恋する事を諦めた
前話で8歳まで成長しているダリアータ。ジオーレノは10歳です。今回はまた更に2年が経過し、ダリアータは10歳。ジオーレノは12歳に成長します。
それから時々ヴィヨロン公爵に呼び出されて稽古を付けてもらえるようになったダリアータ。ヴィヨロン公爵は剣に対しては、部下を扱くように厳しくダリアータに接したが、時間が来ると不器用なりに褒めて、頭を撫でるまでになっていた。そんな夫の態度に不満を抱いていたのは、無論ヴィヨロン公爵夫人。何をそんなに熱心に、と思っている。
大体、貴族令嬢が剣を持つなど恥ずかしいとさえ思う。だから夫には苦言を呈していた。ヴィヨロン公爵は夫人の苦言に対して、丁寧に反論をして宥める。元帥という役職まで昇り詰めているヴィヨロン公爵は、それ故に自分が強面だという事を知っていた。だから、妻と婚約してから誓った事があった。
余程の事が無い限り、怒鳴らない。そして、何が有っても女性に手はあげない。
この誓いは婚約してから未だに破られる事が無いため、夫人も夫の事を信頼して夫を立てていた。それでも今回ばかりは、夫に苦言を呈するし、なんだったら目を覚ませ、と苦い気持ちがあった。
だが、頑なに夫はダリアータに稽古を付け続け。更に2年が経過した。それでもダリアータとジオーレノの関係は変わらない。相槌すら無い2人。顔も見てもらえないダリアータ。それだけがヴィヨロン公爵夫人の胸がすく思いだった。
そんなある日、月に1度届くジオーレノ宛の忌々しい娘からの手紙を、今までと同じように、当然の如く目を通した夫人は、それとは別に娘から自分と夫宛の手紙がある事を知り、憤慨していた。
ジオーレノへの手紙すら忌々しいのに、夫が優しくしているからと言ってつけ上がって……という気持ちのまま手紙を読めば、ルベル公爵領で新たに月光石という宝石が産出したという。その月光石で装飾品を作ったから納めて欲しい、という内容だった。受け取るのも忌々しいが、月光石という宝石が希少な事も知っていて、品を見るくらいは……と、夫人は手紙と共に送られてきた装飾品を見た。
そこには、夫人用に髪飾り。公爵用に剣の房飾り。ジオーレノ用にタイピンが入っていた。夫人は悔しい思いはするものの、その月光石の素晴らしさは認めざるを得ない。ジオーレノ宛に送ってきた刺繍のハンカチは下手過ぎて、姉と姪と一緒に笑い者にしてやったが、月光石の装飾品は3つともセンスが良く、夫人の肥えた目にも逸品として映った。
娘は忌々しいが、装飾品……取り分け月光石に罪は無い。普段使いが出来るさりげなさなので、夫人は次の日から使う事にした。娘から、と考えなければ寧ろ自慢したい品だった。夫は喜んで使用していたが、ジオーレノはダリアータから、と言われた瞬間、贈り物も見ずに拒否していた。だからその品は売ってしまった。ジオーレノが要らないなら、当然の対応だろう。夫にも夫人は報告しなかった。
「あらあら、素敵な髪飾りね」
夫人の姉が姪を連れて遊びに来て、夫人の髪飾りに気付く。姪も目を輝かせて見せてくれ、というので夫人は見せた。月光石の素晴らしさに姪が欲しい、と言い出す。少し迷ったが、もしかしたらあの忌々しい娘のことだ。ご機嫌取りにまた月光石の装飾品を送ってくるかもしれない、と思えば、あげることを了承した。
そこへジオーレノが帰って来て、姪が早速ジオーレノに見せる。ジオーレノは姪の嬉しそうな笑顔に自身も愛しさを含めた目で笑顔を向け、更に自らの手で飾ってやっている。
これほどまでに仲睦まじく、ジオーレノも姪を愛しているようなのに。
夫人は王命が本当に忌々しかった。婚約破棄出来れば、ジオーレノと姪を直ぐに婚約させるのに、と。
だから仕事から帰った夫に、夫人はどうにかして婚約破棄を出来ないか、とまた頼んでいた。ついでに、姪にあの髪飾りをあげて、ジオーレノの手で飾ってあげていた事も報告する。それほど2人は仲睦まじいのだ、と。
「お前は、なんて馬鹿な事をしたんだ!」
だが、返って来たのは、婚約以来初めてとなる夫の怒鳴り声だった。それはつまり、余程の事であった。
「何故ですか⁉︎」
初めて怒鳴られて混乱と怯えを混ぜつつ尋ね返せば、ヴィヨロン公爵が溜め息をついて教えた。
「あの月光石は、ダリアータが自ら領地に赴き、採掘者と共に自らの手で採掘して、磨き上げて、ダリアータがデザインして職人に頼んだ物だ。余りにも見事な装飾品だったからな。顔を見るのが嫌だった宰相に頭を下げてお礼を言ったら、驚いた後、嬉しそうに教えてくれた。私とそなたと、ジオーレノが喜んでくれるように、と。お前はダリアータの心からのプレゼントを蔑ろにしたのだ。解るか? 人として失礼な事を、お前は仕出かしたのだ」
夫人は夫の話に愕然とした。
自ら採掘したという月光石の素晴らしさ。
自らデザインしたという装飾品のセンスの良さ。
その心からのプレゼントを、彼女は心ごと踏み躙った。あれ程息子達に、他人の心を思い遣る男になれ、と言い聞かせてきた自分が、ダリアータの外見で目を曇らせて、その優しさや想いを踏み躙った……。
夫人は、涙を流したが、公爵夫人という立場で叔母でもある自分から、姪に髪飾りを返せ、とは言えなかった。
「ジオーレノはあのタイピンをどうした?」
