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入団試験の本番です

 エントリー順に席に座り、一人一人前に出て演奏する。初めはアルトサックスの人だ。私のライバルになるクラリネット奏者も5人程見受けられる。


 私の順番はまだ先なので、目を閉じて精神統一しておく。そういえば、高校生の時にもこういう試験、オーディンをやったな。


 人数の少なかった中学の頃とは違い、高校の吹奏楽部は人数が多かった。なので、人数制限のある夏のコンクール前に、出場者を決めるための部内オーディションがあったのだ。


 人数の多いクラリネットは激戦で、高校一年生の時なんて先輩の人数だけで定員が埋まってしまうので、先輩を蹴落とさなければ出場できなかった。だけど、出場したかった私は練習を頑張って、見事先輩を蹴落として合格。椅子をゲットしたのだった。


 少し気まずい思いもしたけれど、そこは実力主義の世界。落ちてしまった先輩とも最後まで仲良くやり切ったことは今思えば懐かしい思い出だ。


 そう思えば、私は本番に強いタイプで、オーディションで一度も落ちたことがない。今回はあの女性達が言っていたように負け戦なのかもしれないけれど、いい演奏をして何か爪痕を残したい!


 自分を強く持つことができて、緊張が紛れた私だったが……あれ? 聴こえてくる入団試験の受験者の演奏を聴いていて、ふと気がついたことがある。それは、曲が一人で完結しているということ。つまり、みんなソロ曲と思われる曲を吹いているのだ!


 私は身体の熱がすーっと引いていく感覚に陥る。だって、私が用意してきた曲はソロ曲じゃない! 普通の吹奏楽の曲で、休みもあれば、伴奏をしている部分ももちろんある曲を演奏するつもりだから。


 どうしよう、今からでも曲を変えるべきだろうか。頭の中で今まで演奏した曲を思い浮かべる。だけど、今までソロ曲など吹いたことがないし、人数の少ないアンサンブルの曲もメロディラインを演奏していない。


 混乱する頭でこれから演奏する曲を思い浮かべる。私の大好きな曲『森の精霊』。この曲は日本人作曲者の曲で、この世界に存在するはずのない曲だ。この曲を聴いたら、アルフレッドやここにいるみんなはどんな顔をするだろう。


 オーディションは私に詰め寄ってきた内の一人の女性がトロンボーンを演奏しているところだ。先程から聴いている曲は、どれもどこか澄ましている優等生な曲が多いように感じる。


 『森の精霊』を聴いていると、自分が森の精霊になったかのような綺麗なメロディラインに私はいつも胸がドキドキする。この曲を聴いて、ここにいる人たちはどう感じるのだろうか。私のようにドキドキしてくれるだろうか。


 私は胸に手を当ててふーっと息を吐き出す。何よりも私がこの曲を演奏したい。聴いてもらいたいのだと自覚する。


 腹を括ろう。恥をかこうとも、私はこの曲をみんなに聴いてもらいたい!


「では、次。シエラ・ウィドウ」


「はい!」


 指揮者のカミーユに名前を呼ばれて、私は元気よく挨拶をする。よし、やるぞ!


「シエラ・ウィドウです。よろしくお願いします」


 ペコリと頭を下げてから3人の前に座る。うわ、すごい威圧感だ……


「楽器と経験年数を教えてください」


「はい。楽器はクラリネット。経験年数はブランクはありますが6年です」


「なるほど」


 笑顔の指揮者、カミーユだったが、目が笑っていない気がする。怖い、この人。


「それでは演奏する曲名をお願いします」


「はい。曲名は『森の精霊』です」


「森の……? 作曲者は?」


 ここは適当に誤魔化すところだろうか。でも、そんなことは作曲者に失礼だ!


「……トオル瀬戸口セトグチです」


「……聞かない名前だ。二人は知っている?」


 両側に座るオーボエ美女のメアリーとイケメントランペットのアルフレッドは揃って首を振る。


「まぁいい。それではお願いします」


 カミーユは私に演奏を始めるように促した。私はふーっと息を吐き出す。この痺れるような緊張感も久しぶりに味わう。


 私は譜面を用意して、前を見据える。よし! 私は楽器を構えることなく、大きく息を吸い込んだ。


「ぱぱぱーぱーぱー」


「……は?」


 突然歌い始めた私に、前の美男美女三人が大きく口を開けた。だって、しょうがないじゃない! この曲はトランペットによるファンファーレから幕を開ける。クラリネットの出番は4小節目からだ。


 私は歌いながらクラリネットを構えて、息を吸い込んだ。静かな入りから、連符とともに曲を盛り上げるようにクレッシェンド。それはまるで森の精霊が歌っているかのよう。連符を終えるとフルートが花を添える。幻想的な曲の入り口だ。


 そしてまた、トランペットのファンファーレ。私は同じように歌うと、今度は私の背後からくすくすと笑いが漏れ出ている。


 私だって歌が上手くないことも、この場で突然歌い出すことのおかしさもわかっている。それでも、堂々と歌う。だって、この曲を聴いてほしいから。


 次はサックスがメロディを奏でるので、私はその背後で支える。突然伴奏を吹き出した私に、背後からは呆れのため息。だけど、前の三人だけは驚いた顔も収め、真面目に聴いてくれている。


 ここからは曲が始めの盛り上がりを迎える。トランペットが軽快なファンファーレを奏でる後ろで私は怪しげな音の連符。音程とともに曲がどんどん盛り上がっていって、全楽器が一斉に音を奏でる。


 ああ、やっぱり私はこの曲が大好きだ。身体の中から熱がぶわっと吹き出して、もう私の音は止められない。


 この曲は中学二年生の時、初めてのコンクールで演奏した曲だった。明るく照らされるステージの上、私はこの曲を無我夢中で演奏した。


 演奏し終わった時の指揮者の充実感に満ちた顔、曲に入り込みすぎて一瞬自分が何処にいるかわからなくなったこと、ハッと我に返って立ち上がるとお客さんがキラキラした顔で私達のことを見ていたこと、たくさんの拍手をもらったこと。


 すべてを鮮明に思い出せる。そうだ、私はあの時に吹奏楽の魅力にハマったのだ。


 曲はどんどんと進んでいく。同じメロディを楽器や雰囲気を変えて何度も繰り返す構成。それが最後の盛り上がりに差し掛かる。


 口が痛くなってきて上手く締まらなくなってきた。それでも歯を食いしばって最後の盛り上がりを演奏する。


 最後はトランペットが大きくファンファーレを歌い、私は最後の一小節の連符で盛り上がりを加速させ、終演だ。


「はぁ、はぁ」


 吹ききった。頭がクラクラとするほど苦しい。だけど、吹ききることができた。聴いてくれている人みんなに『森の精霊』の姿を見てもらうことができただろうか。


 ハッと我に返ると目の前の3人が目に入る。そうだ、挨拶!


 私は立ち上がって頭を下げる。試験なので拍手はない。チラリと様子を窺うと、カミーユだけは笑っているように見えた。


「ありがとうございました。では、次」


 私は譜面を持ってそそくさと元の席に戻った。もう周りの様子なんて気にならない。吹ききれた充実感が、私を包み込んでいた。

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