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異ならない世界にて ~私には魔法より大切なものがある~  作者: 野洲 ふみ
第1章 サリマンファン聖国の聖都セントバハン
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4 女神のいる世界

 ――会話がない……。


 ロウナは人付き合いが苦手なので、それはむしろありがたかった。しかし、今の状況をまったく教えてくれないのも困る。

 この世界へ来てからの経緯を頭の中で整理してみた。そして、わからないことを尋ねてみようと決心する。酔っているせいか、いつもより積極的になれた。


「あの、ここはどこなの?」


 ロウナが尋ねると、ルークは作業の手を休めて顔を上げる。


「どこまで答えれば納得するのかわからないが、ここはサリマンファン聖国の聖都セントバハンで、この船は、湾内に錨泊中のルマトラ王国使節団の軍艦だ、という答えでわかるか?」


 ルークは丁寧に答えてくれた。だが、まったくわからない。そんな国、聞いたこともない。


「ここはニホンではないの?」


「ニホンとは何だ?」


「国の名前だけど」


「そんな国は聞いたことがないな」


 ルークは、いぶかしげな表情を浮かべた。


「でも、今わたしたちが話している言葉は、ニホン語だと思うんだけれど」


「これは女神語だ。言葉は国ではなく女神のものだ」


「女神語?」


 ロウナは、わけがわからなかった。しかし、とりあえず意思疎通はできている。今は、それでよしとするしかない。


「今はいつなの?」


「女神暦千年の四月二日だ」


「女神暦?」


 また女神という単語が出てきた。


「女神暦は、女神が降臨して厄災から世界を救った年を元年としている暦だろう? そんなことも知らないなんて、今までどこにいたんだ?」


「……わからない」


 これはもう、まったく知らない世界だ。少なくとも十二歳まで過ごした地球ではない。

 しかしもう少し詳しく聞くと、三百六十五日が一年だったり、一年が十二か月だったり、一週間が七日だったり、曜日があったりするらしく、暦の考え方がニホンと同じだった。何だか不思議な感覚を覚える。


