第113話 マデュラ騎士団20:胡桃の木の下で
『やめろぉぉぉーー!!火を消せ!消すのだ!火を消してくれ!早く!』
初代が炎に飛び込む勢いで近づくと黒いフードを被った火刑執行人に取り押さえられる。
『離せ!!火を!!早く!火を!早く消すのだ!!あぁぁぁぁ!!!あぁぁぁぁ!!!オーロラァァァーーーー!!』
映し出された情景はセルジオが西の屋敷の厨房で見たものだった。
石窯を覗き込み爆ぜた薪を見たセルジオは炎の中で燃え盛る十字の木枠が崩れる情景に我を失った。
それは初代セルジオの悔恨が最も残った記憶の断片だった。
今、目の前にその時の情景がありありと映し出されている。
セルジオは堪らずバルドの腕をぎゅっと握った。
情景は火刑執行人を振り払おうともがく初代と一層強く抑え込む火刑執行人の姿が映し出されていた。
『おのれ!!離せっと申しているであろう!』
初代は両手を後ろへ回した。
黒々とした人型の靄が一層鮮明になり、ニヤリとほくそ笑んでいる。
「我はこの時、己を失った。黒魔女の思うつぼであった。怒りに満ち、己を失った我であれば黒魔女は易々と我を憑代とでき得る。だが・・・・」
ゴロリッ・・・・
重たい何かが転がる音に燃え盛る炎に歓喜の声を上げていた人々の声が消えた。
『火を消せと申したであろうっ!』
怒りに満ちた初代の顔が炎に照らされ怪しい色を帯びている。
両手に握られた短剣から血が滴り下りていた。
情景に映る初代の足元に黒いフードを被った火刑執行人の首が転がり、血しぶきを上げた胴体がピクピクと痙攣している。
「我はなんら罪のない火刑執行人の首をいとも簡単に落とした」
あれほど歓喜に湧いていた人々が少しずつ炎から遠ざかる。
短剣についた血を振り払い、鞘に収めると初代は炎に近づき、再び大声を上げた。
『火をっ!火を消してくれっ!早くっ!今ならまだ・・・・』
崩れ落ちた十字の木枠が爆ぜ炎が勢いを増した。
燃え盛る炎を今更消すことなどできないことは誰の目にも明らかだった。
初代はその場に崩れ落ちた。
『なぜだ・・・・なぜ・・・・こんな・・・オーロラが・・・・』
初代の背後にうごめく黒々とした人型の靄は初代の中へ入りこもうと頃合いを見計らっている。
そこへ天幕で腰を下ろしていた赤い髪、赤い瞳、がっしりとした体躯に重装備の鎧を纏った騎士が5人の従士を従え初代に近づいてきた。
『これは、これは、セルジオ殿。この様な所で、その様なお姿でいかがされましたか?』
初代は声の主を見上げるでもなく、うな垂れている。
初代の背後にうごめいていた黒い靄は重装備の騎士が現れるとピタリと動きを止めた。
頬を覆う赤い髭を触り、騎士は初代を見下ろしている。
「あの者がマデュラ騎士団団長、ギャロト・ド・マデュラだ。エステール伯爵家とマデュラ子爵家の因縁はここから始まった。いや、我が因縁を引き起こした」
初代は映る情景に100有余年前に始まった因縁の話を挟んでいく。
『はて?者ども、こちらはセルジオ殿か?セルジオ殿は先ごろ、王への献上品の護衛中に野盗の襲撃に遭いお亡くなりになられたと名誉の死をとげられたときいていたが・・・・、はて?我の知るセルジオ殿に生き写しの様だが・・・・』
ギャロットの出現に黒い靄は忌々し気な表情を浮かべた。
「我を憑代にと考えていた黒魔女の誤算だった。己の子息がよもや邪魔をするとは思ってもみなかったであろうな」
『ギャロット様、私も左様に聞いております』
従士の1人が呼応する。
『左様であったよのう。では、この者は何者だ』
大仰な身振り手振りで従士がギャロットに呼応する。
『セルジ様が既に天に召されたのであれば、この者はセルジオ様に生き写しのただの執行人殺しではありませぬか!』
『ほう、執行人殺しとな!執行人殺しはいかがなるのであったか?』
『その場で打ち首か、槍で串刺しにございます』
