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第三十一話『魔の猛虎イヌゥア』

「父様!」


「シエラ!あぁ、よかった無事でっ…!もう会えないのかと思ったぞ」


 シエラはクロエルの背中から降ろしてもらい一目散に向かった先は父の元であった。シドも手を広げてそれを優しく受け入れる。ぎゅっと抱きしめ合う親子の姿を見て、心にのしかかっていた何か取れた気がしてほっと胸を撫で下ろす。


「あのね、あの者たちが助けてくださいましたの」


 自分を助けてくれた恩人を紹介しようと走るシエラの前に一本の腕が道を塞ぐ。


「なりませんぞ姫様。あのような野蛮な獣に近づいては」


「えっ、でも……」 


「お下がりくださいまし」


 皺一つないきっかりとした燕尾服を身につけ、後ろに白髪を1つにまとめあげた長身の中老の男は前に出ようとするシエラを自身の背中の後ろに押し返す。まるで品定めをするかのように眉一つ動かさず、此方を一瞥すると冷たい紺色の瞳を片眼鏡で透かすとじろりと私を睨めつける。ぴりりっと敵意を皮膚で感じた。


「あの魔物、姫様を助けたぞ?」


「いやでも、所詮魔物だ。いつ気をかえて牙を剥いてくるかわかったもんじゃない」


 ざわりとその場がまた騒々しくなってきた。疑心、恐怖、戸惑い、それぞれの思いが錯綜する。色々とこちらからも言いたいことはあるが生憎此方にはそれを伝える手段がなかった。城内に重苦しい雰囲気が立ち込める。


「ホホホッ、ちと遠方に足を運んでいる間にこれは随分と派手にやらかしたのー」


 するといつの間にその場にいたのか一人のこじんまりとした老人が重苦しい空気を吹き飛ばすように愉快な声で笑っていた。


「あれは……」


「イヌゥア様だっ……!」


 その老人を見た途端、兵士たちの顔に緊張が走り次々と整列し皆、道を開けていった。遠距離攻撃を得意とする魔道士ながらも鍛え上げられた肉体と鉛製の杖で敵を殴って投げ払う姿はとても魔道士と言えぬとつけられた名、『魔の猛虎』のイヌゥア。兵士はその名を聞くだけで震えあがった。


「おぉ、イヌゥアよ。帰ったのか」


「はい。王よ、イヌゥア只今無事に帰還いたしました。ところで随分と城内から香ばしい匂いがするのですが……その目の前の焼け落ちた建物と関連することですかな?」


 老人は立派に蓄えた白髭を撫ぜ、首を傾げた。


「あぁ、今しがた城内で火事が発生してな。なんとか死者はでなかった者の多くの怪我人が出た」


「かしこまりました、それではこの後直ちに儂が負傷した者たちに治癒魔法をかけに参りましょう」


「それは助かる!だが、実は今それより厄介な案件がまいこんでてな……」


「厄介な案件?」


「あの魔物の処分についてだ。シーク隊長を背を負ってこの国に勝手に入り込んできたのだ」


「ほほう!それは興味深いですなぁ」


 人間の国に自ら忍びこんできた魔物の話にイヌゥアは目を細めた。その話題はイヌゥアの知的好奇心を強く刺激するのに十分だった。王の目線の先にいたシークたちにイヌゥアはゆっくりと近づく。


「イヌゥア様!お待ち下さいこの者は……」


(やばい、イヌゥア様ほどの権力者にもしこの魔物の危険性を指摘されたら殺処分は免れないっ……!)


 自分より大きい体を持つ魔物を無駄だとわかっていても必死にイヌゥアの目に入らないようにシークはクロエルを背中の後ろに隠した。偉大なる大魔道士イヌゥア。魔道士らしからぬその剛力さで敵から恐れられつけられた異名『魔の猛虎』のイヌゥア。幾戦もの修羅場を駆け、数々の戦に勝利をもたらしてきた戰場の英雄の一人であった。そして知識に対しでも貪欲で努力を惜しまず常に魔物の知識も研究していた。シークも幼い頃、よく町の男たちの話を盗み聞きして憧れたものだ。けど、今はその存在が酷く悍ましかった。


(どうしよう。このおじいさん、かなり強い……!)


 それはシークの様子を見なくてもクロエルは分かっていた。長年にわたり培ってきた野生の直感が囁いている。一見すると只の変哲もない優しそうなご老人だが今まで相手にしてきたどの人間たちとは違う奥底から溢れる力を感じた。これまで自分に勝てそうな存在といえば肉親である母だけだったのに突然なんの前触れもなく現れた強敵に冷や汗が止まらない。今の自分の実力で正直勝てるどころか逃げられる気もしない、けどやらなきゃやられる。最悪、下手をしたら何処かの研究機関に連れていかれるかもしれない。


「こ、こいつは……ッ!!」


 クロエルの姿を見て驚愕し、イヌゥアの固く閉ざされていた目がカッと開眼する。近づいてきた手は小さな手なはずなのに巨人のような大きな手に見えた。恐怖で耳と尻尾は垂れ下がり、クロエルはぎゅっと目を閉じる。


