第25話 人の好意は倍で受け取るべきなのだ。
「し、しばしお待ちくだされ! 今水を! 水をお持ちしますゆえ!」
竜車から身を乗り出して地面にゲロをぶちまけるフェリたん。
そのあまりにも異様な光景にべナードはオロオロと慌てながらも近くの酒場に駆け込んだ。
その後しばらくして事情を聞きつけたのか、店員とべナードが慌てて飛び出してきた。
店員の手には水の入ったコップが握られており、べナードがそれを受け取るとフェリたんの元へ駆け寄る。
「フェリアス様! お水をお持ちしましたよ! 飲めますか?」
べナードは項垂れるフェリたんに見えるように目の前で屈み込み、コップを差し出した。
それでもフェリたんはしばらく項垂れたままだったが、ようやく顔を上げて差し出された水をまじまじと見る。
その直後、バシッとべナードの手から強引に水の入ったコップを奪い取ると、まるで貪るように喉を鳴らして水をゴクゴクと飲み干した。
「んくっ……ふぅ……少し楽になりました」
「はぁ……良かったです」
少しではあるが顔色の良くなったフェリたんを見てべナードは安堵の溜息を漏らす。
気付けば、さっきべナードが駆け込んだ店にたまたまいた他の店員や客が入り口から何事かとこちらの様子を窺っていた。
自国の王女様の王女らしくない姿を目の当たりにして、何とも言えない複雑な表情をしているようにも見える。
大丈夫だみんな。この王女様、何度もゲロ吐いてたから。
俺も人の事言えないけどさ。
「仕事中に邪魔して済まなかった。ありがとう」
「あ、頭をお上げください! 大した事はしておりませんから!」
水を用意してくれた店員に向かって、べナードは深々と頭を下げて謝罪する。
そんな姿のべナードに店員は畏れ多いと言わんばかりに慌てふためいている。
このべナードっていう男。その身なりに似合うほどの地位の持ち主って事なのか。
フェリたんが知ってるくらいだから貴族なんだろうけど。
「では、私はこれで」
店員はそう言い残し、足早に店内に戻っていく。
入り口に張り付いていた客達もそれぞれ食事や談笑に戻り、にぎやかな声が再び聞こえてくる。
フェリたんは体を起こして衣服を整えると、龍車から飛び降りた。
「済みません、べナード。お手を煩わせてしまって」
「いえいえ、滅相もございません。しかし……一体どうされたのですか?」
申し訳なさそうに眉を寄せるフェリたんに、べナードは優し気な笑みを浮かべる。
「いえ、それが……龍車に酔ってしまいまして」
そう言ってフェリたんは苦笑いを浮かべながらベアトリスに目を向けた。
釣られてべナードもベアトリスへと目を向ける。
「なるほど……それでですか。フリードからこちらへ向かっているとの連絡を受けましたがまさかそのような事になっているとは」
ブツブツと独り言のように呟くべナード。
そんな様子にベアトリスはどうしたらいいのか分からず困惑しているようだ。
だが、首を傾げつつも、一応は相手が地位の高い人間であることは分かっているようで、姿勢を整えて頭を下げていた。
フリードから連絡があったという事は、あの領主とべナードは繋がりがあるんだろうか?