『そうか!では、お前たち、今ここでこの者を厳罰に処すがよい』
炎の周りにいた人々はこのやり取りに一層遠のいていく。
ギャロットと5人の従者の他に天幕横に10人程の射手が控えていた。
従士の1人が地面にうな垂れている初代を見下ろし不愉快そうに言う。
『何とも不甲斐ないお姿ですね!もし、これがセルジオ様であったならその様なお姿にはなりますまい』
情景に映る人物に初代は目を細める。
「ミハエルだ。兄上と交わした約束を果たし、マデュラ騎士団に身を落としたミハエルだ」
『ギャロット様、この者を厳罰に処した所で意味などありましょうか。セルジオ様でないのであれば殺しても仕方のないこと』
「ミハエルも我を生かそうと奔走してくれていた。その行いすら我は気にも留めなかった」
初代はかつての己の姿と真摯に向き合っている様だった。
セルジオの吐血は初代の心情に合わせる様に止まっていた。
情景は進んでいく。
『そうか?仕方のないことか?では、ここで炎に包まれた魔女は何のために焼かれたのだ?』
別の従士が口元を歪ませ、嫌みな笑みを浮かべて呼応した。
『それは、天に召されたはずの名誉の死を遂げられたはずのセルジオ様に生き写しの者が魔女と共にいると密告があったからでありましょう』
『それはいかがなことなのか?死んだと偽って貴族騎士団団長が生きていたということか?偽って?団を束ねる団長が生きていてよいのか?』
その言葉をきいて崩れ落ちていた初代がピクリと動いた。
赤い髪、赤い瞳の騎士と5人の従士は初代のその動きに身構えた。
初代の身体から青白い炎が湧きあがり、怒りで身体が震えている。
「青白い炎が湧きあがれば黒魔女は我に近づけぬ。黒魔女の狙いはあくまで我の力を削ぎ、我の身体を乗っ取る事だ。青白い炎は我の力を呼び覚ます。青き血を滾らせる鍵だ」
黒い靄が初代の身体から遠ざかり、ギャロットを睨みつけていた。
ギャロットは黒い靄には全く気付かず、青白い炎を湧きたたせた初代の様子に慄いている。
初代が顔を上げギャロットを睨むと堪りかねたギャロットは木陰の射手に目配せをした。
『合図をしたら背後から射よ』
ギャロットの目配せに5人の従士は腰の剣に手をかけた。
「もはや、黒魔女は我を憑代にすることは叶わぬと察したのだろうな。己を失い、火刑執行人の首をはねた所で留めておけば間違いなく我は黒魔女の憑代となっていた」
映し出される初代は勢いよく青白い炎を湧きたたせユラリと立ち上がった。
勢いを増す真っ赤な炎と初代から湧き上がる青白い炎が重なった。
「見よ。オーロラだ。焼かれてもなお、我を生かそうと加勢してくれていたのだな。我は皆を守るどころか、皆に守られていた。多くの者に守られていたからこそ我は戦う事に専念できた。今、やっと気づいた」
情景を目にする初代が先ほどとは異なり穏やかな表情を浮かべている。
「オーロラの加勢すら気付かなかった」
情景に映る初代から湧きたつ青白い炎が辺りを飲み込む程に膨張している。
『おのれ!ギャロット!貴様の仕業か!オーロラを!罪なきオーロラをなぜ!狩った』
『これは!セルジオ殿と認められるのか!』
ギャロットはニヤリとほくそ笑んだ。
『はははは!浅はかなこと笑止千万!貴様をおびき出す道具に魔女を使ったまでのこと。光の魔女は力を持ちすぎたっ!貴様と一緒に葬れば一石二鳥と言う事だ!まんまとはまりおって!』
『我をおびき出す道具だと?道具などなくとも我を引きずりだせばよいではないか!なぜ卑劣な真似をした!』
初代の身体から湧きたつ青白い炎が益々勢いを増している。
『これは!これは!おかしな事を仰る。かりにも騎士団を率いる団長ですぞ!完全に殺せる手筈を整えるのはせめてもの礼節でありましょう』
『何を申しているのだ!オーロラを巻き込むことはないではないか!我を狩りにくれば済む話だ!おのれ!ギャロット許さぬ!!!』
