第82話 クリソプ騎士団19:フェルディの脱出2
セルジオとエリオスが姿を消した二時間程後、荷運びの衣服を纏ったフェルディはラルフ商会から荷馬車に揺られ、クリソプ男爵領西領門へ向かっていた。
ガタッガタッガタッ・・・・
ガタッガタッガタッ・・・・
乗り慣れない荷馬車の振動が身体に響く。
赤茶色の長い髪を後ろで一つに束ね、隣で手綱を握る女へチラリと目をやる。
見事な手綱さばきだ。
ラルフ商会のベンノから商会専属の荷運び一家だと紹介された。
夫が腹痛で暫く荷運びの仕事ができないから母息子二人での仕事となるそうで、フェルディの同乗は快く承諾された様だった。
ゴソゴソと身体の位置を変えるフェルディへ手綱を握る女が声をかけた。
「尻が痛みますか?」
フェルディはバツが悪そうに被っていたローブの間から呼応した。
「乗せてもらったのにすまぬ。馬車などほとんど初めてのことで、身の置き所が解らぬ・・・・そなたは・・・・見事な手綱さばきだな・・・・そなたの名を聞いていなかった。そなたの名は?」
騎士が商人にしかも荷運びの者に名を訊ねるなど珍しいことだ。
女は一瞬驚いた仕草をしたが、躊躇うことなく呼応した。
「ブリーツです。荷台にいる息子はヨシュカ。まだまだ、先は長いですから尻の下に敷物を用意しましょう」
そう言うとブリーツは荷馬車を街道の脇へ器用に停めた。
ラドフォール騎士団、影部隊の副隊長であるブリーツは、フェルディに素性を気取られぬ様、細心の注意を払っていた。
普段は、荷運び一家としてシュタイン王国内各領地と近隣諸国の情勢を調査、情報収集し、ラドフォール騎士団団長アロイスへいち早く伝えることを役目としている。
一時の他者との交流であれば、素性が明らかになることはまずない。
ただ、今回は相手が騎士団の第一隊長であることを考慮する必要があった。
言葉使いや仕草から荷運びのそれとは異なる様子が窺われかねないと危機感を抱いていたのだ。
言葉を選び、荷台に向けて声を上げる。
「ヨシュカ、ヨシュカ、起きているか?お客人にクッションを。尻が痛むそうだ。羽根のが二つあっただろう?」
「・・・・」
ブリーツの呼びかけに返答がない。
「ヨシュカ、ヨシュカ、これっ、ヨシュカ」
「・・・・」
何度か名を呼ぶが気配すら感じない。
ブリーツはやれやれと一言こぼすと御者台と荷台の境に垂れる布をめくり、荷台へズカズカと入っていった。
ラドフォール騎士団団長アロイスと影部隊隊長ラルフは、ラドフォール騎士団水の城塞で水の精霊ウンディーネから授かった役目のため、クリソプ男爵領でセルジオらと合流する手はずとなっていた。
シュタイン王国の東側に起こる『歪み』をラドフォール騎士団とセルジオ騎士団が力を合わせ正し、その火種を潰す事が目的だった。
アロイスは、セルジオらの行程に合わせ、王国中に張り巡らせているラドフォール騎士団、影部隊の情報網をできうる限り王国の東側へ集結させていた。
クリソプ男爵領の『黒い噂』である奴隷売買と麻薬売買を表ざたにすることなく水面下で解決する事を王都騎士団総長から求められていたのだ。
公儀の事となればクリソプ男爵は爵位剥奪となるだろう。そうなれば王国内の貴族所領のバランスが崩れる。
所領の分配や新たな爵位を有する貴族の任命が争いの火種になることは明らかだ。
アロイスは、影部隊とバルト、オスカーとでこの事態を完全に収拾させるまでの段階にきていた。
ところが、ポルディラの使い魔カイが宿屋の窓辺に現れた事で、セルジオとエリオスに不測の事態が起こった事を察知する。
すぐさま、ラドフォール騎士団、影部隊隊長ラルフにカイの向かう先に同行する様命じた。
火種の巻き添えになると考えられるカリソベリル騎士団第一隊長フェルディは、影部隊副隊長のブリーツにクリソプ男爵領からの脱出の手助けを指示したのだった。
予想していたいくつかの事態の中で、最悪の状態と言える今、隊長ラルフと別行動であることにブリーツは不安を抱かずにはいられなかった。
薄暗い荷台に入ると床板に軽石で何かを描いているヨシュカの姿が目に入った。
一心不乱にブツブツと呟き時折、帳面を覗きこんでいる。
ブリーツはフェルディに聞えない様、小声でヨシュカの名を呼んだ。
『ヨシュカ、何をしている』
ビクッ!!!
