はじまりの日 1
エインドナ国。
大陸を支配する4つの国の中で最も広大で、大陸の南側に位置するこの国は、安定した気候故に比較的豊かな土地にある。商業は主に農産物が盛んで、特にこの国でしか栽培できない果物は日持ちもする為諸外国に人気だ。
そんなエインドナ国の最北端。国境に位置し人里離れて広がる森には、少女が1人で暮らしていた。
一一一一一一一一
深い森の奥。木々の隙間から零れる光は優しく地面を照らし、時折柔らかな風が吹き抜ける。人間の手が入らないこの場所は落ちた葉や枝、嵐で倒れた大木がそのままにされており、とても歩き易いとはいえない場所であったが、そんな事を感じさせない程軽やかな動きで移動する1人の少女がいた。
少女の名前はリリー。淡い栗色の髪を後ろで簡単に束ね、少し長い前髪の奥には丸く縁取られた翡翠色の瞳が曇りなく輝いている。歳は15になったばかりだ。
以前は祖母と2人で暮らしていたが、2年前に祖母が他界してからはずっと1人で森に住んでいる。
とは言っても、数週間に1度は近くの村へと出向くし、そこで村人に薬草を買い取って貰ったり、時々訪れる商人から唯一の娯楽である小説本を買ったりと程々の交流はしている。
本来人と関わる事を好むリリーに対して村の人たちはいつも温かく迎えてくれ、帰りに持ち切れないほど野菜を持たせてくれる人も居るくらいだ。
それに1人とは言ったが、リリーは独りではなかった。
自然が多く残るこの森は精霊も多く居着いており、彼らは揃ってリリーの手助けをしてくれる。
その為リリーは祖母が亡くなってからも普段は孤独を感じる事なく森で暮らす事ができていた。
精霊は古くに人の世からは姿を消したと言われているが、幼い頃からリリーには精霊が見えていた。強い力を持たない下級精霊は、姿形があるわけでも言葉を話すわけでもないが、宿した属性を表す色でキラキラと光の粒のように彼女の視界に点在している。
そうして今も精霊たちは夕食の材料を求めて外出したリリーをきのこが生えている場所へと導いているのだ。
精霊たちに導かれるまま森を進み、きのこを集めたリリーは腕に掛けた籠の中を一瞥する。
1人分の食事の材料としては十分であろう量が集まっていた。
「ありがとう。もう大丈夫だよ。」
一見すると誰に話しかけているかわからない状態ではあったが、伝えたい相手には正しく伝わったらしく精霊たちはリリーの周りを幾度かクルクルと回った後、リリーの家へと向かって動き出した。
そして彼女もまた、精霊たちと追いかけっこをするように後を付いていく。
しかし、暫く歩いたリリーは足を止めた。
「……人?」
彼女から数メートル程は離れた位置。少し開けた場所に何かが倒れている。距離がある上に、気紛れな木漏れ日が心許ない事もあって確信はないが、人のように見えた。
リリーは少し悩んだ後、それに向かってゆっくりと近付く。
(誰かが迷い込んじゃったのかな……?)
交流があるとは言っても、リリー以外の人間がこの森を訪れる事は殆どない。理由は分からないが、この森の存在は知っていても皆興味を持たないのだ。
日常の中に突然非日常が訪れ、驚きと好奇心と不安でリリーの胸は普段より大きく音を鳴らしだす。
「あ、あのー……」
近付いてみると、それはやはり人であった。少年と思しきその人物はリリーが傍に来ても少しも動かずその場に横たわっている。一応声も掛けてみたが、反応はない。
(もしかして、死んでる?)
この森では動物の亡骸を見付けてしまうことも珍しくはない。だから死というものはどこか身近に感じるし、死んでいるならお墓を作ってあげなきゃと、リリーは斜め上に思考を巡らせていた。
勿論もし生きていたら、森の外まで送ってあげなければという気持ちもあった。
足元に手頃な木の枝が転がっていたので、それを手に取り最終確認とばかりに横たわる死体(仮)をツンツンとつついてみる。
「ん……っ」
「ーーーッ!!?!?」
結果、死体(仮)は最終試験を突破できず小さな声を漏らした。初見でほぼ死んでると決めつけていたリリーはその瞬間、驚きの余り数歩飛び退き距離を取る。
「い、い、生きてる……!」
バクバクと心臓の音がうるさい。
生存確認はできたものの、1人で暮らしてきたリリーにはこの後どうすればいいのかわからなかった。
生きているのなら、歩いてくれるのだろうか。倒れているのなら歩けないのだろうか。歩けないとなると、どうやって森の外に連れて行ってあげればいいのだろうか。
リリーの頭の中は大混乱である。
そんなリリーを心配してか、色とりどりの精霊たちがリリーに集まってきた。まるで「落ち着いて」とでも言っているようだ。暖かな光に、先程よりは幾分か冷静になったリリーは再度横たわる人の傍へ行くと様子を見るべくしゃがみ込み、相手の肩を控え目に叩いてみる。
「えぇっと……大丈夫ですか?」
返事はない。
