絶対に諦めたくありません
「別のリードも試してもいいですか?」
「ああ、どうぞ」
そうして私は5本リードを試し、合いそうな3本を買うことにした。
「ありがとうございます。とっても良いリードですね」
リードには当たり外れがあるので、5本中3本も当たりがあるなんてすごい。素直に褒めるとイケメンは、
「まあな」
と、ここへ来て初めて眉間の皺をなくす。それは、とっても得意気な顔だ。
「もしかして、貴方が作ったリードなのですか?」
「いや、俺じゃない。俺の爺さんが」
「そうなのですね! すごい!」
私が素直に賞賛の言葉を口にすると、イケメンを褒めているわけではないのに、自分のことのように嬉しそう。もしかして、彼はお爺ちゃんっ子イケメンなのかな?
「それにしても、お前」
険しい顔に戻ったイケメンが、私に尋ねてくる。
「楽器始めて何年だ?」
「ブランクがありますけど、6年間は真剣にやってました」
「6年も?」
イケメンは訝しげな顔をする。
「お前、ここへ来たのは初めてだよな? この街の楽器屋はここしかねえ。どうやって楽器を手に入れた? リードは何処で買ってた?」
「あ……」
素直に質問に答えたら、雲行きが怪しくなってきた。それに合わせてイケメンの顔の険しさも増している。何て答えよう?
「お……恐らく父が……」
私の父親は「ウィドウ商会」という、流通を担う商会の代表をしているらしい。父親の仕事について詳しくは知らないので安易なことは言えないが、流通の会社なら楽器が手に入ってもおかしくないんじゃないか、と思いついた。自信はなかったが、そう誤魔化すしか私には考えつかなかった。
「恐らく?」
「す、すみません。私、記憶喪失で」
「記憶喪失?」
私が入店した時と同じくらい険しい顔になったイケメンは、舐めるような目つきで私を見ている。
「お前、名前は?」
「シエラ・ウィドウです」
「シエラ……まさか」
イケメンは目を見開いた。この反応は私を知っている反応だ!
「私のことを知っているんですか?」
「知ってるも何も……この街でお前のことを知らないやつはいねえだろ」
どういうこと? 私ってそんなに有名人なのかな!? だけど、表情からは親しげな感情は一切読み取れない。むしろ、ここへ来るまでの街の人と同じような──
「それってどういう……」
「あ、やべえ」
私が詳しく聞こうとすると、イケメンは壁にかかった古そうな時計を見て顔をしかめる。
「店を閉める」
「へ? まだ昼間ですけど、閉めちゃうんですか?」
「今日は練習だからだ」
イケメンはさっさとリードを片付けて私がいるというのに店じまいを始める。
「練習って、何のですか?」
「吹奏楽団だ」
「え……?」
「王立吹奏楽団だよ!」
私に早く店を出て行ってほしいのだろう。イケメンは苛立った様子でそう言った。だけど、聞き捨てならない言葉を聞いてしまった。吹奏楽。イケメンは確実にその言葉を口にした。
この世界にも吹奏楽がある!? 私は興奮から身体中が波立っていくのを感じる。
「こ、これから練習があるんですね!?」
「だからそう言って……」
私はイケメンに近づいてその手を取った。
「見学させてください!」
「……は?」
「吹奏楽、聴きたいです!!!」
私の勢いに呆気に取られた顔をしたイケメンだったが、すぐに顔をしかめる。
「ダメだ」
「何で!?」
「練習は非公開だ! さっさと帰れ!」
結構本気で怒鳴られてしまい、私は怯む。男の人に怒鳴られた経験ってあまりないので、こんなに怖いものなんだ。
「……わかりました」
仕方なく私はイケメンの手を離す。
「リード、ありがとうございました」
とぼとぼと店を出て、諦めて家に帰る……わけがないでしょう!
私は建物の影に隠れてイケメンが出てくるのを待つ。ダメって言うならつけて行くだけ。だって、吹奏楽が存在しているのだから! いち早く聴きたいというこの欲望は抑えることができない。もう二度と未練を残さないためにも!
5分後にイケメンは店を出てきた。私はバレないように、その後をこっそり追う。
私は日本で生まれ育った、明るさだけが取り柄の26歳の社会人、独身の女だ。そんな私が、ある日突然死んでしまった、らしい。
病気などではなかったから、事故か何かではないかと思う。曖昧にしか説明できないのは、死ぬ直前の私の記憶が曖昧からだ。
死後の世界は真っ白だった。自分も何も見えない真っ白な世界で、私は自分の人生を振り返っていた。
男性とも女性ともわからぬ中性的な声にいろいろなことを聞かれた。その声の主は神様というものなのだろう、と私は何故かわかっていた。
人生で犯してしまった罪、良かれと思ってやった善き行為。頑張ったこと、辛かったこと。それらを時間をかけて洗いざらい聞かれた。
最後に中性的な声はこう尋ねた。
「無念はあるか?」
無念。私はしばらく考えた。短かったけど、楽しい人生だったと思う。だけど、思い残すことがあるとするならば……
「もう一度、吹奏楽でクラリネットを吹きたかったです」
中学・高校の時に吹奏楽部でクラリネットを吹いてきた。楽しかった。吹奏楽が大好きで、そのことばかりを考えていた時間だった。
できるなら一生クラリネットを吹いていたかった。正直に言えば、音大に進学して将来も楽器を吹いて生活していきたかった。
でも、私はピアノは弾けないし、絶対音感なんていうものも持っていない。それに、音大はお金がかかるし……と、何かと理由を付けて挑戦することすらせずに諦めてしまったのだ。
それでも、趣味でもいいからいつかまた吹奏楽をやりたい、そう思っていた。社会人になって忙しい毎日を送る中で、いつか仕事に余裕ができたら吹奏楽団に入ろう、いつか……と。だけど、その「いつか」が私に訪れることはなかった。
無念、と言われればそれしか思い浮かばない。もう一度吹奏楽をやりたかった。あの眩しいステージの上で、吹奏楽という一つの音楽の一つのパーツとして演奏がしたかった。
そう、何度も何度も言った気がする。
次に気がついた時、私はここにいた。見慣れぬ部屋で私は見たこともない容姿と名前になっていた。だけど、傍らには私の愛用していたクラリネットと今まで演奏した譜面が詰まったファイルがあった。
初めは混乱したけれど、それを見た時、私は自分の状況を把握した。ああ、あの中性的な声の神か何かは私に無念を晴らさせてくれるのだと。そのためにこの身体に入れてくれたのだ、と。
だったら私はもう二度と間違えない。今度こそ吹奏楽でクラリネットを吹き続けて一生を終えるのだ。