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異ならない世界にて ~私には魔法より大切なものがある~  作者: 野洲 ふみ
第1章 サリマンファン聖国の聖都セントバハン
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1 ロウナ

 ――暖かい。


 そう感じて、ロウナはまぶたを開けた。全身を取り囲む光の泡が、はじけて消えていく。

 視界に入ってきたのは、あり得ないほど高くて広大な丸天井だった。

 なぜこんなところで寝ているのかと思った瞬間、落とし穴に落ちるような感覚を覚えた。……落とし穴に落ちたことはないけれど。

 髪が舞い上がり、自分が空中に投げ出されていることを知る。


「誰か!」


 助けを求めたが、応えてくれる人など空中にいるはずもない。

 下を見ると、地上には巨大なクモの巣のような網があった。

 迷う暇はなかった。膝を抱えてまるくなる。そしてかたく目を閉じる。


「ぐっ!」


 その網は、信じられないほどやさしくロウナの体を受けとめた。

 体が何度かふわりと弾んだあと、クモの巣の傾斜に沿って転がっていく。そして中心に敷かれていた白い布が、転がる体に巻きついた。

 そのとき初めてロウナは、自分が何も身につけていないことに気づいた。

 しかし恥ずかしがる間もなく、クモの巣の中心部にあいていた穴から一メートルほど下にある白い床に落ち、お尻を打ちつけた。


「痛っ!」


 ロウナは、体を投げ出すようにして床に這いつくばった。お尻をさすりながら、親切なのか嫌がらせなのかわからないクモの巣を見上げる。

 無数の白い綱が形づくる円錐の底面にあるこのクモの巣は、数十メートルほどの直径があった。

 円錐の高さも数十メートルあり、その頂点からは、ひと筋の白い綱が丸天井に向かって立ちのぼっている。


 ――いったい何が起きたの? というか、ここはどこ? わたしは何をしていたんだっけ?


 ロウナは必死で記憶をたどった。

 ニホンという国で、双子の姉のランラと児童養護施設にいたことは、ぼんやりと覚えている。たしか、十二歳までいたはずだ。でも、それ以降のことが思い出せない。

 何か大変なことがあった気がして、そこはかとない不安と、理由のわからない罪悪感にさいなまれる。


 ――ランラは……? いない。


 見まわすと、ここは背の高い木々に囲まれた広場のような場所だった。

 周囲はほんのり明るいが、朝なのか夕方なのかわからない。

 不意に、胃の中に何も入っていないかのような空腹感を覚えた。まるで、長いあいだ何も食べていなかったかのようだ。


 ――ずっと眠っていた?


 気分が悪くなり、それ以上何も考えることができない。じっとりと嫌な汗をかき、呼吸が乱れる。

 機能が停止してしまった頭を、こてんと横に倒した。横向きになった視界の先に、何かがいる気配を感じた。


「誰?」


 黒い外套に身を包んだ青年に目が留まる。頭巾をかぶっていて、顔はよく見えない。


「誰なの?」


 もう一度尋ねたが、返事はない。

 その青年は、低く構えた姿勢のまま岩のように動かなかった。


 ――もしかして、死んでる?


 いや、生きている。こちらを見ようとしないだけだ。


「あの……」


 ロウナが大きな声で呼びかけると、青年はびくりと体を震わせた。そして迷うそぶりを見せながらも、手に持っていた物をロウナに向けた。


 ――剣?