言い終わるか終わらぬ内に初代は短剣を抜き、ギャロットの喉元へ向け風を切った。
従士5人がギャロットを囲み応戦態勢をとる。
『はははは!セルジオ殿!短剣如きでっ!今の貴様に我は切れぬは!』
ギャロットが高らかに笑い天幕横の射手へ合図を送る。
『背後から一斉に射よ』
10人の射手が一斉に初代目がけて矢を放った。
首のない火刑執行人の躯に矢がささったかと思うと躯は宙を舞った。
次の瞬間、従士の1人が血しぶきを上げた。
ギャロットと従士の態勢は崩れる。
『多勢に無勢ではないか!一人の罪人に何を手間取っている。殺せ!殺せ!セルジオを殺せ!』
恐怖に満ちたギャロットの目前で2人目の従士の首が飛んだ。
射手が再び矢を放つ。
初代の右手から短剣がもれた。
初代の右背後に3本の矢が刺さっている。
『セルジオを始末できる』
ギャロットはニヤリと笑い初代に近づいた。
喉元を掴み初代の身体を持ちあげる。
『我は貴様が嫌いであった!心底憎々しく、いつか殺してやりたいと願っていた!』
初代の身体を持ちあげたままギャロットは怒声を浴びせた。
『何をやっても美しく、もてはやされる貴様が、数々の武功をあげる貴様が!総長の覚えめでたい貴様が!憎くて!憎くて!憎くて!仕方がなかった!やっと死んでくれた、これで我にも運が巡ってくると思っていた』
『されどっ!生きているだと!密かに生きていくだと!そんな話が許されるのか!多くの者を手にかけ血塗られた手を持ってか!生きていればいずれまた表に出てくる。やっと巡ってきた我の運を全て奪っていく!ならば、この手で亡き者にしてくれよう!そうでなければ安んじて眠る事すらできぬは!』
喉元を掴まれ呼吸もままならない初代は息も絶え絶えの様子だ。
再び矢が放たれたのと同時に初代の足はギロットの胴体踏み台にしていた。
瞬く間にギャロットの頭上で翻り、背後にいた従士の剣を左手で掴み取った。
そのままギャロットの右手側にいた従士の首を切り落とす。
放なたれた矢はギャロットの前に飛び出した従士を射った。
『これで残るは貴様ともう1人だけだ!』
背中に刺さった矢じりを奪った剣で切り落とし初代は言い放った。
『何を戯言を!射手がいるのを忘れたか!』
10人の射手は初代を取り囲み態勢を整える。
背後に回った射手が再び矢を放った。
初代が剣でかわした瞬間、ギャロットは再び初代の喉元を捉えた。
『貴様に分はない!諦めよ!』
ギリギリと歯を鳴らしギャロットは初代を睨み付けた。
『ふっ、まだだ!』
初代が右手に持つ短剣の柄を握り直すのと同時にギャロットの剣が初代の胸を貫いた。
「グハッ!!!」
ギャロットの右喉に短剣が深く入り込んだ。
ギャロットの手が初代の喉元から離れる。
ギャロットは首から血しぶきを上げ、ドサリッとその場に横たわった。
初代は胸に剣が刺さったまま地面に落された。
射手が初代を狙う。
『やめよ!射るのをやめよ!』
残った従士1人が射手を制しながら初代に駆け寄った。ミハエルだった。
『魔女は焼けたっ!団長は火刑執行人殺しを討ち取ったっ!団長の負傷が目に入らぬかっ!魔導士を呼べっ!治癒術を団長に施せっ!』
射手がわらわらと散り、天幕に控えていた魔導士がギャロットに駆け寄る。
ミハエルはそっと初代の身を起こし、耳元で囁いた。
『セルジオ様、ギャロットを討ち取りましたぞ!王国を裏切り、我らを陥れたギャロットを討ち取りましたぞ!これでスキャラルとの目論みも水泡となりますっ!』
『ミハエル・・・・エリオスの・・・かた・・・きを・・・・』
初代は息も絶え絶えにミハエルの名を呼ぶ。
『何も申されますな!傷は浅そうございます!すぐに魔導士に治癒術を』
初代はフルフルと首を振り左手を懐に入れ力ない微笑みを向けた。
『頼みが・・ある・・・・』
初代の左手には胡桃が2つ握られていた。
『これを・・・オーロラに・・・一緒に燃やしてくれ・・・・』
