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ファンタジーの恐怖

遅くなってしまい申し訳ありません。

「う……あ……」



 声が出ない。

 身体中の恐怖を伝える神経が直接舌で舐められているような気持ちだった。

 見た目は完全に水死体だ。肌全体が青白く、蝋人形で作られているようだった。しかし、間違いなくそれ(・・)は生きていて、今大河を見つめている。真っ赤な2つの眼はボタンで作られた人形の目の様に、一切の意図を感じさせなかった。



「大河ッ! こっちに来い!」



 後ろでリックが叫んでいる。どれもこれも遠い世界で起きている様だ。

 それ(・・)は、手に握っていた兵士の身体を放すと、兵士の身体は身動ぎひとつせず落下した。土嚢が落ちたような、ぐしゃりという音が夜の闇に響く。だがその音すらもあちこちから聞こえる爆発音にすぐにかき消された。

 それ(・・)は非常に緩りとした動きで首を元どおりに直すと、今度は弾丸の様な速度で首を大河の方へぎゅんと伸ばした。



「大河ッ!」



 大河の顔の目の前で魔族の顔がピタと止まる。不気味さを全て詰め込んで煮詰めて飴玉にしたようなものがぎょろりと大河の顔を覗き込んだ。白い肌には鮫肌の様にポツポツと赤い斑点が見えた。不快な臭いが大河の鼻をつく。



(逃っ……逃げ……!)



 目の前の恐怖に脳が警鐘を鳴らすが、足に根が張った様に動かない。

 魔族が柘榴(ざくろ)の様な色の口を開いた。



「黒……髪……ノ、子供? オ前、子供カ……?」



 下水の中に顔を突っ込んだ様な臭気も大河は気づかなかった。ただ涙を浮かべ呆然自失としている。青白い顔の魔族は首をカクカクと傾げた。



「答エロ……オ、オ前ナンサイ?」


「うるせぇぞ!」



 部屋の奥から飛び出たリックが魔族の顔を蹴り飛ばした。魔族の顔は上空まで跳ね上がり、身体ごと向かいの建物を破壊しながら突っ込んだ。リックは大河のもとへ駆け寄り、肩を揺さぶった。



「大河! しっかりしろ! 平気か!?」


「リ、リッ……うっォ」



 大河はリックの顔を確認すると、急に現実に引き戻され、これまで無意識に堰き止めていた胃の内容物がこみあげてきた。その場で嘔吐してしまう。



(……無理もねぇ。大河は話を聞いた限り、戦いなんて無縁の世界で生きてきた。

 ウサギ一匹殺すのでもあんだけ精神削ってやがったんだ……。魔族相手なんて……)



 リックは大河の背中をさすりながら魔族の動向を魔力で探る。幸いまだ動きはないようだ。

 大河が口元を拭う。



「エホッ……なんか……こっち来た時思い出す」


「大河?」


「これが……異世界。これが……ファンタジー、かよっ!」



 大河は涙も拭い、力の抜けた足を踏ん張り利かす。ばんばんと自分で顔を叩くと、無理矢理に笑顔を作って見せた。



「大河、お前――」


「後できちんと吐いたの掃除しなきゃな。リックすまん、もう大丈夫! アイツ、どうしよう。魔族、だよな?」



 足が震える。心臓は口から飛び出そうな程強く鼓動を打っていた。寒気も吐き気も止まらない。水死体を無理やりマリオネットのように糸かなにかで動かしたような異形は、思い出すだけで全身の身の毛がよだつ思いだった。



(……でも、せめて足引っ張っちゃいけねえ! 踏ん張れ、俺)



 リックは一瞬目を丸くしたが、明らかに強張った大河の笑みに隠された意思を汲んだ。



「……怖くて小便漏らすなよ」


「あ、それこっちの台詞だぞ!」

 


 二人は小声で笑い合う。が、すぐにリックの顔が引きつった。



「大河ッ! こっちだ!」



 大河をほぼ突き飛ばす様な形でリックが部屋の奥に移動する。瞬間、凄まじい轟音とともに窓のある壁が天井ごと吹っ飛んだ。



「壁が吹っ飛んだ!?」



 外に目を向けると先ほどの魔族が闇に浮かんでいた。ニタニタと口を開けて宙に佇んでいる。その光景のおぞましさに大河は再度心が折れそうになるが、リックの言葉で我を取り戻す。