ヨシュカはブリーツの声に驚き、身体を強張らせ、ブリーツを見上げる。
『驚いたっ!ブリーツ、なんだよっ!驚くじゃないかっ!!』
鋭い眼付でブリーツを睨むと小声で呼応する。
『何度も呼んだのだぞっ!同乗している者が何者か解っているだろう?怪しまれる行動はするなっ!』
珍しくイラついたブリーツの物言いにヨシュカは不思議そうな顔をした。
『何をそんなにイラついているんだ?ブリーツがそこまで気をもむ程、この役目はキツイんだろう?ラルフもいないし・・・・』
ヨシュカはイラつくブリーツを静かに見上げた。
『俺、考えていたんだ・・・・これ・・・・』
そう言うとヨシュカは床板を指さした。
そこには、クリソプ男爵領西の領門と領門の門番、フェルディを追ってくる可能性があるクリソプ男爵の私兵と思わせる者達の配置が描かれていた。
「・・・・」
無言で床板を見つめるブリーツにヨシュカは説明をはじめた。
『今日は金曜だから西領門の門番は5人。お客人はカリソベリル騎士団だから私兵が最も警戒するのは西領門だろう?ただ、ベンノさんが東西南北の領門へ二台づつ荷馬車を出したから一か所に私兵を集中させはしないと思うんだ・・・・』
『いくらカリソベリル伯爵領と隣接しているからと言ってもラルフ商会から一番遠い西領門から脱出するのは危険だと考えるはずなんだ・・・・まぁ、その裏をかいてと言う話しもあるとは思うけど・・・・』
『だから・・・・』
カタンッ!
カタンッ!
カタンッ!
ヨシュカは小石を3つ西領門に置いた。
『東の館で饗宴があるってことだし、私兵は全員集めても30人ちょっとだから、クリソプ男爵居城と東の館、北門と東西南北の領門へ向かった荷馬車を追えるのは3人までだ』
ヨシュカはここでブリーツを見上げる。
『西の領門は門番5人と私兵が3人。西領門が閉じるギリギリの時間だと行き交う荷馬車が少ないから検分も詳しく視られる。それに陽が暮れる時間に領門を出ること自体が怪しいだろう?だから、少し急げる?カリソベリル伯爵領の宿屋がある村まで日暮れ前に着ける速さにできる?』
ヨシュカはじっとブリーツを見上げた。
ガタッガタッ!!
ガバッ!!!
ブリーツは膝を床につきヨシュカを抱きしめた。
『ヨシュカっ!!!お前っ!凄いじゃないかっ!!いつの間にこんな策が立てられる様になったっ!!凄いぞっ!!』
ブリーツの身体は喜びで小刻みに震えていた。
『なっ!!ブリーツっ!しっかりしろよっ!お客人に気付かれるぞっ!離せよっ!』
言葉とは裏腹にヨシュカは抱きつくブリーツの背中に手を回した。
ブリーツはヨシュカをそっと離すと額に口づけをする。
『ヨシュカ、解った。お前の策通りにいこう。少し急ぐぞっ!すまぬな、私は少し・・・・イラついていた、すまぬな』
ヨシュカはコクンと頷き、頬を赤らめた。
ブリーツはヨシュカの顔を見ると愛おしそうにもう一度、額に口づけをした。
『そうだ、フェルディ様が尻の痛むそうだ。羽根のクッションがあっただろう?』
キョロキョロと荷物を見回す。
ゴトッゴトッ!!
ヨシュカは荷台の後方にある箱を開けた。
『ここに』
箱から羽根のクッションを2つ取り出し、ブリーツに渡す。
『ありがとう。お前も尻の下に引いておけよ。少し急ぐからな』
ブリーツはニコリと微笑んだ。
クッションを探しているのか荷台からガタガタと音がする。
フェルディは己の為に時間を費やしてもらうことが申し訳なく、身体を反転させて荷台を覗きこもうとした。
バサッ!!
荷台からブリーツが茶色のクッションを手に戻ってきた。
「おっと、ごめんなさい」
危うくフェルディの手を踏みそうになり、足を引っ込める。
「すみませんね、最近、言う事を聞かないんですよ。妙にむくれて・・・・すみません」
息子が母親の呼びかけに返事もなく、思いの外時間が取られたと詫びる。
「いや、こちらこそ感謝申す。余計な時間を取らせてすまぬな」
フェルディはブリーツが差し出したクッションを尻の下に引いた。
何とも柔らかく、これならば長時間、荷馬車に揺られていても痛みを感じることなく過ごせるだろうと思う。
荷馬車を動かし始めたブリーツが心なしか弾んでいる様に見えた。
「どうかされたのか?先程より・・・・」
ブリーツはヨシュカの成長を喜ぶあまり、フェルディへの警戒が緩んだと己を省みる。
ふっと小さく息を吐くと正面を見据えた。
ヨシュカの策を進める。
「いえ・・・・日暮れ前にカリソベリル領の宿に入ります。少し急ぎますので、身体に異変があったらお知らせ下さい」
正面を向いたまま微笑む。
「承知した。尻が痛いなどと言っていられぬな。ブリーツ殿、頼む」
フェルディはローブを深々と被り、荷馬車の揺れに体勢を整えるのだった。
【春華のひとり言】
今日もお読み頂き、ありがとうございます。
舞台は三日前に戻り、フェルディのクリソプ男爵領からの脱出2の回でした。
王国中に張り巡らされ、それぞれの領地で役目を果たすラドフォール騎士団、影部隊。
フェルディを無事に脱出させる事ができるのか?
次回もよろしくお願い致します。
ラドフォール騎士団、影部隊とセルジオ達の出逢いの回は
「第3章 第28話:騎士団の影部隊」
から
「第3章 第32話:嫉妬と忠誠の狭間」
までです。
お読み返し頂くとヨシュカの成長を見守るブリーツの想いをご覧頂けます。