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異ならない世界にて ~私には魔法より大切なものがある~  作者: 野洲 ふみ
第1章 サリマンファン聖国の聖都セントバハン
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3 気がつけば船の上

 ロウナは、はっと目を開けた。あちこちに視線をさまよわせる。


 ――宙に浮かんでる? ああ、夢の続きか。


 悪い夢を見ていたはずだった。

 しかし、潮の香りが生々しい。目を見開き、体を硬直させる。


 ――違う! これは現実だ。


 ロウナは腰の辺りを太い荷縄でぐるぐる巻きにされ、大きな船の上に吊るされていた。なぜこんなことになっているのか、その理由を懸命に思い出そうとする。


 ――そうだ。わたしはなぜか大きな塔の中にいて、そこでルークとスサルナに出会って、一緒に小舟で脱出して、それから……。


 ロウナは、ルークを捜そうと辺りを見まわした。

 早朝か夕方かはわからないが、太陽が水平線のすぐ下にあって、空がほんのりと明るい。耳を澄ますと、海鳥の鳴く声が聞こえ、湿ったやわらかい風が鼻孔をくすぐる。

 ここは、たくさんの帆船が停泊している湾内の一角のようだ。

 ルークはというと、甲板の上で滑車を操作してロウナを吊り上げていた。


 ――どうしてこんな仕打ちを? やっぱり悪い人だった?


 ロウナは吊るされたままルークの近くまで運ばれ、どさりと荷物のように下ろされた。何とも手荒い扱いだ。

 そういえば、自分が祭服のようなワンピース一枚しか身につけていないことを思い出し、足を閉じて小さく体をまるめる。こんな薄着だが、寒くないのは不幸中の幸いだ。

 縛られて身動きができないので、横になったまま様子をうかがっていると、スサルナが暗がりから姿を現した。


「停泊当直の水兵さんには話をつけておきましたよ。訳あって、ひと足先に二人が乗艦すると……。それと、資材や食材を使わせてもらうことも、了解をもらいましたから」


「すまない。こっちは今、運び終わったところだ」


「何とか搬入することができましたね。搬入と言ったら荷物みたいで、彼女に失礼かもしれませんが」


「しようがない。この腕では、こいつを背負ったまま縄梯子をのぼることができない」


 聞き耳を立てていたロウナは、ルークが片手で滑車を操作していたことを思い出した。


 ――腕の怪我のせいで、わたしを吊り上げたのか。


 起こしてくれればよいものを――と思ったが、起きなかったのかもしれない。とりあえず自分を傷つけるつもりがない様子なので、ロウナは小さく息を吐いて安堵した。


「では私は、一度大使の家に戻って、ダヴィドに報告してきます。明日から乗艦手続きが始まりますが、ルーは正規の手続きで入国していませんし、彼女は身分証を持ってないので、このままこの艦に隠れているしかないでしょう。彼女が何者かわからないのですから、くれぐれも油断しないように」