「大河ッ! エルナ姉ちゃんたちを呼んでこいっ! 時間稼ぎは俺がする!」


「でもリック! 魔族なんて……」


「対魔族の訓練(・・)は受けてる! 早く! アイツが来るぞ!」


「二人で下に……!」


「ダメだ! 建物ごとやられる! 早……」



 リックが言葉を吐き切る前に魔族の次の攻撃が飛来する。リックが短剣でそれを上方に往なし、今度は天井の殆どが失われた。

 リックが再び叫ぶ。



「早く行け!」



 大河は泣きそうになりながらも、階下へ向かう階段へと走った。ルーニーやエルナを呼ぶしかない、遅れればリックが危険だ。



(クソっ! 何で魔族なんかが! しかも街中で爆発音が聞こえる! 複数来てんのか!?)



 高位の冒険者でもまずは逃げる算段をつけるというのが魔族だとルーニーはいっていた。それが複数街を襲っている?



(くっそ! くっそ! くっそ!)



 きっと自分は何もできない。大河は走った。地球にいた頃と変わらず、力を持たない自分を惨めに思いながら。



「赤イ髪ノヤツハ……オレガ喰ッテイ"イ"。黒髪イガイハ喰ッテイ"イ"ッテ」



 魔族は虚空でニタァ、と口角を上げた。



◇◇◇◇



「タイガ様!」



 エルナが大河の姿を確認し、声をあげる。

 大河が食堂につくと、ミリーがエルナに治癒魔術をかけていた。ウォードやグリスは装備を身に着けている最中だった。グリスなどは先ほどまでへべれけとしていたが、さすがに兵士というべきか既に正気の様だ。



「エルナ! 怪我したのか!?」


「ほんの少し落ちてきたものに当たってしまっただけで……もう平気よ。ミリーも治癒魔術をかけてくれたし」



 エルナが椅子から立ち上がりながら笑顔を見せる。どうやら他にも数名怪我人がいたらしく、ライルが手当てをしていた。宿の主人とおかみさんと共に包帯や傷薬を運んでいた。



「そうだ! リックが大変なんだ! 上で魔族が襲ってきて!」


「魔族が!?」



 ついて出た言葉に大河はしまった、と手を口で塞いだ。エルナたちはともかくほかの客にまで動揺がみるみるうちに広がる。飲みに訪れていた人々が口々に叫んだ。



「魔族がなんでこの街に! 街中から悲鳴が聞こえてる! あれも全部魔族の仕業だってのか!?」


「そんな……魔族が何人も来てるのか!? こ、この街はどうなる!」


「は、はやく逃げなきゃ!! う、裏口から教会か冒険者ギルドに!!」


「家に子供がいるんだ! 誰か助けに行くのを手伝ってくれないかい!?」



 リックのことが心配で焦ったのが完全に裏目に出る。宿はパニック状態だ。

 そんな中、エルナが銀鈴の声をあげた。



「みなさん、落ち着いてください。私はアリファルドの暦司ファリアスが息女エルナです。ここにいる私兵は魔族に対抗する術を持っています。落ち着いて、今すべきことをしましょう」


「おお……アリファルドのファリアス様の……!」


「噂に名高いファリアス様の私兵がこの街に……」



 エルナとウォードが中心になり、街の執政官や教会、各ギルドなどとの連絡を取る指示を町人に取り付けていく。



 (……なに、やってんだ俺は)



「大河、下を向いている暇があるのかい?」



 しゅるっとルーニーが大河の肩に乗った。いつもとは異なり、真剣な表情だ。



「上でリックと魔族が戦っているのを感じる。ボクが先に行くから、大河たちは装備をきちんと整えてから来てくれ!」


「ルーニー! でもこんな街中では精霊の力は……!」



 後方からミリーが声を上げた。精霊は自然に存在する魔素をマナに変換し権能を行使する。レスカニ大森林のような魔素が濃い場所でならともかく、この様な平地に作られた石造りの街では十全な力は発揮できない。



「一刻を争う。とにかく――」



 ルーニーが言葉を中断し、上を向いた。



「ルーニー?」



 大河がルーニーを伺った。ルーニーは顔を俯ける。



「おい、どうしたんだよルーニー! 早く行かなきゃリックが――」


「リックの魔力反応が――消えた。」



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