6 魔法の暴走
ロウナとルークは、教皇近衛隊の臨検をやり過ごすため、見張り台にのぼって隠れた。
徐々に日が高くなっていく。この艦の周りにも荷を載せた小舟が行き交うようになってきた。
「やっと搬入作業が始まったか。近衛騎士がやってきたせいで、遅れているようだ」
湾内に錨泊する艦船に小舟が取り付き、乗組員たちが船べりにかけた縄梯子から乗り込んでいく。そしてロウナを吊り上げた例の滑車を使って、せわしなく甲板の倉口から荷物を搬入し始めた。
乗組員たちの首元では、首飾りがキラリと光っている。そういえば、ルークもスサルナも、同じように白くて四角い板状のペンダントトップが付いた首飾りを身につけていた。この世界で一般的な装飾品なのかもしれない。
「案外わたしたち、気づかれないもんだね」
ロウナは何度も見張り台から顔を外に出して、下を覗き込んだ。
「そんなものだと思うぞ。今日は主に物資の搬入だから、見張り台を見上げて誰かいるかどうか確認する奴なんていないさ」
「いつまでここに隠れてないといけないの?」
「臨検が終わるまでだ」
「そう……」
――今日一日、ここにいることになりそうだ。
ロウナはまた、ぺたりと座り込んだ。見張り台は狭く、ロウナはルークと肩を寄せ合っている。
しばらくするとルークがうとうとして、頭をロウナの肩にもたせかけた。ロウナはそのままの姿勢で膝の上に頬杖をついて、ぼうっとしていた。
どれくらいそうしていただろう。毎度のごとく、突然ヨムがどこからか舞い降りてきて、ロウナとルークのあいだに飛び込んできた。
「ロウナにクッツクナ!」
そう言って、ルークのオレンジ色の頭をくちばしで突っついた。飛び起きたルークは、きょろきょろと首を回す。
「な、何だ?」
「ロウナにクッツクナ。オレンジ」
「べ、別に好きでくっついているわけじゃない」
「離レロ! オレンジ」
「オレンジじゃない、ルークだ」
「やめなさい、ヨム。わたしは別に何とも思ってないから」
「オレンジ、嫌イ」
ロウナの肩にとまって顔を背けた。
「わたしも今は、髪がオレンジ色なんだけど」
カツラに手を添え、格好をつけてみせた。
「ロウナには似合ッテル」
オレンジ色が嫌いなわけではないらしい。
そのとき、しっ、とルークが人さし指を立てる。
「例の哨戒艇がこっちに向かってくる」
ロウナは、ルークが指をさした先に目を凝らした。両舷から突き出した数十の櫂を整然と動かしながら、かなりの速度で近づいてくる。
「何人か近衛騎士も乗っているな。グレアムもいる」
ルークは舌打ちをした。
哨戒艇の上で、赤と青の縦縞の制服を身にまとった数人の騎士が、兵士に指示を出しているのが見えた。皆、白銀の胸当てをつけ、腰には長い剣をぶら下げているが、そのうちの一人は包帯だらけだ。
そういえば大聖塔で城壁を転がり落ちた騎士がいたな――とロウナは思い出す。
「面倒なことになりそうだ」
ルークはうんざりした顔になった。
哨戒艇がこの艦に横づけされると、十人ほどの騎士や兵士が、縄梯子をのぼって乗り移ってきた。
ロウナとルーク、ヨムは見張り台の上でじっと息を潜める。
「邪魔だ。どけっ!」
聖国の兵士がこの艦の乗組員を怒鳴る声が、下から聞こえてきた。ロウナが、びくっと体を震わす。
――どこへ行っても、こうやって怒鳴る人がいる。いったいあなたの何が、そんなに偉いのか……。
ロウナは、児童養護施設にいたときに修道女から怒鳴られ、同じ孤児たちから暴力を受けた嫌な出来事をいくつも思い出して、深いため息をついた。ヨムが心配そうにロウナの顔を覗き込む。
「大丈夫だよ」
ロウナは、ぎこちない笑みを浮かべた。
風が出て少し肌寒くなってきたので、ヨムを胸に抱えた。目を閉じて息を殺す。
しばらくして、見張り台の下がまた騒がしくなったことに気づいた。聖国の近衛騎士や兵士たちが集まってきているようだ。
「ボクが上がってみよう」
そんな声が聞こえて、帆柱をのぼるための縄梯子がギシギシときしみ始めた。見張り台の隙間から下を覗くと、近衛騎士がのぼってきていた。
ルークが顔をしかめる。
「しっかりオレにつかまっていろ」
ルークは例の赤くて細い棒を胸から取り出して、顔の前に持ってきた。そして、念じるような仕草をした。
すると、杖を中心として同心円状に魔法陣が展開した。大聖塔から逃げるときに見たものと同じだ。