更に追い討ちをかけられた夫人は、真っ青な顔で夫に全てを打ち明けた。
「なんてことを……」
ヴィヨロン公爵の大きな溜め息に夫人は身を震わせたが、夫がポツリと「失った物はもう返らない」と呟いた言葉に、事の重大さが含まれている、と更に泣きたくなった。
その後、剣の稽古に訪れたダリアータに、夫と共に頭を下げた夫人は、その心に触れて、ようやく自分はダリアータの事を見ていなかったのだ、と判断した。
それから直ぐに剣の稽古ではなく、茶会へと変更し、夫妻とダリアータがお茶をすれば、夫人はダリアータの聡明さや教養の高さなどを知る。寧ろ、刺繍が苦手な事がいっそ親しみやすい程、完璧に近い娘だと知った。
こうしてダリアータはまたも無自覚に、公爵夫人を陥落させたのだった。
それから5年の月日が流れ。
今や、公爵も夫人もダリアータが義娘になる事を心待ちにしていたのだったが。
とうのジオーレノが相変わらずだった。
婚約してから10年。
とことん視線を合わせず、相槌一つ無い義務だけのお茶会を10年。相変わらず、ジオーレノは母の姪……つまり自分の従姉妹に夢中だった。
この頃には、ヴィヨロン公爵夫人の目も曇りが取れていて、自分の姪が欲しい物があれば手に入れなければ気のすまない我儘で自分が世界の中心だと言わんばかりの傲慢な娘だ、という事に気付いていた。
更には、ダリアータは知識も教養も深く高い娘だが、姪と会話をしていると、勉強などしていないくらい浅い見識と考えを披露していて、これはダリアータが義娘になるのが正解だな、と思っていた。後はジオーレノがダリアータに少しは見向きをすれば……と思ったのだが、全く進歩の無い関係で、これではダリアータが疲れるのも時間の問題だ、とヴィヨロン公爵夫妻は恐れていた。
幸か不幸か、数年前から国王陛下の意向通り、王妃派と側妃派に分かれていた貴族もようやく一枚岩になりつつあった。それはやはりルベル公爵とヴィヨロン公爵の仲が良好になっていた事も大きい。
そうして、ダリアータとジオーレノの2人だけが何の変化も無いまま、ダリアータのデビュタントを迎えた。
本来、婚約者が居るデビュタントは、婚約者がドレスやら装飾品やら靴やらと揃えるものだが、目も合わない。喋る事もない。花一つ贈り物をした事の無いジオーレノが、ダリアータの物を贈るわけがなく。
ルベル公爵家で全て用意した。そして、嫌そうな顔を隠そうともせず、両親に言われてダリアータをエスコートしたジオーレノは、会場に着くなり、エスコートは終わったとばかりに、ダリアータを放ったらかしにした。
本来なら、国王陛下に挨拶をして、ファーストダンスを踊るまでは最低でも婚約者の役割なのだが、それをジオーレノは放棄したのである。
爵位が高い者は最後に陛下に謁見するため、ダリアータは謁見までの間に同じデビュタントの令息令嬢を含む様々な男性と女性にヒソヒソと噂されるかクスクスと笑われ続けていた。
それでも、背筋を伸ばして公爵令嬢としての自負で凛としていたが、それも視界の片隅で自分の婚約者が薄紫の髪に銀色の目の美しい女性と語り合っているのを見てしまえば、心が折れた。その女性を見る婚約者は、この10年、ダリアータが見た事の無い笑顔で、目は女性に蕩けた熱を込めて送っている。
その意味する事が分からない程、ダリアータは馬鹿ではなかった。
(あの人の心は、私に向いていないのね)
政略だと分かっていたはずなのに。
10年もの間に一目惚れから、すっかり恋へと変貌していた想い。
5歳の頃のダリアータの方が分別が付いていた、と思うのだから、恋とは愚かで厄介だ。それが分かっていても好きな気持ちを諦められなかった。
けれども。この時、ダリアータはもう無理だ、と思った。10年、一目惚れしてから頑張って来たけれど、相手に好きな相手が居るならどうしようもない。恋を諦めるしか無い。それならもういっそのこと、婚約を解消してもらいたい。
(ああ、いいえ、ダメだわ。この婚約は政略なのよ。王命という絶対的な命令に、逆らえる事など無い。私があの方の婚約者になれたのは、王命だったから。私の恋心なんて関係ないの。……政略結婚、なのだから)
でも、と思う。
政略だと分かった上で……例えジオーレノが納得していなくても……婚約をしているというのに、ここまで蔑ろにされ続けては、結婚してからも蔑ろにされ続けるのでは無いだろうか。
それとも、と思う。
政略なのだから自分の感情を押し殺して結婚するべきなのか、と。
きっと、そうなのだろう。
(私の恋心は諦めて。王命という政略結婚である事を受け入れて。感情を押し殺して。死ぬまで私はあの方と共に居る。振り向いてもらえなくても。この胸が掻き毟られる程辛くて痛くて苦しくても。……あの方はそれでも良いのかしら。どう見ても隣の女性と相思相愛に見えるわ。その恋人と別れて私と結婚する覚悟があるのかしら)
もしかしたら、結婚して直ぐに愛妾として迎え入れるつもりなのかもしれない。もしそうだとしたら、自分は耐えられるのか、とダリアータは思う。
恋を諦めようと決めても、直ぐに諦められるわけがない。結婚してもまだ諦めきれていなかったら、目も合わない。会話も無い。そんな相手と結婚が続くだろうか。
(それどころか。私は彼の子を産めるの?)