 ロウナは、むき出しになった肩を隠すように布を引っ張り上げた。こんな姿では逃げ出すこともままならない。

 とりあえず話を――と思い、青年に呼びかける。


「あなたは誰……」


 言い終わらないうちに、青年は後ずさりし、逃げるように走り去っていった。


「逃げられた?」


 青年は、口元しか見えなかったが、不思議と悪い人物には思えなかった。なぜかその気配に親しみさえ感じた。

 だから青年に逃げられたのは、ロウナにとって少しショックで誤算だった。このままでは見知らぬ場所に一人で放置されてしまうことになる。

 今は彼を追う方がよい。そう判断し、立ち上がった。

 そのときロウナの目の前に、突然灰色の鳥が舞い降りた。


「追ウカ?」


「と、鳥がしゃべった!」


 いや、言葉を話しても不思議ではない。ロウナは、その鳥がインコの仲間のヨウムという鳥だと知っていた。


「ヨムが話スの、当タリ前」


 ヨムと名乗ったその鳥は、まるでその意味がわかっているかのように言葉を操った。


「……もしかして、言葉が通じるの?」


「通ジル」


 ロウナは、しばらくヨムと見つめ合った。

 人間のような知恵を持った鳥がいるなんて、わけがわからない。でも人間であろうと鳥であろうと、目は口ほどに物を言うはずだ。

 ヨムの目に悪意は感じない。頼めば応えてくれる気がした。


「さっきの人を追って、居場所を知らせてくれる?」


「ソノ首飾りを掛ケテクレタラ、言ウコトを聞イテモイイ」


「首飾りって、これのこと?」


 ロウナの足元には、ひもの切れた首飾りが落ちていた。小さな宝石が何段にも編み込まれていて、高価なもののように見える。


「これは、わたしのじゃないんだけど……。あなたが預かるってことでもいい?」


「ソレデイイ」


 得体の知れない鳥だろうと、他人の首飾りだろうと、利用できるものは利用して、生き残りたい。

 首飾りを拾い上げてヨムの首に掛け、切れたひもを結んであげると、ご満悦のていで羽ばたいた。そういえば鳥は光り物が好きだったな――とロウナは思い出す。


「じゃあ、あの人を捜すの、お願いできる?」


 ワカッタ、とうなずいたヨムは、翼を羽ばたかせて飛んでいった。それを見送ったあと、ロウナは、胸に抱えていた布を急いで広げてみる。

 思ったとおり服だ。複雑な模様が刺繍してある白いワンピースで、何かの儀式で使うもののように見える。

 しかし、その胸と背中の部分には大きな穴があいていて、赤く染まっていた。


「これを着ていた人は、殺された……?」


 やはり、ここに残るのは危険だ。

 急いで頭からかぶってみる。裾丈はくるぶしまであり、大きさはぴったりだ。

 ロウナは思うように動かない体に鞭を打ち、ヨムが飛んでいった方角へ歩き出した。


 ――そういえば、クモの巣にクモがいなかったな。まさか、わたしの体がクモに?


 ロウナは、再度自分の体を確認した。もちろんそれは、見慣れた人間の姿だった。でも、十二歳の頃とは違う部分もある。やはり、記憶がない期間があるようだ。

 懸命に足を動かし、クモの巣の周りを取り囲んでいた森をやっとのことで抜けると、自分が塔のような建物の中にいることに気づいた。飛行場がすっぽり収まるのではないかと思うくらい広大だ。

 もちろん、こんな場所は知らない。ニホンで暮らしていたときには、見たことのない場所だ。

 目を凝らすと、遠くに鳥が飛んでいるのが見えた。塔の壁際辺りで、ヨムが旋回をしている。


 ――それにしても、足が痛い。


 ロウナは足の裏を見た。草木の生えた地面を歩いているせいで傷だらけになり、血が出ている。痛みやら空腹やらで意識が朦朧としてきた。

 かなりの時間をかけて、何とかヨムのいる場所までたどり着くと、そこには先ほどの青年もいた。背中を壁にはり付けてロウナをにらむ。何かを警戒しているようにも、恐れているようにも見えた。


