忍び込んでの音楽鑑賞です
イケメンの尾行は順調だ。どうやら本当に時間がないらしく、急ぎ足なので後ろを振り返る素振りもない。
ただ、見つかる心配よりも見失わないようにするのが必死だ。相手は私よりも足の長い男性。こちらは足が短い上に歩きにくいスカートなんかを履いている。
どうもシエラは乙女チックな性格だったらしく、ひらひらとしたスカートや高いヒールばかりを持っているので、服装に困る。その中でも大人しいものを選んだつもりだったけれど、やっぱりズボンのような機能性はない。
それに、この身体はどう考えても運動不足だ。長い間眠っていたからかもしれないけれど、ちょっと坂を登っただけで息切れしてしまう。この街は坂が多いというのに、シエラはどうやって生活していたのだろう? もしかして、引きこもり?
私にはシエラが17年間生きてきた分の記憶がない。それを、シエラの両親は「記憶喪失」と解釈してくれたらしい。
記憶喪失の私が両親から聞いて知ったのは、ここがカイルベルト国のリンドブルムという街であるということ。シエラは何かの事故で数ヶ月の間眠っていたということくらいだ。
元々のシエラはどこへ行ってしまったのだろう? 私にシエラの記憶はないし、身体の中に別の意識がある気配もない。それなら、私は何故シエラの身体に入ることが出来たのだろう?
そんなことを考えながらただただ足を動かすこと10分。イケメンは坂の上にある一つの建物に入っていった。きっとここ、だ……。
ぜーぜーと荒い息を吐き出す。きっつー! クラリネット再開するなら、まずこの貧弱な身体をどうにかしなきゃ。明日から腹筋とランニングを始めよう。
私はそう決意しながら息を整える。イケメンの入っていった建物はものすごい太い白い石柱が特徴の神殿のような建物だった。その中から確かに楽器の音が聴こえてくる。
目を閉じて耳を澄ませる。よく響くトランペットの音、フルートの高音、響く低音──
「間違いない」
私は目を輝かせる。
これは私の知る吹奏楽に違いない!
音が一斉に止む。これから練習が始まるのだろう、続いて音程を合わせるチューニングの音が聴こえてきた。
私はそろそろと大きなドアを開ける。指揮者の後ろ姿が見えた。茶髪の男の人なようだ。
もっと近くで見たい。私は身体を滑り込ませてホールに入る。
私が入ったところで、強い衝撃波のような音が鳴り出す。ハッとして私はその様子を確認する。
トランペットが大きくファンファーレを奏で、フルートやオーボエが連符でそれに花を添える。低音楽器がそれを下から支えている。そして、クラリネットなどすべての楽器が加わって一気に音楽を盛り上げる。
吹奏楽だ──
それは、楽器の音も形もすべてが地球で慣れ親しんだ吹奏楽に間違いなかった。木管楽器と金管楽器、パーカッションにコントラバスが合わさって一つの音楽を作っている。
私は呆然と聞き入る。トランペットの中に一人、抜群に上手な人がいると気がついて目をやると、何と先程の楽器屋さんのイケメンだった。
金髪のイケメンは金色のトランペットと共に輝いて見える。やっぱり眉間に皺を寄せているのが残念要素ではあるけれど。
他にもオーボエも飛び抜けて上手いように感じる。演奏しているのは黒髪の美女だ。落ち着いた雰囲気の美女は、なんて楽しそうに演奏するのだろう。
ただ、クラリネットは高音の音程が合っていないので、あまり上手く感じない。私がクラリネット吹きだからこそ、余計に粗が目につくのかもしれないけれど。
それにしても、こんなに間近で演奏を聴いたのは久しぶりのことだった。曲が盛り上がると爆発的な音が振動と共に胸に迫ってくる。生でしか味わえないこの迫力。私の中にもどんどん熱が溜まっていくのがわかった。
曲は一気に盛り上がり、終わりを迎えた。最後の音が私の胸を大きく叩く。前世で初めて先輩達の演奏を聴いた時のことを思い出した。こんな華やかな世界に私も入りたい、と胸が熱くなったことを。
圧倒された後、私は思わず拍手を送る。
「……誰、かな?」
気がつくと、演奏者全員の顔が私に向いていた。私にそう尋ねてきたのは指揮者の男の人。明るい茶色の髪の毛の男の人は目鼻立ちが整っている甘い顔立ち。楽器屋さんに負けじと抜群のイケメンだ。っと、そうじゃなくて。
「あ、えっと……」
「シエラ・ウィドウ……?」
クラリネット奏者の一人、茶髪のツインテール女子が私の名前を口にした。顔を見ると、どう見ても怒っているご様子。それは、今日何度も向けられてきた表情だった。
吹奏楽団の人達からざわめきが上がる。
「シエラ……?」
「何であんなやつがこんなところに」
聞こえてくるのはネガティブな発言ばかり。ど、どういうこと? もしかしてシエラ・ウィドウが何かしましたか……?
楽器屋さんのイケメンと目が合うと呆れた顔を向けていた。そのまま、顎で外を指し示される。「出てけ」と、そういうことですね?
吹奏楽があるとわかっただけで、今日は大収穫なのだ。私は素直にそれに従うことにする。
「か、勝手に覗いてごめんなさい! とっても素敵な演奏、ありがとうございました!!!」
私は勢い良くそれだけ言うと、建物を飛び出して逃げる。やってしまった! だけど──
「この世界にも吹奏楽、あるんだ!」
走りながら、私はそう呟く。気になることはあるけれど、顔がにやけるのがどうしても止められない。どうしよう、嬉しい! ワクワクする!
「わーっ!」
私は大声で叫びながら家へと走った。街の人に変なものを見るような顔で見られたけれど、そんなの関係ない! だって、この世界に地球と同じ吹奏楽が存在するんだから!