魔法陣がこの艦を覆う大きさまで広がると、突然周囲に旋風が起こった。艦がぐらぐらと揺れ、無数の綱がうなり出す。
「何だ、この風! わああっ!」
前にも聞いたような叫び声がだんだん遠くなっていき、海に落ちた音がした。
「よし」
風がやみ、ルークは大切そうに杖をしまった。
ロウナは、そっと下を覗き込んでみる。グレアムと呼ばれていた騎士が海面から首を出して、手をばたばたさせながら助けを求めていた。怪我でうまく泳げないのかもしれない。
「どうしました、騎士様! 助けが必要ですかい?」
この艦の乗組員が、海に落ちたグレアムをからかった。
「くっ……、不敬だぞ。早く救命具を投げろ! ウォレン」
必死なグレアムが、少しかわいそうに思えてきた。
――それにしても、魔法って何なんだろう。
「その棒を見せてもらってもいい?」
ロウナが手を差し出すと、ルークは少しためらうそぶりを見せたが、棒を手渡してくれた。
「これはダヴィドから借りている大切なものだ。落とすなよ」
「わかった。そのダヴィドという人も魔法を使えるの?」
「使えない。魔法が使える人間なんて、この世界に百人いるかどうかだ。それに、そのすべてが女で聖騎士だ」
「ルークは男なのに、使えるよね」
まさか、実は女でした、ということはないはずだ。
「別に使いたくて使っているわけじゃない。むしろ使いたくない」
「その割に、結構な頻度で使っている気がするけど」
「うっ……。魔法に頼ってしまうのはオレの弱さゆえだ。もっと鍛えないと」
ルークはこぶしを握りしめた。
「この棒って、どう使うの?」
「それは風系統用の魔法の杖で、魔力を流し込むと魔法が発動するようになっている」
「へぇ。確かに魔法陣が浮かんでいたね」
「やはり見えていたか。魔法使いであれば、見えるはずのものだからな」
「つまり、魔法使いじゃない人に魔法陣は見えないってこと?」
「ああ」
ロウナは魔法の杖を目の前に掲げて、いろいろな方向から眺めた。
そのときまた、下から兵士たちの声が聞こえてきた。次はお前が行け、などと叫んでいる。
それを聞いたロウナは、ふと出来心を起こす。魔が差したとしか言いようがない。
無意識に、風の魔法を思い浮かべてしまった。
杖に魔力が吸い込まれそうになったので、慌てて魔力を引っ込める。しかし、少し遅かった。
「あっ!」
ロウナが小さく声を上げた直後、ロウナを中心にして、さざなみが湾全体に広がっていく。
「馬鹿! 何をして……」
ルークの声は、ゴーッという大きな音にかき消された。
湾内に突然暴風が吹き荒れ、海が荒れ狂い、周囲の艦船が木の葉のように揺れ始めた。
「わああっ! 何だ! 何が起こった?」
「め、女神様がお怒りだ!」
乗組員たちの叫び声が、あちこちから上がった。
「は、はいっ! これ返す!」
ロウナは片腕で帆柱につかまりながら、急いでルークに魔法の杖を手渡した。
すると暴風がやんだ。しかしまだ波は高く荒れ狂い、軍艦や商船が激しく揺れ続けている。
周囲を見まわすと、甲板上も港も大混乱だが、幸い沈没した艦船はなさそうだった。
ルークが、しげしげと魔法の杖を眺める。
「この杖、たぶんもうだめじゃないか?」
杖は真っ黒になっていた。
「「あっ!」」
半分に折れて、先がぽとりと足元に落ちた。ロウナの魔力に耐えきれなかったのかもしれない。
ロウナとルークは顔を見合わせる。
「ごめんなさい。わたし、こんなつもりじゃ……」
ルークは小さく吐息を漏らす。
「済んだことは仕方がない。二人でダヴィドに謝ろう。まあ、案外ダヴィドはお前の大きな魔力に夢中になって、折れた杖のことなんかどうでもよくなるかもしれないが」
「そうだといいんだけど……って、いや、それはそれで何か怖いよ」
結局、グレアムや聖国の兵士たちは、慌ただしく哨戒艇に乗り込んで港に戻り、引き上げていった。今日のところはこれくらいにしておいてやる、とグレアムの背中が語っているように見えた。
乗組員たちはというと、すぐに混乱から立ち直り、作業を再開した。たくましい背中がてきぱきと動き、搬入作業を終わらせていく。
ロウナとルークは、結局一日中見張り台にいて、その様子を眺めていた。
やがて、十七時の鐘が鳴ると、潮が引くように人影が消えていった。静かな見張り台の上で、二人きりになった。
「そろそろ下りよう。いつもの夕食だ」
ルークの言葉に、ロウナはうなずいた。
また夜を迎えることは少し怖かったが、ルークと一緒なら大丈夫だと思えた。