剣に貫かれた胸から声を発する度にヒューヒューと空気が漏れる音がする。
『承知しました。もう何も申されますな!』
力のない微笑みを浮かべ初代は続ける。
『頼み・を・・・きいてくれ』
途切れ途切れのかすかな声を懸命に聴き取ろうとミハエルは初代の口元に耳を近づけた。
『我を・・・・一緒に・・・・オーロラ・・・と一緒に・・燃やしてくれ・・・・』
初代の頬を涙が伝っている。
初代は一つの言葉を発する度に瞼を閉じ、ゆっくり開いている。
『我らの灰を・・・・西の・・・・森・・の・・・クル・・・ミ・・・樹の根・・・・に・・・まいてく・・・・れ』
『承知しました。セルジオ様をオーロラ様と共に燃やします。必ずお2人の灰を西の森のクルミの樹の根元にまきます』
ミハエルは周りに悟られない様、初代の言葉を耳元で復唱する。
『た・・・のむ』
初代はゆっくり瞼を閉じ大きく息を吐いた。
『セルジオ様?・・・・セルジオ様・・・・』
初代に耳に口元を押さえつけミハエルは声にならない声で叫んでいる様だった。
初代の透き通る様に白い肌は更に白さを増し、絶命しているのが見て取れた。
初代はありありと映る情景を穏やかな表情で眺めていた。
「我の死に様だ。我はエリオスの仇を取ることが我に残された役目だと思っていた。この手で剣を握ることすらできなくなっていてもだ。それは私念そのものであるのに。その私念がオーロラを死に追いやった。生きる事を諦め、己の命を投げ捨てた我の死に様だ」
ミハエルの腕の中で絶命している初代の姿が徐々に薄れていく。
目の前の情景はセルジオ騎士団が治める西の森に変わっていた。
夕陽が沈む西の森の端に初代とオーロラの姿が映し出された。
『セルジオ、戦わなくても・・・・戦いのない世がくるといいわね』
オーロラの銀色の長い髪が夕陽で朱に染められている。その姿は今この場にいるアロイスそのものだった。
『戦いのない世になったなら・・・我は何をすればよいのだ?戦う事が我の役目であるのに・・』
初代はオーロラに少し困った表情で呼応している。
『そうね、戦わないセルジオは・・・そうだわ!胡桃を一緒に拾ってくれるかしら?』
嬉しそうに初代の顔を覗いている。
『胡桃を?我が一緒に拾うのか?』
夕陽を見つめ少し左斜め上に首を傾げ初代は呼応した。
『そうよ!胡桃を拾うの!パンに混ぜて一緒に焼いて!領地の皆に振舞うの。皆、きっと喜ぶわ。楽しそうね』
領地民と共に胡桃拾いに精を出す初代の光景が見えているかのように楽しそうに話している。
『胡桃か・・・それも悪くないか』
初代はオーロラに優しい眼差しを向けた。
『そうよ!悪くないわ!試しに一緒に胡桃を拾いに行きましょう』
オーロラは腰巻から2つの胡桃を取り出し、初代の掌に乗せた。
掌に乗った胡桃を握り初代は一言呼応した。
『わかった』
「あの時にオーロラと交わした約束を我は守るどころか忘れていた。オーロラは戦いを終わらせた後の我の生き方をも考えていたというに。これが我の悔恨の根源、我の弱さの全て、生きる事を諦め、己の命を投げ捨てた我の姿だ」
情景が静かに薄らいでいく。
初代はゆっくりとセルジオ達へ目を向けた。
己の悔恨の根源までを全て受入れ、恨みや憎しみ等微塵も感じられない穏やかな表情だった。
【春華のひとり言】
今日もお読み頂きありがとうございます。
初代セルジオの悔恨の全てが明かされました。
100有余年前に残した悔恨の根源まで辿り、全てを受け入れた初代セルジオは本来の自分を取り戻したのでしょう。
穏やかな表情で今世のセルジオを見つめる姿に目頭が熱くなりました。
セルジオがセルジオ騎士団城塞、西の屋敷の厨房で思い出した情景は
「第3章 第3話 旅路の前に:前日譚2」
です。
合わせてお読み頂けますと「あっ、これがここに繋がっていたのかぁ~」がご覧頂きます。
次回もよろしくお願い致します。