「わたしがあなたと出会ったとき、ほかに誰かいなかった?」


 食事をして落ちついたせいか、双子の姉でたった一人の肉親であるランラのことを思い出していた。

 この世界へ飛ばされる直前、何をしていたのかは思い出せない。しかしきっと、ランラと一緒にいたはずだ。


「あの塔では、お前とその変な鳥、それと青白い奴らしか見掛けなかったな」


「そう……」


 ロウナは目を伏せるようにして、ヨムの方を見た。


「ヨムは変ナ鳥じゃナイ」


 そう叫んで羽ばたくと、ルークの頭をつつき始めた。


「ヨムは、いったいどこから来たの?」


「ワカラナイ」


「わたしと一緒ね」


 ロウナは深いため息をついたあと、ルークを見据えた。


「わたしはこれからどうなるの?」


「それについては、あとでダヴィドやスサルナと相談することになるだろう」


 ルークは手をひらひらさせてヨムを追い払った。


「ダヴィドって誰?」


「オレの雇い主のようなものだ」


 ルークは傭兵か何かなのかもしれない。あの塔でいったい何をしていたのだろう。


「わたしが最初にいたあの大きな塔は、何なの?」


「大聖塔と呼ばれている女神の住まう場所だ」


「女神って本当に存在するんだ……。どうしてあなたは、あそこにいたの?」


「オレたちはダヴィドの命令で、いなくなった女神を捜索するため、大聖塔に侵入していた」


「あんな夜中に?」


「女神教の奴らに見つからずに調査する必要があった。教皇が隠しているであろう女神失踪の真相を暴くためだ」


 ――何か、秘密の任務っぽい。


「それって、わたしに話してよかったの?」


「むっ……。そ、それについても、あとでダヴィドから話があるだろう」


 ルークは、聞けばいろいろと答えてくれた。無愛想だが、やはり悪い人ではない。


「……あなたは、わたしに何も聞かないんだね」


「いろいろ疑問はある。しかし、それを聞くのはオレの役目じゃない。お前が何者かは、ダヴィドが見定めてくれる」


 ルークは、眉間に深いしわを寄せてロウナを見つめた。ロウナはその視線の先が気になって、はだけた胸元を手で隠す。ルークは、はっとして目を泳がせた。


「とりあえず着替えようか。その服は薄いし、ひらひらするから目の毒だ」


「目の毒?」


「と、とにかく、替えの服と靴、それに下着も必要だな」


「どうして下着も必要だとわかるの?」


「んんっ? それはあれだ。お前が現れる瞬間を見たからだ」


「見たんだ……」


「い、いい加減にしろっ!」


 ルークは耳を赤くしながら、すっくと立ち上がると、どこかへ消えていった。


 ――他人をからかいたくなるなんて、我ながらめずらしいこともあるもんだ。


 ロウナは、この世界へ来て初めて笑みを浮かべ、伸びをした。

 しばらく経ってから、ルークは衣服や靴を調達して戻ってきた。


「男物なんだが……」


 それはルークのものであるらしかった。ルークと同じ古風なチュニックと長ズボンだ。

 ロウナはむしろ、男物の方がありがたかった。幼い頃からロウナはズボン、姉のランラはスカートと決まっていたから。


「ありがとう。着替えてみる」


 ルークには船室から出てもらった。穴のあいたワンピースを脱いで、半袖シャツと半ズボンのような下着をつけてから、明らかに大きなチュニックと長ズボンを身につける。出来上がった格好は、ロウナが短髪なこともあって少年のようだ。


「どう?」


 ロウナは、船室に戻ったルークの前でくるりと一回転した。


「かなり大きいから裾は折るとして、心配していたズボンは、お前の腰まわりが大きいおかげで大丈夫そうだな」


 ロウナを上から下まで眺めたルークは、真面目な顔で失礼なことを言った。


 ――確かに、わたしのお尻は大きいけれど……。


 姉のランラも腰まわりが大きかったが、ロウナはさらに大きい。別に脂肪がついているわけではなく、骨格の問題だと思っている。

 ロウナは頬を膨らませ、じとっとした目でルークを見たが、ルークは意に介することなく、くすんだオレンジ色のカツラを差し出した。ルークの髪型と似ている。


「これは?」


「お前の髪の色は、魔法使いだと勘ぐられる恐れがある。これをかぶっておけ」


「髪の色で?」


「本当に何も知らないんだな。成人して魔法が発現すると、髪の色が灰色になっていくんだ」


「灰色? わたしの髪が?」


「お前の髪は、灰色じゃなくて白だな」


「いや、黒でしょ」


「真っ白だ」


「嘘! 鏡はある?」


「ない。でも嘘はついてないぞ」


「どうして白に……」


「魔法使いだからだろ。目立つからこうしておけ」


 ルークは、オレンジ色のカツラをロウナの頭の上に、無造作に載せた。


「魔法使いってばれると、何か問題なの?」


「人間の魔法使いはすべて、女神を守護する聖騎士にならされる。成人式の魔力検査で魔法使いとわかると、取り立てられてしまうんだ。だから野良魔法使いなんて、まず存在しないし、見つかれば女神教に連れ去られてしまう」


「じゃあ、あなたは聖騎士なの?」


「違う。だから、ばれないように、こうして髪を染めている」


 どうやらこの世界でも、堂々と胸を張って生きていくことはできなさそうだ。

 それにしてもカツラを携行しているなんて、ルークは傭兵というよりは工作員なのかもしれない。


「さあ、着替え終わったなら、昼食をつくるぞ」


 ルークはまた厨房に向かい、火打石で火を起こした。そして大きな吊るし鍋にパンや塩漬け肉、酢漬けの野菜、豆などを入れてしばらく酒で煮込んだ。この艦にいる水兵の分もまとめてつくっているらしく、かなりの量だ。ロウナとヨムも、できる範囲で手伝った。

