誘い入れた。
「こちらは、この使節団の全権大使である、ルマトラ王国のフェルモ殿下だ」
「殿下?」
「王国の第三王子殿下であらせられる」
声を潜めたルークの説明によれば、フェルモはまだ十四歳ながら、ルマトラ王国ラカルタ領を中心とした反教皇派に旗頭として担ぎ上げられているらしい。
父親のルマトラ国王が金髪碧眼に白い肌なのに、フェルモが黒い髪と褐色の肌であるせいで、王女の愛人の子と疑われており、親教皇派である国王を始めとした王族や王都パレスバンの役人から冷遇されているとのことだ。
今のところ反教皇派は、表立って行動を起こしてはおらず、女神教やサリマンファン聖国、ルマトラ王国王都パレスバンなどの親教皇派の者たちと笑顔で握手しつつ、机の下で蹴り合っているような状況らしい。
――反教皇派とか親教皇派とか、状況が飲み込めないけれど、この王子が大変な目に遭っているということはわかる。
神妙な顔をしてちょこんと椅子に座っていたフェルモは、スサルナを見つけると、口元をほころばせた。スサルナはつくり笑いを浮かべ、男の子に向かって軽く手をあげる。
「おっ、やっと来たな。こっちはアメリア・パエス猊下だ。ルークは、先日の女神謁見式で会ったな」
ダヴィドが、背後から現れた成人女性を親指で指すと、フェルモとルーク、スサルナがアメリアに向かって一礼をした。
「サリマンファン聖国の聖都大司教の娘で、枢機卿だ。私とアメリア、そして教皇のベルは、大学院生の頃からの腐れ縁なんだが、アメリアは女神教内における我々の協力者として、ベルの様子を探ってもらっていたんだ」
「な、なるほど」
「ですが、わたくしの身に危険が迫り、お父様が、地方を監察するという建前でルマトラ王国へ送り出してくれたというわけです」
アメリアは、ダヴィドと同い年ということだが、ダヴィドよりずっと若々しく、なまめかしかった。
それは華やかな化粧をしているせいもあるだろうが、妖艶な目元と、つやのあるふっくらした唇が老いを感じさせず、若さを主張していた。
頭には耳を隠すように白いスカーフをかぶっていて、そこからこぼれ出ている波打つ長い髪は、ルークと同じようなくすんだオレンジ色だった。
そして、やわらかな曲線を描きつつも、すらりとした体は、ごてごてとした様式の刺繍が縫いつけられた祭服に包まれていた。
「で、最後に、この太ったのが、オルソー。領海軍の司令官だ」
太ったは余分だ、と肩をすくめてみせたオルソーは、羽根のついた三角帽をかぶり、大仰な装飾が施された折り襟の上着を羽織っている恰幅のよい中年男性で、おそらくこの中で一番の年長者だ。
どっかと椅子に腰掛けたその胸には、なぜか子ネコが抱かれている。
「ここにいるのは、気心の知れた反教皇派の友人たちだ。君を取って食ったりはしないから、安心したまえ」
――反教皇派だなんて、きなくさい話に巻き込まれるようだ。
ロウナは身構えるように背筋を伸ばした。
「我々の秘密を知った君は、もう逃れられない。そこは、覚悟しておいてくれ」
貴人であるアメリアやフェルモの側近さえも排された場にいるのだ。ロウナは、諦観の表情を浮かべてうなずいた。
ちなみにルークによれば、この中で一番地位が高いのは、枢機卿であるアメリアらしい。次に王子のフェルモで、司令官のオルソーが続き、ダヴィドが一番下のようだ。それなのに、ダヴィドの態度が一番大きいのは、率直に意見を言い合える関係だからなのだろう。
「あら……」
不意にアメリアの顔が、ロウナの目の前に迫ってきた。
「どうした? アメリア」
ダヴィドが怪訝そうに尋ねた。
「いえ、彼女の雰囲気が、女神様の若かりし頃に似ていると思いまして。女神様は顔の下半分を仮面で隠していらっしゃるから、素顔を知っているわけではないのですけれど」
「似ているのか?」
「そうは思わないのですか?」
「女神については、魔法以外の部分に興味がないからな」
「まったく、あなたという人は……。あと、女神、さ、ま、と敬意を表しなさい。何度言ったらわかるのですか?」
「女神は女神さ。さあ、ルーク。大聖塔の中で見てきたことを聞かせてくれるか? そして、どうやってその女の子をかどわかして、さらってきたのかを」
机をはさんでロウナの前に座ったダヴィドが顎ひげに手を添え、にやりと笑った。
「誤解を招くような言い方をするな。連れ出してくれと頼まれたから、一緒に脱出しただけだ」