ダリアータは閨事について、旦那様に任せると聞いている。その旦那様が自分との子を望むだろうか。
そもそも彼は、ルベル公爵家に婿入りする事が分かっているのだろうか。ルベル公爵家の血を引くのは、妻になるダリアータ。そのダリアータをここまで蔑ろにしているのだ。
ルベル公爵家に婿入りする意味が理解出来ているとは思えなかった。
……理解出来ていたなら、これ程ダリアータは嘲笑を受けてはいないはずであった。
様々に考えを巡らしていたところへ、とうとう国王陛下への謁見の順番がやってきた。
「御目通り叶いまして光栄に存じます。ルベル公爵家が一女・ダリアータにございます」
「おお、そなたがダリアータか。宰相と元帥から良く話を聞かされているぞ。それで婚約者のジオーレノはどうした?」
国王陛下の楽しそうな表情に、ダリアータはそっと目を逸らした。国王はダリアータの視線を追う。そこには相変わらず仲睦まじく女性と語らうジオーレノが居た。
「ほぅ。王命、の意味が分からないようだな、あの小僧」
一段と低い声で国王が目を細めてジオーレノを見る。それから隣に立つ宰相・ルベル公爵と元帥・ヴィヨロン公爵を見た。
「申し開きもございません。ダリアータ嬢には詫びても詫びきれない。この10年、ダリアータ嬢は愚息に蔑ろにされ続け……」
ヴィヨロン公爵はそれ以上言葉を続ける事が出来ず、溜め息を吐き出した。
「陛下。発言の許可を」
宰相・ルベル公爵が意見を述べたい、と願い出る。
「良い。許す」
「恐れながら、娘の意思を確認してから奏上するつもりでしたが……。娘とジオーレノ殿との婚約を解消して頂きたいのです」
聞いていたダリアータは、息を呑んだ。陛下のお声がかり。それに異議を申し立てるなど、謀反だ、と疑われても仕方ない。
それと同時に、ダリアータの懸念など分かった上で、奏上してくれた父の愛情を、ダリアータは嬉しく思えた。
「王命だぞ」
「しかしながら、陛下の望む王妃派と側妃派の派閥はもう無くなりつつ有ります。解消しても問題ないでしょう。どう思いますか、ヴィヨロン公爵」
「ルベル公爵の言う通りですな。私と妻はダリアータ嬢が義娘になる事を願っておりましたが、愚息がアレでは、ダリアータ嬢が幸せになれますまい。残念ながら婚約を解消することは賛成です。国内の貴族達も一つになりつつ有りますので」
「ダリアータ嬢は、どう思う」
「恐れながら。王命を受けた日にお会いしてから、私はジオーレノ様を好きになり、お慕いし、相応しく有ろうと努力して参りました。ですが、この10年。目を合わせず。相槌すら打ってもらえず。手紙もプレゼントも一切もらった事の無い私とジオーレノ様との婚約は、意味が有りましょうか」
国王は、余りの事に絶句する。本当か? とばかりにルベル公爵とヴィヨロン公爵を見た。2人共に重々しく頷いた。それが本当だと分かれば、国王も溜め息をそっとつく。
「分かった。婚約を解消しよう」
あまりにもアッサリとした返答にダリアータの方が困惑する。本当に本当に本当に、解消出来るのか、と。10年、婚約者や第三者に、蔑ろにされ続けて来たダリアータには、例え国王と言えど家の者以外は猜疑の対象になってしまっていた。
「ありがとうございます、陛下」
父が礼を述べている。
「良い。……この10年の頑張りの褒美は何が良い?」
まさか、褒美が出るとは思わなかった。蔑ろにされ続け、王命に逆らったと処罰の対象になるならともかく。ダリアータがそう思っている間にも、国王は労りの目を向けてダリアータの願いを待っている。
国王は、不憫なダリアータに少しでも報いてやりたかった。
最後の時点でダリアータは15歳。ジオーレノは17歳です。次話が最終話です。
1話が長くてすみません。