「こりゃなんとも立派な黒猟犬(ブラックドック)じゃなぁ〜」


「「「……はぁ?」」」


 敵国にも恐れられた武人だがしかしそれももう遥か遠い日のこと。今では丸太のように太かった腕は鳥の足のようにか細く皮でしわくちゃで、背はへの字にひん曲がり、目が合うと全身に纏う覇気で体が勝手に震え出すと言われた瞳は固く閉じられて、にっこりと笑うその姿はなんとも穏やかで物腰が柔らかそうな老人であった。特に近頃は目が悪く遠くの物が見えづらくなっていた。つまり、この大魔道士イヌゥアはもうかなりのご高齢の為『老眼』だったのである。


「よしよしいい子じゃな〜。干し肉あるが主は食べるかの?」


「イ、イヌゥア様?」


 しかも極度の遠視でもあった。しかし、自分より遥かに大きい図体をクロエルを恐れもせず犬っころの頭を撫でるように戯れるその姿は流石大物としか言えなかった。老人と巨大犬、それは傍から見ると実にシュール過ぎる構図である。シークも普段凛とした顔を何処かに置き忘れたのかぽかんとした顔でイヌゥアを見た。


『えぇっ、私、あんな怖い顔つきじゃないんですけどぉ‥‥』


「クゥーン‥‥」


 それより私は黒猟犬と間違われたことにショックをうけていた。黒猟犬。狩りの中で何度もを見掛けた事があったが、ぎょろっと不気味なほどに開いた目玉に四六時中口を開け、だらしなく舌を出し、いつもお腹を空かせているのかダラダラと涎を垂らしている姿はとてもじゃないが品性の欠片があるとは言いづらく、黒猟犬の方が何倍もおっかない顔をしている。確かに黒いという点では同じだが、骨格も顔つきも大分違う。どれくらい違うかを簡単説明すると狼をハイエナと間違えたようなものと考えてほしい。似ても似つかぬ黒猟犬に間違われた事に私は酷く憤慨し、抗議の声をあげたかったがでも後が怖いのでぐっとここは我慢し、頭を撫でられておく。


「あの、イヌゥア様………?それにしては大きさが些か大きすぎると思うのですが………」


「なーに。突然変異かの何かじゃろうて。この広い自然界にこんな馬鹿でかい黒猟犬の個体が一匹ぐらいいたっておかしくはなかろぉう?」


「そう、なのか……?」


「いや分からんが、でもイヌゥア様が言うんだったら有り得るんじゃ……?」


 不思議そうにクロエルを見る兵士たちをイヌゥアはがはははと横目で笑った。


「王よ、安心めされよ。こやつは魔物といってもそこまで危険な奴ではございません。怖い顔とは反面にこやつらは基本は臆病な性格でして精々悪さをするといえば人の目を盗み家畜を襲うこと。犬並み程度の知能を合わせ持ち、ちゃんと十分な餌さえ与えていれば無闇に家畜や人を襲うこともございません。逆にその知能を活かして近頃は魔物よけにと飼っているという国の話も耳にします」


「ほぉ、それは面白い」


「けど、やはり魔物は魔物。シエラ姫を助けたことに関しては誠に感謝の念しかありませんが、それとこれとは話は別。生かしておくのは後々このグラデルフィアの未来にとっては危険なものではないかしら?」


 イヌゥアの話に興味を持つシドに対し、ぴしゃりっとした凛とした佇いで歯に着せぬ物言いで話に割り込んできたのは隣にいた王妃のマエルだった。確かに王妃の言葉にも一理とある。さて、魔物の処分をどうしたものかと手を顎に当て考えあぐねていると何者かに小さな力で裾を引っ張られた。そこに目をやるといたのはくしゃりと眉を歪め、目に薄っすらと涙を溜めていたシエラの姿があった。


「父様、あの狼さんを殺してしまうのですか?」


「えっ、いや‥‥その」


「父様、狼さんには命を助けて頂きました‥‥。だから魔物さんといえど、どうか殺さないであげてください」


「んー……」


 目にも入れても痛くない可愛い娘からのお願い。父としてはすぐにでも首を立てに振ってあげたいところだが仮にも一国の王としての立場もある。安々と害となりゆる可能性のある魔物を放置することも今後国民から不安の声も出かねない。目を閉じ、暫し沈黙の時間が流れる。シドはゆっくりと目を開けると重く閉ざしていた口を開く。


「我が愛する娘シエラ王女を助けたことを功績に評し、この魔物は暫くここに置いておくとする」


 その判断にシエラはほっと安心した様子を見せる反面、マエルは思わず眉をひそめた。


「シド様……」


「仕方あるまい。あの魔物には娘を助けてもらった恩義もある。それにもし害となるのではあらば野に放つより側に国が責任を持って管理していた方が監視もしやすかろう」


 難色を示すマエルにシドは窮した表情を見せる。マエルはシドに気づかれぬよう側にいたシエラに鋭い視線を送る。シエラはその視線に気付くとビクッと怯えた表情を見せ、俯きそっと父の影に隠れた。シドは己の前にシークを呼び立てる。


「シークよ」


「はっ」


「本日をもってお前を第一隊長の任を解き、この魔物の世話係を命ずる」


「私が、ですか?」


「御主が連れてきたようなものであろう。見たところこの魔物もお主には懐いている様子。責任をもって面倒をみよ。それとも___隊長の座が惜しいか?」


「……いえ、そのようなことは。謹んでその王命お受け頂きます」


 どうやら王女様を助けたことによりなんとか首の皮一枚つながり私は一時的にこの国、グラデルフィアに在住できることになったのであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 人二人助けてもこの扱いって、 長居してても、いいことなさそうな国。 政争の種として殺処分されてもおかしくないな。
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