お金がありません
「それでは楽譜を配布します」
合格した9人が集められ楽譜が配られた。わーっ! 久しぶりの新しい曲、この世界の曲だ!
「君たちのデビューは一月後に行われる軍の凱旋パレードです」
凱旋パレード。軍の行事にも参加するんだなぁ。
「そこで行進曲や国歌など4曲を演奏してもらうことになります」
一月で4曲も! いきなりの試練に姿勢が伸びる。
「まずは一回目の合奏が7日後に行われますので、そこまでに譜読みしておいてください」
7日で4曲の譜読み! プロなのだから当たり前なのだけれど、これは気合を入れないとまずい。
「では、解散」
私は譜面を丁寧に鞄に仕舞う。あ、そうだ!
「アルフレッドさん!」
帰ろうとしていた楽器屋さんのアルフレッドさんを呼び止める。
「……何だよ?」
すごく迷惑そうな顔で睨まれる。
「あの、すみません。楽器屋さんは今日営業していますか?」
「……ああ、俺が帰ればな。今は閉めてる」
「そうなんですね! よかったー」
私はホッと胸を撫でおろす。
「タンポを交換していただきたいんです! 劣化してしまって、ちょっと音程が合わなくて」
タンポとはクラリネットの穴を塞ぐための部品だ。しばらくメンテナンスしていなかったこともあって、茶色くなってきてしまっている。
「ああ……」
アルフレッドさんは面倒そうに頭を掻いた。
「ダメですか?」
「いや……わかった。店に戻るぞ」
「! ありがとうございます!」
私はさっさと歩いて行ってしまうアルフレッドさんの後ろについていく。異世界でメンテナンスしてくれるのか少し不安だったので、やってくれるとわかったら安心する。今日は楽団にも合格したし、良い日だ!
気がついたらスキップしていて、アルフレッドさんにギョっとされる。慌てて普通の歩き方に戻したけれど、そんなに変だっただろうか?
無言で歩くのも気まずいので、私はアルフレッドさんに話を振る。
「アルフレッドさんが金管リーダーだったなんて、驚きましたよ!」
「……」
「上手なので、納得ですけど!」
「……『さん』はいらねえ」
「?」
「アルフレッド、でいい」
「あ、はい! アルフレッド!」
褒めたら心なしか嬉しそう。うん、なんだかアルフレッドとの付き合い方がわかってきた気がする!
「これから楽団で演奏できるなんて夢のようです! よろしくお願いしますね!」
「……ああ」
「あー、楽しみだなぁ」
吹奏楽の中に混じって演奏することを考えるだけで顔がニヤけてしまう。
「……俺の音は響くからな」
「?」
「他のトランペットがいても、聴き分けられるはずだ」
アルフレッドが何のことを言っているのかわからなかったのだけれど、私が言った「楽しみだなぁ」をアルフレッドと演奏することだと勘違いしているらしい。まぁそれはそれでいいか。
「楽しみにしていますね」
実際アルフレッドの音は未だに耳に残っているほど綺麗だった。こんなに上手な人がいる楽団で演奏できるのは嬉しい。
私の実力はまだまだだ。プロになったのだから、自覚を持って精進しなくては。そして、ソロを任せてもらえるような、楽団一のクラリネット奏者になりたい。私は新たな目標と共にクラリネットの入ったケースを抱き締めた。
オズ楽器店につくと、早速クラリネットをアルフレッドに渡す。
「うわ、お前、こんな状態で入団試験に望んだのか」
私のクラリネットを見てアルフレッドは顔をしかめる。
「ごめんなさい」
「これは、全部のタンポの交換が必要だな」
「ですよね……」
「時間がかかる。楽器を預からせてもらおう」
「えぇ!?」
私は悲鳴をあげる。だって、新曲の練習をしたいのに!