 できたスープは何ともしょっぱかったが、食べられない味ではなかった。ロウナにとっては、温かいというだけでとてもおいしい。


「はあ、生き返る……」


 凍りついていた全身の血液が、とけていくような気分だ。この世界に来てからずっと感じていた、そこはかとない不安がやわらいでいく。


「ごちそうさま」


 昼食を終えると二人で後片づけをし、また艦尾の船室に戻った。


「まだ作業をするの?」


「お前を連れてきたことで、面倒ごとに巻き込まれるかもしれない。何が起こってもいいように準備をしておかないと」


 そう言って、ルークは午後も道具の手入れや荷物の整理をし始めた。昨日の夜、寝ていないはずなのにタフだ。

 ロウナは頬杖をついて、もじもじしながら外を眺めた。ロウナにやれることは何もなかった。でも、せずにいられないことはある。お花摘みだ。


「あの、用を足したいんだけど……」


 ロウナは、指を絡ませながらルークに告げた。


「便所か? 女や子供は艦尾にある士官用のものを使ってもいいことになっているが、今は修理中のはずだ。乗組員用の便所は艦首だが……」


 ルークは額に指を当てて考え込んだ。

 どうやら艦首の女神像の下で用を足すしかないらしいが、スノコの足場が不安定なうえに、吹きさらしらしい。花摘み中にその海に落ちたりしたら悲惨と言うほかないだろう。

 だが、艦首でするのが怖かったり恥ずかしかったりするかというと、それほどでもない。もっと劣悪な状況を何度も経験してきた。


「しようがない。艦首へ行くよ」


「危ないぞ。ときどき落ちる奴がいる。ついていこう」


「ついてきていいわけないでしょ!」


「でも、注意すべきことを説明したり、見張ったりする必要があるだろう」


「それでも、ついてこなくていいから。ヨムに見張ってもらうから」


「そうか……」


 ――まったく、ルークは何を考えているのやら。


 ふざけているわけではないことは、わかっている。親切心から言ったのだろう。

 そして、そんなルークが相手だからか、お酒のせいかはわからないが、ここまで素の自分をさらけ出せていることに驚きを覚えた。こういった感覚は初めてだが、悪い気がしない。


「じゃあ、行ってくるから」


「ああ。気をつけろ」


 ロウナはぼろ切れを片手に軽い足取りで艦首に向かい、問題なく花を摘み終えた。

 その後もロウナはぼんやりと過ごし、やがて日が傾き始めた。海鳥の鳴く声とともに十六時を告げる鐘の音が聞こえる。もうヨムは音に驚かない。

 ルークが道具を片づけ始めた。


「さあ、暗くなる前に夕食を済ませてしまうぞ」


「うん」


 退屈していたロウナは、けだるい返事を返した。

 またルークの背を見つめながら、階段を下りていく。

 夕食は、昼食の残りのスープだ。それを急いでかき込むと、元いた艦尾の船室に戻り、真っ暗になる前に寝る準備を整える。準備と言っても、ハンモックを吊るすだけだ。

 お風呂やシャワーなどは望むべくもない。当然、歯みがきもしない。


「おやすみなさい」


「ああ」


 ルークは、なぜかそのままバルコニーへ出ていった。ルークはバルコニーで筋肉鍛練を始めたようだ。

 ロウナは服を脱いで下着姿になると、窓辺に腰掛け、しばらくのあいだ沈んでいく夕日を眺めた。ごく当たり前の赤い夕焼けが、なぜだか懐かしいものに思える。

 日が暮れると、あっという間に真っ暗になった。ロウナは横になったが、寝つくことができない。


「ふっ、ふっ……」


 ルークの息遣いがうるさいのだ。しかし、きっと必要な鍛練なのだろう。ロウナはルークに文句を言わなかった。


「ふっ、ふっ……」


 ルークの単調な息遣いが、延々と続く。

 ロウナの体からだんだんと温度が失われ、酔いが醒めて心が凍っていく。

 しばらく、うとうとした。

 ふと気がつくと、ただ繰り返す波の音だけが、静寂の中で響いていた。もうルークの声は聞こえない。

 ロウナは上半身を起こして辺りを見まわした。捜しているのは、ルークの姿ではない。

 見つけたいのは、前の世界で何も持っていなかった孤児のロウナが、この世界へ来る際に失ったただ一つのもの……。


 ――ランラはどこ?


 涙がロウナの頬を伝って、落ちた。

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