「わかっている」


 スサルナは、船べりから縄梯子を下りかけたところで、もう一度ひょいと頭を出す。


「そうそう、彼女に手を出してはいけませんよ。そんな度胸はないかもしれませんが」


「わかっているっ!」


 ルークの声に力がこもった。

 怪我をした腕に包帯くらいは巻いておきなさい、と言い残して、スサルナは軽やかに小舟に戻り、港へ帰っていった。

 ルークが左腕を気にするそぶりを見せながら、ロウナに向かって歩いてくる。


「起きているか? 調子はどうだ?」


 返事をしようとしたロウナは、はっと空を見上げた。


「腹減ッタ、腹減ッタ」


 そんな言葉を吐きながら、灰色の大きな鳥が舞い降りてきた。


「ヨム!」


 ロウナが仰向けになると、お腹の上にヨムが乗った。あしゆびの爪が食い込んで、地味に痛い。


「そうだね。猛烈にお腹がすいた」


 ロウナは顔をしかめながら小さくうなずいた。空腹と痛みで気を失いそうだ。


「この鳥は言葉を理解しているのか?」


「たぶん。わたしも昨日出会ったばかりで、よくわからないけれど」


「言葉を理解できる魔物なんて、聞いたことがないが……」


「魔物?」


「めったに目にすることはないから、知らなくて当然か。魔物っていうのは、体内に魔石を持っている、魔法を使える動物のことだ」


「魔物ジャナイ。ヨムはヨムだ」


 ヨムが抗議すると、ルークがひるんだような顔をした。


「お、オレたちに危害を加えないと約束できるか?」


「ヨムは敵ジャナイ」


「ならいいが……。行くぞ」


 ルークはそう言うと、片手でロウナを肩に背負い上げた。


「うっ!」


 衝撃が腹を襲い、ロウナは思わず咳き込んだ。またこの体勢で、しかも今度は縄で縛られたままで運ばれるようだ。


 ――ルークにとってみれば、わたしは降って湧いたお荷物的な存在か……。


 観念したロウナは、ルークの肩に体を預けた。

 ルークはロウナを気にかけることなく、すたすたと歩いていく。ヨムも、ぴょんぴょんと跳ねながらあとをついてきた。

 船内に入ると、狭くて急な階段を下りていく。


「うっ……」


 カビのようなにおいが鼻をついた。


「どこへ行くの?」


「厨房だ」


 ロウナは顔を上げ、暗がりに目を凝らした。船は木でできていて、かなり大きいようだ。

 船の中は案外遮るものが少なく、奥まで大砲がずらりと並んでいるのが見通せた。これは軍艦だ。ただし、物語に出てくるような大昔の……。


 ――人がいる。


 大砲のあいだにハンモックを渡し、一人の若い男が横になっていた。ルークによれば、停泊中なので、艦内には十人前後の水兵しか残っていないとのことだ。

 艦首にある厨房まで来ると、ルークはまたしてもロウナを、どさりと手荒く床に下ろした。しかし、それはルークが怪我をしているためだと、ロウナはわかっている。わかっているけれど、もう少しやさしさが欲しい。