「どのくらいかかりますか?」
「普通なら10日は欲しいところだ」
「と、10日も!?」
「わかってる、次の合奏だろ? 仕方ないから急いで間に合わせてやる。その分、金は上乗せするぞ」
「わ、わかりました……。いくらくらい、ですか?」
背に腹は変えられない。私は財布の中身を思い出しながら尋ねてみる。
「そうだな……7万チキってところか」
「な……7万……!?」
私は慌てて財布を取り出して引っくり返す。この国の通貨は覚えたてなので数えるのに時間がかかってしまったが、何度見ても中身は4万5千チキしか入っていなかった。
「ぐっ……あ、あの、初めての給料が出てから残りを払わせていただく、というわけには……?」
「給料って楽団の給料のことを言ってんのか?」
アルフレッドの眉間には綺麗な皺が刻まれている。
「楽団の給料は歩合制だ。誰かに依頼されて演奏したら、その報酬を楽団員で割って報酬として受け取る。お前の初めての給料は次の凱旋パレードになるわけだが、俺の経験だとだいたい2万チキってとこだ」
「い……2万……」
「次にすぐ依頼が入ればいいが、3、4回は演奏をする必要があるな。ってお前……親がウィドウ商会やってる金持ちなんだろ? だったら親に……」
「何を言っているんですか!」
私はアルフレッドに反論する。
「確かに私の家は裕福ですが、私は楽団員になりました。もう立派な社会人です! 成人した社会人が親にお小遣いをもらうなんて、そんなことできません!」
私の親は私に湯水のようにお金を与えようとする。だけど、私はそれを断った。
親は反対したけれど、私はどうしてもと押し切ったのだ。前世で自立した社会人として過ごしていた記憶のある私は、今更両親にお金をもらって生きていく、ということに強い抵抗がある。むしろ、今まで育ててもらったお礼と、家に住まわせてもらっている家賃として家にお金を入れたいくらいなのに。
本当は家を出たいと思っていたのだけれど、この世界では結婚前の若い女性が一人暮らしをするという文化はないらしいので、それは泣く泣く諦めた。
そんなやりとりを親としたばかりなのに、お金を貸して欲しいなんて言ったら返すことを拒まれるに決まっている。そんなの絶対にダメだ! 私は一人の成人した大人として、自立したいのだ。
「お前……じゃあ、楽団員の給料だけでやっていくつもりなのか?」
「もちろんです! みなさん普通はそうなのではないのですか?」
「お前な……」
アルフレッドは頭を抱える。
「楽団の給料だけで食べていけるはずがないだろう。みんなだいたい他の仕事とかけもちをする」
「そ、そうなのですか!?」
楽団の給料がそんなに低いとは思ってもみなかった。それじゃあ、私も楽団以外の仕事を探さなくてはならない。
私にどんな仕事ができるだろう。前世では販売の仕事をしてきた。
「じゃあ、どこかで雇ってもらわないと……求人情報って何処へ行ったら手に入りますかね?」
「どんな仕事に就くつもりだよ?」
「お店番がいいかな、と思うのですが」
「お前……こう言っちゃ悪いが、お前を雇ってくれる店があると思うか?」
「あ……」
そうだった。私は嫌われ者のシエラ・ウィドウ。お店やさんはお客様との信頼関係が第一。嫌われ者が働く店に、誰が来てくれると言うのだろう?
「どうしよう……」
私は途方に暮れる。かと言って事務仕事は苦手だし、この世界のことに詳しくないからお役所仕事なども難しいだろう。じゃあ父親の会社に……? いやいや、ここまで来てコネを使ってどうする!
