第19話 大人の階段上っちゃいます。
領主に案内されるがままに廊下を歩いていると、一つの部屋に通された。
領主にしてはあまり物欲がないのか、高そうな装飾品や家具などは見られない。
最低限、仕事や生活に必要な物が置かれているのみで貴族らしさは欠片もなかった。
屋敷の外見があからさまな金持ち臭がプンプンしていただけで中身はこんな体たらくかよ。
ケッ! 領主がクズならとっとと討伐してその権利を俺が奪い取って、モン娘メイドを侍らせて朝から晩までご奉仕してもらおうと思ってたのに。
村から徴収した税金を私物化したりだとか、そういう事しててくれねぇかな。
「まあ、座れよ。俺の執務室だ。客人を持て成すような部屋じゃねぇけど……お前らには丁度良いだろ」
俺とフェリたんは領主に言われるがままソファーへ腰かけた。
その後、領主も向かい合うように俺達の前に座る。どういう訳か、領主の後ろを付いてきていたベアトリスも領主の隣に腰掛ける。
領主はポケットから小さな麻袋を取り出すと、中からフェリたんが持っている物と同じ手製の手巻煙草を取り出し、口に咥えた。
指をパチンと鳴らしその指先に小さな火の玉を出現させると、咥えた煙草の先を近づけて火を点け、火を出現させた手を軽く振るい消す。
「べ、ベアトリス。何もお前まで一緒にいる事はないんだぞ?」
「……!」
煙草を口に咥えたまま苦笑いを浮かべる領主だったが、隣に座るベアトリスはそんなのお構いなしと言わんばかりに目を輝かせ、さっき持っていた煙草の吸殻が入った皿を胸の前で構えていた。
「い、いや……あのな。別に常に灰皿持って歩かなくても良いんだぞ? 今だって目の前のテーブルに置いてくれりゃいいんだから」
「…………」
領主の言葉にベアトリスはビクッと驚いたような反応を見せた後、分かりやすく表情を曇らせて俯いてしまった。
どうやらこのクマ耳亜人。新参者というだけあって領主に気に入られようと頑張ってはいるものの、やり方が極端なようだ。
「い、いやいや。別にいいんだぜ? ベアトリスには凄く助けてもらっているしな……お、主に灰皿を持ってきてくれる事に関してだけど」
この領主も、こんな顔されちゃさすがにこれ以上は言えないようで全然フォローになっていない事を口にしている。
もはや最後の方はブツブツと小声で囁くように言っていてベアトリスには聞こえないようにしていた。
まあ、俺達の方には全然聞こえているけれど。本音が漏れてるぞ、本音が。
「……!」
それでも『凄く助かっている』という言葉に反応したのか、ベアトリスは途端に花開いたような笑みを浮かべて丸っこい小さな尻尾をひくひくと振りながら喜んでいた。
いやいや、俺との距離でも聞こえた領主の本音が、ベアトリスに聞こえていない訳ないじゃん。
こ、この亜人……さては都合のいい部分だけ脳内変換して再生できる機能でも備わっているのか?
…………ん? そういや、亜人って言葉を喋れないんだったっけ? 国が違うから言語も違うのか?
さっきからベアトリスが言葉を喋らないけど……何なんだ? 一体。
「さて……俺のところを訪ねてきた目的は何なんだ?」
場の空気を払拭しようと領主が咳払いをした後で本題を切り出した。
隣に座るベアトリスもその空気の変わりように緊張感を感じたらしく、くっと背筋を伸ばして姿勢を整える。
「ええ。ジーノ村長にも報告してきましたが、今朝私達の元に一通の手紙が届きまして……見てもらった方が話が早いかもしれませんね」
そう言ってフェリたんは懐から今朝届いた俺宛の手紙を取り出した。
それを領主へと差し出す。
手紙を受け取った領主は、じっくりとその内容に目を通し始めた。
隣に座っているベアトリスも気になってそっと覗き込みつつも姿勢を崩すまいとソワソワしている。
えぇ!? 持って来てたんなら何で村長に見せなかったの!?