「怪我は大丈夫なの?」


 ロウナはやさしく声をかけた。やさしさが欲しければ、まずは相手にやさしくだ。


「耐えられないほどじゃないが、まだ痛む。すまないが、あとで包帯を巻くのを手伝ってくれ」


 ルークはそう言いながら、ロウナを縛っていた縄をほどいた。怪我をしている左腕は、まったく使えないというわけではないようだ。


「足の裏の怪我は、どんなあんばいだ?」


「少し痛みが残っているけど、よくはなってるみたい」


「それはよかった。適当に座って待っていてくれ」


 ルークはそう言い置いて、厨房の奥にある倉庫へと入っていった。


 ――もしかしたら、わたしの足を心配して、ここまで担いで運んでくれたのかもしれない。


 そんなことを考えながらヨムと待っていると、ルークが暗闇から、ぬっと現れた。


「ほら」


 木の皿の上に載せたまるいパンを、ロウナとヨムに差し出した。


「あ、ありがとう」


 ロウナは木箱に腰掛け、パンを口に運ぶ。


「かたっ!」


 歯が立たなかった。


「そんなものだと思うぞ。うじ虫がいないだけ、まだましだ」


「うじ虫……」


 ルークは、平然とガリガリかじっていた。ヨムも、クチバシで粉々にして食べている。

 仕方がないのでロウナは、唾液で湿らせてちびちびと食べた。


「ほかに、こんなものもある」


 ルークは干した果物と、木製のコップに入った飲み物を持ってきた。ロウナは喉がカラカラに乾いていたので、コップを手に取ってためらいなく口に含む。


「んっ! 苦い!」


 激しくむせた。


「そんなものだと思うぞ」


 ルークは、ぐいっと飲み干し、ヨムもコップに顔を突っ込んでいる。


「何なの? これ」


「酒だ」


「お酒? わたし、未成年だけど飲んでも大丈夫なの?」


「大丈夫とは?」


「お酒は大人になってからじゃないの?」


「なぜだ。大人も子供もみんな飲んでいる。ほどほどにしないとだめだが」


「そういうもの? 水はないの?」


「今はない。腐るからな。出港直前に積み込むんだ」


 これしかないというなら、飲むしかなかった。コップを両手で持って酒をすする。

 少し強めのお酒らしく、酔いがまわって頭がくらくらしてきた。顔色はわからないが、ヨムもゆらゆらと揺れている。


 ――食事にありつけただけでも、ありがたいと思わなきゃ。


 ちびちびと食べては、ちびちびと飲む。おかげで食事を終えるのに、かなり時間がかかってしまった。

 一服したあと、ルークの腕に包帯を巻いた。酔いのせいか手元があやしい。

 それが終わると、艦尾の船室に移動しようという話になった。


「歩けるか?」


「はい」


 ロウナは小さくうなずいた。体はふわふわするが、もう足の裏は痛くなかった。

 それにしても、傷の治りが早すぎる気がする。

 ルークの腕も、小舟の上で見たときには深い傷だと思ったが、さっき包帯を巻きながら確認した際には、ほとんどふさがっていた。まだかなり痛むらしいが……。


「ふらふらだな。階段から落ちてもらっては困る。オレの前を歩いてくれ」


 そう言って、ルークがロウナの後ろについた。ロウナは、中が見えないようワンピースの裾を片手で押さえながら、無言で狭い階段をのぼっていく。


「あっ!」


 足元がおぼつかないロウナは、案の定、足を踏みはずしてしまった。

 ルークは想定内と言わんばかりに、素早くロウナの華奢な肩をつかむ。そしてルークのたくましい胸が、ロウナの背中を支えた。


「ひっ!」


 ロウナは、びくっとして体を硬直させた。男性に体を触れられることに慣れていない。そして、やさしくされることにも慣れていなかった。


「大丈夫か?」


「だ、大丈夫」


 ロウナは、すぐにルークから離れた。


「そうか」


 ルークはそう言ったきり、また無言になった。後ろからついてきていたヨムは、二人を見比べたあと首をかしげている。

 上甲板に出ると、艦尾に向かった。そこは周囲より一階分甲板が上がっていて、後甲板というらしい。


「きゃっ!」


 後甲板の上で何かにつまずいた。人だ。水兵らしき若い男が横になって眠っていた。ロウナに蹴られても目を覚まさない。


「そいつは見張りだ」


「見張ってないみたいだけど……」


「だからこうやって様子を見に来たんだ」


 ルークは肩をすくめたあと、ゆっくりと周囲を見まわした。まだ薄暗くてよく見えないが、周囲にはたくさんの帆船が停泊しているようだ。


「異常なしだな。行くぞ」


 ルークは、後甲板の下にある扉から艦内に入っていった。ロウナは慌ててその背中を追いかける。

 二階分下りて、小ぎれいな船室に入ると、二人は互いに向き合うように木箱に腰掛けた。


「オレは道具の手入れをする。お前はゆっくり休んでいればいい」


 そう言って、ルークは背のうから様々な道具を取り出し始めた。

 ロウナはルークから視線をはずし、船室の中を見まわした。

 壁には硝子のはめられた円窓があり、外の様子を見ることができた。奥の開き戸からは艦尾のバルコニーに出られるようだ。ひととおり確認すると、もうすることがない。

 ルークは手慣れた手つきで、黙々と剣を研いだり、縄を補修したりしていた。ロウナは、ぼんやりと作業を眺める。

 どれくらい時間が経っただろうか。

 不意にスースーという規則正しい息遣いが聞こえてきた。見ると、ルークが船を漕いでいる。


 ――ああ、寝てないから……。


 すぐには起きなさそうだったので、ロウナは改めてルークを観察することにした。

 まず、くすんだオレンジ色の波打つ髪に目が行く。顔に目を移すと、目の下にはクマがあり、無精ひげと相まって生気を感じることができない。

 背はロウナよりずっと高く、がっちりとした体格で、近寄り難い雰囲気を放っていた。

 その身には古風なチュニックと長ズボンをまとい、革の長靴を履いていた。そして、その上から胸当てや手甲を身につけ、腰には二本の短剣をぶら下げている。

 お世辞にも清潔な身なりとは言えず、お風呂に入っているかも疑わしかった。


 ――ニホン人には、見えないよね。


 ロウナがルークの顔をじっと見つめていると、カーン、カーン、と遠くから鐘の音が聞こえてきた。ヨムが驚いて、船室の中を飛び回る。

 数えると十回鳴っていた。午前十時になったのかもしれない。

 ルークは鐘の音に反応して、びくっと体を震わせた。そして目を開けると、何ごともなかったように、また黙々と剣の手入れを始めた。

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