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定期演奏会

 定期演奏会当日。朝早くから集まって最終確認を行った私達は、舞台袖で待機している。客席からざわざわと洪水のように押し寄せてくる人の声を聞くに、相当数の人が集まっていることは間違いない。


 騒ぐことのできない舞台袖では同じ楽器の人達同士で頭を寄せ合う円がそこかしこにできている。こそこそと話す腕に同じアクセサリーがついていたり、譜面を交換して何やら書いている様子は日本も異世界も変わりないようだ。


 もちろん円に入ることができない私は、一人で呼吸練も兼ねてふーっと息を吸ったり吐いたりを繰り返す。緊張する。だけど、昨日みたいに怖くはない。いい緊張感だ。


 前世での夏のコンクールのことを思い出す。こうやって舞台袖で待機している間は前の学校の演奏が聴こえる。それは、どんな演奏であっても上手く聴こえるもので、油断すると心が折れそうになったりもする。


 だけど、それを譜面に書いてもらったメッセージなどを見て自分の心を平静に保つのだ。どの世界でも、舞台袖というものはそういう空間になっている。


 ぼんっと強めに背中に衝撃を受けて振り返ると、きっちり髪の毛をセットしたアルフレッドが立っていた。


「格好いい」

「ふん、今日は平気そうだな」


 アルフレッドはそれだけ言うと挑発的に微笑んで自分の持ち場へと戻っていく。どうやら私の様子を心配してくれたらしい。


 叩かれた背中が熱い。うん、大丈夫。私はちゃんと平常心でいられてる。背筋を伸ばして前を向いた。


 私は私の演奏をするだけ。


「さぁ、時間だ」


 腕時計を見たカミーユが声をかける。普通に喋っているだけなのに、その声はクリアに聞こえる。


「行こう」


 ただ、それだけなのに、カミーユの言葉には私達を奮い立たせる力があった。整列をした楽団員の顔はみんなキリッとしているから。


 舞台から明るい光が差し込んでいる。大きな拍手が迎える光の中へ、私は足を踏み出した。


 すごい人だ。席に座ると、見渡さなくてもわかる、すごく多くの顔が見える。だけど、光に包まれた舞台上には私達しかいない。それが不思議と私を安心させる。


 カミーユが礼をし、指揮台に立つ。カミーユの後ろには何千という人がいるのに、私の目にはそれが背景に見える。ただ、カミーユと、カミーユが持つ指揮棒しか私の頭に認識されない。


 あ、そうだ、この感じ。前世で舞台に立った時もこんな感じだった。舞台上から見る景色はいつだって変わらない。私はようやくここに戻ってくることができたんだ。


 カミーユが手を上げて、私達は楽器を構える。さぁ、楽しい音楽の時間だ。私達の大好きな音楽を、観客に聴かせよう!


 楽団の音楽が私を包む。私もその一部。アルフレッドのトランペットも聴こえてくる。無性に泣きたくなって、私はそれをなんとか堪えた。




 演奏会はどんどん進み、いよいよクライマックス。拍手が鳴り止むのを待って、カミーユが笑顔で指揮棒を上げる。次の曲は『グローバル・トリップ』。


 出ずっぱりで演奏、というのは大変なものだ。部活の演奏会の時でさえ休憩やゲストの演奏が挟まったのに、この演奏会は休みなくずっと演奏が続く。そろそろ口も痛くなってきている。


 だけど、曲は進む。私は気力だけでそれに食らいついていく。悪くない音が出せていると思う。


 楽団全体の音も良くまとまっている。昨日のリハーサルの時も決して多くない練習時間でよくここまで完成度を上げられたものだと思ったけれど、本番ではそれにさらに磨きがかかっているように感じる。流石は王立吹奏楽団。本番での集中力がすごい。


 私の右隣で演奏するコットンもそれは同じで、いつもよりもさらに強く音を主張している。私はそれに負けないように、ついていくだけじゃなくて引っ張ることができるように、音を出していく。


 まるで戦っているようだ。日本で演奏していた時は、同じバンドのメンバーは仲間であり味方だった。だけど、今は周りがみんなライバルで、その中でどれだけ自分を主張していくか、そういう貪欲さからの争いが演奏をさらに押し上げているようだ。


 それがたまらなく楽しい。日本で味わってきた吹奏楽の楽しさとまた別の種類の楽しさを、私は曲を通して噛み締めている。


 『グローバル・トリップ』は出だしの故郷の街の場面が終わり、いよいよ旅へ出発。アルフレッドのソロが始まる。


 音が違う──


 聴き慣れたはずのアルフレッドのソロ。上手い上手いと思っていたけれど、それ以上に胸に刺さる。音と同時に感情の波が押し寄せてくる。


 旅に出る男が恋人と別れ難く思っている。心配するな、と明るく振る舞いながらも、寂しさが隠せない。できることなら君も連れて旅に出たい。だって、僕は君を愛しているから。


 そんな音を出されたら私は──


 アルフレッドのソロが優しく私の音を促した。


 クラリネットに息を吹き込む。貴方のことが心配で堪らない。できることなら旅になんて出てほしくない。だって、私も貴方のことを愛しているから。どうか、どうか無事で。貴方の帰りを、貴方のことを想いながら待っている。


 苦しいくらいアルフレッドが好きだ。アルフレッドが今まで側で支えてくれたから、私は今こうしてソロを吹くことができている。


 どうか、この想いがアルフレッドに伝わりますように。



 私のソロが終わると、会場からパラパラと拍手が沸き起こる。立って演奏していたわけでもないのに、曲の途中で拍手が沸き起こるなんて異例だ。


 吹ききった。アルフレッドは今日の演奏を褒めてくれるだろうか。


 そのまま最後まで曲を吹き終えると、会場から割れんばかりの拍手をもらった。眩しいくらいの光の中、カミーユの背中越しに会場を見渡す。


 『森の精霊』を吹き終わった後のあの景色。私が吹奏楽にハマったきっかけとなった景色だ。達成感と充実感。前世に残してきてしまった未練。私はまたその世界に戻ってくることができた。




「お疲れ様」


 演奏会が終わり、晴れ晴れとした顔のカミーユが私達を称える。


「とても良い演奏だった」


 カミーユにそう言ってもらえると嬉しい。私達もみんな笑顔。その顔には充実感が滲んでいる。


「それじゃあ今日は解散だ」


 手早く片付けて解散だ。ざわつく楽団員の中から、私は一番会いたい人を探す。


「シエラ」


 その人は人混みの中を真っ直ぐに私の方へ歩いてきた。


「アルフレッド」


 あの情熱的なソロの後、アルフレッドの顔を見るのは何だか気恥ずかしい。アルフレッドのソロからも確かな愛情が伝わってきたから。それが私に向けてのものだと、自惚れてしまっても良いのだろうか。


 アルフレッドも照れたように頭を掻いた。


「行くか」

「うん」


 私達は二人で並んで劇場を後にした。

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