第3話 序:陰謀の片鱗
生態ピラミッドの下位層に位置する草食動物は自らの身を守る為に生まれ落ちて直ぐに立ち上がる。人間も置かれた環境に適応しながら進化を遂げてきた動物である。
個人差はあるが、概ねの成長速度がある。通常生後3ヶ月程で首がすわる。5~6ヶ月程度で寝返りが打てるようになり、7~8ヶ月になると掴まり立ちと二足歩行をするまでになる。
将来、騎士となる子供達は身の危険と隣り合わせの中、訓練施設で育つ。その為、通常の二分の一程度の速度で成長していた。
セルジオの泣き声を聞かずに3ヶ月が経過したある日、いつもの様にベアトレスはセルジオに乳を与える為に居室へ赴いた。
「セルジオ様、ベアトレスです。お食事の時間です・・・・」
声を掛け部屋へ入るとベットの上に座り、左手首に巻かれている呼出用の紐を引っ張っているセルジオと目が合った。
「セルジオ様っ!!手首が切れますっ!」
ベアトレスは慌てて駆け寄り、セルジオの手首を確認する。セルジオの左手首に紐が食い込み、周りが薄紫色に変色していた。血が滲んでいる。
「ベアトレス様、これをお使い下さい」
突如、左横からバルドが短剣を差し出した。
ビクリッ!
ベアトレスは飛び上がる様に驚いた。
「驚きましたっ!バルド殿っ!いつの間に部屋に入られましたか?」
ベアトレスは気配を全く感じさせずに隣にいたバルドに半ば怒鳴る様に言う。
「・・・・」
バルドは短剣をベアトレスへ渡すと窓辺に歩み寄みよる。身体を窓枠の壁に沿わせ、そっと窓の外へ視線を向けた。
ベアトレスの方を見ることなく返答をする。
「ご説明は後ほど致します。
まずはセルジオ様の手首より紐を外して差し上げて下さい」
バルドは声を落とし、ベアトレスへセルジオの左手首に巻き付いた紐を取り外す様に言う。
「・・・・」
バルドの行いが気になるものの最もだと思い、ベアトレスはバルドから手渡された短剣でセルジオの左手首に食い込んでいる紐を少しづつ解く様に切っていった。
紐は呼鈴に繋がっているはずだが、重さを感じない事に違和感を覚え、ベアトレスは紐の先を見る。紐は呼鈴から外されていた。いや、紐は途中から何かで切られているようであった。
ベアトレスがセルジオの左手首に食い込んだ紐を取り除くまで10分程度要した。セルジオ本人が紐を引っ張り食い込ませたのか?それとも別の理由があるのか?騎士訓練施設に入り3ヶ月目にして、初めて背中に冷たい物を感じ、ベアトレスは身震いを覚えた。
セルジオは泣きもせずにじっとベアトレスが自身の左手首に巻き付いた紐を取り除く様を眺めていた。紐が取り除かれると薄紫色に変色し、血が滲んでいる自身の左手首をまじまじと見ている。
「セルジオ様、よく我慢なさいましたね」
ベアトレスはセルジオに声をかけながら自分が取り乱していた事にハッとする。
ドキンッ!ドキンッ!ドキンッ!
やけに鼓動の音が気になる。
少し不安な思いを隠しつつ、窓の外を鋭い視線で見ているバルドに声を掛けた。
「バルド様、失礼を致しました。
紐は取り除けました。セルジオ様の傷口に手当を致します。
自室から薬草等を取ってまいりますので、
戻りますまでセルジオ様をお願いできますでしょうか?」
セルジオの手首の紐を取り除く為にて渡された短剣を逆手に持つと柄の方をバルドへ差し出す。
「承知しました・・・・」
カシャンッ!
バルドは窓の外へ視線を向けたままに短剣の柄を見る事なく右手で受け取ると左腰に革ベルトで装着している鞘におさめ、返事だけをした。
その様子にベアトレスは自室に戻る事を躊躇する。
「あの・・・バルド様・・・窓の外に何かございますか?
その様に鋭くご覧になられて・・・
セルジオ様の手首に巻き付いていた紐と何か関係でもございますか?」
ベアトレスは窓辺に近づくことなく、バルドに問いかける。
「・・・・ベアトレス様、
手当の道具を取りに戻られましてからご説明致します。
ご安心下さい。私がセルジオ様をお守り致しております」
バルドは変わらず視線を窓の外へ鋭く向けてはいるが、ベアトレスが不安を抱かぬ様に先程より少し柔らかく丁寧な口調で答えた。
「・・・・それでは、手当の道具を取りにいってまいります」
バタンッ!
ベアトレスはバルドの様子に後ろ髪を引かれる思いでセルジオの居室を後にした。
軍事要塞を兼ねた訓練施設の窓は分厚い木材を鉄の金具で杭打ちした作りになっている両開きで、閉めれば部屋は暗闇となる。その為、日中は窓を開け放したままの状態にしていた。
王都を巡らす城壁の要塞は王都周辺貴族の所領に隣接している。セルジオの居室はエステール伯爵家領内へ通じる王都西門上部4階に位置していた。
バルドが注視していた「窓の外」はエステール伯爵家所領入口の東門付近に数人の人影が動かず木陰に身を隠している様だった。
バルドは気配を消しながら木陰に意識を集中する。
『三人か・・・・マディラの者か?・・・』
ピッピッピカッ・・・・
ピッピッピカッ・・・・
ピッピッピカッ・・・・
王都城壁の最上階部から木陰に潜む人影に向けた光の点滅をとらえる。手鏡信号だった。どうやら木陰に潜む者達に合図を送っている様だ。
合図を受けた三人は木陰から姿を現し、何事もなかったかのように王都城壁に沿って南へ歩いていった。
バルドはその様子を始終注視し、3人の姿が見えなくなるとセルジオへ視線を移し様子を見る。
ブワッッッ!!!!
バルドはセルジオの姿に目を見張る。
セルジオの身体から青白い炎が燃え上がっている様に見えたからだ。
ダッダダッ!
「セルジオ様っ!炎がっ!」
炎を払いのけようと慌ててセルジオに近づく。が、炎は消えていた。
『なっ、何だったのだ?目の錯覚か?
・・・・いや、これは・・・・』
バルドはベッドの上に大人しく座るセルジオと目線を合せじっと見つめる。
トンッドンッ!トンッ!
そこへベアトレスが戻ってきた。
「バルド様、お待たせを致しました。セルジオ様の手当を致します」
バルドがセルジオの傍らで屈み、驚いた顔をしている姿にベアトレスは怪訝な表情を見せる。
「バルド様、いかがされましたか?
その様な驚いたお顔をされて・・・・」
ベアトレスは感じたままをバルドに伝える。
「・・・・いや、セルジオ様のお身体から
青白い炎が燃え上がっている様に見えましたので・・・・
気のせいであったようです」
バルドも正直に話した。
「左様でしたか・・・・
バルド様、お話の前にセルジオ様の手当を致します。
そのままお待ちいただけますか?」
窓の外を注視していた理由を直ぐにも聞きたい気持ちをぐっと堪え、ベアトレスはセルジオの手当をはじめた。
「承知致しました。お手伝いする事があればお申し付け下さい」
落ちついたバルドの声に先程までの取り乱していた自分自身を戒める。
『私はセルジオ様の乳母であるのに・・・・
動じぬ様にならなければ・・・・されど・・・
バルド様がご覧になった青白い炎・・・・
アレキサンドラ様が申されていた伝説の騎士とは
真の事やも知れぬ・・・・』
セルジオの手当をしながらベアトレスはこの3ヶ月を振り返っていた。