ルークは不機嫌そうな声で、大聖塔の内部に侵入した顛末を話し出した。
消えた女神を捜索したが、結局女神は見つからず、代わりに野良魔法使いのロウナを見つけたという報告を、皆が興味深そうに聞いていた。
しかしルークは、ロウナが突然空中に現れたことには言及しなかった。大聖塔の中を歩き回っているときに、たまたま見つけたのだと説明した。
「……ルークの言う、地下から出てきた異様な集団というのは、聖魔技団かもしれないな」
「魔導具をつくってるっていう、あれか?」
「ああ。女神は、魔法の使える亜人を大聖塔に囲っているという話だからな。私も会ってみたかった。その亜人もかどわかして、ここへ連れてきてくれたらよかったのに」
「亜人?」
ロウナがつぶやくと、それに気づいたアメリアが説明をしてくれる。
「亜人とは人間に似ているけれど、人間と異なる特徴を持った魔法を操る者たちのことです。あなたが見たのは、おそらく小人族ですね」
確かに背が低かった。
「ほかにも、氷の海の向こうには耳長族や獣人族がいると言われていて、女神教では、どの亜人も人になりきれなかった忌むべき存在とされています。そんな亜人たちを、女神様はそのご慈悲でもって隷属させ、使役しているのです」
――忌むべき存在?
確かに気味が悪かった。しかし、親しみに近い感覚もあった。
「アメリアは、聖魔技団について何か知っているのか?」
「わたくしも見たことはありません。大聖塔の中へは教皇聖下でさえ入ることができないのですから」
大聖塔の中には、魔力を持つものしか入れないらしい。魔力を注ぎ込まないと扉が開かないのだという。
「では、ロウナ。そろそろ君のことを聞かせてもらおうかな。スサルナは記録を頼む」
ダヴィドは机の上に両肘をつき、顎の下で指を組んで、ロウナの方に向き直った。
――話を聞かせてほしいのは、わたしの方なんだけど。
そう思いながらも、ロウナは居住まいを正した。
「名前は?」
「ロウナ・ツバキです」
「「ツバキ?」」
ダヴィドとアメリアが、目を見開いて顔を見合わせた。
「君は、アレクサンドラという名前に心当たりはあるか?」
「いえ」
「そうか……。年齢は?」
「わかりません」
「わからない?」
「十二歳以上だとは思いますが」
「見たところ、十四、五といったところだが。なぜ大聖塔にいたんだ?」
「わかりません」
本当のことだ。気づいたらあそこにいた。
「では、大聖塔に来る前は、どこで何をしていた?」
「……よく覚えていません」
ルークも含めてこの人たちが信頼できるかどうか、まだ判断できない。だから今は、前にいた世界について話すべきときではないだろう。
ルークには、つい気を許してニホンについて話してしまったけれど。
「聞き方を変えよう。君が覚えている君自身のことについて、何でもいいので話してくれないか?」
「……今は頭が混乱していて、記憶にあるものが夢なのか現実なのかよくわからないので、話したくないです」
「困ったな。でもまあ、私たちを警戒するのは当然の反応だ」
「でも、わたしなんかを助けてくれたことには感謝しています」
「自分のことをそう卑下するもんじゃない。あと、我々が君の味方なのかどうかは、まだわからないぞ。だから感謝するのは早いな」
ダヴィドはそう言って頭をかいた。
「そんなことより、ダヴィド。大聖塔の中にいたということは、魔力があるということですよ。見たところ亜人ではないのだから、彼女は人たる魔法使いか、あるいは女神か、そのいずれかしかあり得ないことになってしまいます」
アメリアの妖艶な瞳が、ロウナを見据えた。眼光に気圧されたロウナは、目を伏せる。
「魔法が使えるかどうか、見せてもらってもいいか?」
「……何をすれば?」
無意識に魔力を漏らしたロウナの周りに、ふわりと風が立った。
「だ、だめだ。ロウナに魔法を使わせると、とんでもないことになるかもしれない」
ルークが慌てた様子でロウナを制止した。
「ロウナがただならぬ魔力を持っていることは、オレが保証するから」
魔力があるかどうかは、魔力がある者しかわからないらしい。この中では、ルークしかわからないということだ。
「ルークの言うことを信用したとしても、まあ、女神ということはないと思うが」
「『厄災の魔女』じゃないのか?」
ルークが声を潜めるように言うと、ダヴィドとアメリアは呆気にとられた表情を見せた。