第十話『悪い大人たち』
あの一件から季節も夏から秋に変わって、少しずつ一人でいる寂しさにも慣れてきた頃。
森に住む生き物たちは冬に向けて備える為に忙しそうに動いているが、冬に向けて一足早く行動すべしとの母の教えのお陰で準備も万端。必要最低限の食料は寝床に作っておいた洞穴に保存をしてある。なので残りの秋を優雅に過ごしていた。
『綺麗だな………』
黄、赤、緑だけ色の世界はまるで別世界にいるみたいだった。闘病生活が長かった私にとってその何気ない景色だってキラキラと輝いて見えた。
見事な程に澄み渡った秋空に森が燃えるように染まった紅葉だが、生憎私には共にこの景色を見るような友達などもいないので一人で初めての紅葉狩りを楽しんでいると嫌な匂いが鼻先をかすめた。
物が焦げるような嫌な匂いの正体が気になり、匂いがする方へと行ってみると木葉の山から煙が上がっていた。
『か、火事ッ!!?』
パチパチと音を立ててあっという間に火は燃え広がり、近くに生えている樹木に迫っていく。流石に丸々一本燃えてる木を鎮火するのは私でも時間がかかる。しかもここに密生する樹木は全て針葉樹だ。木が燃えるスピードも早い。
『ヤバいヤバいッ!!』
慌てて私は消火活動を始めた。前足で土を掘ると掘った土を後ろ足で燃え広がる炎に目掛けて蹴り上げる。
火が燃える理由は主に三つ。一つは酸素だ。土を被せてこれ以上、空気に当たらないようにする。そして次は温度。温度が上がれば上がるほど炎は勢いを増すので、土で炎の温度を下げていく。これで水と同様な効果があるはず。
懸命に一匹で消火活動を始めて三十分。燃える燃料も尽きたのか火はみるみると勢いを失っていき消えていった。
『よ、よかった~………!!』
大事になる前に火を消し止められてよかった。火が完全に消えたのを確認すると、私は安心してその場にへたり込む。
火が燃え広がった草むらの場所をよく見ると一点だけ強く焼け焦げた後があった。今回のこの火事騒動の原因はどうやら、この焚き火による火の不始末によるものらしい。私は辺りの匂いを嗅ぐ。
『この匂い………またあの人間たちの匂いだ』
それは二週間前ぐらいから山の中を彷徨いてる人間たちの匂いだった。どうやら彼等はこの山の中を転々と拠点を変えながら移動しているらしいが火の不始末が多く、その度に私が火事にならないようにと後始末をしている。
『全くッ………!山の中で火を扱うなら、火の後始末ぐらいちゃんとして欲しい!』
もし、山火事なんかになってくれたらどうしてくれるんだ!と憤りを覚える。山でマナーがなっていない者が扱う火ほど怖いものはない。最初は単なる冒険家の一行かと思っていたがあまりにもこの人間たちの素行が悪さに不信感が募っていく。
(なんだか、嫌な感じがするな………)
酒や煙草が混じるその匂いは好きに慣れず、何故だか分からないが胸がざわざわとして止まらなかった。
………………………
『んっ………?』
風に乗ってきた騒音でふっと目が覚める。まだ外は暗く、月は空高く上っていた。
なんだ、まだ夜かと長い欠伸が出る。思いっきり背伸びをした後、意識がはっきりとはしないが妙な時間帯に起きてしまった為か妙に目が冴えてしまった。私は寝床から顔を出した。崖道に作った寝床は抜群に見渡しが良く森に異変があるとすぐに気付きやすかった。
するとこんな深夜の時間だというのに炎の明かりで照されている場所が一つあった。
『確かあそこって………』
その方角は獣人の集落がある方だった。いつもなら寝静まっている筈なのにと、いつもとは違う異変を感じた私は集落へと走っていく。
