第十八話『食事(前編)』
赤く色づいている森の中を不釣り合いな大きな黒い影が通り過ぎていく。その影は迷うことなく慣れた足取りで大きな森の中を突き進み、ある一点を目指した。長く続いた茂みから顔を出し、ひょこりと顔を上げるとそこには一人の青年が紅葉している木に寄りかかっていた。太陽の日を吸収してきらきらと光っているように見えるハニーブロンドの髪に、すらりとしている体は人形みたいにまったく動かない。まるで美術館にでも飾られている絵の世界に入ってきてしまったかのような神秘的な風景だった。うっすらと瞼の裏に隠れていた橄欖石の瞳がゆっくりと姿を覗かせ、私の黒い姿を写し出す。
「よぅ、また来てくれたのか?」
あれから顔見知りになった私たちは交流を続けていた。今までは食糧を只届けるだけの関係だったのが姿を見せた事によりその関係は変わり、男は私の顔を見ると喋り方かけてくるようになった。何せこんな山の奥だ、獣人ですら滅多にここまで来ない。男にとっては只単に一瞬でも寂しさを紛らわす為の話し相手が欲しかっただけかもしれないが、永く孤独だった私にはそれだけでも幸せで今唯一の娯楽だった。
男は私の頭を優しく撫でる。私もそれが嬉しくて黙って男の手を受け入れた。
『あっ、そうだお土産があるんだった!』
「??」
ゴソゴソと茂みの中から取り出したのは今朝山で捕ったばかりの立派な猪だった。
「うぉっ………!!これ、お前が狩ってきたのか……?」
男が驚く顔をするのも無理はない。大人の猪でも大体60㎏ぐらいが平均だが、今回私が捕ってきたのはそれの二倍はありそうな超大型の猪だった。鮮度を落とさない為に仕留めた後にすぐ血抜きもした。早速食べるだろうと思い、男の前に獲物を差し出した。
「俺にくれるのか?」
黙って首を縦に振る。すぐに食べるだろうと思っていたが、男は手をつけようとしない。それどころかでかい猪を見て困り顔をしていた。
『あれ………?もしかして今、お腹空いてないのかな??』
実はこの前ポツリとだが、男が「そろそろ肉が食べたい……」っと独り言で呟いていたのを聞いていた。本当に風の音で一つで掻き消されてしまうのではないかという程度の小声だったが、流石大きい耳を二つ付けている事だけはあると、聴力がいい私の耳はその声を聞き逃さなかった。
確かに私たち聖霊狼は基本雑食で、きっと個体によって好みは別れるだろうが、私は特に木の実や果実が個人的に好きでよく集める傾向にはあった。それにこの大きな体だし、あまりいっぱい狩りをし過ぎると勢い余ってここら一帯の生態系をうっかり破壊してしまいかねなかったし。
『そっか普通は飽きるよね………』
今までの生活は木の実と果物ばかりの生活でそれで何一つ不自由もなく問題がなかったのだが、やはり人間とは味覚の感じかたが違うらしい。
『よし、今日はいい天気だし狩りにでも行くか!』
それに怪我を早く直すにはまず良質なたんぱく質と鉄分!つまり肉だ。お肉がたっぷりと必要なのだ。せっかく念願だった人の知り合いも出来たのだ。記念に男が何か喜ぶ一品をと、内緒で今日は久しぶりに猪狩りをして来た。 この男の人にも尻尾がついていたらきっと今頃、千切れんばかりに尻尾を振ってくれると思っていたのだが……。想像とは反対に一向に手をつけようとしない男の人の様子に、私は勝手に少しがっかりしてしまった。