「お前は、何者だ?」


 震える声で発したその言葉を聞いて、ロウナは意思の疎通ができることに安堵した。ニホン人ではないかもしれないと思っていたから。

 しかし、青年の問いに対して、返答に窮してしまった。


 ――わたしは何者なのだろう。


 まだ、何が起こっているのかさっぱりわからない。何が夢で、何が現実なのかわからない。自分の過去も幻かもしれない。


「わたしは……ロウナです」


 名乗ることしかできなかった。

 青年は、ロウナの目を見据える。


「お前は、女神ではないな?」


 ロウナは青年の質問に違和感を覚えた。まるで、女神がどこかにいるような言い方ではないか。

 少なくともロウナは、自分が神様のたぐいではないとわかっているし、女神に例えられるような高潔な存在だとうぬぼれてもいない。


「女神ではないと思いますが」


 これが精一杯の答えだった。


「では『厄災の魔女』か?」


 厄災といい魔女といい、穏やかではない言葉だ。もちろん、そんなものではない。


「いえ。……ロウナ・ツバキです」


 答えになっていないことはわかっていた。しかし、これ以上紡ぐ言葉を持ち合わせていない。

 青年は眉間に指を当てて、小さく首を振った。

 沈黙が続いたあと、ロウナは意を決したように口を開く。


「あの、ここはどこですか? 今はいつですか? あなたは誰ですか? いったい何が起こっているのですか? わたしを一緒に連れていってくれませんか?」


 胸の前で手を握り合わせ、とても小さな声で、しかし懸命に話した。

 青年はしばらく黙ったあと、ふうっとため息をついて力を抜いた。張りつめていた空気がやわらぐ。


「今は余裕がない。先にこちらの質問に答えてくれ。お前は誰だ。なぜこんなところにいる」


「よくわからないんです。気づいたらここに……」


「ここを出たいんだな」


「はい」


「オレも今、出口を探している。一緒に行動しよう。お前は……ロウナだったな。オレはルーク。ルーク・セインだ」


 ルークと名乗った青年は、頭巾を取ってみせた。少し波打った、くすんだオレンジ色の髪が、ぱさりと額に垂れる。

 無表情な顔と目の下のくま、そして顎にぽつぽつと生やした無精ひげが、とっつきにくい雰囲気を醸し出していた。


「お前はここから出る方法を知っているか? この辺りに出口があるかもしれないんだが」


 もちろんロウナは、そんな方法は知らないので、首を横に振った。

 それにしても、出口がわからないとは、いったいどういう状況なのだろう。閉じ込められているのなら、空を飛べるヨムが役に立ってくれるかもしれない。

 ロウナは、助けを求めるように、近くの木の枝にとまっていたヨムの方を見た。


「魔法ダ、魔法を使エ」


「と、鳥がしゃべった?」


 ルークは驚きの表情を見せた。

 確かに、鳥が流暢に言葉を操るのはおかしい。だがそれよりも、話した内容の方がもっとおかしい。


「魔法って、どういうこと?」


「二人カラ、大キナ魔力を感ジル。魔法を使エルハズ」


「わたしが? 魔法を?」


 ここには、女神がいるだけでなく、魔法も存在しているらしい。


「魔力なら、この塔の壁に注ぎ込んでみた。それで入ることができたのに、出ることができないんだ」


 そのとき突然ルークが顔をしかめ、腰の剣に手をかけた。

 ロウナはルークの行動に驚いて後ずさりをした。しかしルークの視線は、ロウナの方を向いていなかった。


「何かが地下から出てきたようだ。しかも魔力を持った何かだ」


 ルークはその場に身をかがめた。ロウナにも、しゃがむよう指示を出す。


 ――何かって、まさかクモ?


 ロウナは自分の両肩を抱えた。

 しかし目を凝らして遠くの影を見ると、それは人のような形をしていた。小さな子供のような人影が、何十、何百と木々のあいだから出てくるのが見える。

 皆、顔全体を覆う白い面をして、白い布を身にまとっていた。薄暗いなかで青白く光る髪と肌が、異様な雰囲気を醸し出している。


「何だ? あれは」


 どうやらルークも、あれが何者なのか知らないようだ。

 ロウナも、もちろん知らない。しかし、気味が悪いのに、なぜか親しみのようなものを感じる。


「何を始めるつもりだ?」


 そうルークがつぶやいたとき、突然塔内に鐘の音が三回鳴り響く。

 驚いたヨムが、空中に舞い上がった。


「飛んではだめっ!」


 ロウナが声を殺して呼び止めたが、届かなかったようだ。ヨムは一気に上昇し、丸天井に沿ってぐるりと周回し始めた。きらりと首飾りが光っている。

 異様な集団が、一斉にヨムを見上げていた。


「あの鳥は何だ?」

「神鳥様ではないのか?」


 いくつもの声が、頭の中で響いた。


「誰の声?」


「あいつらの声だ。拡声魔法だな」


「これが魔法……」


 しばらくして、ヨムはロウナたちのところへ戻ってきた。


「わたしたちのことが気づかれちゃったよ。ヨム」


「ゴメン。ヨム、驚イタ」


 ヨムは申し訳なさそうな声を出した。実は素直で、いい子のようだ。


「捜せ。捜すのだ」

「あそこだ。あそこにいるぞ」


 異様な集団が、ロウナたちのいる場所へ向かってくる。だが幸い、彼らの歩みは遅い。


「早くここから離れた方がいい。行くぞ」


 ルークはロウナを連れて壁際を進んだ。ロウナは痛む足を引きずりながら歩く。ヨムはロウナの肩に取り付いている。


「ここに入ってみよう」


 塔の外縁に向かっているであろう通路へと入った。進むにつれて、周囲はだんだんと暗くなっていく。

 ロウナはおびえたように肩を抱えながら、ルークのすぐ後ろを歩いた。


「出口がわかったの?」


「いや、わからない」


 ルークの焦った声が暗闇に響いた。不安と緊張が高まっていく。

 しばらく歩いたあと、がらんとした空間に出た。ほとんど真っ暗で、何があるのかよく見えない。

 耳を澄ますと、背後から近づく小さな足音が聞こえた。彼らが追いかけてきているようだ。

 前方からも何かがうごめくような音が聞こえてきた。ロウナは、びくっと身を震わせ、こわごわと音のした方を向く。

 不意に、大きな影が上から落ちてきた。


「い、いやあっ!」


 ロウナは目をつぶり、腕を前に差し出した。ロウナの体内から熱い何かがあふれ出し、ふわりと風が立つ。


「やめろっ!」


 ルークの叫ぶ声を聞いて、反射的に腕を引っ込める。だが、少し遅かった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 裏が色々ありそうな展開がとても興味を引きます。個人的にもこういうの大好きです。自分で書いてみると伏線改修大変で死にそうですが、、、 会話のテンポもよくて楽しく読めました。続きも期待して読ま…
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