解毒術師
エルナの部屋に着くと白のローブに身を包んだ女性と、清潔な白いシャツを着た男性2人がライルを診ていた。男性のうち1人はなにやら魔術で部屋の床に魔法陣を書き込んでいる。男はライルのベッドをすべて覆う形で陣を完成させ、魔術を詠唱する。
『医神の祝福!』
暖かい光が部屋全体を覆う。光が弱まったあとも魔法陣は輝いている。
空間を清め、簡易的な減菌室を作り感染症などのリスクを低減する魔術だ。少しだが、患者への鎮痛作用もある。
この男が医者らしい。この世界でも医療においては複数人でチームを組んで治療にあたることが多い。
「失礼」
ローブの女性がライルの腕の傷口のほうに指を出すと、少量の血がライルの傷口から出てくる。
シャーレに近いものに血を乗せ、ルーペの様なもので見ている。
微生物や細菌・ウイルスといった概念があるのだろうか、それとも血液検査に似たものだろうか。
「あれは魔道具だね」
ルーニーが小声で教えてくれる。
魔道具とは言葉通り魔術を施した道具で、色々な用途の魔道具がこの世界には存在するようだ。あれはさしずめ医療用魔道具というところか。
男性2人は医師と薬師らしい。テキパキと傷口の処理を進める。
「消毒って概念ももうあるんだ」
医師らしき男が綿に染み込ませた液体を傷口周りにつけていた。アルコールか何かだろうか。大河は素直に驚嘆する。
宿の窓からみた景色はテンプレ通り中世ファンタジーといったような風だったが、魔術の進歩のお陰か大河の予想よりかなり高度な医療行為を実現できているように思えた。少なくとも治療行為における感染症についてなんらかの形で認識している。
この世界の文明水準は地球とは簡単に比較できないのかもしれない、大河はそう考えた。
実際のところ、この世界ではまだ菌やウイルスを発見できてはいない。だが亜精霊と呼ばれる存在の類推で「目に見えない何か」が病気などの原因になっていることは明確に認識されていた。先の滅菌空間の魔術も、度重なる実験と理論の構築がなされた上で構築され、統計を元に改善がなされた魔術である。
薬師はライルの脈を取り、ううんと唸ったあと自分の鞄を漁っていた。
「状態はかなり悪いですな。 体力回復の魔術も今はかけられない。 毒の種類によっては逆に活性化してしまうかもしれんでな」
医師がそうエルナに告げる。
ライルの傷口周辺は紫色に変色していた。ライルは呼吸も浅く、眼に涙を浮かべているように見えた。軽やかな銀色の髪も汗でぐっしょりとしてしまっており、利発そうな顔立ちは最早影も形もなく、何とか意識を保っているといった様子だ。
大河は非常に重い気持ちになったが、それに構うことなくウォードが状況の説明を始めた。
「解毒の巻物を3つほど使っています。4番、12番、35番です」
「そうね、抗体の反応がある。 これは複合毒だわね。
まだ解析しきれてないけど、恐らく12番が当たり。たぶん土精毒だと思う。
様子を見た限りあと2、3種毒が混ざってる。相当強い毒」
エルナと白いローブの女性が会話をする。
「治りますか?」
エルナが不安げに聞く。
「現時点では何とも言えない。今毒素解析をかけたけど、特定まで少し時間がかかるわ」
血の入ったシャーレを見ると少し発光している。
薬師と思われる男性はいくつかの粉末を取り出し、ビンから液体をカップへいれ、それぞれに対し魔術をかけていく。
「あれは水や薬それぞれに作用を強めたり、吸収を早くしたりする魔術をかけています」
不思議そうに見ていた大河にウォードが説明をしてくれる。
「吸収……、点滴とか注射みたいなのはまだないんだな」
大河が思わず呟くと、ウォードが不思議そうな表情で会話を続けた。
「テンテキやチュウシャ……ですか?」
「ああうんえっと、こう、針みたいな細い管で人に直接薬なんかを打ったり、ってやつなんだけど」
薬師と医者が顔を見合わせる。
「確かにこの地より医術の研究が進んでいるガリシア王国やカナニウス神聖国辺りでは直接患者に薬を流し込む、といったような研究があると耳にしたことがあるが……。君はその歳で医術の勉強を?」
「あ、いや俺も詳しい方法とかはわからないんだけど、俺がいた国でもそういう研究が進んでて……」
薬師の男は素直に驚きを露わにする。
現代の記憶があっても、正直注射の方法や成分、薬の精製方法なんてものの詳細知識を知るわけではない。バファ●ンの半分が優しさではなく胃酸を弱める重曹でできていることくらいしか知らなかった。
しかし、医者たちだけでなくウォードやエルナはかなり驚いているようだ。
大河は客人扱いされているためすっかり忘れているが、大河の見た目は今はすっかり子供なのだ。ウォードが貸してくれた服はライルのものであり、ジャストフィットしていた。その子供が医者の知識を超えた研究について触れたのである。
(余計な混乱を避けるために、変に口出ししない方がいいかな……)
「結果が出たわね。コレは4つの複合毒。
土の亜精霊の一種、屍土毒蜘蛛、夜叉毒蛇、そして……多頭毒蛇」
多少詰まりながら話す解毒術師の言葉にエルナが思わず声を荒げる。
「多頭毒蛇の毒!?」
「ええ、土の亜精霊の毒と屍土毒蜘蛛の毒はもう解毒済みね。
夜叉毒蛇はさっきもう対応する解毒魔術をかけたわ。
でも多頭毒蛇の猛毒への対抗魔術はまだ確立されてない。
毒のサンプルや抗体もガリシアのウェールバートあたりの解毒専門の研究施設にでも行かなきゃ手に入らない」
「そんな、今からじゃ……」
「ええ、とても間に合わない。この毒は昼が夜に変わる間に手を打たなくては体を灼熱の痛みと冥府の苦痛に苛み、アメジスト色に全身の色を変えた後……死んでしまう」
エルナは言葉を失う。顔面蒼白となり、今にも倒れてしまいそうだ。
「多頭毒蛇の毒に効きそうな薬とかって他にないのか?」
大河が問う。なんなら自分も探しにいっても構わない、その程度には大河はライルに情が移っていた。
大河は元々人にシンパシーを感じやすい男だが、大河の精神からするとあまりに若すぎる肉体が思考に影響を与えているのかもしれない。目を覚ます度に弱音を吐くどころか、エルナやウォードの心配をする健気な少年の姿は、大河の目には眩しく見えた。死んでほしくないと思った。
「ないことはないけど、あとは伝説に残るような希少な解毒薬。というかほぼ万能薬に近いわ。 もちろん在庫はないし、精製しようにもお金も手間も時間もかかる。
世界樹の朝露を透明なガラスのビンに入れて3日以上星月に晒した清水と、世界樹の樹液を混ぜて作られる「精霊の妙薬」や、エルフに伝わる「アールヴの聖水」あたりであれば多頭毒蛇の強毒にも勝る解毒効果が期待できるわ。 でも、今からじゃ……」
絶望的な表情の理由を解毒術師が訥々と語る。
その中で、ゆったりした声が響く。
「あ、あるねそれ、『精霊の妙薬』」
全員が青い色をした猫のほうを見る。猫はふよふよと宙を漂っていたが、注目を集めると大河の頭の後ろに隠れてしまう。
「いや、だってボク精霊だし……」
少し居心地が悪そうに、ルーニーが手をいじいじさせている。
珍しい、意外と人見知りなのかもしれない。
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