でも……べナードとあのクソ領主の関係って何なんだ? 貴族という立場以外に何にも関係性が見えてこないのだけれど。
「しかし……フリードも隅に置けませんな。こんな上質な騎竜を育てていようとは。この鱗の硬度や肌触り、ツヤ、鍛え抜かれた筋肉。一体で最低でも金貨500枚……いいや、金貨800枚は下らない希少種ですぞ!」
「な、何ぃぃぃぃぃぃ!?」
騎竜を撫でまわしたり隅から隅まで真剣な目で凝視しながら鑑定するべナード。
その驚愕の金額に俺は思わず叫んでしまった。
う、嘘だろ!? フェリたんもこの騎竜を褒めていたけれど……俺の腕を食いちぎってくれやがった躾のなっていない騎竜が一体で金貨800枚相当なんて。
き、金貨800枚もあったなら……いいや、待て待て……騎竜は二体いるのだから合計で金貨1600枚だ。
それだけあればしばらくは遊んで暮らせるじゃないか! ざっくり見積もっても一つの季節を乗り切るくらいには……。
「全く……はしたない事はおやめ下さい、べナード」
「申し訳ありません。ついつい……」
呆れたような溜息を漏らしつつも諦めたような笑みを浮かべるフェリたんにべナードは苦笑いを浮かべる。
一瞬、売ってやろうかとも思ったが止めだ止め。ここで金を受け取ったところであの村じゃ使い道なんて皆無だからな。
俺は金の誘惑に負けるほど無神経な奴じゃない。人様の物を売るなんてそんな卑劣な真似は……
「よーし! この騎竜売ったるわ!」
「え? えええ!? 宜しいのですか!?」
そもそも金の誘惑以前に悪いとなんて欠片も感じていない。あの領主にはこれくらい痛い思いをしてもらわなきゃ俺の気が収まらないのだ。
王都に行く羽目になって、ゲロ吐くような思いさせられて、そのくせ屋敷で踏ん反り返ってメイドさんに昼も夜もご奉仕してもらっているあのド畜生領主に一泡吹かせてやりたい。決して金が欲しいわけじゃないが、一泡吹かせる絶好の機会を逃す訳にはいかない。そうだ、決して金などイヒヒヒヒ……ああ、また涎が。
「何考えているんですか!」
「痛っ!?」
貰った金をどう使ってやろうか考えながらギラギラと目を輝かせていると、一瞬で現実へと引き戻す強烈な一撃が頭頂部へと繰り出された。
「はっ!? お、俺は一体……まさか、第二の人格が俺を支配していたのか!?」
「そうですかそうですか第二の人格ですか。じゃあもう二度と出て来れないように始末しておかないといけませんね」
そう言いながら、自分の腰に結び付けた斧に手を掛けるフェリたん。
このままではお食事中の皆様に色々とまずいところを見せてしまう事になる。店内でゲロでも吐かれたら店が潰れてしまう。
ちなみに経験ありだ。小さいころに行ったバイキングで食い過ぎてゲロ吐いたら、しばらくして別の店に代わってたからな。
「ご、ごめんなさいマジで冗談です。それにフェリたん、俺をぶっ殺したいなら公衆の面前では止めようね」
「……私が今更こういうのもなんですけど。そういう問題ですか?」
「え?」
「いや、だから。公衆の面前でないのならぶっ殺してもいいってニュアンスに聞こえますけど?」
何とも言えないような複雑そうな表情をしながらフェリたんは言う。
「そ、そういやそうだね」
フェリたんに何度もぶっ殺されているからその辺の感覚が狂ってしまったのかも。
慣れちゃいけない事だとは思っていても、もう慣れちゃったからな。
「はぁ……何か超テンション落ちました。詰まらないですね」
フェリたんは斧から手を放して頭を抱えながらバツが悪そうに呟く。
おい、ちょっと待て。今までその場のノリとかテンションの高さで俺をぶっ殺していたのかよ。衝撃の事実だよ。
「ははは。噂通りの関係のようですね」
俺達のやり取りをべナードは微笑ましそうに傍で見つめていた。
「マジで!? 俺とフェリたんのラブラブな関係が噂になってるの!?」
なんだよそれ! すげぇ嬉しいじゃん! 俺とフェリたんはラブラブだからな、当然と言えば当然だよなアハハハハ!!