「お前……」
悩む私に困惑の表情のアルフレッドがこう言う。
「本当にシエラ・ウィドウか?」
ドキっとする。ず、図星ですよアルフレッド。私はシエラじゃありません。……なんて言っても信じてはくれないと思うけど。
「記憶喪失、なので」
「それでこうも人格が変わるか?」
「あ、あの。実は私、記憶を失う前の私について、よく知らないんです。どんな娘だったのでしょう?」
「どんな娘だったのか、か」
アルフレッドは眉間に手を当てて目を何度か瞬く。
「言っておくが、俺も直接会って被害を受けたことはねえ。全部聞いた話だ」
被害って言葉が不穏ですよアルフレッド! だけど、私は知る必要があると思う。
「それでも構いません。私は加害者として、聞いておかなきゃならないと思うんです! お願いします!」
「……わかった」
アルフレッドは店の奥にある木の椅子にドカっと座った。
「ウィドウ商会の一人娘、シエラ・ウィドウはこの街で知らない者はいない程、有名なワガママ女だ。店に出かけては店員に文句ばかり言う。このワンピースに別の色はないのか、もう少し装飾を増やせないのか、とか。店が逆らおうとすれば『お父様に言いつけますよ!』っていう言葉が飛んでくる。この街の流通を取り仕切っているウィドウ商会に取引を止められてやっていける店なんてない。だから、店側は逆らうことができねえんだ」
笑いそうになってしまうくらい酷い話だ。シエラはそのパワーバランスをわかった上でワガママ放題をしてきたのだろう。
「学校に行くようになってからもワガママは止まらねえ。先生方にも酷い要求が多かったみたいだぞ。宿題を自分だけ免除しろ、とかな」
「ああ……」
私は思わず頭を抱える。それは嫌われるはずだ。
「そんなことすりゃ、生徒から反感を買うのは当たり前だろう。虐めが始まったらしい。それも、犯人を特定できないように巧妙に細工をした虐めをな。それもそうだ。学校全体が敵なんだからな。先生ももちろん黙認さ」
胸がチクリと痛んだ。この痛みは私のもの? それともシエラのもの?
「シエラももちろん反抗した。だが、流石にシエラの父親でも学校全体を粛清するわけにいかなかったんだろう。そのままシエラは自殺を図った……と」
服の上からギュッと胸を押さえつける。シエラが全面的に悪い。当然の報いだと思う。それでもシエラである私にとっては胸が痛いことだった。
「……何か思い出したか?」
私はふるふると首を横に振る。私が思い出せるはずがない、私はシエラではないのだ。
私がここにいるということは、シエラは死んだということかもしれない。シエラはこの世界に絶望し、身体が残った後でも戻ることを拒絶した。だから、私がここにいるのかもしれない。
私はシエラではないけれど、今聞いたことは全部私のしたことだ。恨まれて当然のことをしてきた。私がこの街で暮らしていく以上、謝らなくてはならないと思う。だけど、ただ謝って素直に許してくれるとも思えない。どうすればーー
「ほらよ」
いつの間にかアルフレッドがコップに水を入れてもってきて、私に差し出してくれていた。
「……ありがとう、ございます」
冷たい水を飲むと、気持ちが落ち着いてくる。
「まるで別人だな」
アルフレッドはポリポリと頭を掻く。
「シエラ・ウィドウがたった3万チキも親に借りない、自分で稼ぐって言い出すとはな。そんなこと言っても誰も信じねえぞ」
「そう……でしょうね」
私を雇いたいという人は誰もいないだろう。これは、本格的に父親のウィドウ商会に入る以外の道が見えなくなってきた。それでも、商会の人間は嫌がるかもしれないけれど。
「……おい、お前、ここで働くか?」
「……へ?」
アルフレッドの突然の提案に私は目を丸くする。
「特別人手が足りないわけじゃねえが、ここは俺一人でやってる店だからな。金管リーダーの仕事で店を閉めなきゃならねえこともある。その間、置いとける人間がいれば、店を閉める必要がなくなる。それに、できたら俺は楽器の修理やリード作成に専念したいと思っていたところだ。店番をするっていうなら雇ってやってもいい」
「い、いいんですか? だって、私が働いたら……」
「ここの客はほとんどが楽団の人間だ。お前はもう楽団に入っちまったんだから、あいつらは嫌でもお前と関わることになる。それに、ここ以外に楽器屋はないんだから、あいつらに選択肢はねえのさ」
「だけど……」
「つべこべうるせえな」
「ふがっ……!?」
私はアルフレッドに鼻をつままれて変な音を出してしまう。そんな私を見てアルフレッドはニヤリと笑う。
「楽器のメンテナンスをしたいんだろ? ここで働くなら特別に金は待ってやる」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。給料から引いておく。こんな状態で吹かれる楽器が可哀想だ」
「じゃ、じゃあ……」
クラリネットの色が変わってきている銀の金具を見つめる。迷惑をかけてしまうかもしれないけれど、それはこれからの頑張りで取り返そう。シエラはまだ17歳。これからいくらだってやり直せるんだ。
「お願いします!」
私はアルフレッドに向けて深々と頭を下げた。