村長の家から領主の屋敷にはまっすぐ向かったんだから取りに戻る時間なんてなかったはずだぞ?
ま、まさか……持っている事を忘れてたとか?
い、いやいや……いくらフェリたんでもドジっ子属性を付与させるのは無理があるだろ! キャラがブレちゃうだろ!
サイコパスでお嬢様ってだけでインパクトあり過ぎなキャラ性なのに、さらにドジっ子とか。
狂気だよ、狂気!
ああっ! いっけなーい。間違えて首を斬っちゃったぁ。なんて本気で言われれたら泣くぞ、俺。
「……なるほどな。大体の内容は把握できた。それで? フェリアス様と勇者様はどうするつもりなんだ?」
「帰ってクソして引きこもる! 痛っ!」
俺がそう言い放った直後、フェリたんの拳骨が俺の頭に降ってきた。
「私達としましてもベリド村が襲われる可能性を危惧していない訳ではありませんが、魔王軍の幹部と接触した勇者がいる以上、その方が王都に集まり情報共有の機会があるともなれば、それに参加しなければなりません。このクソニートは腐っても勇者ですから、招集が掛けられている以上は……」
俺に拳骨したことなどまるでなかったかのように強引に話を進めるフェリたん。
はぁ……どうしてもフェリたんは王都へ行く事を考えているのね。
だれか、帰ってクソして引きこもるっていう俺の提案に賛成してくれる同志はいないのかね?
「まあ、フェリアス様の言いたい事も分かるけどよ。お前らがここへ追放されたのは元々、あの村の護衛なわけだろ? それにここから7日で王都へ向かうってなったら最短でも船を使って海を渡るしかねぇと思うぜ? ここから一番近い港町に向かって、そこから船に乗ってフォルモンドへ向かうって事になるぞ? 船旅も2~3日続くだろうよ」
「た、確かにそうではありますが……」
そりゃ、こういう返答されるのも当然だよな。
そうだよ。俺はこの村を護衛する目的で追放された勇者なんだ。だから、村が襲われる可能性のある今、村を離れるのは職務放棄と同義。
何であっても、あの村を離れるわけにはいかないのだ。
ただでさえ引きこもりのニートなのに、そんな海外旅行並みのルート辿って王都に向かうとか無理。俺の体力の無さ舐めないで。
これこそ、俺の提案を呑んでもらわなきゃいけないだろう。
万が一魔王軍が攻めて来たとしても、適当に追い払えばいい。
俺は楽がしたいのだ。楽して生きられるならそれに越した事はないのだ。
「まあ、普段から惰眠を貪っているクソニートには良い刺激になるだろうしな。このままあの村に留めても結果は同じだろう」
…………え? 何? 今、空気が変わった。
「行って来いよフォルモンドに。その間、村の警備は厳重にしておくからよ」
「な、なんでそうなるんだよおおおおおおおお!!」
あのまま村に留まってニートライフを続行……と思っていた矢先、領主がとんでもない事を口走って俺は思わず叫び散らした。
今、村に留まれオーラ出してたじゃん! そういう空気になりかけてたじゃん! フェリたんもなんだかんだ諦めかけてるような顔してたじゃん!
なんでそこで手のひら返すことするの!? 詐欺師だろ、詐欺師! こんなの横暴だ!
「うるせぇな。どのみちそれがお前の仕事なんだろうが。黙って働けよクソニート」
領主はソファーの背もたれに手を掛けて足を組み、煙草を咥えたまま面倒臭そうに顔を顰める。
「フェリアス様や勇者様がいねぇ時に襲われたとしても俺と亜人どもで対処するから問題ねぇよ」
えぇ……魔王軍幹部と渡り合えるのがそんなにいるのなら、それこそ俺があの村を護衛する意味なくね?
まあ、護衛のごの字もやってないんだけど。
「そうと決まればクズクズしてはいられません。本日中に村を出発しないと……」
さっきまで顔を顰めていたフェリたんが急に調子を取り戻して立ち上がった。
なんか妙に焦っている気がするけど、2~3日の船旅なら別にそんな急がなくてもいいんじゃないか?