「いやいや。誰もラブラブなんて一言も言ってませんが」
ちぇっ……何だよそれ。
俺とフェリたんのラブラブな関係が全国民に知れ渡っていると思っていたのに、何という期待外れ。
というか、そんなマジ顔で否定しなくたって良いでしょ。さすがに傷付くよ。
「この勇者様、救いようのない虚言癖がありますから相手にしない方がいいですよ。もはや存在そのものが虚言ですよね」
「ちょっとフェリたん。俺はちゃんと存在しているからね? 俺は幻覚とかじゃないよ? 本当は存在しないとかでもないからね?」
「あー、はいはい。そうですねはいはい」
俺のささやかな抵抗にフェリたんはあしらうように適当に受け流す。
本当ブレねぇなフェリたん。
「……」
竜車の御者席に座るベアトリスも俺達のやり取りを見てクスクスと口に手を当てながら笑っていた。
「ところで、お二人はこれからどうされますか? 一応、フリードからはこちらへ来る経緯について伺ってはおりますが」
「そうですね。明日には乗船する予定ですので、早めに休むためにも宿屋を探そうかと思っています」
「良ければ私が宿屋を手配いたしますぞ。もちろん私がツケていきますゆえ」
おおっ! マジかよ! 何者かは知らないけど貴族だって言うならそれなりに高級なホテルを手配してくれそうだな。
「お気持ちは大変うれしいのですが、その好意は受け取る訳にはいきません。真面目に金銭を支払っている方々に示しがつきませんから。お気持ちだけでもありがたく頂戴します」
「ははは……陛下の教育の賜物ですな」
「嘘でしょ!? めっちゃ良い話じゃないか! ここは好意を受け取っておこうよ! ついでにメシ代とか払ってもらおうよ! もうそのまま財産奪おうよ!」
人の好意は素直に受け取っておくものだって、あのクソ国王に教えてもらわなかったのか!? 好意を無下にするなんてけしからん!
「……はぁ、絵に描いたようなクズっぷりですね。あなたのそれは好意を受け取ったとは言わないですよ。人の好意に付け込んだ卑劣な行為です」
「ほ、本人を前になんと躊躇のない……ですが、商売人の気質がある考え方ですな。悪徳商法とか向いているのでは?」
おいおい何だよ二人して。俺をその辺の詐欺師と一緒にしないでくれよ。
「ともかく、そういう事ならば仕方がありませんね。ですが、私が騎竜と荷車を預かる事になっておりますゆえ、宿屋までの案内はさせていただけないでしょうか?」
「そう……ですね。できれば港に近い方が船の手配がしやすいので……」
「重々承知しておりますよ」
べナードはそう言って得意げに笑みを浮かべると、ベアトリスの座る御者席へと乗り込んだ。
困惑するベアトリスに対して、べナードはその場に膝を突き手を差し伸べる。
「よければその場を変わっていただけますかな?」
貴族が亜人に対して礼儀正しい態度をとるなんて考えられない光景だったが、べナードがこういう行為をしても何故だかしっくりと来てしまう。
会って数分しかたっていないのに……何でだろう。性格的に見たら貴族とはあんまり思えないな、この人。
目を丸くして驚いていたベアトリスは口を軽く開けて呆然としたままコクリと頷いて手綱をべナードへ渡す。
「ありがとうございます。そしてこの街までお疲れさまでした。後はゆっくり休まれてください」
「……」
べナードに優しく労われたベアトリスはやっぱり口を軽く開けて呆然としていてコクコクと頷く。
そのまま機械のようにトボトボと歩いて席にちょこんと座った。
なんか……心なしか頬が赤い気がするけど。
まさか、このおっさんに惚れたなんて事は……ないよな。うん。ないわ絶対。
「……あっ、あう…………」
じっと足下を見つめて口をパクパクと動かしているベアトリス。
何かを喋ろうとしているのか繰り返し口を動かしているようだ。何だ? 何か言いた気だけど。
うーん。何というかベアトリス相手だとボケる事もツッコむ事も出来ねぇ。
とっつきにくいな、どうも。
「すみません。出発してください」
「承知しました!」
フェリたんも龍車に乗り込み、再び動き出した龍車。
ガタゴトと揺られ、大通りを走り抜ける。
「なあ、フェリたん。ずっと疑問だったんだけどさ。あの人何者なの?」
貴族らしくない振る舞いではあるけれど、身なりは貴族そのものでフェリたんとの交流もある。
この街に観光に来た貴族とは思えないし、龍車を預かるとか言ってたからこの街の住人であることは明らか。
他の街の住人だとしたら俺達が村まで帰る手立てが無くなってしまうからな。
「ああ。そうでたね。彼は―—」
「私はべナード・クロイゼル。この街……ヴェダ―マーレを拠点にしたべナード商会の代表を務めております」
俺の質問が聞こえていたのか、フェリたんの言葉を遮るようにべナードが答えた。
「追加すると、彼は子爵……爵位の第4位なんですよ」
何だか俺の周り、位の高い奴多くね? 気のせい?