集落に着くとそれはもう酷い有り様だった。獣人たちが作った手造りの木の家は破壊され藁で出来た屋根には火が放れており激しく燃え盛っている。獣人たちが精魂込めて畑を耕して作った野菜も踏み荒さていた。
『な、なにこれ………』
あまりの出来事に思わず言葉を失った。私は木の影に隠れながら消えた獣人たちの行方を探ってみると案外早くに見つかった。
獣人たちは一ヶ所に集められており、手首を縄で拘束されていた。そしてそんな彼等を顔を隠した黒ずくめの集団が囲っていた。
『もしかして“奴隷商人”………!』
奴隷商人とは闇の市場に奴隷を供給している人物の事で金の為なら手段を選ばず、その為ならば平気で村を襲って臓器や体の一部を奪ったり、親を殺してまでも子供を誘拐して売り飛ばしたりする、まさに悪魔の商売だった。それも母が人間を忌み嫌う理由の一つでもある。
「チャド!」
「ママッ!」
悲鳴を上げたのはチャドとチャドの母親だった。黒ずくめの男の一人が無理やりチャドを母親から引き剥がそうとする。だが子供を奪われまいと母親は必死に息子の服の裾を噛み付いて最後の抵抗を見せる。
「離せ!!」
「きゃ!」
黒ずくめの男は痺れを切らしたのか母親を子供から引き剥がすと頬を強く引っぱたく。手首を拘束されてる為、上手く受け身を取ることが出来ず、叩かれた衝撃によりチャドの母親は強く地面に体を打ち付けた。
「この………!!俺の奥さんと子供に何かしやがる!」
「ぎゃあああ!!」
今度はその光景を隣で見ていたチャドの父親が男に飛びかかった。しましま模様の尻尾の毛を逆立ってて男の手首にと、かぶりと鋭い犬歯を突き立てる。男もたまらず悲鳴を上げる。
「雷の雨!!」
「ぁぁぁあああ!!」
横にいたもう一人の仲間の黒ずくめの男が手を掲げると、空にたちまち暗雲が立ち込め、チャドの父親目掛けて雷が落ちた。雷に身を裂かれたチャドの父親は力なくその場に倒れる。
「おい大丈夫か!しっかりしろ!!」
「貴方!貴方!!」
仲間と妻が共に呼び掛けるが意識はなく、ぐったりとしていた。
「こいつ………!よくもやり上がったな!この、このッ!!」
手首を噛まれた男がギラリと目くじらを立て、意識がないチャドの父親の腹を容赦なく蹴り飛ばす。
「お願いッ!やめて!やめて………!!」
雷に打たれ重体の夫を庇うように妻は縛られてる背中を盾にし、変わりに罰を受ける。まるで見せしめのように何度も何度も黒ずくめの男は怒りが収まるまで女の背中や横腹を蹴りつける。
その行為はチャドの母親が食べた物を吐いたとしても終わる事はなかった。すっかりその光景を目の当たりにしていた仲間の獣人も萎縮してしまう。
「ちょっと!あんた!!大事な商品に傷付けてんじゃないわよ!」
「いて!」
暫くすると奥から騒ぎを聞き付けたある人物がやって来て、怒り狂っている男の頭を後ろからひっぱたいた。
「す、すいません『ジュディー姉さん』」
「全く、気を付けてなさぁいよねぇ………んっ?」
奥から現れたのは派手なリップとネイルに毒々しい紫色の髪をした細身の男性だった。どっからどう見ても男なのだか特徴的な女言葉になんと言えない存在感を醸し出していた。ジュディーは足元にしがみつく存在に視線を下ろした。
「お願い、お願いします!私はどうなっても構いません。だから、だからッ………どうか子供だけは助けて下さい!」
「あーん!母の愛ってやつネェ!!なんて健気で美しいのかしらッ………!」
ジュディーは気持ち悪く腰をくねらせ、興奮したように自身を抱き締める。
「じゃ、じゃあ………!」
「けどぉー、そ、れ、は、無、理」
にやりと悪魔の口角が三日月の形に曲がった。
「獣人の女子供はねー、需要がとーっても高いから売れるの!特に………未成熟な獣人の子供なんかはネェン!」