「そうだな。港町まではここからでも1日はかかる。それにフォルモンドまでの船は、毎日出ている訳じゃねぇからな。明日の船を逃したら7日後の会議には間に合わねぇぞ」
なんだよそれ……都合よすぎだろ。王都ってそれだけ巨大な都市なんだからしょっちゅう船が出入りしてるんじゃないのか?
ああ、世界が俺を働かせるためだけに概念を捻じ曲げに掛かっている。
きっとあれだな。俺を天界から観察している神様的な奴がいて、色々な事象を改変して俺を社畜の道に陥れようとしているんだ。
…………そうはさせねぇからな!
「俺は帰ってクソして引きこもるんだっ!」
俺はそう叫びながら、逃げるように執務室を飛び出した。
「待てコラクソニート!」
「往生際が悪いんだよ!」
そのあとすぐ、後ろからフェリたんと領主が追いかけてくる。
絶対に捕まるわけにはいかない。何か、適当な部屋に隠れてやり過ごさないと。
俺は廊下を駆け抜けながらどこか隠れられそうな部屋を探す。
ふと、廊下の角を曲がったすぐのあたりに他の部屋の扉とは違って若干古い見た目の扉が目に入った。
……ここだ! ここしかない! 俺の直感が、ここに隠れろと囁いている!
追いかけてくる二人に気付かれないようそっと扉を開けて中に入ると、俺はゆっくりと扉を閉めた。
その直後、部屋の前を駆け抜ける二つの足音。どうやら俺がこの部屋に入った事は気付かれなかったようだ。
「……ふぅ。危うく社畜転生させられるところだったぜ」
安心感に胸を撫でおろす。
ちくしょう、あの領主め。やっぱりニートの敵じゃないか。やっぱり速やかに討伐するべきだな。
何が惰眠を貪っているクソニートだよ。俺はそんな程度の枠に収まるほど軟なニートじゃねぇんだよ。
無職師範。俺は無職師範なんだ。無職代表、ニート代表と言っても良いくらいなんだ。
見くびられたものだよ、まったく。
「……?」
そんな事を考えながらほくそ笑んでいると、何か背中に集中する視線を感じて俺はふと振り向いてみた。
殺風景な部屋の奥に佇む、メイド服姿の少女。身長はフェリたんと同じくらいだが胸は大きい。
だが、人間らしい体つきは腕を除いた上半身の腰辺りまでで、その他はカマキリの肉体が備わっていた。
腕は完全にカマキリの鎌と同等で。腰から下は筋が入りぷっくりとしたお腹になっている。
スカートの裾から伸びるすらっとした細い4本の足。こちらをじっと見つめるやや吊り上がった目。
明るいライトグリーンの髪を頭の後ろで束ねている少女は、俺の姿に興味津々そうに歩み寄ってきた。
折り畳んだ両腕の鎌を胸の前で構え、体を左右に揺らしながら愛らしく動いている。
「な、なにこの生き物……超可愛い」
「キキキ……」
思わずこぼれてしまった言葉に反応したのか、少女は鈴が鳴るような小さな声で笑う。
と、何を思ったのか少女は俺を両腕の鎌で抱きすくめた。
というよりか、両肩辺りを鎌で押さえつけられたと言っていいんだろうか。腰や足はほかの四本の足で押さえつけられている。
や、やべぇ……なにこれ。いきなりの展開過ぎてビビってるけど。
俺の魔剣はすでに戦闘モードに突入しちまった。
少女の柔らかな体に刺激されてムラムラしちまったんだ。許せフェリたん。
「キキキ……」
再び鈴の音のような笑い声を出す少女は俺を抱きすくめたまま口を開いて近づけてくる。
俺もそれに対して察しが悪い人間じゃない。どこぞの頭が狂った鈍感主人公や難聴系主人公でもない。
こんな時こそ、堂々としておくこそが大事なんだ。よく覚えておけ異世界主人公ども!
ああっ……ごめんよフェリたん。俺、先に大人になってくるわ。
俺は少女のキスを受け入れようと目をつぶる。その最中、少女の白目の部分が黒く変色するのが見えて……
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
少女は俺の首筋に思いきり齧り付いた。