その人は、よく見ると青年と少年の間にいるような人だった。リリーよりは少し歳下だろうか。金色の髪は泥で汚れてはいたがとても綺麗で、目は固く閉ざされている。
そのような特徴の人物に心当たりはないが、少し開いた形の良い口からは苦しそうな吐息が漏れだしているので、このまま放っておくわけにもいかないだろう。
(大丈夫、ではないか)
視線を彼の胸元へ移すと、黒いモヤの様なものが漂っていた。思わず眉根を寄せる。リリーはそれを知っていた。そしてそれが、彼の倒れている理由なのだろうという事も察した。すぐに命を脅かすわけではないが、放っておくのは危険だ。
理解したリリーは、同時にこの場所で治す事は出来ないと判断し、意を決して彼を抱き起こす。
「いや、重すぎ」
予想以上だった。正直舐めていた。
息を切らしながらリリーは呟く。額にじわりと汗が滲んでいる気がする。
それはそうだろう。いくらまだ成長しきっていないとしても人1人だ。細腕のリリーでは上半身を起こす事で精一杯だ。寧ろ半身を持ち上げられたのだから誇ってもいいくらいだろう。
「ちょっと手伝ってほしいの」
自分だけでは無理だと声を掛けた相手は、勿論意識のない彼ではない。
リリーの意を理解した精霊たちは、ほわほわと集まり彼を持ち上げてくれる。
ただ、そのままリリーの家までお願いするのは罪悪感を感じてしまい、リリーが彼を背負い、精霊たちが彼を支えるかたちで家まで運ぶ事にした。
リリーにとって精霊は家族であり、友人であり、大切な存在だ。そんな彼らに「重いから持って行って」なんて事は言いたくないし、させたくなかった。
勿論言えばやってくれるだろうという事も分かっていたが、精霊たちを道具のように使う行為はしたくなかったのだ。
そうしてリリーは少年を背負い歩いた。
全く重くなかったとは言えないが、精霊たちが手伝ってくれたお陰で大きく負担に感じる事は無くリリーは住み慣れた家まで辿り着く事ができた。
リリーの家は森の丁度真ん中辺りにある湖の傍に建っている。
わざわざリリーがここまで彼を運んだ理由でもある湖には、水の精霊が多く住んでおり、そのお陰で水はとても澄んでいて清らかだ。一見するとログハウスのような家は、祖母が昔、風の精霊と共に造ったと聞いている。古い造りだが祖母と私と精霊たちの思い出が詰まった大切な家だ。
少し苦戦はしたものの家の扉を開けるとそのまま奥の寝室へと向かい、寝台に彼を寝かせる。
相変わらず呼吸は苦しそうだ。
「さて、と。今助けてあげるからね」
彼が苦しんでいる理由は精霊が原因である。いや、精霊そのものが、というよりは人為的に害が出るように精霊が利用された結果というべきか。
彼の胸元から漂うのは、自然の摂理を捻じ曲げるような不自然な力だ。
「ナイアード、お願い。力を貸して」
湖側の窓を開けたリリーは、その名を呼び軽く手招きした。
すると湖から水球が浮かび上がり、窓を抜けて家の中に入ってくる。そうして次の瞬間には水で出来た彫刻のような美女が目の前に現われた。
『リリー、手伝うのはいいけれど……もしかしてアレもやるつもり?』
「勿論!お願いナイアード!」
リリーは目の前でパンッと手を合わせて頭を下げる。
その様子にナイアードと呼ばれた精霊は呆れながらもそれ以上は何も言わずに承諾の意を示した。
咎められる事が無いと理解したリリーは直ぐ様サイドテーブルに置いていた杖を手に取り、表情は真剣そのものだ。
この杖は幼少期に祖母がリリーの為に作ってくれたもので、棒の先端に大きな星を模したクリスタルが付けられた何ともメルヘンなデザインのものである。
因みにただの玩具なので、特別な力を持つ物ではない。
もう一度言うが、特別な力は何も無い杖である。
そんな杖の先を、未だに意識の無い彼に向けて、リリーは口を開いた。
「ーー鎖に囚われた隣人よ。解放の時は来た。我が名はリリー。我が声に応じて再び自由に舞踊れ」
リリーが唱えると呼応するように足元から青白い光が広がる。やがて光は1つに纏まり、彼の胸元へ向かう。直後、パキンッと何かが砕ける音がした。
同時に彼の胸元を漂っていた黒いモヤは辺りに離散し消えた。
ーー補足だが、リリーの唱えた呪文のようなものに意味はない。手伝ってくれた精霊は本来ならこのような呪文めいた言葉で意思疎通をする必要もない相手だ。
だがリリーは、この儀式を行った。端的に云えば“やりたかった“のだ。
異国では彼女のような症状を「チュウニビョウ」と呼ぶらしい。
一通りやりたかった事をやり終え、満足気な笑みを浮かべたリリーは改めて彼を見る。
先程までとは違い、呼吸は落ち着いているようだ。このまま寝かせておけばその内目覚めるだろう。
「ありがとう。ナイアード」
『いいわ。リリーの笑顔は好きだもの』
リリーがお礼を言うとナイアードは微笑みを返した後水の泡となって姿を消した。
ナイアードが湖へ帰っていくのを見届けたリリーは、空腹を思い出し、キッチンへ向かうのだった。