ジュディーは無慈悲にすがり付かれた手を虫を払うかのように蹴る。
「小さい頃は愛玩動物として可愛がり、そして立派な女になったら性奴隷として扱う。男だったら闘技場にでも出して殺し合いさせるのもいいわね~!見世物としては最高よね!!ウフフッ!」
ジュディーは恍惚とした表情を浮かべながら笑う。高らかに月夜に笑うその姿は正しく悪魔という名に相応しかった。
「大丈夫よ、そんなに心配しなくても意外とすぐ会えるわよ………彼の世でね」
「そ、んな………」
絶望するチャドの母親にジュディーは綺麗な笑顔で告げ、チャドの肩に手を掛ける。
「さー、チャドちぁん!仲良くママとパパとお別れしましょうか」
「あっ………い、いやだ」
ジュディーはまだ抵抗の意志を示すチャドをぐっと引き寄せ、両親に聞こえないようにそっと耳元で囁く。
「これ以上、我が儘言うと………私の部下がうっかり貴方のママとパパを殺しちゃうかも?」
「!」
ぴくりっとチャドの体の震えが止まった。悪魔の囁きがチャドの心を惑わした。
「僕がちゃんといい子してればもう、ママとパパに酷い事しない………?」
「えぇ、約束するわ」
ジュディーはにっこりと頬笑むとチャドは先程の様子が嘘のようにジュディーたちに抵抗するを止めた。
「チャド、駄目よ!行っちゃ駄目!!」
ジュディーが手を黙って差し出せばチャドも大人しくその手を握り返す。そのままチャドを連れていくと頑丈な鉄格子付きの荷馬車の中へと押し込む。その中には捕まった集落の子供たちがいた。
「じゃ、あんたたち………さっさとこの餓鬼共の親たち、始末しちゃって頂戴~!」
奴隷商人たちは子供たちを誘拐するだけにも飽き足らず他にも金目になりそうな物はごっそり根こそぎ奪って荷馬車に積み終わると、もうこの集落に用はないとさっさと切り捨てる。
「そんな!待って、約束が違う!!」
「そうよ、私たちが大人しくしてればお父さんとお母さんにもう乱暴しないって約束したじゃない!!
鉄格子の中からチャドは声を上げると檻に閉じ込められていた子供たちも騒ぎ始めた。きっと他に捕まった子供たちもチャドと同様な手口でジュディーの巧妙な話術によりいいように言いくるめられたのだろう。
「う~ん。でもこの後よくよく考えてみたんだけどぉ貴方たちの親が私たちを追ってくる可能性も十分考えられるし~、後まだ帰るお家があるって分かってると買われたお家を脱走しちゃう悪い子がいるかもでしょ?困るのよねー、そういうの。奴隷を手配した私の責任問題になっちゃうんだもの」
冷酷に光るジュディーの瞳が子供たちの心を貫く。
「私って~、希望の芽は徹底に潰しておかないと気が済まないタイプなのよねぇ」
結局の所、厄介である親を生かしていくつもりなど更々なかったのだろう。ジュディーの合図で黒ずくめの男たちは一斉に獣人たちに魔法を放つ為、手を向ける。
その瞬間、かっと私の全身を巡る獣の血が沸騰した。私の中に代々と受け継がれてきた聖霊狼の血が激しく暴れ怒り狂っているのを感じた。私自身もあまりの非道なその行いの数々に吐き気がした。
「グルルルゥゥ………!」
自分の声とは思えない程の凶暴な唸り声が漏れる。初めて私は自分の中に敵意を感じていた。何より同じ人間だった者として彼等の行いが許せなかった。
『どうやらあの人間の大人たちには少し………お灸を据えてあげないといけないみたいね』
ギラギラとした聖霊狼の闘争本能が疼く。卑劣なやり口に命というものを自身の為の金儲けの道具として見てない奴隷商人たち。それはどんなに生きたくても生きれなかった私に、亡くなった人たちに対する侮辱であった。
私は闇夜の森に気配を完全に溶かすと静かに彼等の影に忍び寄る。